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新婚6日目、ミーシャは戦場に行った~貞操逆転世界で出征した妻のために夫のすべきこと~  作者: つゆたま
シュチェン編

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278日目⑤

 小雨が降りしきる中、ウーノはダンスホールへと向かった。借りていた衣装を着たままだったからだ。元の服は、ロッカーに入れたままになっている。


 しかし、体のラインが良く出る煽情的な衣装で街中を歩いていると、筋肉のあるウーノの体は否が応でも視線を集める。ケダモノの視線を。


「ねえニイチャン?アタイと遊んでいかない?」


 案の定、服を着崩したガラの悪そうな女性に声をかけられてしまった。くすんだ金髪は光を返さず、輝きを失っていた。

 ウーノは歩くのを止めず、小さく手を振って断った。


「すみません、人夫なので。貞淑な淫紋を刻んでるんです」


「淫紋?キャハハ、ニイチャン遊んでるんじゃん!いいから、来なって」


 貞淑な淫紋は、アモリア教の中でも過激な刻印で、今どき刻むカップルは少ない。それゆえに学がないか信心深くない若者は、貞淑な淫紋を知らないことがある。目の前のチンピラ女性も、貞淑な淫紋をただの淫紋と誤解しているようだ。

 今まで、貞淑な淫紋を刻んでいることは、ウーノにとって社会的信用を得られる一種のステータスであった。しかしそれが通じない女性に対しては、肌を触れられただけで激痛が走るデバフでしかない。


 腕をつかもうとする女性の手を、ウーノは学んだばかりの身体強化魔法で足を強化し、回避した。

 しかし男に逃げられたのが不服なのか、チンピラは不機嫌そうにうなり声をあげてウーノの肩を掴もうとした。


「やめてください。急いでるんです」


 前までのウーノだったら、『困るなぁ』と言いつつ強くは断らず、若干嬉しそうにしていたかもしれない。恋愛経験の無かった元男子校生として、女性に求められるというのは、自尊心を満たしてくれるからだ。

 しかし、遠く異国で苦しんでいるであろう妻を助ける旅路の中、他の女性にいい顔をするのは、男らしくない。エカテリーナはミーシャが信頼した相手だが……そうでない人に、鼻の下を伸ばしている場合では無いのだ。だからこそ、明確な断りの意思を持ってチンピラに対応した。


「お高く留まりやがって!来いって言ってんだよ!」


 しかし、ナンパを断られると攻撃的になる、というのはどの世界でも一緒らしい。ウーノに拒絶された彼女は、声を荒げながら手を伸ばし、去ろうとするウーノの襟首をつかみ上げた。


 街中で男に手を上げる。普通なら誰かしら注意するものだが、あいにくウーノはダンス衣装を着てセックスアピールを示す筋肉を見せびらかしていた。そのため現状の光景は、チンピラと娼夫が揉めているようにしか見えない。誰も関わりあいたくないから、助けようともしないのだ。


