277日目①
魔導車の駅は小高い丘の上にあり、そこからシュチェンの街が見渡せた。
街は川の両岸に広がっており、間にはところどころ大きな橋が架かっているのが見て取れる。
この様子では、ラシスカがワスフ川東岸を占領したときには、街の東西で家族や友人が分断される悲劇が起きたかもしれない。なるほど、ラシスカ帝国への恨みは、ビウクニツの住民より上の可能性もある。
ウーノはそう警戒して、口を滑らせないように注意しようと心に決めた。
「活気がありそうなとこだね……っと」
「あら、大丈夫ですの?お気をつけあそばせ、ウーノ」
考え事をしながらタラップを降りたせいか、道に刻まれた轍に足を取られてバランスを崩してしまった。
そんな彼をエカテリーナは腕を取って支える。
「ああ、ごめん。ありがとう」
礼を言いつつ、ウーノは腕を抱きしめるエカテリーナの顔を見た。
何んというか、胸に押し当てられている気がしないでもない。
「……?何か顔についてますの?」
「いや、何でもないよ……エカテリーナ、綺麗だね」
「あら、どうしましたのウーノ?オホホ、何か欲しいものがあるんですの?」
エカテリーナはギュッとウーノの腕を抱きしめたまま、少し早足で歩きだした。鼻歌交じりに軽い足取りで。
ウーノはそんな彼女に合わせて、少し大きめの歩幅で歩く。
「別にそんなんじゃないさ。ただ、そう思っただけ」
「嬉しいこと言ってくれますわね!さ、早く宿に行きますわよ!確か、3日くらい待てば、お姉さまは来るとか……嫌な顔を見る前に、色々と散策して気晴らししておきませんと。デートですわよ、デート!」
煌びやかな笑顔を浮かべるエカテリーナ。少し褒めただけでこの機嫌の上がりようだ。
ドレスを着ていた時、そして看病してくれていた時も、『綺麗だ』というと彼女は随分と喜んでいた。
そして今は、デートだと言ってはしゃいでいる。
ウーノは、エカテリーナからの好意を自覚していた。しかしそれは、性欲の延長線上だと思っていた。
理解ある彼、ならぬ理解ある彼女、というべきか。下心は多少の面倒を乗り越える原動力たり得る。
だからこそ、ウーノは度々エカテリーナに、パンツくらいなら、あるいは何でもする、と言ってきた。
ミーシャを助けるためにエカテリーナの助力が必要な以上、男慣れしている(と思っていた)彼女を繋ぎとめるには、何かしらの性的な『餌』が必要だと思っていた。
戦友を救うという、友情あるいは使命感以外に、何かしら動機があれば、と。
しかし、エカテリーナがかつてのミーシャ同様の、男性経験無しの乙女だと知った今。容姿を少し褒めるだけで上機嫌になった反応を見ると、その好意が性欲だけに由来しないことは、ウーノにも十分伝わった。
「……どうすればいいんだ?」
性欲が由来なら、それこそパンツでも渡せば恩に報いることが出来る。しかしそうでないなら、エカテリーナの献身に、どう応えるべきだろう。
ミーシャを愛している。それは変わらない。
でも、エカテリーナの好意を、ただ利用しているだけなら……
それは、彼女に対しても、ミーシャに対しても、不誠実ではないのか。
ウーノは上機嫌なエカテリーナに罪悪感を覚えつつ、都市の賑わいの中に足を踏み入れた。
巡礼祭祀長という単なる貴族では無い、宗教界の大物が滞在する予定のホテル。都市の中央に立てられた立派な建物の前に、公共交通機関の魔導車バスから降りた二人は立っていた。
「ここが今晩の宿ですわよ。お姉さまのお付きの方が、事前に部屋を取っているから、一緒に泊めてもらえるだろうと、オバ様が言ってましたの。本来は2か月先の滞在の準備に、お付きの者に準備させておくだなんて。贅沢な話ですわよね」
「まあ、情勢が複雑だろうしね。そのおかげでお金使わないで済むのはありがたいよ。ミーシャちゃんを助けるまでは、節約しないとだし」
「……そうですわね」
