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新婚6日目、ミーシャは戦場に行った~貞操逆転世界で出征した妻のために夫のすべきこと~  作者: つゆたま
塹壕編

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272日目④

 モグラ魔導戦車への道のり、そして破壊後のトンネルまでの逃走経路が確定した。

 二人が地図を頭に叩き込んで外に出ると、未だ月は雲の向こう側。僅かばかりの星明りだけが、周囲を照らす光源である。

 魔導ランタンもあるが、使うのは本当に必要な時だけだ。真っ暗闇の中では、小さな光源であってもよく目立つ。警備隊のサーチライトの光は遠くを照らしているが、誰が見ているかは分からない。


 そういう訳で、二人は暗い塹壕の中を歩いていた。ウーノは中々目が慣れなくて苦労しているが、エカテリーナはすぐに順応したらしい。


「こっちですわよ」


「ああ……それにしても、本当に塹壕ってジグザグに作られてるんだね。なんか感動しちゃった」


 木杭に覆われた塹壕を歩きつつ、ウーノは感嘆の声を上げた。


 爆風の拡散を防いだり、掃射で一網打尽にされるのを防ぐために、塹壕は直線ではなく、折れ曲がった形状で掘られる。この世界でも、魔導具が榴弾や機関銃の代わりであるせいか、その辺りの戦術的工夫は同じなのだ。

 男らしい物、車やバイクが好きだったウーノは、おなじく男らしさの象徴である戦争というものに興味があった。

 にわかミリオタの彼にとって、戦場は知識でしか知らなかった世界。それを目の当たりにしたことで、若干テンションが上がっていた。


「……感動、ですの?」


 一度塹壕を飛び出して、次の塹壕線まで平地を走らなくてはならない。

 そのような状況で、少しでも身を隠せそうなクレータやらを探していたエカテリーナは、しきりに周囲をキョロキョロしているウーノに首を傾げた。最初は自分と同じように、ルートを探しているのかと思ったが、それにしては首の動きが激しい。


「ん?ああ、いや……その、本当に塹壕って、こうカクカク曲がってるんだな、って。知識としては知っていたけど、実際に見るとなんだか不思議で……あ、あれは鉄条網か……あっちに転がってるのは、もしかして魔導戦車!?」


 こんな時に何を言っているのか。そう自分でも思ってしまうが、『本当の戦場』を知らないウーノにとって、こうした軍事的な構造物は、どこか心惹かれる、男心をくすぐるロマンがあった。

 特に、ただでさえ仕事柄興味のあった魔導戦車を間近で見れて、ウーノは小さく歓声を上げた。先ほどのバンカーから見たモグラも魔導戦車だが、非戦闘用である。やはり実際の戦いで使用される戦闘用の魔導戦車の方が、よりテンションが上がるのだ。


「そうですわよ。あれは、狼型ですわね。小さいですけど、数が多くて厄介でしたわ。他には虎型、熊型なんかもありましてよ」


「おお!そんなのもあるんだ!魔導戦車の鹵獲レポートは読んだけど……ずっと実物を見たいと思ってたんだ!あぁ……中身を見たい!本だけじゃなくて、実際に中身を!魔法を使えるように調整した命令系統とか、脳の構造とかさ!気になるなぁ……」


「ええ、まあ……」


 まさかの食いつきに、エカテリーナは目を白黒させた。一部の男性が魔導車に奇妙な憧憬を抱くことがある、と言うのは知っていた。しかし、戦争の兵器についてまで興味を抱くとは思わなかったのである。

 普通、戦争関連の暴力的な話題は、男は興味がないか、忌避するものだ。そうした軍事知識への興味まで女勝りであるとは、想像していなかった。


「それに、魔導戦車が与えた戦場への影響!あれだよね、魔導戦車の登場で、塹壕を突破する戦力が増大。今までの防衛有利のバランスから、攻撃有利に変わったって。走攻守に秀でた戦車の登場で塹壕の突破が容易になる……どこも流れは変わらないんだなあ」


「あ、それでしたら、わたくしも結構詳しいですわよ。この辺りは春夏は、ぬかるみが多くて、重量のある魔導戦車は進撃が難しかったんですの。だから、春の初戦での敗北の後は、魔導戦車の進軍ルートを絞れるようになって、夏頃は戦線も安定してましたわ。でも、秋冬になってぬかるみが凍り付くと、どこもかしこも魔導戦車が出てくるようになって……」


 最初はちょっと引き気味だったエカテリーナであったが、ウーノが的確な相槌を打つものだから、興が乗って来た。

 普通、男相手にするような話題ではないが、エカテリーナも女であり兵士。軍事面での知識は相応に持っているし、その知識を気になる男性に教えてやる、という状況に気持ちよくなっていた。


