272日目⑧
ポタポタ。唇に感じた、鉄の味。
子供のころは毎日味わっていた、懐かしい味。
その生臭さに、エカテリーナは意識を取り戻した。
「あ、エカテリーナ、起きた?ごめんごめん、俺の血がちょっと垂れちゃってさ、バッチいね、ごめん。今拭くから、じっと……」
ぼんやりとした意識に映る、愛しい男。
ああ、この味は、ウーノの血ですのね。そう思うと、なんだかとっても甘美……
「って、ウーノ!どうしたんですの!?大怪我してますわよ!?」
好いた男の血の味に酔っていた彼女だが、ぼやけていた視界に映ったその彼の顔を見て、びっくり仰天飛び起きた。
顔の左側。目の下から首にかけて、深い一本の傷が刻まれていた。よほど強く刻まれたのか、頬の肉が飛び出しているし、皮膚の一部がその圧力に負けて垂れ下がっていた。
「ああ、ちょっとね。それより、エカテリーナだって傷だらけだよ。今治療中だから、ちょっとじっと……」
「わたくしの傷なんてどうだっていいんですのよ!ウーノの方がよっぽど重症ですわ!しかも男の顔に傷とか、一大事ですわよ!」
男のくせして自分は後回しに、女の方を優先して治療するとは。惚れ直すほど献身的だが、同時に怖くもなる。
エカテリーナは慌てて飛び起きてウーノから回復魔法の魔導具を奪い取ると、彼の顔に自身の回復魔法と合わせて治療を始めた。
「俺の怪我は平気だよ。ちょっと痛いけど、歩くのには支障がないし。エカテリーナの方が……」
「ああ!喋った拍子に血が吹いてますわよ!ちょっと黙っててくださいまし!……って、貴方こそ血だらけじゃありませんの!そ、そうですわ!それに刻印は……!」
エカテリーナは叫んだ。ウーノの上半身は、腕も含めて血だらけだった。
確認の意味も込めて彼の上着をまくり上げる。セクシーなへそと一緒に、刻まれたころと同じ姿の刻印が現れた。
「あ、触ってないから、刻印は大丈夫だよ。怪我も顔以外は全部返り血だから大丈夫」
「か、返り血!?って、だまらっしゃい!また出血が……!」
エカテリーナはともかくウーノの顔に全力で回復魔法を注いだ。
しかし、しばらく気絶して休んでいたとはいえ、魔力が切れかけていたのだ。出せる出力も限りがあり、傷口こそふさがったが大きな傷跡が残ってしまった。
「そろそろ喋っても良い?」
「くっ……ええ、とりあえず傷はふさがりましたわ。でもこんな酷い傷跡が……!」
一度回復を終えて塞がった傷は、体がその状態を正常だと判断してしまうので、跡を消すのが難しい。自分の魔力不足のせいで男の顔に傷を残してしまうとは、雷女帝一生の不覚。
「じゃあ、急ごうか。ポツカ語が聞こえるし、時間が無い。エカテリーナは荷物をまとめておいて。俺はアレの調整をしておく」
それに何より心に来るのが、ウーノが気丈にふるまっていることだ。自分が気絶している間、何があったかは分からない。しかし顔の傷を見れば、自分があの下品な魔法使いに止めを刺せなかったことは、明らかだ。
心の中に抑えがたいほどの後悔と無力感が押し寄せてくる。
しかし、ここで落ち込んでいる場合ではない。何とか自分に言い聞かせ、彼の指の先に視線を移す。
そこには、戦場で散々戦った虎型魔導戦車が立っていた。
「て、敵ですの!?」
「いや、違うよ。俺が直したんだ。エカテリーナに抱っこして走ってもらうのは、情けないからね」
とぼけたように笑うウーノの表情に、エカテリーナは違和感を覚えた。
どこか影を感じる、無理やりな笑顔。さっき埋葬塚を見て、しょげていた時のような、そんな笑顔。
しかしその影は直ぐに消えてしまった。頬の傷が痛んで引きつって、そう見えたんだろうか?エカテリーナは心配に想いながらも、究明は後回しにして荷物をまとめた。
「あら、ウーノったら魔導戦車の操縦できましたの?」
先に座って手綱を握った彼を見て、エカテリーナは首を傾げた。
「ああ、ある程度はね。さあ、急いで!追手が来る」
戦闘跡を見られたのか、騒ぎが聞こえてきた。猟犬もいるのか、ワンワンと犬の鳴き声も聞こえる。
準備を終えてエカテリーナが乗り込むと、ウーノは手綱を打って魔導戦車を走らせた。虎は塹壕の中をギリギリの幅で駆け抜ける。なかなかの速度でこれなら追いつかれることは無いだろうが……
