277日目②
何故入団して間もないはずのタチアナが、アレキサンドラのお付きとしてポツカに来ているのか。他の者はどこにいるのか。責任者は誰なのか。ビウクニツでの一件は伝わっているか。
そうした様々な疑問を放り投げて、エカテリーナとタチアナは言葉のナイフで鍔迫り合いを繰り広げていた。
因みにウーノは調停に失敗していた。
努力はした。二人の間に割って入り、宥めようと言葉を尽くした。
しかし、エカテリーナが納得しかけたところで、タチアナが果敢にウーノへの接触を挑み。タチアナが納得しかけたところで、エカテリーナが自分の男だと主張するようにウーノを抱きしめる。そのどちらかが矛を収めようとしたところでどちらかが挑発行動を起こす、というサイクルのせいで、ウーノは全てを諦めた。
今ウーノは、『お前何とかしろよ』というホテルの責任者の視線に刺されながら、エカテリーナの胸に抱きしめられていた。
「はぁー……何が愛か!人に横恋慕がどうとか説教したくせに、自分だって横恋慕してる!」
「ち、違いますわよ!これは貴女からウーノを守るためですの!」
「ふーん!?でも私、見てたもん!このホテルに入ってくるとき、ウーノ兄さんの腕、抱きしめちゃって!人夫にそんなデレデレしちゃって、修道騎士が恥ずかしくないの!?」
「あ、貴女だってウーノに懸想して、色々やっちゃいけないことやってますわよね!?修道騎士になった今も、抱き着こうとしてましたわよね!?」
「残念でした!私はまだ見習いだから良い!」
ワーワーギャーギャー。死んだ目をしたウーノの視界の端に、警備員が集まりだしたのが見えた。巡礼祭司長(のお付き)に、ラシスカの外交武官という二人のVIP。その身分の特殊性ゆえに今までつまみ出されずに済んでいたが、いい加減それも限界なようだ。
ウーノは擦り切れた意志の力を総動員して、エカテリーナの胸の中から脱出した。
「エカテリーナ、今の君の横にいるのは、はっきり言って恥ずかしい。子供じゃないんだから、時と場所を考えてくれよ」
「うぐっ」
「タチアナちゃん、俺は君を嫌いになれない。だから制裁でなく、更生を望んで修道騎士団に預ける、という選択肢を受け入れたんだ。でも今のままじゃ俺、君を嫌いになっちゃうよ」
「はうぅ」
エカテリーナとタチアナは、共に顔を歪めて一歩後ずさりした。
ああ、こうすればよかったのか。どちらにもいい顔をしようとするから、傷つけないようにしようとするから、話がまとまらないんだ。自分が嫌われてもいい、その覚悟を持たなければ、仲裁などできないのだ。
ウーノは男らしさをまた一つ身に着けた。やり過ぎると人格否定やDVになるから、気を付けよう。
「落ち着いた?それじゃあ、ほら、仲直りの握手だ……それともキスの方が良い?」
口は閉じたものの、互いに歩み寄ることは拒否するようににらみ合ったまま。ウーノは握手を促すも二人が反応しないので、声を低くして一言付け加えると、二人は不承不承といった様子で体を引きつつチョンと指先を触れ合わせた。今はこれが限界らしい。
「……ウーノ、これでいいですわよね?」
「ウーノ兄さん、これで勘弁して」
すっかり犬猿の仲になった二人は、揃ってウーノの方を振り向いた。
そのままフロントにいるのも居心地が悪いので、3人はタチアナの借りている一室に向かった。
タチアナ、ウーノ、エカテリーナの順で、3人はベッドに腰かけていた。
エカテリーナは必要以上にウーノにくっつかない、タチアナはウーノにボディタッチ禁止、という誓約の下、一瞬の平和が訪れていた。破ったらウーノが今晩中無視するというのが罰則である。自分をダシに女性を丸め込むのはナルシストのようで恥ずかしかったが、そうするより他に手段はなかった。
「……てなわけで、俺たちはポツカの西を目指してるんだ。タチアナちゃんは、なんでまたポツカに?巡礼者なんだよね?でも入団したばかりの君がなぜ?」
ウーノが旅の目的を説明すると、タチアナは驚いた表情をして、遠くを見るように目を細めた。
自分のした離間工作がむしろウーノを焚きつけたことに、何か思うことがあるのだろう。
話を振られたタチアナは首を少し振って、説明を始めた。
