273日目⑥
ルキーナは目を開けると同時に、髪を掴んで引っ張った。
スルリと彼女の毛先の赤いピンク髪が取れて、下からボブカットのピンク髪が現れた。その毛先は、赤くなかった。
「……先ずは、謝罪を。無礼な言葉を、そして性別を偽り、申し訳ありませんでした」
彼女、あるいは彼は、外したカツラを腕に抱いて、ペコリと頭を下げた。
「あ、あら?あらあら?えー、どういうことですの?」
「女装していた、ってことですか?」
状況が全く分かっていないエカテリーナに対して、現代日本で男女以外の性別があると言う思想を知っていたウーノは、直ぐに正解にたどり着いた。
「はい。僕の名前は、ルカ。ルカ・チェルノフです。先ほどまでお二人と会話されていた、ルキーナの弟です」
「んん?ど、どういう意味ですの?女装はともかく……え、弟?姉?」
「ああ、二重人格ってやつですか?そのカツラが、切り替えのスイッチとか?」
「ええ、その通りです。ウーノさん、理解がお早いですね。いつももっと、分かってもらうのに時間がかかるんですけど」
驚きつつも冷静に質問するウーノ。そして飲み込みの早さに感心するルカ。エカテリーナだけが、グルグルと頭上に?を回していた。
彼女も頭の回転は速い方だが、精神鑑定なんて存在しないこの世界で女装して別の性別の人格として振る舞う、と言うのは斬新すぎて受け入れがたいのだ。
「あの、ウーノ?わたくし一向に状況が理解できないんですけど、貴方は分かっているんですの?」
「まあ、うん。多分だけど」
「とりあえず、そちらのルカ?の肉体は男性で間違いないですわね。刻印が反応しましたし……わたくし、殿方に手を上げてしまいましたの?」
「あ、ユスポフ武官、お気になさらずに。貴方が掴みかかったのは、女性貴族のルキーナであって、男の僕ではありませんから」
頭を抱えるエカテリーナに、ルカは申し訳なさそうに告げる。しかし彼にそう言われても、彼女は難しい顔をしたままだ。
「うーん……それはそれとしても……性別を偽る、というのは尋常ではありませんわよ。それも殿方が女のふりを、しかも子爵家の跡継ぎを名乗るなんて。知るだけで口を封じられる可能性もありますし、わたくし、オバ様に聞いてきますわ……あ、ルキーナ、ああ、ルカ?オバ様、大使は貴方の性別を、ご存知ですの?」
「はい。大使様は僕の事情について、全て知っておられます。でも、口封じだとかそんな大仰なことは、ありませんよ。まあ確かに貴族的な問題も絡みますから、当事者の僕よりも大使様からお話を聞いた方が、事情を知れると思います」
苦笑するルカを見て。エカテリーナは少し表情を緩めた。ここで否定したり慌てたりされたら、ウーノを担いで窓を破って大使館脱出も視野に入れていたが……おそらく大丈夫そうだ。
「貴族の話なら、俺は同席しない方が良いだろうね。さっき言った他のトンネルのことも調べたいし、俺はここで待ってるよ」
「まあ確かに、ウーノがいるとオバ様も話しづらいと思いますけど……貴方を一人にしろっていうんですの?」
「大げさだなぁ。ここ大使館だよ?そんな心配しなくても良いよ」
「うーん……じゃあ、ウーノ。助けがいるときは、これを使ってくださいまし。滅茶苦茶でかい音が鳴りますわ」
過保護なエカテリーナに苦笑しつつ、ウーノはその防犯ブザー的魔導具を受け取る。
扉を出るまでチラチラと振り返り続ける彼女を見送って、ウーノは席に座りなおした。
「さてと……それじゃあ、ルカさん。俺は塹壕とか地図の調査、してますね」
「えっ?気にならないんですか!?」
何事もなく作業に取り掛かり始めたウーノに、ルカは素っ頓狂な声を上げた。
「いや、まあ気になるっちゃなりますけど……デリケートな話題なので」
「……お前の方がよっぽど男らしくない、って怒られるかと思いました。あ、それと僕には敬語はいらないですよ。カツラを外したルカの時は、僕は男ですから」
「あ、いいの?じゃあ、そう言うことで。まあでも、女装なんて、度胸あるね。ああ、皮肉では無くて」
この世界では男らしくない男なウーノにとって、女装と言うのは最高に『男らしい』行為である。感心こそすれ、否定する気にはならなかった。
言葉を交わしつつ、ウーノは地図を広げた。しかし日が傾き始めた時間帯、西日がテーブルのガラスに反射して眩しくてかなわない。
後でにするか。彼は地図を陽光が反射する場所に地図を押しのけると、ルカに着席を促した。
エカテリーナからも話を聞けるだろうが、こちらはこちらで男同士、話を聞いておこうかと思った。
何より、男の身分を隠して女社会を生きる彼の話に、ウーノは興味があった。
「地図は良いんですか?」