「触るな!」


 この世界の男は、守られるのが当然、女性の下でいるのが当然、である。娼夫がトラブルに巻き込まれたら、警官が通りがかるのを願うしかない。

 しかし、ウーノは違う。自分の身は自分で守る覚悟をしていた。


 ウーノは手に入れたいつもの氷のナイフを翻してチンピラの前髪を数本切り落とした。パラパラと金髪が舞い散る。

 それは彼にとって、自分が弱い獲物ではない、労力に見合わない存在だ、という主張の意味があった。

 しかし、チンピラにとっては逆効果だった。男に激しく抵抗された事実にプライドを傷つけられた彼女は、怒りに頬を紅潮させ絶叫した。


「てめぇ!何をしやがる!絞り殺してやる!勃たなくなってもケツ穴ほじくり返して無理やり犯してやる!」


 チンピラは膝蹴りをウーノの腹にぶつけた。ケンカ慣れしているのか素早く放たれたその蹴りを、ウーノは認識することすらできずにまともに食らってしまった。


「ガハァ!」


 身体強化魔法を覚えて、多少は強くなった。ある程度は女性に抗える。

 その考えは、甘いと言わざるを得なかった。魔法使いでないただの女性相手でも、ケンカ慣れしている相手には一方的に蹂躙される。


 痛みに呻き崩れ落ちるウーノの髪を、チンピラは雑につかみ上げた。そのまま路地裏に引きずり込もうとズルズルと引っ張られる。

 暴力と性欲の混ざった、獣欲を受けても。ウーノは恐怖こそすれ、抵抗を諦めなかった。


 ミーシャの時は、体が固まった。それは嬉しい思いもあって、本気で抵抗できなかったから。しかし今は違う。妻に操を立てたのだ、体を許すわけにはいかない。

 ウーノは何とか抵抗しようと、髪を掴んで引きずられながらも、ナイフを握りなおした。こうなったら、戦うしかない。覚悟を決めて、力を込めた。痛みにチカチカする目を見開き、初激をどこに放つか、思案した。そしていざ切りかかる、という寸前で、チンピラの叫び声が聞こえた。


「ギャアアアア!」


「やれやれ。男に断られたからと言って力づく、なんて……女として情けないとは思わないのでしょうか」


 見上げると、くすんだ金髪のチンピラは何者かにヘッドロックされて、頭から煙を出していた。

 さらに見上げると、慣れ親しんだ輝き。毛先が赤い金髪が見えた。


「エカ……アレキサンドラさん……」


「イッヒもいるヨ。まったく、ウーノ。そんな恰好で出歩くなんて、本当に娼夫デビューしたネ?」


 そこにいたのは、手のひらから電撃を出してチンピラの頭を焼くアレキサンドラと、呆れ顔を浮かべるヘンリクだった。



 二人に付き添われて、ウーノはダンスホールに来ていた。


「私たちも舞踏会には参加予定ですので、練習に来たのですよ。その道中で、偶然あなたを見かけたわけです」


「イヤー、間に合ってヨカタヨ」


「ありがとうございます、助かりました」


 ウーノは着替えて、身支度を整えた。頭を下げそのまま立ち去ろうとするウーノを、アレキサンドラは引き留めた。


「アレはどうしたのですか?あなたへの執着の深さから考えて、別行動をとるとは考えにくいのですが」


「……エカテリーナには、ずっと迷惑をかけっぱなしだったので。これから先は、俺一人で向かおうと思います」


「ふむ……まあ、私が口を挟む問題ではありませんから、別に止めはしませんが。いえ、むしろ嬉しいですね。アレが男に振られたと考えると、愉快ですらあります」


 口元を隠して優雅に微笑むアレキサンドラ。妹の不幸が心底嬉しいようで、上がった口角が隠しきれていない。


「……姉妹仲、悪いんですね」


「くく、気になりますか?しかし、貴族の家庭事情を覗き見ようと首を伸ばすのは、断頭台に首をはめるようなものです。とはいえ、どうしてもと言うなら、教えてやっても良いでしょう」


「生憎ですが……その、エカテリーナから既に聞いてまして……」


「なんだ、つまらないですね……まあ良い。それで?アレに与するのは腹立たしいが、お前になら多少の融通を効かせてやっても良いだろう。私に、奉仕してくれるなら、ね?」


 アレキサンドラは丁寧な口調をかなぐり捨てて、胸元を開いて見せた。

 奉仕、先日の提案の続きだ。


「……俺は、刻印を結んでいます。それも貞淑な淫紋を……あの、まさか刻印を刻んだ男を無理やり襲って、痛みに叫ぶのを見るのが好きとかそういう……」


 塹壕で手に掛けた敵兵の言葉をふと思い出して。ウーノは青ざめた。貞淑な淫紋を刻んでいるなら、苦しませながら犯して殺せる。そんなふうなことを言っていたのだ。もしかして、アレキサンドラも……


