272日目⑥
不自然だ。
戦場跡地を走り抜けるエカテリーナは、ポツカ兵の不可解な行動に眉をひそめた。降り注ぐ水の刃を地面を爆ぜさせ避ける彼女は、排除すべき目標がどんどん国境の要塞地帯から離れて逃げることに、何かしらの作為を感じていた。
2度目の飛び蹴り。再び吹き飛ばされる水の魔法使い。月光の下、青白い光に照らされるポツカ兵の顔は、追撃を受けているというのに不敵に口角を歪めていた。
彼女は大きな陥没穴に差し掛かると、水のクッションで勢いを殺し体勢を整えた。ふち際に足を大きく開いて仁王立ちする。迎撃の構えだ。
二人は大きな穴を挟んで対峙した。
「はっはぁ!噂通り、雷女帝様はお強いねぇ!?」
「あら、わたくしが誰か、知ってましたのね。それなのに、こっちに逃げてきて良かったんですの?」
今まで追い立てられて逃げていたのが嘘のように、ポツカ兵からは闘気が溢れていた。
調子に乗って迂闊に懐に飛び込めば、カウンターで首を落とされる。そんな想像を強者のエカテリーナに抱かせるほど、気迫に満ちた魔力にその青い髪が揺れていた。
「はん!戦利品を横取りされちゃいやだからねぇ!お前の男、アタイがたっぷり、楽しんでやるよ!」
まさか本気で言っている訳ではないだろう。自分も時間に追われていると嘯くことで、時間稼ぎをしているのか?
今こうして会話を続けていること自体も、時間稼ぎの一環か。
エカテリーナは一瞬だけ視線を国境に向けた。入れ替わりの作業員のランタンの明かりは、モグラ魔導戦車までの道のりの50%と言ったところか。まだ時間はありそうだが、悠長に長話している余裕もない。
「それはできない相談ですわね。貴女はわたくしが、ここでぶっ潰しますもの。大人しくいたぶられてくれるなら、手足を捥いで『イモムシ』にするだけで、勘弁してあげますわよ」
「へえ?かの雷女帝様は、随分と慈悲深いようで……男を連れて国境侵犯なんて、何が目的?」
会話を続けつつ、互いの隙を伺う魔法使いたち。息を吐き切るその瞬間、飛び掛かるか、飛び掛かられるかと緊張して、大穴の淵をゆっくりと回りながら、言葉を続けた。
「あら、ここはラシスカ領。国境を越えているのは、そちらでしょうに……ここに来たのは新婚旅行ですわよ。貞淑な淫紋を刻んだ、熱々カップルですの」
まあ、ポツカ滞在中は夫婦って設定ですし?良いですわよね?手は出してませんものね?
他人に自分とウーノが夫婦だと名乗ったことを心の中で言い訳しながら、エカテリーナは半歩ずつ距離を詰めていく。
よし、次の息継ぎ、相手が言葉を言い切って、体がわずかに弛緩するその瞬間。仕掛けよう。
しかし、雷縮地は使えない。前回の使用、トンネル脱出からまだクールダウンが済んでいないのだ。
エカテリーナはまだ熱の残る足に、出来る限りの身体強化魔法と雷を漲らせ。地面をけりだす準備をしていた。
「へえぇ!?貞淑な淫紋!?そいつは最高ねぇ!貞淑な淫紋持ちを犯し殺すなんて、最高の娯楽じゃない!あんたの生首の前で、実演してやるよ!」
貞淑な淫紋は、夫婦同士以外の異性が肌に触れると激痛が走り、それでも接触を止めない場合は死に至る。異性というのは親はもちろん我が子ですら対象である。純潔と愛の女神アモリアを最も象徴する、神聖な刻印だ。文明が発展し、信仰に縋らなくてもいい程に豊かになりつつある現代で、不便すぎるこの刻印は廃れつつあった。それゆえに、貞淑な淫紋はその崇高さを、以前よりもいっそう深めていた。
しかし、そのいと尊き物を汚したい、という人間は、いつの時代にもいる。
王侯貴族や大富豪の中の、一部の悪趣味な背徳女は、この刻印をした男を好んで襲い、犯し殺すのだ。
