273日目②
大使館は飾り気のない建物だった。
灰色の石壁に囲まれた廊下に、簡素な照明魔導具が設置された天井、靴の音が良く響くセメントがむき出しの床。
「なんていうか、質素と言うか、武骨なデザインだね。ラシスカの大使館なんだから、もっと豪華な感じかと思ってたよ」
執務室への道すがら、ウーノは呟いた。彼は今までの経験から、ラシスカの公的機関の建物は全て宮殿のような豪奢なつくりだと思っていたので、少し不思議だった。
歩いている職員の格好も貴族的な高価な衣装ではなく、タイガ森寄り村の住人でも持っている一張羅のような、庶民でもギリギリ買えるドレススーツだった。
「ごきげんよう……まあ、ここはポツカですの。致し方ないですわよ。ラシスカからの資金の持ち込みは、金の買い付けや密輸入を防ぐために、制限されていますわ。わたくしたちのように、国境警備隊の警戒をすり抜けて振り払って、宝飾品の持ち込みをするなんて……見栄を張るためにするには、リスクとリターンが釣り合いませんもの」
「ああ、なるほど。確かに」
エカテリーナはすれ違う職員に会釈しつつ、ウーノの疑問に答えた。
大使館を飾り立てることができるほど余裕があるなら、確かに資金不足で捕虜を切り捨てるなんてことは、必要なかっただろう。ウーノは納得した。
そうしてしばらく、歩いて行くと、最低限の威厳を何とか取り繕ったような、艶のある重厚な木目の扉の前にたどり着いた。大使の居る執務室だ。
「さて……失礼しますわ!エカテリーナ外交武官ですわ!」
「入り給え」
エカテリーナが扉をノックすると、向こうから返事が聞こえた。
彼女が扉を開けて入室し、その1歩後ろにウーノが控える。
部屋の中にいたのは、巨大なデスクに書類をたくさん広げ、疲れた様子の壮年の金髪の大使。そしてその副官らしき、年若い勝気そうなピンク髪の少女だった。貴族の血筋なのだろう、エカテリーナのように毛先がより赤くグラデーションになっている。
「大使殿、先日はご無礼を働き、申し訳ありませんでしたわね。おかげで『夫』の体調も、元に戻りましたわ」
エカテリーナの紹介に、ウーノは背筋を正して、頭を下げた。
考えてみると、エカテリーナの服装はボロボロだったし、自分も熱で意識を失っていた。そんな不審者が街に入り、この間まで戦争していた国の大使館に入るなど、何かしら面倒ごとがあったに違いない。大使が手を打ってくれたのだろう。
そう推測したウーノは、一歩進んでエカテリーナの横に立つと、感謝の言葉を述べた。
「『夫』のウーノです。お手数をおかけして、すみませんでした。この通り、今では熱も収まりました。ありがとうございます」
頭を下げる偽装夫婦に、壮年の女性——大使は、椅子をギィと鳴らしながら立ち上がった。その姿には威圧感こそなかったが、疲れの中にも長年の歴戦を感じさせる貫禄があった。
「クリコニク外交部長から、話は聞いている。大使館付きの護衛官……という筋書きで、色々と暴れる予定らしいな?しかし、夫婦そろって国境警備隊を欺いて密入国とは、そちらのウーノ妻人は肝が据わっている……まあ、それくらいの度胸が無ければ、修道騎士の夫は務まらんか。いやしかし、驚いた。まさかあのちびっ子が結婚とはな……」
大使はつかつかと歩いてきて、ウーノの顔を覗き込んだ。
その黒い瞳には、不思議そうな色が混ざっていた。
どうやらナジンカは、二人の本当の関係性について、『偽装夫婦』ではなく本当の夫婦として大使に伝えたようだ。
ウーノは冷汗を流しつつ、目を合わせないように少し上を向いていた。
目に映る天井には、誰か絵が得意な職員が描いたのか、絵の具が乾き切っていないように見える、双頭のドラゴン、ジャガーノートの威容があった。飾り付けることができない予算不足の中でも、ここがラシスカの建物であると主張する、せめてもの抵抗なのだろう。
「オホホ、そうですのよ。ウーノは男にしておくには勿体ない、度胸と勇敢さの持ち主ですの。ああ、それと大使殿。わたくしたち夫婦は貞淑な淫紋を刻んでいますのよ。だから、私の夫には、指一本触れないでくださいまし」
大使からウーノを引き離すように、エカテリーナはウーノの腕を取って抱き寄せた。彼女の柔らかな二つのふくらみに、ウーノの腕が挟まれる。
その感触に、彼はちょっと前かがみになった。
「ちょっとエカテリーナ、当たってるよ」
「あら、夫婦なんですもの、何を気にすることがありますの?」