「ちょっと、流石に心外です。私は色々火遊びをしているとはいえ、アモリア教の見識深きユスポフ伯爵。男の抱き方は、とても優しい方だと自負しています。貴方の刻印を、一切発動させない方法でのみ、奉仕してもらうと約束します」


「アー、そうネ。ポツカの国境警備隊に比べテ、マジで優しい抱き方ヨ」


 ヘンリクからの擁護もあり。逃げようと浮いていた腰が宙ぶらりんになる。


「まあ、少し考える時間を上げましょう。私たちのダンスレッスンが終わるまで。別に、断っても構いませんよ?自分一人で、対岸に宝飾品や金の交換手形を持ち込む当てがあるなら、ですが」


 アレキサンドラはヘンリクを連れ立って、その場を去って行った。ウーノは一人取り残されて、現実的な問題。どうやって一人で対岸への密輸を成功させるか、悩むことになった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ふと香った、大好きな匂い。ウーノ兄さんの匂い。

 ベッドに畳まれた毛布。ウーノ兄さんが、昨日寝るときに使ったのか、うっすらと大好きな人の汗のにおいが香った。


「ムフー♪」


 深呼吸、深呼吸……ああ、本当に、胎がムカムカする臭い。

 修道騎士団送りになってから、たった5日で再会できるなんて。きっと私の愛は、アモリア様に祝福されてるに違いない。


 初日は移動で、2日目に祭司長様に挨拶して。エカテリーナを襲撃したと言ったら、気に入られて。急遽、お付きの一人に加えられ。3日目と4日目も、移動日で。5日目にこの都市に着いて、その夜に再会。運命としか、思えない!


 ウーノ兄さんと私は、運命で繋がってるんだ!繋がってる……ウーノ兄さんと繋がってる、字面がエッチだ。あぁ、そう思うと、体が熱く……モゾモゾ……


「……ちょとぉ!?何盛ろうとしてますの!」


 急にエカテリーナにつかみ上げられた。プランプラン、私は揺れる。私の手はスカートをめくり上げようとしていた。


「……ハッ!?体が勝手に!?いや、違う、違う……私は体を掻こうとしていただけ。断じてヤマシイ気持ちは無かった」


「嘘おっしゃい!こんなクソ雌猫に、ウーノを任せられませんわよ!」


「クッ……そういうお前は、どうなの!?あのウーノ兄さんと一緒にいて、一度もそういうこと、しなかったの!?トイレの音聞いてたくせに!」


「……してませんわよ!一回を除いて!」


「してるじゃん!ブーメラン!ブーメラン!」


 ギャーギャーワーワー。騒いでいると、ふとトイレでガタンと音がした。

 ウーノ兄さんは、トイレに籠ったままだ。よほど情熱的な手紙を書いているに、違いない。邪魔をしては悪い。


 私は反省して、口を噤むことにした。泥棒猫も同じようで、押し黙ってる。一気に静かになった。


「……はぁ~あ。本当に、貴女にウーノを任せるだなんて……憂鬱ですわ」


 黙ってなかった。


「……とりあえず、降ろして……で、黙るか、この部屋から出てくかして。ウーノ兄さんの迷惑」


「貴女が出てけばいいじゃありませんの」


「ここ、私の部屋!」


 あ、しまった。また叫んでしまった。私は慌てて口を押さえる。


 出てけ。無言でドアを指さすが、恥知らずの嘘つきはドカッと椅子に腰かける。なんだこいつ。


「……嫌ですわよ。これから、一人で西に行くんですもの。最後に一度、顔を見ませんと……ちゃんと、別れの挨拶を、したいんですの」


 出発は舞踏会が終わってから。だから、会う時間は明日もあるにはある。でも、コイツは今日会って、それで最後にするらしい。少しは殊勝な心掛けってやつが出来るのか。


「ふーん……じゃあ、ウーノ兄さんのどこが好きなのか、話して」


「どうして貴女なんかに……」


「ウーノ兄さんの好きな所の話なら、唯一茶々を入れずにお前の話を聞いてられる。それ以外だったら、絶対喧嘩になる。黙るつもりも出ていくつもりも無いなら、ウーノ兄さんを好きになったきっかけとか、どこに惹かれてか言って」


