278日目⑥
私は毛布の中に縮こまっていた。荒れ地を歩いていたら、急に嵐がやってきたんだっけ。何とか見つけた大きな岩の隙間に隠れて、テントを張ったんだった。
「ミーシャ、眠れないのですか?」
お母さんが私の頭を撫でる。外からはゴウゴウと風が吹き荒れる音が聞こえて、テントが吹き飛ばされてしまうんじゃないかと、不安だった。
「はい……ねえ、お母さん、本当に大丈夫?」
見上げるとお母さんは苦笑して、再び私の頭を撫でた。
「心配いりませんよ……久しぶりに、子守歌を歌ってあげましょうか。
私の目は泣きじゃくって霞んでしまった、私を慰めてくださった方が遠く離れておられるから♪
どうか見てくれ、私のような悲しみが他にあるか♪
道を通るすべての人々よ、私の苦しみのような苦しみが他にあるか、見てくれ♪」
歌い終わったお母さんの顔を、私は下から見上げた。
「……お母さん、そのお歌、悲しすぎます。なんか余計に、怖くなっちゃいました」
ぷっくりと頬を膨らませる。せっかくの寝る前だというのに、これでは目が冴えてしまう。
「おや、そうですか。流れ水の民に伝わる、古い歌なのですが」
お母さんは意外そうに目を大きくした。
これで本当に私が眠くなると思ってたの?だとしたら、子供心が、いや人の心が、分かってなさすぎないだろうか。
「昔歌ってくれた、月と星が踊るお歌が良いです」
すっかり目が覚めてしまった私は、毛布から這い出して、お母さんの膝の上に座った。
そうするとお母さんは、毛布を引っ張って私に毛布を掛け直して、膝を揺すってくれた。
「仕方が無いですね。それでは……」
ああ、目が覚めた。夢の中で寝て、目が覚めるなんて。
まあ、今も寝ているようなものだけど。身じろぎすると、皮膚に張ったガラスが割れる痛みがあった。この痛みだけが、この暗闇が現実だと突き付けて来る。
ずっと、忘れていたはずなのに。何故だか夢に出てくるのは子供のころの記憶、もっぱらお母さんとの旅の出来事だった。
夢の中で聞いた歌の内容を思い出して、なんだか自嘲的な気持ちになる。だって、今の私にピッタリな歌だから。
……もう刻印は消したかな。二人は、もう体を重ねたのかな。
受け入れたはずなのに。そうであるべきなのに。想像すると、悲しくて、涙が出てしまいそうになる。目が無いから、実際には出ないけど。
……泣けないし、私の状態は大勢に見せるにはグロテスクだろうから、言うほどピッタリでも無いか。
取り留めなく、そんなことを考えていると。喉の奥にネットリした物が通る感触があった。口がガラスでくっついて開かない私に、わざわざ喉に穴をあけて、食事を流し込んでくれている人がいるらしい。
大した献身だけど、あまり感謝する気にもなれない。
別にもう、私が生きる理由は、無いのだから。
生に無気力になったせいか、禁術の残滓の影響が、日に日に強くなっているような気がする。前よりも、皮膚に対するガラスが占める割合が、増えている気がするのだ。なんとなく、見ることもできないから、ただの推測だけど。
それなら、そのうち死ぬのかな。ああ、その方が、良いと思う。私の世話をしてる誰かも、これ以上無駄な労力を割かずに、済むだろうし。
「मम नेत्राणि रुदनेन धुन्धलाः सन्ति, यतः यः मां सान्त्वितवान् सः दूरम् अस्ति ♪(私の目は泣きじゃくって霞んでしまった、私を慰めてくださった方が遠く離れておられるから♪)」
お母さんの歌っていた、流れ水の民の歌だと言う、その歌を。ラシスカ語では無く、お母さんが歌っていた言葉のまま。
ぼんやりと、ただぼんやりとしながら。暗闇の中で、ただ反芻した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ウーノ!見つけましたわよ!」
ダンス衣装を着ているウーノは、良く目立つ。目撃情報を聞き込みしていった結果、エカテリーナは彼の下に容易にたどり着いていた。
「これが、サクリド語の知恵の実?って、エカテリーナ……」
エカテリーナがウーノの下に踏み込んだ時。彼はヘンリクと共に、何か話し合っていた。
「ウン?別れたんじゃナイネ?」
「ああ、そのつもりだったけど……エカテリーナ。手紙に書いたとおりだ。君に頼れないなら、俺は一人で行くよ。逃げ帰るつもりは、無い」
「ソウネ!ちゃんとビシッと、振るネ!」
エイエイ。拳を振り上げて応援するヘンリクを無視して。エカテリーナはウーノを抱きしめた。
「わたくしが、間違ってましたわ!ずっと、目が濁ってましたの。あの日、ウーノがミーシャの髪を燃やした時、誓ったはずでしたのに……気が付きましたのよ、わたくしが愛しているのは、ウーノとミーシャ、二人の関係性そのものであると。ウーノ、改めて誓いますわ。もう二度と、貴方に帰れだなんて、言いませんの。絶対に貴方を、ミーシャと再会させて……二人を幸せに、して見せますわ!」
