273日目⑦
話を聞き終えたルカは、ガシっとウーノの手を掴んだ。
「僕なんかより、よほどウーノさんの方が『男らしくない』ですよ!応援してます!僕にできることがあれば、出来るだけ協力させてもらいます!……あ、『男らしくない』っていうのは、悪口じゃなくてですね……」
「はは、分かってるさ、ありがとう。ルカ君の演奏会には、夫婦で出席できるように頑張るよ」
ルカは魔力が高いだけあって、身体強化魔法の差か、細い腕でも握力はウーノ以上だった。
そんな彼に対して、ウーノもガッチリと強く手を握り返す。固い握手によって、『女々しい』男同士の友情を高め合った。
しばらくして二人は手を解いたが、ルカは興奮冷めやらぬという様子で、ある話題に触れた。
「それにしても、大変でしたね。その傷も、塹壕を抜けるときに負ったんですよね。大使館に運び込まれたときに、拝見しました。痛々しい傷跡で……それだけの傷を受けて、跡が残ってしまっても、まだ立ち上がって前に進む!勇気を貰えましたよ!」
ルカも女社会に溶け込むために、様々な勉強をしてきた。それゆえに、彼の価値観も、エカテリーナほどではないが、『強い=偉い』『勇敢=尊敬』の図式があった。
「……ああ、この傷ね。いや、まあ……ハハ。治らなくて、良かったよ。ハハ……」
自虐的なウーノに、ルカは慌てて手を振った。
「あ、ご、ごめんなさい!確か、エリクサーを使われたんですよね……それでも傷跡が残ってしまうなんて……」
「ああ、いや。傷が残ったことは、気にしてないんだ。本当に。むしろ、自分で『治したくない』と思ったからこそ、残ってしまったのかもしれないね」
「治したくない、ですか……?」
自分の無神経な言葉で傷つけてしまった。そう心配していたルカは、ウーノの言葉に首を傾げた。
顔の傷を治したくない。その考えが、理解できなかったからだ。
キョトンとした顔のルカに、ウーノはなんて誤魔化そうかと頭を巡らせる。
しかし、考えをまとめる前に、するりと弱音がこぼれ出た。
「殺したんだ、女性を。大切な誰かがいるはずの女性を、殺したんだ」
エカテリーナにも言わなかった、あの時起きたことを。
知り合って間もないルカに零してしまったのは、何故か。
それはきっと、彼が男だからだろう。守り見栄を張らなくてはならない女では無く、男だから。それも、この世界有数の、力も心も強い男だから、素直に弱音が出たのだろう。
「女性を……国境を越えてきたとおっしゃってましたね。その時に……?」
「ああ。エカテリーナが、俺を守るために気絶しちゃってね。相手は魔法使いで、手加減とか拘束して無力化とか、出来なかった。無防備な彼女を守るには……殺すしか、無かった」
「魔法使いを殺した!?すごいじゃないですか!ウーノさん、黒髪と言うことは、属性魔法が使えないですよね、身体強化魔法が得意でも。つまり、近接戦で倒したんですか!?」
「いや、身体強化魔法も苦手、というか使えなくてさ。魔法はからっきし。敵も満身創痍だったし、2度不意打ちして、何とかやっつけたんだ。魔導戦車を修理したり、その場にある物を使って……」
思わぬ食いつきにびっくりしつつ、ウーノはあの時の状況を思い出して語った。
心の奥底に仕舞いこんでおこうとした、殺人の感触。寒いのに熱い、あの血しぶきの手触り。
それが次第に、蘇ってきた。
手袋の中の手汗が、あの時にしみ込んだ時の血のようにベタリと不快に張り付く。ウーノは手を太ももにこすり付けて、何とかそれを拭い取ろうとした。
「それでもすごいですよ!そっか、その傷は、名誉の負傷なんですね!確かに女の人の中には、戦で大手柄を上げたとき、その時負った傷をわざと残しておく人もいると聞きます。ウーノさんの傷も、戦果の証で誇るべき……」
違う。忘れないためだが、違う。
決定的に、何もかもが、違う。
「……誇れるわけないだろ!」
ダンッ!ガシャン!