「なるほど……重いから、固い地面じゃないと移動が難しいのか。でも足があるから、キャタピラには劣るけど車輪よりは走破性がある感じか……あ、そうそう、夏場は地面もそうだけど、腐敗のリスクもあるから、あまり魔導戦車の活動が無かったのかもね」


「ええ、それもありますわね。だからこそ、夏が終わり秋が来ると、敵の攻勢が強まって何の……って、話してる場合じゃありませんでしたわね」


 キラキラした目に押され、つい語りすぎてしまった。しかし更に深堀しようというところで、ブレーキがかかった。会話を楽しむのは良い。教えることに快感を覚えるのもいい。だが今の状況では、そうするべきでなかった。

 敵に見つからないようにするにはどうすれば良いか。その分析に向けるべき思考リソースを、自分の快楽のために使ってしまったことを反省するエカテリーナであった。


 しかし一方のウーノは、彼女の説明を聞くと、自分の世界に入り込んでしまった。


「冬将軍で補給の悪化で、攻撃は不利になると思ってたけど、この世界では兵器の性質上逆なのか……ああ、でも氷の魔力があれば夏でも、ぬかるみや腐敗の問題は……」


「あー、ウーノ?わたくしも話過ぎてしまいましたけど、今はとりあえず、目の前の問題を解決しませんこと?」


 ブツブツと何か考え事をしているウーノの肩を、エカテリーナは揺すった。


「あ、ごめんごめん……そうだね、今はこんな話してる場合じゃ無かった……本当に、ごめん。えーっと……少し遠回りになるけど、あっちルートはどうかな?距離は少し長くなるけど、ほら、あそこ!小さな丘みたいになってる。身を屈めて歩けば、向こう側の警備隊からは、死角になってると思う」


 ウーノの指さした方角に、エカテリーナは目を凝らした。確かに小高く土が盛り上がっている。匍匐ほふくせずとも、中腰で歩けば警備隊からの視線は遮れるだろう。


「あら、良いアイデアですわね。そのルート、採用ですわよ」


 エカテリーナはウインクをして見せて、塹壕から静かに出た。ウーノもその後を追う。

 さっきまでの盛り上がりを反省して、二人は無言のまま慎重に進む。乾いた冷たい風に鼻がムズムズするが、くしゃみもこらえて歩いていく。


 丘のふちに沿って、静かに、しかし急いで。そうやってもうすぐ丘の陰から再び塹壕へ、というタイミングで、ウーノは何かグニュっとした物を踏みつけバランスを崩した。


「っ……!」


 地面に倒れつつ、何とか声を飲み込んだ。

 冬の戦場跡地は、夜の寒さで半分凍っている。固い地面に、ドサッと音が響いた。


「大丈夫ですの……?」


 心配そうに振り向くエカテリーナに、ウーノは手を振った。


「ごめん、大丈夫……いったい何が……ひっ!」


 小声で返答しつつ、自分の足を取った物が何かと、足元を見た。

 そこにあったのは、人の腕だった。

 野犬にでもかじられたのか、無数の歯形が残る、ところどころ白い骨が露出する腕。

 無残に食い荒らされた中で、苦痛に耐えかねてか強く握りしめられた拳だけが、元の形を維持していた。


 ウーノの視線は、自然と丘に向けられた。

 凍り付いた泥で覆われた、小さな丘。

 今までただの丘だと思っていたそれは、よく見れば、自然な地形の丘にしては、斜面が急に思えた。


 鼻を動かしても、凍てつく冬の夜風は無機質なまでに無臭だった。

 今が冬で良かった。もしもこれが夏であったら、吐いていたかもしれない。

 緊張と恐怖からにじみ出た冷や汗の不快感に顔をしかめながら、ウーノはぼんやりとそんなことを考えた。


 再び、腕に視線を戻す。この山の中に、これと同じものが、眠っているのかと。

 ……いや、待て。犬の歯形は、もっと曲線が曲がっている。このなだらかな半円形の歯形は、まるで人の……


「……ウーノ、こちらに」


 丘の正体に思い当たって、その場に呆然としてしまったウーノの手を、エカテリーナはそっと引いた。

 エカテリーナもまた、ウーノが踏んでしまった手を見たが、彼女は少し目を伏せるだけで、特に動揺はしなかった。


 少し進んだところで、無事に次の塹壕線にたどり着いた。

 エカテリーナはそのまま、ウーノを連れて退避壕、屋根のある個室のようになっている部分に連れ込んだ。


 エカテリーナはすっかり大人しくなってしまったウーノを座らせると、退避壕たいひごうの屋根からコートを吊るして即席のカーテンを作ると、ランタンに明かりをともした。


「はぁ、はぁ……あれは……うっく」


 嘔吐えずこうとする胃をなだめながら、ウーノは靴裏を地面にこすりつけた。

 ぐにゃりとした、冷たい骨付き肉。その生々しい感触が、まだ足に残っているような気がした。


「殿方には、ショッキングな光景でしたわよね。大丈夫、ここは安全ですわ」


 エカテリーナはウーノの真横に座って、大丈夫、大丈夫と、繰り返し語りかけながら、背中をさすった。

 触れ合う太もも、回された手。その柔らかな温かさに、青白い寒さが少し遠のく。


 心が落ち着いてくると、ウーノは急速な気恥ずかしさに襲われた。

 死体を見てしまったからと言って、吐きそうな顔で呆然としていた。それも年下の美しい女性の前で。

 挙句の果て、『これだから男は』と言われて(言ってない)しまったのだ!