「ああ、お日様が眩しくてね。地図とにらめっこするより、君の話を聞いておきたいと思って。もしよければ、自己紹介をしてくれないかい?ああ、俺はウーノ。仕事は魔導車製造。今はエカテリーナの『夫』をしてる」
「分かりました。改めまして、僕はルカ・チェルノフ。チェルノフ子爵家跡取りだった、ルキーナ・チェルノフの弟で、仕事は……死んだ姉の、代役です」
ルカは腕に抱いていたカツラをテーブルの上に置いた。
長いピンク色の髪が、タコが触手を伸ばすように放射状に広がる。
「そのカツラは?」
「これは姉の形見なんです。これを付けている時の僕は、弱い男のルカから、強い女の子のルキーナになるんです」
改めて、カツラが人格の切り替えスイッチだと語るルカ。その言を聞いて、ウーノはふとミーシャの送った髪の毛を思い出した。
髪は魔力タンク兼魔法回路でもある。それゆえに、魔力のこもった髪の毛は、刻印を解くカギにもなるし、燃やすと溢れた魔力が実体化する。ミーシャの髪を燃やした時は、水があふれ出して驚いたものだ。
このカツラにも、何か魔力や想いが、籠っているのだろうか。
「なるほど……でも何故、君がお姉さんのふりをしているんだい?」
「本当は、双子の姉の『ルキーナ』が、跡継ぎになるはずだったんですけど……一つ前のポツカとの戦争で戦死したんです。跡継ぎがいなくなったら、普通は分家から養子をとるのが普通なんですけど……僕の実家は、分家と仲が悪いんです。だから、養子をとるのも難しいし、跡継ぎ不在がバレたら、大変なので……性別は違うけど、双子だからか顔が似ていた僕が、影武者として姉のふりをすることになったんです。男にしては魔力が高い方だったので、それも好都合だったんだと思います」
ルカはそう言いながら、手のひらの上に火球を浮かべて見せた。彼の髪と瞳の色と同じ、そして小顔なルカの顔がすっぽり隠れるほどの、大きく赤い火球だ。
男でこれほどの大きさの火球を作れる者は、そういないだろう。狼型の魔物のような、小型の魔物なら一撃で殺せるかもしれない。魔法使いと名乗っても良い強さだ。
「すごい……俺は黒髪だから属性魔法は使えないし……身体強化や回復魔法もからっきしでさ。ルカ君みたいに戦う力があるのは、羨ましいよ」
それはウーノの素直な感想だった。
ミーシャを戦争に送り出し、ただ一人で家で待つ日々。エカテリーナに矢面に立たせ、その後ろで守られるだけの今。
女性とも引けを取らない戦う力を持ったルカは、ウーノにとって羨望の対象だった。
しかし褒められたルカは、曖昧な笑みを浮かべた。
「力があっても、それを振るう勇気が無ければ、無いのと同じです。このカツラなければ、僕本人は、ただの臆病な男ですよ」
ミーシャもそうだった。強くても、臆病であればモテない。力そのものよりも、むしろ勇気や勇敢さこそが、尊重されるのが戦士の文化だ。
それに、男には強さは求められない。きっとルカにとって、力を褒められるのは男らしくないと言われているような物なのだろう。そのことに思い当たったウーノは、話題を変えた。
「あー……それで、なんでポツカにあるラシスカ大使館なんかにいるんだい?そんなに複雑な事情があるなら、普通は手元……実家で生活させられるのが、普通なんじゃないかな?」
「……分家との関係が、落ち着いたんです。この前の戦争で、一番仲が悪かった分家の当主の跡継ぎが戦死して……それで力関係が変わって、仲直りしたらしいです。だから僕がルキーナになる必要もなくなったんですけど……でも、戦死した娘が生きてたように息子に演じさせていたなんて、バレたら外聞が悪いじゃないですか。だから、しばらくの間は外国に送って、そこで死んだことにするんだそうです」
文明が進歩し魔物より同じ人間の方が脅威になった現在、戦場で先陣を切り戦果を挙げることは、貴族が貴族でいるための必要な儀式ともいえる。兵役逃れは外聞が悪いので、それ相応のコストがかかるのだ。
だからこそ、戦死したことは名誉であり、大々的に喧伝されるべき事案だ。それを隠し、生きていたように周囲に見せるのは、英霊に対する侮辱である。兵役逃れよりも、よっぽど醜聞だ。
そんな家の都合で、女にされたり男にされたりするルカに、ウーノは深く同情した。
『男らしさ』の定義の変化に悩んでいる彼には、その辛さが少しは想像できるからだ。
「大変だったね、本当に……俺も男のくせに、とかよく言われるし、『ルキーナ』さんにも言われたけど……男だから女だからと、難しいよね」
しかし、ウーノの同情するような物言いに、ルカは苦笑して返した。気持ちは嬉しいけど少しずれている、そう言いたげな表情だ。
「でも、僕はそんなに嫌じゃないんですよ、今の境遇が。趣味に丁度良いというか」
「しゅ、趣味?女装するのが?」
てっきりいやいや本来の自分あり方を捻じ曲げて女装していたのかと思いきや、実はノリノリでしていたのか?