「っ!?」
ウーノはテーブルを力任せに殴りつけた。筋肉が付いたせいか、彼の拳の威力は中々の物で、テーブルのガラス面は砕けて割れた。
澄んだ高い破砕音が、資料室に響き渡る。ルカは言葉を失い、ただじっとウーノの手元を見つめていた。ウーノは拳に刺さったガラス片の痛みで、自分が何をしてしまったのか理解した。
「……ごめん、ガラス割っちゃったね……はあ、弁償するよ……いくらくらいに……」
「そんなこと良いですよ!それより手、見せて下さい。僕も回復魔法、それなりに使えるので」
ルカはやや強引に、ウーノの手を握った。ポワポワとした温もりが手に広がり、肉が盛り上がってガラス片を押し出した。
直ぐに傷一つなくなった手を見て、ウーノは感心した。
「ありがとう……やっぱりルカ君は、すごいね……俺、黒髪だから、回復魔法とか身体強化魔法、得意なはずなんだけど……はぁ……それで、ガラスの弁償は……」
「いいですって。ほら、さっき抗議団体から色々投げ込まれたじゃないですか。あれのせいで、良く窓が割れるんです。いちいち窓を買い替えてたらお金がかかるので、割れたガラスを元に戻せる土と火の魔導具を、この前買ったんです。それを使いますから、心配しないでください」
「そう、か……ごめんね、いきなりこんなことして……はぁ、本当に、ごめん」
ルカの言葉に、悪気は無かった。純粋に称賛する言葉だった。
しかしそれは、戦争を『男らしい』物語と憧れていたことを恥じるウーノにとって、その幼さをほじくり返されるようなもので。その上に自分が女性を殺したことを名誉に思うクズに思われる気がして、受け入れがたかったのだ。
「そんなことないですよ!僕の方こそ、無神経に色々言って、すみませんでした。その、良かったら、ウーノさんの……戦いの話、聞かせてもらえませんか?あ、ミーハーで聞きたいわけでは無いんですよ!……ウーノさんが話を聞いてくれて、僕はすごく、気が楽になったんです。だから、ウーノさんも、一人で抱え込んでないで、悩んでいることがあるなら、話して欲しいなって……その、『男らしくない男』同士、ウーノさんの力になりたいので……」
ウーノは少し悩んだ。年下の少年に、自分の中でも整理しきれていない薄暗い闇を、吐露してよい物かと。
エカテリーナには、失望されるのが恐くて話せなかった。見栄を張りたくて、弱い自分を見せられなかった。
しかし最終的には、彼は口を開くことにした。
年下でも自分よりもずっと長いこと、『男のくせに』という言葉に抗って生きて来た、男として先輩であるルカになら、片意地を張らなくてもいい気がした。
しばらくの沈黙の後、ウーノはポツポツと、昨日の夜からくすぶり続けて来た後悔と罪悪感の混合物を、己の口から吐き出し始めた。
「……後ろから刺したんだ。そしてそのまま押し倒した。心臓と首を、刺した。その中で、何度も顔を狙われて……でも、最後の最後、その人は、俺を攻撃するのを、止めた……んだと思う。彼女は、誰か男の名前を呟いたんだ。多分、俺とその人を見間違えたんだろうね。それが、最期。俺は、誰かの娘で、誰かの姉か妹で、妻か母かもしれない人を、殺したんだ。それを忘れたくなくて……傷が消えると、自分のしたことを無かったことにするみたいに思えてさ。ハハ、ごめん。全然うまく話せないや……まだ、ちゃんと考えが、まとまらなくて……」
どう、言われるだろうか。
別に、理解されなくても良い。もしも、それでも誇れと言われたなら、それを受け入れようと思えた。
それが、この世界での常識なのだから。
「人を殺めたことを、後悔しているんですね。すみません、無神経なことを言って」
「いや、良いんだ。自分の行いを、いつまでも悩んでいる俺が弱い人間なだけでさ。でも、話せて良かったよ。エカテリーナには、情けない所見せたくなくて」
ウーノの言葉に、ルカはゆっくりと首を振った。
「僕も貴族なので、戦いの中で人を殺すのは、正しい殺人だと教えられて育ったので……ウーノさんの悩みを、ちゃんと理解することはできません。でも、貴方は弱くも、情けなくもないです。飲み食いして、女の人に甘えて、眠りこけて……忘れることだって、出来るはずです。でも、貴方は違う。僕はウーノさんのしたことを、罪とは思いません。でも、貴方はそれを罪だと捉えて、忘れずに向き合おうとしている。強い心の人にしか、出来ないことです」
「そう、なのかな……」
「そうですよ。ウーノさんほどの気骨がある人は、女の人の中でも、一握りです。歴戦の英雌と、並び立つほどです、きっと。それこそ、ユスポフ武官と、同じかそれ以上に。勇気とは、行動だけではありません。心の在り方にも、同じように形容されます。だから、ウーノさん。貴方は、強い人だ。まずはそれを、誇ってください」
ミーシャを助けるために行動を始めてから、『男なのにすごい』とよく褒められていた。
でもそれは、立場が男女逆なら、当然のことだと思っていた。捕まっているのが自分で、助けに行くのがミーシャなら、賛美されることは無いと。
しかし、自分が張り続けていた意地は、女性と比べても、強い意地だったのだろうか。そう思うと、少しだけ認められた気がした。
「エカテリーナと比べられるのは、恐れ多いけどさ。そうか、俺は、割と頑張ってる方なんだ」