 そう言うと、エカテリーナは押し黙った。しばらくして、弱弱しく口を開く。


「前に、お姉さまの部屋で言ったとおり、わたくしは使命感で……」


「それが嘘だったから、お前はここで、ウーノ兄さんとお別れを言う羽目になってるの。本当のことを言って。自分に嘘をつくとか、一番女らしくない」


 パクパク。間抜け面で、口が開いて閉じる。

 頑張って馬鹿にしないように、静かに待ってると、やっと言葉が聞こえて来た。


「……最初は、ミーシャとウーノの手紙のやり取りを、読ませてもらっているだけでしたわ。その時は、純愛カップルの生のやり取りを見てて……極上の恋愛小説を読んでいるような、そんな感覚でしたの。興奮しても、悦んでも、あくまで第三者、観測者としての感情で……」


「へぇ?」


 最初はそんな気が無かったんです。この期に及んで、まだ嘘を言うか。そう思ってにらみつけるが、本当の本当に本音らしい。懐かしむように目を細めていた。


「それで色々あって、ミーシャが決死隊として、戦場に取り残されることになりましたのよ。貴方の中傷の手紙とか、そこら辺のアレコレのせいで」


「……反省してるし、後悔してる」


 エカテリーナの嫌味に、私は言い返せない。これに言い返しては、ウーノ兄さんに失望される。

 そんな私を見て、コイツはため息をつきながら話を続けた。


「はぁ~……それで、ミーシャからウーノを託されたんですのよ。刻印を解除して、二人で幸せになってくれと。解除用の髪を、その場で切り落として。それで、ウーノに会いに行ったんですのよ。貴方もご存知の通り。そこで、ウーノと初めて会って……ドスケベでしたわね。汗から湯気を出して、上半身裸でセクシーな筋肉を惜しげもなく……うっ、思い出したら鼻血が……」


「ねえ、殴られたいの?この期に及んで発情しないでよ」


 呆れるしかない。ぶん殴ってやりたいところだが、襲い掛かってもやり返されるだけだし、そしたらバタバタして騒音になる。言葉だけで我慢して、私は大人しく続きを待った。


 鼻を押さえてしばらく。話は再開した。


「そこで、取り乱すウーノを慰めたりしているうちに……ミーシャがまだ生きていると、分かったんですのよ。刻印は、死別すると白く変色しますの。それがまだ黒いから、まだ無事なのだと。それで、まずはわたくしがラシスカ首都に、色々確認に向かったんですの。そこで、ミーシャを始めとした流れ水の民の捕虜解放がされないと知って、スゴスゴ帰ってきましたのよ。そうして、タイガ森寄り村に戻って来たら……」


「来たら?」


 ここから先は、完全に知らない話だ。


「ウーノが一人で、ミーシャを助けにポツカに密入国するって、出発寸前でしたのよ!オホホ、わたくしが諦めていたことを、彼は一人で何もかも計画立てて、準備して……本当に、気骨があって素晴らしい殿方ですわね。そして、とても愛情深い……そんでもって、わたくしも同行することになりましたのよ。で、再び首都に向かうのですけど、道中でウーノったら誘ってんのかってくらい、無防備でラッキースケベ連発しますの」


「ああ……目に浮かぶ。ウーノ兄さん、本当に、無防備だもん。村の子供の性癖が年上好きになったし、大人でもウーノ兄さんに刻印があるのに惚れて告白して、振られてた」


 本当に罪な人だ。ウーノ兄さんの顔が60点だとかエキゾチックなだけでイマイチ華が無いとか、そんな論評をする馬鹿もいたけど、そいつらは見る目が無いのだ。日頃のエロス漂うセクシーな言動と、厚着してるのにそれでも分かるドエロイ筋肉。ウーノ兄さんは、エッチの塊なのだ。