「あの……また一緒に、旅に付き合ってくれると言うことかな?でも、それがエカテリーナの負担になってたんだよね?それなら……」
エカテリーナの肩を押して、抱き着きを離させようとするウーノ。そんな彼の拒絶の手を、エカテリーナはしっかりと握りしめた。
「ええ、確かに、一度は惑いましたわ、ウーノの色気に……でも、もう霧は晴れましたの。ミーシャからウーノを奪いたいなんて……嫉妬したり、しませんわ。だって、わたくしが好きなのは、ミーシャを愛してるウーノで、ウーノを愛してるミーシャですもの!わたくし自身が愛されたいと願うのは……性欲の見せた幻惑。二人が愛し合う姿こそが、わたくしが望むことですわ」
押しのける力の弱まったウーノを、エカテリーナは再び抱きしめた。
最初に、村から旅立つと決めた、あの時。まだエカテリーナがウーノに欲情する前の、あの日に抱きしめたように。同じ志を持つ同志としての、親愛の抱擁。
力強いその抱擁に、ウーノは少なからず、安心感を覚えてしまった。
「エカテリーナ、俺は……」
「もしもウーノがどうしても一人で行くって言うのなら、後ろからこっそり後をつけていきますわ。色々と、わたくしはウーノに、イケナイ感情を覚えてしまいましたもの。わたくしが一緒にいる方が不安だと思うなら、貴方から見えないようにして、後ろからこっそり、貴方の旅路をお守りしますわ」
何が何でも、ついて行く。ストーカしてでも。
絶対に自分の意思を押し通そうとするその姿勢に。ウーノは呆れ半分、嬉しさ半分で、ため息をついた。
「分かったよ、分かった……エカテリーナ。君を、頼らせて欲しい。もう一度、俺と一緒に、ミーシャちゃんを助けるために、力を貸してくれ」
「もちろんですわよ!それであの、ウーノ?目に入らないように、こっそり後をつけるオプションの方が良いですの?そっちの方が、安心できますかしら?」
「何言ってのさ。今まで通り、横を歩いてくれ。『戦友』」
「……ええ!頼りにしてくださいまし!」
抱きしめて肩を叩き合う二人。しかし、その光景を快く思わない者が、この場にはいる。
「ウーノ!結局女頼りネ!?見損ナタヨ!」
「ああ、ヘンリク……その、何というか……」
「モウいいネ!全部メチャクシャにしてヤル!覚悟するネ!」
ヘンリクはそう言って、サクリド語の知恵の実を回収すると、身体強化魔法を足に張り巡らせて個室を出て行った。
「……ヘンリク?ウーノ妻人、何かあったのですか?……エカテリーナ、お前は何故ここに?振られたと聞きましたが?」
「お姉さま?ウーノに何の用ですのよ!」
入れ替わり立ち代わり。ギャーギャーと姉妹喧嘩が始まった。
ウーノは頭を抱えた。
「ああ!どこから説明すれば?」
「……ヘンリクが、そのような組織に?」
「ええ。蒸発委員会を名乗る流れ水の民が、スーラフに何かしら技術提供をしたそうです。ヘンリクも、その組織の協力者だとか」
ウーノはヘンリクから受けた組織の勧誘について、アレキサンドラとエカテリーナに説明した。
蒸発委員会。規模も目的も不明だが、流れ水の民が中心となった組織らしい。スーラフが魔導戦車の開発に成功したのも、彼らが持つ魔物に関する知識があってのことだそうだ。
ヘンリクは戦前から蒸発委員会に所属し、ガマニアの支部で魔導戦車の研究をしていたが、スーラフ軍のガマニア侵攻の際に徴集され、慰安夫を強要されていたらしい。蒸発委員会はスーラフに協力しているとは言え秘密結社なので、組織の名前を出しても通じなかったそうだ。
ヘンリクのような蒸発委員会の魔導戦車技師は、自立志向の強い男性が多いのだとか。蒸発委員会は完全実力主義で、男であっても才覚があればまっとうに評価される。女社会から抑圧される、『強くあろうとする男』にとっては、居心地がいい場所だと言っていた。
「……そう言えば、ビウクニツの地下水路で、容疑者の殿方二人を逃がしたのも、流れ水の民っぽい女性でしたわ。彼女が、その蒸発委員会とかの、メンバーだったわけですわね」
「そう言うことだろうね。心苦しいけど……ヘンリクを捕まえて、もっと情報を聞き出す必要があると思う。明日の舞踏会で起きるかもしれない何かを、知っているかも」
ウーノがそう言うと、アレキサンドラは深いため息をついて、椅子に座り込んだ。
「……お姉さまってば、マジで男を見る目、無いですわね」
「黙りなさい。はぁ……愛人がスパイだったり裏切り者であるのは、貴族では良くあること。気にしても仕方がありません……しかし、どうしたものか」
ヘンリクは、何か知っているのだろうか?捨て台詞で何かを引き起こすようなことを、言っていた。一体何を?