「なんていうか、巡礼祭司長様に気にいられて、側仕えとして同行することになった。そこの泥ぼ……エカテリーナを襲撃したって話したら、ウケが良くて」
泥棒猫、と言いかけたがウーノが目を細めるとタチアナは表現を修正した。その奥でエカテリーナがそれ見たことかと静かにせせら笑ったが、ウーノが振り向くと瞬時に真面目な顔になる。ウーノの首はパトロールに大忙しだった。
「……なんでエカテリーナを襲うとウケが良いんだ?」
「お姉さまは私の不幸が好きなクズですの。変わりないようで何よりですわね」
不機嫌そうに頬を膨らませるエカテリーナ。なだめようと振り返ったウーノの袖を、タチアナはチョンチョンと引っ張って気を引いた。
ボディタッチでは?怪訝な顔をする彼に、タチアナはこれくらいは許してよと手のひらを振って心外そうにむくれた。
「……はぁ。それで?タチアナちゃんは、エカテリーナのお姉さんに気に入られて、即日採用で付き人になったと。それにしたって、一人で先に、シュチェンに派遣されて来たの?」
「一人じゃないよ。今は、みんな最上階のレストランで会食中。ポツカの宗教の偉い人と、色々すり合わせがあるんだって。見習いの私はお留守番だから、ラウンジのカフェで何か食べようかなって思って。そこに二人が来て……」
「会食となると……今日はただ飯貰うの、難しそうですわね」
エカテリーナの呟きにウーノは苦笑した。伯爵家の次女なのに、妙なところで庶民的というか節約志向が根付いている。それに助けられている側面もあるので、文句はないのだが。
「そっか。他のお付きの人いるのか。じゃあ、その人たちにもあいさつした方が良いかな」
「挨拶するなら、先輩たちじゃなくて、祭司長様本人に挨拶すれば良い」
「そんなこと言っても、お姉さまが来るのは1週間後とかじゃ……」
「え?だから、いるって。最上階で会食中。みんな、って言ったでしょ?え、知ってたから来たんじゃないの?」
どうやら、とんでもないすれ違いがあったらしい。ウーノとエカテリーナはお互いに顔を見合わせて、天を仰いだ。この上に、早くとも1週間後に合うはずだった姉がいるらしい。ウーノは不安から、エカテリーナは不快感から、ため息をついた。
ウーノとエカテリーナは、ビウクニツでも着た例の正装に着替えていた。ウーノが着替えている間、物音が激しかったが彼は無視を決め込んで、しっかり服装を整えた。
「はぁ~……憂鬱ですわね」
「覚悟決めるしかないよ……貴族の挨拶とか知らないしな。時候の挨拶から入った方が良いの?そういうの厳しい人?」
「クズですわよ、クズ。それだけ覚えて、警戒してれば良いですわ……ああ、そうですわ!あの魔導具!列車で使った消音の魔導具を、ウーノは発動しといてくださいまし。お姉さまの声を聞いたら、耳が腐る危険性がありますもの」
「あー、部屋に置いて来てるね。タチアナちゃんの部屋に」
風で音を消す魔導具を含め、嵩張る荷物は全ておいて来てしまった。今更戻るわけにもいかない、エカテリーナは気だるげにため息をついた。
「はぁ~……ウーノ……二つ、お願いがありますの。一つは、お姉様に何を言われても、我慢して欲しいんですの」
「まあ、お貴族様同士の会話だからね。分かったよ」
ウーノの『お貴族様同士』という言葉に、エカテリーナは項垂れた。
「二つ目は……そうやって、わたくしのことお貴族様扱い、しないで欲しいんですのよ。お姉様の前では、わたくし仮面をかぶりますから……それはあくまで仮面だって、理解して欲しいんですの」
「分かったよ、分かった。俺にとってのエカテリーナは、いつもの強くて優しい、真っすぐな女の子だよ」
ウーノの宣言に、エカテリーナは縋るように抱きしめたウーノの手に体重をかけた。その珍しい甘える仕草を、ウーノがしっかり受け止めると、彼女は覚悟が決まったようだ。
エカテリーナはいつものように腕を抱きしめるのではなく、手をゆったりと握るだけにとどめた。いつもの優雅で高貴、しかしエネルギッシュな笑顔を控え、冷徹で凄味のある薄ら笑いに切り替えた。
仕えるべき祭司長に会いに行く、ということで軽口を控えていたタチアナ。案内する彼女が、後ろの二人のやり取りが途絶えたことを気にして、振り返った。
「……っひ!」