「ウーノ、モテてたんじゃありませんの。彼ったら、わたくしのような美人の隣を歩くの、気後れするとか言ったり、わたくしをモテるプレイガールと勘違いしてましたけど。自分の方こそ、モテモテでしたのね」


「うん。でも、ウーノ兄さんは告白されたりしても、ただのセクハラだと勘違いしてた」


『揶揄ってるだけでしょ?』村の未婚だったり相手のいない寂しい女連中の視線を釘付けにしてたウーノ兄さんは、そう言って肩をすくめてた。モテても鼻に掛けず仕事を頑張ってるウーノ兄さんは、他の男からも一目置かれてたらしい。


「……なるほど。まあ、わたくしも、我慢できずに口の中に、指突っ込んだりしちゃいましたわね。手袋越しに、さっきのように。そんなことしても、ウーノったら拒絶しないのだから、勘違いしちゃう奴が出るのも、致し方なしですわ。わたくしも、勘違いするところでしたし。でも、ウーノは本当に、ミーシャを愛してますのよ。その証拠に、刻印解除用に送られたミーシャの髪を、燃やしましたの」


「昨日も言ってた、その話……ウーノ兄さんは、ミーシャさんを助けられなかったら、操を立てて一生一人で過ごす気だって」


「ええ、そうですの。ウーノのその言葉を聞いた時、わたくしは心から、感動しましたのよ。ああ、なんて美しいんだろう、経典の中の理想的な愛の在り方が、今ここにある、と」


 両手を合わせて、瞳が潤んでいた。思い出しただけで感極まったらしい。でも、私にはそれが理解できなかった。


「……さっきも、『良かった』って言ってた。ウーノ兄さんがミーシャさんを愛してるって話を聞いて。ねえ、何で『お前じゃダメだ』って、愛する気持ちを、恋する欲を否定されて、そんな嬉しそうな顔ができるの?欲しいんでしょ、ウーノ兄さんのことが。なのに、何で?」


 私がウーノ兄さんの、ミーシャさんへの愛の話を聞いた時。悔しかった、悲しかった。私がその愛を、向けられたかった。でも、コイツは違う。心底嬉しそうな顔をしてた。

 自分の恋したその体が、愛したその心が、手に入らない。そう宣言されて、何で喜べるのか。理解できなかった。


「……あぁ、ああぁ!そうでしたわ!ああ、何でこんな、肝心なことを忘れてましたのかしら、性欲って恐ろしいですわね!そうですわよ、わたくしは、最初から……!」


「な、何?大声出さないで。ウーノ兄さんの迷惑」


 しかしエカテリーナは立ち上がると、転びそうになるほど急いでトイレに向かって、扉をノックした。


「ウーノ!思い出しましたわ!わたくしが愛した貴方は、ミーシャを愛している貴方でしたの!ミーシャを愛するウーノを、わたくしは愛してますの!そしてウーノを愛しているミーシャを、同じように愛してますのよ!お互いを愛し合い、お互いのために自己犠牲を厭わない貴方たち夫婦を、わたくしは、愛してますのよ!」


「ちょ、何してる!?」


 引っぺがそうと、腰を掴むが、動かない。足を掴むが、離れない。馬鹿力め!


「性欲で目が濁ってましたわ!もう迷いませんの!ウーノ、もう先に帰れなんて、二度と言いませんわ!絶対に貴方たち夫婦の愛を、わたくしが守って見せますわ!一緒に、旅を続けてくださいまし、開けてくださいまし!」


 バンバンと、扉がノックされた。しかし、トイレからは返事が無い。耳を澄ますと、何かがバタンバタンと、音を立てているのが聞こえた。


「……寝ちゃってる?」


「開けますわよ!失礼しますわ!」


 エカテリーナは鍵の近くを手刀で貫いた。ガチャリ、扉を壊して向こう側のカギを開けたらしい。乱暴者!