ウーノが反応に困っていると、ルカは自分の言葉足らずに気が付いたのか、慌てて手を振った。
「ち、違いますよ!僕の趣味っていうのは……これ、音楽のことなんです」
ルカはそう言って、手帳を開いて見せた。そこには食事の際、彼が落として慌てていた、あの暗号のような見慣れない記号の羅列が記されていた。
「……何これ?これが音楽と何か関係が……?」
ウーノが首をかしげると、ルカは少し悲しそうな、『ああ、やっぱり分かってもらえないんだ』と言いたげな、そんな曖昧な笑顔を浮かべた。
「これは楽譜です。『男のくせに芸術なんて』と、思われるかもしれませんけど……」
女性は感情で、男性は理屈で物事を考える。その傾向はこの世界でもある。
そしてそれは、芸術という感情表現が重要視される分野では、特に強く現れる。『頭でっかちな男に芸術は向かない』、『美しさは数値で図るものではなく心で直接感じるもの、男にはそれができない』とされて、あらゆる芸術分野で男は締め出されているのだ。
「そんなことないさ!俺が無学だから、ルカ君の楽譜は読めないけど……美しい物は誰が作っても美しい!作者が男か女かどうかなんて、関係ない、そうだろう!?」
ウーノは慌ててルカの手を取って強く握った。ウーノは残念ながら、この世界の大多数の男性と同じく、芸術は消費するだけで創作する側ではなかったので、一見して楽譜には気が付けなかったが……自分と同じように、『男であること』に苦悩しているルカに、シンパシーを感じていた。
そんな同胞意識が通じたのか、ルカは体の強張りが抜けたように、少し座高が縮んだ。
彼はホッとしたような表情を浮かべて、ウーノに頭を下げた。
「そう言っていただけて、嬉しいです。僕は作曲が趣味で……最初は、ただの遊びだったんですよ?こっそり姉のピアノで……それに気が付いた姉が、言ったんです。私の名義で作った曲をどこかに送ってみる?って?そしたら、地方の楽団とか音楽アカデミーでは取り上げてもらえて、それが嬉しくて。いつかは、ラシスカの最高の演奏家に、帝国立交響楽団に、自分の作った曲を演奏してもらいたいって。でも、姉が戦死して、代わりに発表してくれる人もいないし、もしも『ルカ』という男の子が発表していたら、見向きもされないだろうから……だから、夢が叶うまで、僕は女の子でいたいんです。そして『ルキーナ』の名前が、少しでも残れば……姉への手向けに、なると思うので」
自分の芸術活動のために、自ら進んで自身のアイデンティティを捻じ曲げるルカ。魔法の実力だけでなく、心まで強者な彼に、ウーノはこれ以上ない程の羨望を感じた。
「色々と苦労しているだろうに……ルカ君は目標に向かって、ちゃんと成果を出しているんだね。きっと叶うよ、その夢。君の努力と才能が、正当な評価を受ける日を、心から楽しみにしてる」
ウーノの激励に、ルカはくすぐったそうに笑った。
「そんな風に言ってもらえたの……初めてです。あはは、お父さんもお母さんも、誰も理解してくれなかったのに……応援、ありがとうございます。僕の曲が国立劇場で演奏される時は、きっとウーノさんをお呼びしますね」
「はは、ありがとう。期待してるよ。そのご招待を受けるためにも、俺も早いこと、目標を達成しないとね」
「あ、すみません、僕ばっかり舞い上がって。詳しくは知らないんですけど、後方への破壊工作とか……っと、詮索不要でしたね、この手の話は」
慌てて自分の口を手でふさぐルカに、ウーノは軽く手を振って見せた。
「いやいや、むしろ目的を先に話すべきだったよ。そうした方が、資料探しとか、相談とかに乗ってもらいやすかっただろうし……実は俺とエカテリーナは、本当の夫婦じゃないんだ。ミーシャちゃん……流れ水の民で捕虜の解放対象から省かれた、俺の妻を救い出すために、妻の戦友だったエカテリーナに手伝ってもらっているんだ」
最初、『ルキーナ』に目的を話さなかったのは、彼女が自分に好意的ではなかったからだ。大使が『色々と暴れる予定らしいな?』とぼかした表現をしたものだから、どれだけ自分たちのことを知っているのか、教えて不利益が無いか、判断がつかなかった。
しかし、こうして腹を割って話した『ルカ』になら、本当の目的を話してしまっても、悪いことにはならない。エカテリーナも問題にはしないだろう。ウーノはそう判断して、今までの流れと今後の計画をかいつまんで説明した。