「どこか川か何か……匂いを切った方が良いですわ!猟犬に嗅ぎつかれてトンネルの入り口がばれたら、ポツカに不法入国したのがバレてしまいますもの!そうなったら、国内でも検問が厳しくなるかもしれませんわ!」
今はまだ、魔法使い兵と戦闘しただけ。ラシスカ帝国内の強硬派が、自国に侵犯して地面を掘り返しているポツカ国境守備隊を攻撃しただけ、と言い訳できる。ナジンカなら上手いこと誤魔化してくれるだろう。
しかしトンネルを利用した可能性が露見すれば、面倒なことになる。
「川は……ちょっと遠いな。そうだ、弁当!あの油ニンニク盛りの!あれを燃やすのはどうかな?きっとひどい匂いで、俺たちのことなんて追跡できないよ!」
「機転が利きますわね!やってみますわ!」
エカテリーナは照明用の火の魔導具をともして、弁当を温めた。途中でじれったくなり、何度か雷撃で直で温める。次第に油が溶けて発火し、白い煙がモウモウと立ち込めた。
「ああ、目に染みるよ!これなら誤魔化せそうだ!」
「くっさ!ええ、そうですわね……そいや!」
エカテリーナは後ろに燃える弁当を投げ捨て、ウーノの背中に顔を埋めて深呼吸した。芳しい香りで、鼻の奥が浄化される。
しばらくエカテリーナが役得を楽しんでいると、どうやら目的地に到着したらしい。
入り口は、空っぽになった弾薬庫の奥。魔導戦車の魔法で地面を荒らし、足跡を消しておく。幸いにも入り口は魔導戦車が乗り込める程度には大きかった。入り口もついでに潰して、トンネルに無事に逃げ込めた。
「ふう……楽できそうだね。このままこいつに乗って行こう」
「ええ、そうですわね……ウーノ、なんだか顔が赤いですわよ?熱があるんじゃありませんの?」
振り向いたウーノの顔の赤さに、エカテリーナは訝しんだ。貞淑な淫紋があるので肌で触れて確認することはできないが、熱があるような気がする。
「俺は平気さ!さあ、急ごう!」
ウーノは再び、どこか引きつったような、笑顔を浮かべて、手綱を振るうのだった。
そうして肝心のトンネル内を進もうとしたが……トンネルの中は真っ暗だった。
モグラ魔導戦車に掘り返された影響か、魔力を供給する導線が切れてしまったのだろう。照明もなく、換気扇も動いてなかった。
地面は平らだが、トンネルは直線でもない。あちこち壁にぶつけながらでは、非効率だし安全性に欠ける。
「真っ暗ですわね。でもこういう閉所で火を灯すと、毒が溜まると言いますし……わたくしの雷でも良いですけど、照明用にするには燃費が悪いですわね」
化学的知見は元の世界より遅れている。しかし換気の悪い場所で火をつけると危ない、と言うのは経験的に理解されていた。
エカテリーナは指先に電気を流して、アーク放射をして見せる。しかしチカチカと不安定だし、光量の割に燃費も悪い。なにより、そんなことに魔力を浪費するくらいなら、ウーノの傷の治療をしてやりたかった。
「ああ、そうだね。整備されたトンネルだから、そこまで危険は無いけど……完全にまっすぐ、って訳でも無いから、照明は……あ、良い手があった!」
ウーノは一度魔導戦車を降りて、手荷物の中から鉛筆を取り出してエカテリーナに手渡した。この世界の鉛筆は、金属の筒に細く長い芯を入れて固定する、シャーペンと鉛筆の中間のような形状だ。
「これをどうするんですの?」
「芯の部分だけ取り出して……いや、筒を導線にした方がいいか。こことここに、雷の魔力、電気を安定して流してみて」
ウーノの要求にエカテリーナは首を傾げながら従う。
金属は電気を通しやすいが、芯の方に通す?エカテリーナにはそれが何を意味するのか、見当もつかなかった。
とりあえず言われたとおり、金属ケースの両端を持って電気を流してみる。すると、黒鉛は赤熱して仄かな光を生み出した。
「あら……こんなの初めて見ましたわ!」
少し雷の出力を上げると、光量は十分な明るさに達した。チカチカもせず、安定している。
「これは、豆電球っていうんだ。炭素……あー、炭とかは、電気を通すと光るんだ」
「そうなんですの?炭に電気……確かに、木に着火するために雷撃したことはありましたけど、こんなに長時間電気を流すのは、したことなかったですわね。こんな現象、知りませんでしたわ。弱火でじっくり、がコツですの?よくこんなこと、見つけましたわね」
エカテリーナの感心した声に、ウーノは頭を掻いた。