エカテリーナはウーノの腕を胸にギュッと挟んでから、言葉少なく答えた。
……ミーシャの名前を出して、不機嫌になった?そう言えば、前からミーシャの名前を出すと……
そのままズンズンとホテルに突入する彼女に連れられて、考え事中のウーノも足を踏み入れた。
ホテルはガラスがふんだんに使用されている。
街灯の明かりがにじんで差し込むオシャレな作りで、外国からやって来た客人をもてなすのに相応しいデザイン性だ。
周囲を観察するウーノに対して、エカテリーナは迷いない足取りでフロントに直行する。
一礼する受付の男性が頭を上げ切るのを待たずに、彼女は自分の要件を伝えた。
「失礼、わたくしラシスカの巡礼関係者ですの。先に来てる仲間は、どこの部屋に泊まってるか教えてくださる?」
「お客様、失礼ながら身分証などは……」
「ほい、これですわよ」
エカテリーナはナジンカに都合してもらっていた外交武官の身分証を渡す。
しかしそれは、受付の男性にはその場で判断するのが難しいことのようだった。彼はエカテリーナに身分証を返して一言断りを入れると、奥に責任者を呼びに行った。
ホテルの見取り図や料金表を見ながら、やいのやいの言って待っていると、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「うそ……ウーノ兄さん!?」
「その声は……えっ!?タチアナちゃん!?」
ウーノが振り向いた視線の先には、見習い修道騎士が着る灰色の法衣に身を包んだ、タチアナがいた。
ウーノとミーシャの仲を引き裂くべく暗躍し、最終的にエカテリーナに成敗されアモリア処女純潔修道騎士団送りにされていた、タチアナ。ラシスカで信仰と鍛錬の道に進んだはずの彼女が、なぜかここにいたのだ。
彼女は感極まったように、若草色の瞳に涙を浮かべている。履きなれていない法衣のブーツをカポカポと鳴らして、ウーノに抱き着こうと両手を広げて走り寄って来た。
「あぁ、ウーノ兄さん!こんなところで会えるなんて……!アモリア様、この奇跡に感謝しま……ブフッ!?」
しかし、あと少しでウーノに飛びつける、というところでエカテリーナが雷足の足払いをかけてタチアナを転がし、ウーノをすっと横に引いた。
「あ、ちょっとエカテリーナ?え、大丈夫タチアナちゃん?」
「ウーノ、危機感なさすぎますわよ。この子が何したか、忘れたわけじゃありませんわよね?」
エカテリーナはウーノを背に隠して、こけて顔面強打したタチアナの前に仁王立ちした。
実力差は明らかであったが、それでもタチアナは気丈にも立ち上がり、エカテリーナを睨みつけた。
女には、勝てぬと分かっていても戦わねばならぬ時がある。緑色の瞳に宿る強烈な眼光は、その覚悟を『雌』弁に語っていた。
年若くして女の矜持を身に着けた、女の中の女、タチアナ。もっと真っ当な機会にその顔をして欲しい。
妹のように思っている少女の変化に、ウーノはなんだかモヤモヤした。
「くっ……この間女め!」
「どの口が言ってますのよ。間女はそちらですわよ」
新緑色の髪を小さく揺らすタチアナと、金髪をバチバチと弾かせるエカテリーナ。二人の視線の間で火花が散る。
エカテリーナの後ろでアワアワと狼狽えていたウーノだが、エカテリーナが重心を落とし実力行使に動こうとしたのを見て、意を決した。
「お、俺のために争わないで!」
人生で一度は言いたいセリフ、2回目のそれは前回同様喜びは無く胃が痛いだけだった。
そして案の定、エカテリーナとタチアナはそろって声を上げた。
「ウーノ!」「ウーノ兄さん!」
ウーノには、この後に続く言葉が容易く想像できた。
「「どっちの味方なの!?ですの!?」」
カウンターに現れた、呼ばれて出て来た責任者の中年女性は、目の前で繰り広げられる修羅場を見て、そっと奥に戻るのだった。
タチアナ再登場!