たとえ圧倒的格上でも、愛欲と独占欲の果てに襲撃することを選んだタチアナ。そんな決まりきった覚悟の持ち主でも、思わず息を殺してしまうような、酷薄な笑顔がそこにあった。
彼女は恋敵に一瞬とは言え恐れを感じたことを恥じ、すぐさま前を振り向いた。
喧嘩一つ吹っ掛けないタチアナ、今までに見たことの無い恐ろしさを出すエカテリーナ。二人がそれほどの対応をする、エカテリーナの姉、アレキサンドラ・ユスポフ伯爵。それがどれほど怖ろしい人物なのか、ウーノは想像するだけで表情が引き締まった。
そうして過去一真面目な顔で歩いていく、ウーノとエカテリーナ。
タチアナの案内はタイミングはばっちりなようだった。最上階のレストラン入り口に到着してすぐ、会食が終わったのか中から人々が出て来た。
タチアナと異なるデザインの修道服を着た一団や、ドレススーツの一団が通り過ぎていく。
通行の邪魔にならないように壁際に控えているが、何かの拍子にこちらを見た人は皆、エカテリーナを見て二度見していく。
ポツカ語のほかに、ガマニア語の呟きも混じっていた。エカテリーナがどこの勢力の幹部なのかと推理する声だった。
なるほど、エカテリーナが釘をさす訳だ。ウーノは納得した。
普段からエカテリーナは美しく人目を引く存在だ。しかしいつもの彼女は、貴族的な所作の無い勢いの良い言動と表情をしている。高貴で勇猛な女騎士、といった雰囲気だ。ビウクニツでドレスを着飾って女帝のような風格が出ても、表情はいつも通りなのでそこまで緊張しなかった。
それが今は、目線を合わせただけで背筋が凍るような、次に処刑する反逆者を探すかのような、氷のナイフのような笑みを浮かべている。それを見た人々の反応を見れば、なおさらその印象を強めてしまうだろう。
緩く握られていた手を、ウーノはちょっとだけギュッと握った。心配しないで、というせめてものメッセージだ。
それが正しく伝わったのか、エカテリーナの口角は少し上がった。氷のナイフが氷の斧に変わったような、ちょっと獰猛さが増した笑みになった。
そうやってシリアスな表情を維持する傍ら、ラシスカ語の話し声が聞こえて来た。目当てのラシスカの巡礼者の一団だろう。
ウーノは改めて背筋を伸ばして、その時を待った。
黒衣の修道服。ラシスカ関係者の4人が入り口を出て来た時、ウーノは顔を見ただけではぱっと見で誰がリーダーなのか、分からなかった。気が付いたのは、一人だけ黄色い交差するタスキをかけて、手に装飾のされた錫杖を持っていたからだ。
一番最初にこちらに気が付いたのは、その黄色いタスキの人物だった。遅れて周囲のお付きたち3人も、驚きや戸惑いの混ざった視線を向けてくる。エカテリーナの古巣という、アモリア純潔処女修道騎士団。そこに入団したタチアナが付き人として同行しているのだから、エカテリーナとも顔なじみの者もいるのだろう。しかし彼女たちは、どう見ても再会を喜んでいるようには見えなかった。
代表者、エカテリーナの姉だと言う人物が、歩み寄ってくる。
あまり似ていない。そっと観察するウーノの最初の感想は、そんな物だった。エカテリーナと同じ毛先が赤い金髪に紫色の瞳の彼女は、少女と呼べる年齢のエカテリーナとは、幾分か年が離れているように見えた。確か30歳だったか。
全体的に線が細く、胸もエカテリーナより小ぶり。顔立ちもそれなりに整ってはいるが、エカテリーナのような華やかさは無い。
落ち着いた柔和な表情を浮かべた彼女は、村や街に居てもおかしくない、一般的な成人女性に思えた。法衣のタスキが無ければ、若き伯爵家の当主とは思えなかっただろう。
そんな失礼な感想を抱いたことを、表情に出さないように。一度見たら後はじっとうつむいて、床を見て過ごすことにした。
じっとする彼の鼓膜を、柔らかでそれでいて険のある静かな声が揺らした。彼女が口を開いた瞬間、ざわざわとしていた巡礼者たちは一様に押し黙った。
「……あら、久しぶりね、エカテリーナ……休暇でも取ったのかしら、彼氏を連れて旅行?」
訳 お前、仕事ほっぽり出して男と何しとんねんコラ。
「あら、違いますわよ。お姉様、耳まで遠くなったんですの?元々目は悪い方だと思ってましたけど」
訳 何も聞かされてないんかお前、アンテナもっと立とけや。ただでさえ人を見る目も無いのに。