実際のところ、これは元の世界の知識であり、自分で発見した現象ではない。褒められても、自分の手柄だと胸を張ることはできなかった。
「ハハ……ともかく、これなら火の魔導具みたいに二酸……毒もたまらないしね。じゃあ、行こうか」
ウーノは再び魔導戦車に乗り込んで、手綱を打つ。
エカテリーナはその後ろで頭上に豆電球を掲げつつ、モヤモヤとした思いを抱えた。
さっきから、ウーノはとても頼りになる。追手を撒くために、臭いを消すのでは無く、更に強い臭いで上書きすると思いついたり。今だって、自分が知らない手段で、照明の問題を解決して見せた。
自分が気絶していた間、何があったのかまだ聞いていない。しかし自分が気絶していた間に、傷つくような何かがあったのは確かだ。
傷つかせない。そう誓ったのに。
「……ウーノ。わたくしが気絶していた間、何が……」
「あ、それよりもさ!エカテリーナ、さっきすごかったね!なんか赤い雷みたいなの口から出てたけど。あれは何なの?」
ウーノは少しおどけたような声音で、エカテリーナの言葉を遮った。
エカテリーナは少し間を開けてから、口を開いた。今話したくないというなら、無理に聞き出すわけにもいかない。
「見られちゃいましたのね……口から雷を吐き出すなんて、はしたないところ、見せたくなかったですのに」
エカテリーナは気恥ずかしさで、思わず豆電球からスパークを出してしまった。
「ああ、はしたないというか、野性的と言うか……威力もすさまじかったね。一瞬で雲が晴れて」
あの魔法使いの右半身も吹き飛んで。その飲み込んだ言葉に気が付かないまま、エカテリーナは頬をぷくりと膨らませた。
「もう!あまり言わないでくださいまし……恥ずかしいですのよ。あれは、そうですわね……今まで詳しく言ってなかったけど、実はわたくし、貴族ですの。とはいってももう縁を切ったので、元、ですけど。あの魔法はそんな貴族の血に宿る、ジャガーノートの力の一端、ですのよ」
「あ、そうなんだ……いやまあそうか。気安く接してくれるから、気づかなかったけど」
ナジンカとのコネクションや、ミーシャからの最後の手紙。それに高貴な口調。思い返せば証拠はそろっていた。
しかしエカテリーナは、ウーノの『気づかなかった』という言葉に、少しご満悦な様子だった。
「あら、オホホ。それは嬉しい誉め言葉ですわね。そのまま忘れて、どうか畏まったりしないでくださいましね」
分かりやすく機嫌よさそうで、白い肌に紅潮した頬が映える。豆電球を握っていない方の開いた片手で、ウーノに抱き着いた。
「はは、分かったよ。それはそれとして……ジャガーノートって、何だっけ?国旗のドラゴンだっけ?」
「あら、知りませんの?ああ、そういえば、ミーシャがウーノは記憶喪失とか言ってましたわね。ちょっと常識がどうとか……書類上は西部新領出身、だけどそれも実は嘘だとか」
以前にナジンカに事情を話した時、エカテリーナは驚いた様子もなかった。やはりミーシャは初めての親友に何もかもぶちまけていたらしい。それだけ彼女を信用していたということか、それとも初めての親友に浮かれて隠すべき秘密すら話してしまっていたのか。
どちらにせよ記憶喪失の真相——日本出身である、という説明しづらい部分に触れないように、ウーノは話を戻した。
「ハハ、まあ、うん。色々あってね……それでジャガーノートだけど」
「ええ、そうですわね。まあ一番最初から説明すると……大昔、だいたい500年くらい前。今は首都になっているあの辺り、その近くの大きな湖に、双頭の黒竜、ジャガーノートが住んでいましたの。かの竜は強大な力を持ちつつも気まぐれで、周囲に飛来しては、村々を焼き、街々を破壊しつくしてましたの。そのせいで、森の開拓は中々進まず、当時のラシスカはただの地名で、この地にあるのは国ではなく難民と遊牧民のネットワークに過ぎなかった、そう言われていますわ」
ウーノも村長から聞いた村の歴史を思い出した。『タイガ森寄り村』も、人類の生存圏を広げるために、魔境である森を開拓して作られた村なのだ。
ラシスカの歴史は、半分は開拓の歴史である。もう半分は征服だが。
「そうなんだ。そういえば村の人も、貴族には敬意を払えって言ってたけど……森の開拓は貴族が魔物と戦ってくれたから、進んだんだね」