そんな社会の最上位層しか行えない、最低最悪の娯楽を味わえるという興奮に、この水の魔法使いもまた、興奮が止まらないようだった。よだれを拭って犬歯をむき出しに、いやらしい笑顔を浮かべた。
そしてそんな背教者の姿を見て、それも命に代えても守ると誓った男を穢し殺すと宣言され。修道騎士エカテリーナは完全に、『切れて』しまった。
「死ね!」
破裂寸前の強化と雷を足にかけて、エカテリーナは地面を蹴った。大型攻撃用魔導具の砲撃クレーターのような、巨大な凹みが凍った地面に形成される。
隙を伺うもクソもない。このクソ女郎を一刻も早く殺さなくては。彼女はその衝動に任せて、すさまじい速さで相手に飛び掛かった。
しかし、そのスピードを目の当たりにしてもなお、ポツカ兵は不敵な笑みを崩さなかった。
「かかった!」
エカテリーナが陥没穴の丁度真ん中に差し掛かった瞬間、大量の水が間欠泉のように噴出した。その水源は地下水。モグラ魔導戦車が掘り返した古井戸。その残滓を彼女は利用して、自身の魔力キャパシティ以上の水を呼び出したのだ。
大量の水は魔力によって巨大な水のドラゴンに形を変えて、エカテリーナに食らいついた。
全身全霊のスピードで飛び出していた彼女に、圧倒的な質量の広範囲攻撃を避けるすべは無く。その中に閉じ込められてしまった。
「グッ!?」
「あっはっはぁ!いい景色だぁ!かの雷女帝を、アタイの手で殺せるなんてさぁ!」
石や砂が混じった激流がエカテリーナをもみくちゃにし、その体をズタボロに痛めつける。頭より大きな石が手足を叩き、砂利によって鋭利さを増した水流が体を切り裂く。
しかし、そんな360度全てから攻撃されても、エカテリーナは倒れなかった。全身を紫と金の雷で覆い、巨大な電気の塊とする。そのエネルギーに触れれば粒子の小さな砂や砂利はもちろん、大きな石すら砕け散り溶けてしまう。
その莫大なエネルギーの奔流は、ついには竜の腹を引き裂き、爆散。
巨大な水蒸気爆発を起こしながら、エカテリーナは穴の底に降り立ち、大地を踏みしめた。
「ぜぇ……ぜぇ……お、大口叩く割には……大したこと、無いですわね……」
旅装束の黒い革のドレスはボロボロで、その破けた隙間から見える白い肌に浮いた赤い傷口が痛ましい。
大量の魔力を消費したことで、回復魔法に回す魔力が足りず。いつもなら即座にふさがる傷も、癒せないのだ。
しかしそれでも、エカテリーナは紫の眼に闘志と敵意に爛々(らんらん)と輝かせ、敵を見上げた。極寒の冬の水に浸かってもなお血色の良い唇から、強がりではなく本心からの悪態を吐き出した。
即座にその全身を、二色の雷が飾った。回復そっちのけで魔力を身体強化と雷のエンチャントを自身に施しているのだ。
「ちっ……アタイのとっておきを、ただの魔力の力技で押しつぶすだって!?化け物め……」
そんなエカテリーナの狂戦士ぶりに、水の魔法使いは思わず穴の淵から後ずさった。
水の魔法は雨の日や水源が近くにある時、自分の魔力キャパシティ以上の規模の術を行使できる。自分の魔力で水を生み出す必要がないためだ。
だからこそ、地下水を用いた攻撃は、彼女が出せる最大火力の攻撃だった。それを粉砕されてしまった以上、もはや打つ手が無い。古井戸に残っていた地下水は枯れてしまい、冬場の今、他の水源は望めなかった。
「最期の言葉は、それでいいですわね?」
相手は満身創痍。傷を治せないほど魔力が減っている。一方の自分は、最大火力の技が防がれたとはいえ、地下水を利用したのでまだ魔力は残っている。状況は悪くないはずだ。それなのに、なぜこうも死のイメージがちらつく!?