「ああ、そうね。確かに耳は、聞こえづらくなった……ふふ、家督を譲り受けると色々大変なのよ。でも、目に関しては貴女も良くないでしょう?ふふ、そちらの彼、どこで知り合ったの?ああ、彼氏じゃなくて召使かしら」
訳 お前と違って色々忙しいんじゃタコ。お前も見る目ないやろ、だれじゃその馬の骨、趣味悪いな。
「オホホ、お姉様、本当に目が悪いんですのね。この殿方は、わたくしの大切な人ですの。くれぐれも……」
訳 ほんと見る目無いな。こいつはワシの男じゃ、次なんか言ったらぶっ殺したる。
すごい、何故か本音訳が聞こえてくるぞ。タチアナちゃん、大丈夫かな?あ、すごい顔色悪い。
ウーノは顔を上げる勇気もなく、かろうじて視界に入るタチアナを観察して現実逃避していた。
言葉の下に隠された悪意の応酬に、貴族社会に縁がない彼らは目を回していた。
しかし、いつまでもそうしているわけにもいかない。2週間目にして初めて知った同行者の新たな一面に震えを隠しつつ、ウーノは自己紹介を振られた時を想定して、必死にシミュレーションを始めた。
頭を動かすウーノの目の前で、言葉の暗器は鍔迫り合いの様相を見せる。
「ふふ、心配しないでいいわよ。好いた男の前では、誰だって恰好つけたいものね。お姉ちゃんにも、覚えがあるの。エカテリーナも、知っての通り。ふふ、あの時あなたがしてくれたみたいに、二人の関係が上手くいくように、お手伝いしてあげようか?」
訳 お前、よく私の前に男連れてこられたな。お前のせいで私は婚約者に逃げられたんやぞ。お前も同じ目にしてやろうか、おおん?
パチパチ。前方から、静電気が鳴る音が聞こえた。アレキサンドラの髪が、爆ぜに爆ぜているのだ。幼い日のエカテリーナを苛めていたら、婚約者の前でボコられて破談になったと言う話か。
自分から古傷をえぐりだした彼女は、滲み出る殺意が抑えきれず、髪に現れていた。
しかし、エカテリーナは余裕しゃくしゃくな態度で、フッと微笑んでみせた。今までの酷薄な笑顔とは違う、心からの笑顔だった。
「それには及びませんわ。わたくし、彼と刻印を結びましたの。もちろん、貞淑な淫紋を。お姉さまは、刻んでましたかしら?」
そう言って、下腹部を撫でるエカテリーナ。訳するまでもない。お前は結べなかったんだよな。全力全開の、煽り散らかしだ。
一般的に、刻印を刻んだ相手とは配偶者を差す。そしてその中でも貞淑な淫紋を刻んだということは、それだけ愛している、という宣言だ。
エカテリーナの言葉に嘘は無い。彼女はウーノを対象とした刻印を片務的に刻んでいる。だが彼女の言い方は、二人が夫婦であると誤解させることを意図した表現だった。
修道騎士がそれをする意味。戒律を破ってでも愛を遂げようとする意志。
エカテリーナと同じアモリア純潔処女修道騎士団に所属する巡礼者たちは、沈黙を破って再びざわめきを上げた。
「……エカテリーナ、お前、『約束』はどうした?」
今まであくまでも柔らかな口調のまま、婉曲表現と皮肉交じりで言葉の応酬をしていたアレキサンドラ。しかし彼女はそんな仮面を脱ぎ捨てて、エカテリーナに詰め寄った。
「もちろん、あの『約束』は守っていますわよ」
エカテリーナが笑みを崩さず、はっきりと答える。『約束』の意味は、対峙する二人にしか分からないようだ。巡礼者たちの一団も、困惑しつつ二人のやり取りを見守っていた。
「……そう。積もる話もあるし、明日の午前中に私の部屋に来なさい。あら、皆さん、こんなところで止まってどうしましたか?現地解散ですよ、好きに部屋に戻ってください……タチアナ、貴女は来なさい。明日の準備を手伝ってもらいます」
「プハァッ!は、はい!」
呼吸の仕方をいまさら思いだしたように、タチアナは大きく息を吸って、去って行くアレキサンドラの後ろをトテトテと追って行った。
ウーノも同様にホッとした。良かった、自己紹介しないで済んで、良かった。
「ぜはぁぁ~……あー、肩凝りましたわね……ああ、皆さま、お久しぶりですわね。ご機嫌いかがですの?」
その姿が完全に見えなくなってからしばらく、エカテリーナもまた大きく肩で息を吐いた。いつもの高貴ながら親しみやすいエカテリーナの顔に戻った。そんな彼女を呆けて見ていたお付きの者、修道騎士団の3人は、エカテリーナとウーノにワッと詰め寄った。