「そう言えば、ビウクニツと同じようなことが起きるかも、ってエカテリーナ言ってたよね?」
「ええ。橋の検問で、冷凍された魔物の生肉や素材が、摘発されたらしいですわ。ビウクニツ同様、どこかで組み立てて、巨大魔導戦車でひと暴れするつもりなのかもしれませんわね」
「冷凍された……となると、どこかで解凍して……」
「また地下水路とか?」
「それか……ワスフ川かもね。村で凍った魔導車を解凍する時は、川でやっていた。あれだけの大河川だし、隠すには向いてるかも。確か、川の警備監視はそこまで徹底されてなかった。川底に巨大な魔導戦車を、沈めているかも」
「一度、舞踏会の前に、一度調べておいた方がよさそうですわね」
二人がそうして今後の方針を固めていると、アレキサンドラが手を叩いた。
「お前たちは、そちらの魔導戦車の方を、調べておきなさい。私はヘンリクを探します。付き人で連れて来たあの4人は、こちらで使います。はぁ……寝物語で、色々と話してしまいました。口封じを急がなくては……」
「その……俺が口を出す権利は無いのは、重々承知ですが……穏便に……」
ウーノは小さく手を上げた。ヘンリクは、ウーノを同胞と呼んで、色々と教えてくれた。身体強化魔法に、魔導戦車についてまで。
まだ仲間になると頷く前に、悩んでいる段階で、蒸発委員会と言う秘密結社の話までしてくれたのだ。知るべきことを知らずに決断して、後悔しないで済むように、と。
それだけ親身になってくれた彼が、始末されるのは忍びなかった。
「……エカテリーナ。男の手綱はちゃんと握っておくことです」
「お姉さまが言えたことじゃねーですわよね?」
突っ込みを無視して、アレキサンドラはウーノを静かに睨んだ。
「口を出すべきでないと分かっているなら、そうなさい。度胸は認めますが……その度胸を可愛げと捉える女は、そう多くはありませんよ」
そして彼女は、カツカツとブーツを鳴らして去って行った。
「気にしないでくださいまし、ウーノ。貴方の度胸と勇気は、男女関係なく、明確な美徳ですわよ。男として可愛げがあるか、ではなく、人として優れていると言うことですもの」
「はは、ありがとう。エカテリーナも俺の扱い方が分かってるね。そういう褒め方をされると、嬉しいよ」
「……はぁ~。ウーノのそういう所は、ダメなところですわね。女を喜ばせるのが、上手すぎますわ。まったく……さあ、わたくしたちも、やるべきことをやりますわよ!敵はおそらく、再び魔導戦車。頼りにしてますわよ、戦友!」
「ああ、もちろんだとも」
差し出された手を、固く握りしめ。二人は再び一緒に、歩き出した。
そうして目的地に向けて、乗り合い魔導車に揺られて、ダンスホールから川へ向かう際中。ダンスホールでの会議やアレキサンドラとの会話を情報共有をしつつ、これからのことを相談していた。しかしふとしたはずみで、ウーノが書き残した手紙の内容について触れてしまった。その結果、今更ながらにエカテリーナは、彼に説教を喰らわしていた。
「そもそも、ウーノもミーシャも夫婦そろって、わたくしに対して酷な役回りを押し付けすぎですのよ!ウーノったら、『いざ自分が死んだら君がミーシャを~』なんて書いてましたけど、どの面下げて、助けたミーシャに『貴女の夫は死にました。私が同行するはずだったけど振り切られたせいです』って報告すれば良いんですのよ!」
「ごめん」
「ミーシャがウーノをわたくしに託したのもそうですけど……何でわたくしばっかり!ウーノだって、ミーシャの戦死をわたくしから聞かされた時、どんなだったか覚えてますわよね!あの時のように、ミーシャに責められ悲しまれるわたくしの姿、少しは想像しましたの!?」
「ごめんて」
「そもそも、ミーシャもわたくしを置いて先に死のうとしたり、ウーノだってわたくしを置いて死を前提としたようなことをして!残される側の気持ち、分かってねーですわよね!その上、ウーノは残される側の気持ち分かっていながら、この仕打ち!非道ですわよ!あんまりですわよ!」