 でも、鍵を開けたのにドアは開かないらしい。


「鍵以外に何かで押さえてる?」


「まどろっこしいですわね!えいや!」


 みしみし。ドアが引き裂かれた……断面を見ると、中に鉄板が入ってる。これを引き裂いたの?

 呆れながら、一緒にトイレの中に入る。でも、ウーノ兄さんはどこにもいなかった。


 換気窓が風に揺らされて、バタンバタンと音を立てているだけだ。


「ウーノ兄さん、どこ?これは……手紙?」


 周囲を見回すと、壁に紙と袋が貼りつけられていた。


『色々と気遣ってくれて、ありがとう。でも、俺がミーシャちゃんを助けてあげたい。だから、一人で行きます。エカテリーナ、この袋に入っている髪は刻印解除用の、魔力を込めた髪です。身体強化魔法を覚えて、魔力の籠め方も分かったので、出来ました。足りるはずです。貞淑な淫紋の解除に使ってください。ただ、一つお願いがあります。解除するのは、俺が戻ってきてからか、刻印が白くなってからにしてほしい。そして、刻印が白くなる、つまり俺が死んだときは、どうか君がミーシャちゃんを助けてほしい。最後まで迷惑をかけっぱなしで、お願いばかりで、本当にゴメン。タチアナちゃん、俺は君を許すよ。だからこれからの人生、俺のことは忘れて、元気に生きてください。さようなら』


 ……見誤った!

 ウーノ兄さんは、そういう人だ!大人しく後ろで守られてるような人じゃない!


 私が顔を青くして、ウーノ兄さんがどこに向かったのか考えていると、笑い声が聞こえてきた。


「オホホ……似た者夫婦、ですわね……髪を置いて、無理やり別れを告げるなんて……ウーノ、本当に、ミーシャを愛してますのね」


 見ると、泥棒猫が笑っていた。まるで全力を出し切った駆けっこを終えた後のような、すがすがしい。そして誕生日を祝われた時のような、心底嬉しい。そんな笑顔。


「なんで……なんでそんな顔で笑える!?ウーノ兄さんが一人で行っちゃったのに!」


 私がわき腹を殴ると、泥棒猫はハッとしたように口元を押えた。


「あら、そうでしたわね。今はウーノを探しませんと」


 殴ったところをさするでもなく、身支度を整え始めたのは、むかつく。私の拳が軽いと言われているような気がして。

 でも、それ以上にむかつくのは、ウーノ兄さんが私たちの手を振りほどいて、私たちの意思や善意を全部無駄にして……私たちを、振ったのに。

 それなのに、今もどこか明るい表情でいる、そのことが本当にむかついて、理解できなかった。


「ねえ、なんで……なんでそんな顔できるの?私たち、ウーノ兄さんに逃げられて……お前じゃダメだって、妻じゃないとダメだって、振られた。好きな男に、そっぽ向かれた。なのになんで……そうやって笑ってられるの?私と同じはずのお前が……なんで私みたいに苦しまず、浮かれているの?」


 そう聞くと、エカテリーナは当然と言う風に、なんてことなく答えた。


「わたくしが愛したのは、ミーシャを愛しているウーノだったんですもの。いえ、ミーシャを愛しているウーノと、ウーノを愛しているミーシャを……二人の関係性を、わたくしは愛してるんですわ。確かに、わたくしはウーノの色香に惑わされましたけど……彼に恋していたかもしれませんけど……それ以上に、わたくしは二人を、あの夫婦の尊い関係性を、愛してるんですの。だから、わたくしは振られたとか、そんな風には思ってませんわよ。良い物が見れた、そう思ってますわね」


 理解、出来ない。理解できない!苦しんでよ、悲しんでよ!何でお前だけ笑ってる!

 また一緒に、しばらく一緒に居られる。そう思って嬉しかった私を置いて、振りほどいて、ウーノ兄さんは行ってしまった。それで私は、こんなに悔しいのに!