「ええ、もちろんです。それで、その上で、ウーノさん。僕は貴方を尊敬しています、強い人だ、立派な人だと。だから言います。乗り越えてください。忘れずに、飲み込んでください。今までそうしたように、甘ったれず、立ち止まらず、進み続けてください」
ルカは前かがみになって身を乗り出し、じっとウーノの目を覗き込んだ。
揺れることのないその眼差し。そらしたらお前の負けだと言わんばかりの、その圧。
それはこの世界に来て以来、初めての、男から受けた挑発。
ああ、久しぶりだ。男同士、プライドのぶつけ合い。『男らしくない』と、煽られる感覚。
ウーノは無理やり口角を上げて、歯を見せた。
「ハハ!はは!ああ、君に話して、良かったよ。まさか、慰めもせず、お前ならできるって突き放すなんて……ははは!ああ、そうだね。俺は強い、強いんだ。何があっても、進み続ける。俺には、それができる、出来るんだ……ありがとう、ルカ君。君に話して良かった。『覚悟』が出来たよ」
解決策の名前は、やせ我慢。何一つ、何一つ心の靄は晴れていない。
しかしそれでも、ウーノは前を向くことにした。
「『覚悟』ですか?」
「ああ。これから何があっても、どんなに辛いことがあっても……ミーシャちゃんを、妻を救い出すまでは、俺はとにかく前に進み続けるよ。悩んだり迷ったりしても、俺がすべきことは、変わらないから」
男らしさとは何か。この世界に来てから、ずっと悩んできた。女性を手に掛けて、更に分からなくなった。
しかし、今こうしてハッパを掛けられて、答えが出た。
男らしさとは。悩んでも苦しんでも、弱くても無力でも。それでも前を向いて立ち止まらず、為すべきことを成す。その『覚悟』を決めることだと。
ウーノは左頬の長い傷跡を触れた。自分のしたことが、消えることは無い。
人を殺した。それも女性を。
仕方が無かった。いや、自分がもっと強ければ。あの時はああするしかなかった。でも、追い詰められる前に手を打つことは出来たんじゃないか。
そんな反省や後悔。罪悪感やアイデンティティが揺らぐ感覚。それはまだ、あるけれど。
しかし、自分のやるべきことは、何も変わっていない。まだ、成し遂げていない。
ミーシャを救う。自分の女を、取り戻す。
それが終わるまで、悩んでも苦しんでも、とにかく前に進み続けるのだ。
ウーノが手を差し出すと、ルカもそっと握り返す。それをウーノは力いっぱい握りしめた
「ありがとう、ルカ君。君に話して、良かった」
力強さに少し驚きつつも、ルカもまたグッと握りしめて返事を返す。手を振りほどくと、ルカは照れたようにはにかみながら早口で言った。
「それは良かったです。すみません、偉そうに講釈を垂れて……跡継ぎとして振舞う時に、心構えとして教えられたことなんです、今の話は。甘ったれるな、何て言いましたけど、本当に折れそうなときは、折れて立ち止まるくらいなら……ちゃんと、甘えてくださいね。ユスポフ武官にでも」
「いや、彼女に話していたら……きっと、俺はずっと、ただの足手まといになっていたよ。エカテリーナは、俺のこと……大切にしてくれるから。だから、きっと、俺がこれ以上苦しまないように、守ってくれるだろうけど……それだったら、結局、家で待っているのと同じだ。他人任せで、無力なまま……だから、ルカ君に相談して、良かったよ。うん、『戦士』として、振舞える。覚悟が、出来たよ」
「……その、何を言っても、軽くなってしまうんですけど……どうか、頑張ってください。応援してます」
「ああ、ありがとう。ルカ君の方こそ、頑張ってくれ。さて、長話に付き合わせて、ごめんね。もう日も落ちて来たし……エカテリーナはまだかな?」
ウーノがちらりと窓の外を見ると、空は茜色の残滓を残して、藍色の鱗雲を浮かべていた。
「ああ、そうですね……ガラスの修理の魔導具、持ってきますね。近くの掃除用具入れに入っているので、待っていてください。さっさと修理して、夕食にでもしましょう。それから、ユスポフ武官も合わせて、明日の予定を擦り合わせましょう」
「ああ、ごめん。何から何まで……」
深呼吸をした後、ルカはかつらを被る。中性的な外見の少年から、勝気な少女に早変わりだ。
「別に、気にしてないですよ。ああ、ガラス、触らないでくださいね。もしも怪我したら、私が治療する羽目になるんですから。まったく」
『ルキーナ』になった彼女は、すっかりつんけんした保守的貴族の言葉遣いになってしまった。
今までは、その男を下に見た言動に嫌気がさしていたものだが……もしかしたら、その言葉は今まで『ルカ』が言われてきた言葉なのかもしれない。
そう思うと、なんだか複雑な気分になる。ウーノは曖昧に微笑むしかなかった。
「ああ、そうですね……どうかしました?」
扉を開けたルキーナはその場で立ち止まり、鼻をひくつかせた。
「いえ……なんだか焦げ臭い気が……とうとう火炎瓶でも投げ込まれたんでしょうか?それとも食堂で鍋でも焦がしたのか……まあ、男が気にするようなことではないので」
肩をすくめたルキーナを見送って、ウーノは少しの間、一人で窓から外を見た。資料室は照明魔導具で明るいが、外の工場群は煙を吐き出すことを止め、夕闇に沈んでいた。