「ごめん、本当にゴメン!ほら、もう橋に着いたよ!あ、降りまーす!」
丁度停留所に着いたのを良いことに、ウーノは話を遮り魔導車の客車を降りた。
雨脚が弱まったのか、傘を差さなくてよいくらいの小雨だ。冬の寒さの中、そんな雪になり損ねた雨粒が、ポツポツと彼の鼻先を濡らした。
「もう……反省してますの?」
二度と一人で勝手には行かせない。エカテリーナはそう主張するように、ウーノの腕を抱きしめた。
性欲や所有欲では無く、心からの心配が滲んでいる、強い抱きしめ方だった。
「すっごく反省してる。もうエカテリーナを悲しませるようなことはしないから、ね?さあ、川を探索しよう!」
「あ、ちょっと待ってくださいまし。さあ、ウーノもどうぞ」
とにかく話題を変えたいウーノは、腕を抱きしめられたまま川辺の護岸に歩き出そうとするが、エカテリーナがそれを引き留めた。
彼女は腕を解くと、後ろ手に腕を組み、シャンと姿勢を正した。
「え?どうぞって何が?」
「お説教ですわよ。わたくしの分は、一通り吐き出しましたわ。ウーノも、わたくしへの不満、ここで吐き出しておいてくださいまし……色々と今まで、わたくしは不適切な言動を取りましたもの」
そう言って、エカテリーナは胸を張ってアゴをそらした。様になった直立姿勢である。
どうやら、自分だけ言いたいことを言うのでは無く、ウーノにも言わせてくれるそうだ。
「あー、そうだね……今後は、些細なことでも、気になることや危険性についての情報は、共有してくれ。いつどこで、ビウクニツのジャガーノートのような魔導戦車が、ここにもあるかもしれないと知ったか、分からないけど。重要な情報なんだから、直ぐに共有して欲しかった。俺はね、君が俺たちの関係を戦友と表現してくれたことが、すごく嬉しくて、支えにしてるんだ。だから、ちゃんと戦友として、情報共有は徹底して欲しい」
「分かりましたわ。それで、他には?」
「他……他は、特にないかな。戦友として扱う、それに尽きる」
ウーノがそう言うと、エカテリーナは消化不良のような顔をした。
「もっとこう……セクハラが酷いとか、貞操の危険を感じるとか、無いんですの?わたくし、メタクソに言われてボロ雑巾になる覚悟でいましたから、もっと本音をさらけ出してくださいまし」
「いや、別に……特に気にしてないよ、俺は」
ウーノがポカンとして言うと、エカテリーナは姿勢をだらけさせて、ため息をついた。
「はぁ~……まさか、タチアナに同情する日が来るとは、思いませんでしたわよ。ウーノは本当に……魔性の男ですわね。許される、と勘違いしてしまいますわよ」
「魔性の男って……大げさだよ。俺ってば、そこまでイケメンじゃないしさ」
「ああぁ!そういう所もですわよ!普段は気丈で度胸もあって、強い男って感じですのに!容姿のことになると弱気になって!そのギャップが庇護欲をくすぐるんですの!それにウーノの顔立ちはエキゾチックな感じですし、体つきに至っては一級品のドスケベですのよ!もっと自分に自信を……クッ、自信をもって積極的に色気を使われると、それはそれで危険ですわ!?いったいどうしたら……!」
「どうするもこうするも、川を調査に行くべきでは?」
謎の葛藤を見せるエカテリーナに、ウーノは冷たく突っ込んだ。体をくねらせ頭を抱える彼女と、横にいる自分に通行人の視線が突き刺さる。いたたまれないのだ。
「はぁ~……良いですわ、ミーシャにお説教してもらいますわ。早く救出しないといけない理由が増えましたわね」
そう結論付けて、エカテリーナは再びウーノの手を取る。
雨はまだ、降っている。冷たい冬の雨が。しかし雨脚は弱まり、傘をさすほどでもない。
二人は小走りで、しかし転ばないように身を寄せて支え合って。川へと急いだ。