「分からない……!」


「まあ、ウーノを早いとこ、見つけないといけませんけど。まったく、ウーノったら死を覚悟したような事を書いて……どんな純愛物でも、最後はカップルは幸せになりませんといけませんのよ。ハッピーエンド以外、認めませんわ!わたくしが、ウーノとミーシャを、幸せにして見せますもの!悲劇で何て、終わらせませんわ!」


 泥棒猫は体中に雷をまとって、部屋を飛び出した。

 訳が分からず、ポカンとする私を置いて。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ウーノ、覚悟は決まったネ?」


「ああ、ヘンリク……アレキサンドラさんは?」


「明日ノ打ち合わせとかで、会議してるヨ。それで、どうする気ネ?」


 個室で一人、待っていたウーノは、ヘンリクの言葉に迷わず返事をした。


「アレキサンドラさんの提案は、断るつもりだ。エカテリーナの助力を受け入れて来たのは、ミーシャちゃんが俺を託した、妻が許した人だからだしね。刻印が発動しない『奉仕』がどんなものか、分からないけど……エカテリーナ以外の女性に気を許して『ナニカ』するのは、不義理だ」


「デモ、そのエカテリーナとも離れ離れネ?」


「彼女に頼ることが、彼女を苦しめるようだからね。それなら、俺一人でやるしかないさ。大丈夫、渡河の見込みはあるんだ。俺は魔導車技師だからね。それに金もある。水牛なりの魔導車を買って、川を渡るよ」


 橋に検問がかかっているが、川の見張りはそこまで厳しくない。船で大荷物を運ぶのは必然的に目立つからだ。しかしウーノは単独犯。そこそこ泳げるし、水牛魔導車の横に張り付いて、夜に目立たず渡る気でいた。


「ダイタン!女に頼らズ、体張るなんて、度胸あるネ。ところで、ウーノってバ、魔導車に詳しいネ?」


「ああ、結構自信あるよ」


 魔導車の作成には、色々と高度な数学や物理が絡むが……工学系の理系男子のウーノには、そこら辺の魔導車技師として必要な知識や考え方が備わっていた。そして、血を恐れず実際に整備して試行錯誤もできる。この世界に来てからまだ1年も経っていないが、彼の魔導車関連のスキルは一流と言っても過言では無かった。


「フーン……ところで、スーラフの魔導戦車ノ技術書のポツカ語翻訳版、イッヒ持ってるネ。読んでミル?」


「読みたい読みたい!でも何でヘンリクがそれを……?」


 首をかしげつつ、ウーノは受け取った書類に目を通した。


「理解できるネ?ここはどうネ?」


 ヘンリクが指さした箇所は、魔導戦車の心臓と血流に関する項目。循環する秒速や微分積分を用いた血液量の計算に関する項目だ。


「ああ、分かるよ。虎型でこうってことは……狼型は、ここの数値を……」


 ウーノが自分の見解を語ると、ヘンリクは驚いたようにウーノの肩をバシバシと叩いた。


「素晴らしいネ!この計算できル、イッヒたちの中でもごく一部ヨ!」


「ああ、ありがとう……たち?なんかのグループに所属してるの?ヘンリクは」


「ああ、そうネ……ウン、ウーノは女の手を借りずに、危険を冒す度胸、あるネ?」


「まあ、うん」


「女に頼らズとも、男は生きラレるネ?」


「うん?うん」


 急な男女論的な問いかけに、ウーノは首をかしげつつ頷いた。


「ナラ、ウーノは頭イイシ自立もシテル!資格ありネ!ウーノ、川を渡る、いい方法あるヨ!イッヒたちの仲間ニなるネ!そしたら、川を渡らせてあげるヨ!」


「ありがとう……?何の仲間?」


「蒸発委員会!ウーノが倒した、ジャガーノート型魔導戦車とかツクタ、秘密結社のことネ!」

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