エカテリーナはより強く、ウーノの腕を胸に押しつけた。
普段のエカテリーナは、こんな大胆なセクハラをしない。彼女はウーノを(なるべく)性的な目で見ないと、友であって異性として意識しないと、騎士の誓いを立てているのだ。
しかし2徹による思考能力の低下の影響で、理性が少しガバガバになっていた。
そんな偽装夫婦のやり取りに、大使はため息をついた。
「やれやれ、見せつけてくれる。お熱いようで、何よりだ……ああそうだ、エカテリーナ。『大使殿』なんて他人行儀に呼ばれると、こそばゆくてたまらんよ。昔のように呼んでくれ給え」
彼女は大きな身振りで手を振って笑った。声には年季を感じさせるしゃがれ声が混じっていたが、それが逆に母性的な安心感を醸し出していた。
「あら、よろしいですの?それでは、遠慮なく。オバ様、お久しぶりですわね。会えてうれしいですわよ」
エカテリーナが微塵の遠慮なく答えると、大使は愉快そうに手を叩いて笑った。
「クハハ、本当に、相変わらずだ……最後に会ったのは確か……お前が修道騎士団に入れられた時……ざっと8年ぶりか……大きくなったものだ。それにしても、アモリア純潔処女修道騎士団の騎士のお前が結婚とは、教義的に大丈夫なのか?」
「ご心配なく。純愛ですもの」
「それもそうか、純愛か」
回答になっていない回答に、大使は苦笑しつつ頷いた。
修道騎士は一般的に、生涯を信仰に捧げ、処女のままでなくてはならない。しかし女神アモリアは愛と純潔の女神。信仰を凌駕する純愛を示せば、そこら辺は柔軟に許してくれるのだ。大使は、エカテリーナがウーノによほど惚れこんで、無理を押し通したのだろうと解釈した。
実態は二人はミーシャ救出のために夫婦を装っているだけだ。しかし、嘘やごまかしに敏感な『大使』であっても、エカテリーナの態度は本気に見えていた。
「あの、大使は妻と、どういう関係なのでしょうか?」
ウーノの疑問に、大使は笑って答えた。
「ああ、挨拶が遅れたな。私はスヴェトラーナ・チェルノフ女爵だ。チェルノフ女爵家は、エカテリーナの実家のユスポフ伯爵家の傍流でね、私はこの暴れん嬢の、まあ後見人のようなものだ。8年近く、会えていなかったのだが……クハハ、その再会が国外で、しかも旦那同伴とはな。面白いものだ」
実は貴族。道中のトンネル内で聞いた話だが、第三者からも聞くと本当に本当らしい。
あまり貴族のアレコレが分からない、血統に敬意を払う文化の無いウーノにはピンと来ていなかった。しかしとにかく大使には無礼の無いように気を付けようと、襟を正した。
「そうなのですか。俺は妻の子供の頃の話を知らないので、機会があれば色々と教えていただきたいです」
「ああ、もちろんだとも。いやあ、色々とエピソードが……」
「オバ様!ウーノに余計な事吹きこんじゃダメですわよ!」
エカテリーナの突っ込みに、スヴェトラーナは愉快そうに微笑んだ。
「クハハ……さて、旧交を温めるのは、夜になってからにするとしよう……ここビウクニツは色々と情勢が複雑でな。詳しくない者が外を歩くと、色々と面倒ごとに巻き込まれかねない。案内として、副官のルキーナをつける。こいつにはお前たちの事情を話してある」
スヴェトラーナが手招きすると、緊張した面持ちのピンク髪の少女、ルキーナが、ドレススーツのロングスカートを歩きにくそうにしながら、正面に立った。
「ルキーナ・ルナチャルクです。私は未熟者ですが、ルナチャルク子爵家の次期当主です。相応の敬意を払っていただくよう、願います」
セリフこそ傲慢な貴族様、といった様相だが、ウーノは不思議と、嫌な感じがしなかった。それは彼女の容姿が、10代半ばで自分より2、3歳は若く見えたから、と言うのもある。しかし一番の理由は、彼女の表情が緊張に強張っているからだった。明らかに無理して強がっている、そんな印象を受けたのだ。
エカテリーナも同様の感想を持ったのか、貴族らしさを嫌う彼女も、ルキーナに生暖かい視線を送っていた。
「さあ、二人とも、朝食はまだだろう。食堂に用意させてあるから、腹を満たしてから、色々とコトを進め給えよ。ルキーナ、案内してやれ」
手を叩いたスヴェトラーナの言葉で、3人は執務室を出て食堂に向かった。
ロングスカートを蹴飛ばしながら歩くルキーナの後ろ姿を、ウーノは不思議そうに、エカテリーナは心配そうに見ながら、一行は階段を下りていくのだった。