体中の傷の痛みを気にする様子もなく、一歩一歩、雷で地面を爆ぜさせながら陥没穴から登ってくるエカテリーナ。空気を焼き焦がすオゾン臭に、更に後ずさる水の魔法使い。しかし、後退したところでこれ以上は打つ手はない。援軍は自分が国境から遠ざかってしまったため間に合わないだろう。
とうとう再び同じ地上へと上り詰めた『雷女帝』を前に、必死に考えをめぐらす。この状態から勝利するには……
「はっはっは!いいや!まだだね!」
ポツカ兵は自身の背後に特大の水球を呼び出し、極太の水レーザーとして自身の背に発射した。
破れかぶれの悪あがきか。水流に乗って突貫する彼女を迎え撃つべく、エカテリーナは拳に雷をまとわせ構えた。
しかし、雷をまとわせた拳は、宙を切った。
水の魔法使いは、エカテリーナを避けるように追加のレーザーで自身を押したのだ。彼女の左側をすり抜けて、敵はそのまま走り出す。
「んな!?まさか!」
「そのまさかさ!お前の男、もらってくよ!」
国境の要塞地帯に行くなら、右方向に行くはずだ。しかし敵が向かったのは、左側。自分たちが元居た場所の方角。つまりウーノがいる方向だった。そう、ポツカ兵はウーノを人質に取るつもりなのだ。
エカテリーナは慌てて追いすがる。スピードに勝る彼女だが、魔力を消耗した彼女では普段のような全力疾走は難しく。
何とか追いついた時には、すでにウーノの姿が見える位置だった。
「ウソ!?早すぎるでしょ!」
「ウーノはやらせませんわよ!」
それでも間に合った。大切な男に危害を加えさせる前に、決着をつけられる。
そう思って雷撃をまとった拳で、敵の腹に大穴を開けてやろうと距離を詰める寸前。焦っていた敵はまるで名案を思い付いたかのように、ニヤリといやらしい笑みを浮かべた。
「それはどうかな!」
彼女は迫りくるエカテリーナではなく、ウーノに向けて10本以上の水のレーザーを放った。
それは魔法使いであっても、しばらくは身動きが取れなくなるほど強力な、全力の一撃。か弱い男に当たれば、命を奪うに十分な威力を持っていた。
「……っ!させませんわよ!」
エカテリーナは残りの魔力をかき集めて足に流し込んだ。まだ熱の残る足で行う、雷縮地。それは足の筋肉が引き裂かれそうなほどの痛みが伴う、強行だった。
水のレーザーを追い抜いて、彼女はウーノの下にたどり着いた。
「うお、びっくりした……エカテリーナ!終わった……エカテリーナ?どうし……あっ!?」
ウーノは驚き声をかけるが、足を抑えてうずくまる彼女を見て、心配そうに彼女の肩を叩いた。
そして、気が付いた。月光に照らされて光を乱反射する、複数の水の激流を。肉を削ろうとこちらに殺到する、殺意の塊を。
「……はぁ……はぁ……ウーノっ!」
エカテリーナはウーノを庇うように、覆いかぶさった。
二度目の雷縮地で、足は動かせなかった。逃げ出すことができない以上、せめて自分が少しでも盾になるために。
「あっはっは!」
しかし、彼女の耳に、あの下品な笑い声が響いた。
そうだ、ここでウーノが助かっても、あの女郎を始末しない限り、彼の無事は無い。
わたくしが、ここで決着をつけなければ、この人は……
抱きしめた男の、汗のにおい。ゴツゴツとした、筋肉質の体。こちらを見上げる、黒い瞳。
「渡すものか……渡しませんわよ!ウーノは……わたくしの!」
殺さなくては!守らなくては!今、ここで!
足の筋肉は、二度の雷縮地で破裂寸前。体は傷だらけ、魔力も切れかかってる。
それがなんだ、それがどうした!
わたくしの男は、渡さない!
顔を上げたエカテリーナは、後ろを振り向いた。彼女の目に映るのは、迫りくる水の束。その先に見える、下卑た笑いを浮かべる敵。
ああ、憎い。にくい。ニクイ!
殺す、殺せ、殺させろ!
焼き尽くせ、根絶やせ、ことごとく!
口の中が焼ける。喉の奥底から、何か恐ろしい熱量が、こみ上げてきた。
ああ、懐かしい。8年ぶりだろうか、この熱は。
これがあれば、これを使えば、全て解決する。敵は消える。すべて殺せる。
エカテリーナは、本能の赴くまま口を大きく開け、太陽を吐き出した。