エカテリーナの言葉に、ウーノは意外そうに頷いた。戦記物の歴史は好きで、この世界のその手の歴史も調べていたが、対魔物や国の成り立ちには興味が薄く、あまりカバーしていなかったのだ。
「貴族じゃないですわよ、敬意を払うべきは。そりゃ貴族だって先陣切って戦いますけど、貴族だけが戦っている訳じゃありませんもの。森で魔物と、戦場で異民族と戦っているのは、兵士たちですわ。兵士一人一人、そして軍にこそ、敬意と感謝が捧げられるべきなんですのよ」
エカテリーナは不満げにこぼした。貴族でありながら貴族を嫌い、その血統では無く軍と言う組織にこそ自己を見出す彼女。
「なるほど……複雑なんだね」
ラシスカも君も。
そんなことを思いつつ、ウーノは口には出さずに頷いた。
「っと、話がずれましたわね。そんな500年前に、一人の偉大な魔法使いが現れましたの。彼女こそが、ラシスカ帝国初代皇帝で、ジャガーノートを打ち倒した、英雌ですの。彼女は、風、水、氷の3属性を操り、彼女しか使えない大魔法、『白昼夢の夜』を使って、ジャガーノートを焼き殺しましたのよ。ウーノは、虫眼鏡で光を集める火遊び、したことありますかしら?『白昼夢の夜』はそれを大規模に発動しますのよ。なんでも空高くに氷と水で巨大な虫眼鏡を作って光を集めて焼く、という魔法だそうですわ。その時つくられたレンズは、今も月と同じようにこの星を周回している、と伝えられていますの」
人工衛星砲という単語が、ウーノの脳内に浮かんだ。以前いた世界でも、たぶん実現していない攻撃手段が、500年前の時点で実現していたことに、ウーノはとても驚いた。
電話や無線、あるいは機械時計のような技術は影も形もない一方で、魔導車やら魔導具やら回復魔法やら、ところどころ魔法と言うよりSFに片足を突っ込んだ技術が現れる。
十分に進んだ科学は魔法と見分けがつかない、とは言うが、十分に進んだ魔法もまた、科学と見分けがつかないのかもしれない。
「それは、すごいね……すごいとしか、言いようが無い……500年も昔に、そんなことができたなんて……」
ウーノの驚き様に、エカテリーナはさらに気をよくしたのか、楽し気な口調で説明を続けた。
好いた男に自身の知識をひけらかす。その快楽に夢中な彼女は、先ほどまで気にしていた諸々を忘れてルンルン気分だった。
「すごいですわよね。それで、初代皇帝は焼き殺したジャガーノートの肉を、自分の出身の村の人々に、振舞ったそうですの。強大な魔物の肉を食べた人々は、強大な魔力を持つようになり、後天的に魔法使いになったそうですのよ。その時に魔法使いになった人々が、今の貴族である、と言われていますの。彼らはジャガーノートを打ち倒した、という皇帝の権威と、大勢の魔法使いを抱える武力で、この地を平定。ラシスカ帝国が建国された、と言うわけですのよ。わたくしの赤い雷も、ジャガーノートの力の一端ですの。『灰咬む灼舌』と言う魔法ですのよ。」
エカテリーナは金髪の毛先、赤くグラデーションした髪を指でクルクル巻いた。
「そういえばナジンカさんも、銀髪だけど毛先は赤かったね。それが貴族の特徴?」
「そんなところですわね。500年もたって、赤い毛先はジャガーノートの魔法を使える証拠ですの。まあ、500年も経つとその血も薄れてきて、毛先が赤くない貴族も増えてきましたけど」
エカテリーナのいた部隊の指揮官も、貴族だが毛先は赤くなかった。
「そうなんだ。でも、あの力があれば、モグラ魔導戦車も一瞬で壊せそうだけど」
「自分の意思で使える魔法じゃないんですのよ。気持ちが高ぶらないと使えませんわ。あの時は、ウーノを助けたいって思ったら、自然と。ああ、あとは魔力の消費が激しいんですの。そのせいで倒れて、無様を晒してしまいましたわね……傷つかせない、守ると、誓いましたのに……ウーノ、あの時、わたくしが気絶している間……」
得意げに話していたエカテリーナだが、自分の失態を思い返してシュンとしてしまった。
ルンルン気分もどこへやら。一度そらされた話題に戻ってくる。
「……うん」
「……ウーノ?どうかして……ウーノ!?」
おぼつかない返事をするウーノに首を傾げたエカテリーナ。その体がふらりと傾き、魔導戦車からずり落ちそうになって、彼女は大慌てで抱きしめるのだった。