 この世界では暴力や戦争を担うのは女性で、男は死体はおろか血も苦手なのが常識である。エカテリーナも決して、死体を見て動揺したウーノを情けないと思って『殿方には~』と言ったわけではない。

 しかし、『男らしくない』『ビビってる』と挑発された結果、飲酒滝壺ダイブをかました過去のあるウーノは、女性に己の弱さを気遣われるのが何よりの屈辱だった。


「……もう大丈夫!さあ、休憩してる場合じゃなし、先を急ごう!」


 潰れた肝を男の意地で取りつくろって、なりそこないの笑顔を浮かべる。そんなウーノに、エカテリーナは困ったように笑った。


「無理しないでくださいまし。そんな顔して、大丈夫なわけありませんわよ。ね、お茶を飲みませんこと?魔導具の水筒に、入れてきましたのよ。これでも飲んで、気を落ち着けて……」


「本当に、大丈夫だから!俺は怖がってなんか無い!馬鹿にしないでくれ!」


 初めて宇宙に行く宇宙飛行士は、無重力環境に体が適応できず、吐いてしまうことが多い。

 しかし、女性宇宙飛行士が同乗している際は、男性宇宙飛行士の嘔吐おうと率は大幅に低下する。男は女の前では、見栄を張りたくなってしまうものなのだ。


 そんな女の前で無理やりにでも見栄を張ってしまう男の典型例であるウーノに、女性の前で弱さを見せるのは受け入れられないことだった。ミーシャの戦死を告げられた際に泣きわめいた、あの時。エカテリーナの前で泣くのは、あれで最後にしようと決めていたのだ。


 積み上げられた死の山と、尊厳への粗雑な扱い。

 人の命が数字に、死体が単なる生ゴミに変わる、戦場のリアルを見て。

 飢えか寒さか、はたまた死の恐怖で狂ったか。生の人肉を喰らうという、その蛮行の残骸を見て。


 嘔吐えずきそうになる腹を抑えながら、冷や汗に震える体を引き締めながら。ウーノは男の意地を総動員して、己を奮い立たせ立ち上がろうとした。


 しかし、男は女に力で勝てないのが、この世界の常識。

 ウーノはどうあってもエカテリーナの手を押しのけられず、そのまま座り込む羽目になった。


「馬鹿になんてしてませんわよ。まったく、意地を張らないでくださいまし。誰だって、最初は動揺するものですわよ。それこそ、ミーシャなんか最初は毎日吐いてましたもの」


「ミーシャちゃんが……」


 力負けした情けなさに唇を噛みながらも、ウーノはエカテリーナの話を聞くために抵抗を止めた。

 彼女はウーノを押さえつけていた手から力を抜いて、荷物から水筒を取り出して渡した。


「ええ、ミーシャったら毎日毎日、顔を青ざめさせて。初めて敵兵を殺した日の夜なんか、一晩中泣いてましたわ」


 ウーノはミーシャと過ごした最後の夜、出征前夜の日のことを思いだした。

 対人戦闘は初めて、配属先の部隊で上手くやれるか不安。そう言いつつも、夫のため、いずれ生まれるであろう二人の子供のために、居場所を作るために、戦争に行ったミーシャ。

 一緒に居られた期間より、離れ離れになってからの方がずっとずっと長いというのに、ウーノはあの日の妻の涙を、忘れずにいた。


「ミーシャちゃんも、見栄っ張りだな……俺にはそのことを、相談してくれなかったよ」


 ウーノは、今の話を知らなかった。

 手紙でもたまに、弱音が伝わってくることがあった。しかし、自分が知っているのはごく一部なのだ。あの日に見た以上の涙を、戦争の中で沢山流したのだろう。

 力になれなかった自分の無力が、たまらなく悔しい。


 だからこそ。今、自分はミーシャが味わった苦しみを、感じているのだ。そう思うと、少しだけこの吐き気と動悸が、愛おしく思えた。

 少し力の抜けたウーノの背を撫でながら、エカテリーナは思い出話をするように目を細めた。


「でも、いつも自分を元気づけるように、言ってましたわ。『勇敢さは“恐れない”ことじゃない。“恐れを越える”ことだ』と。ウーノ、貴方がそう、ミーシャに言ったそうですわね。その言葉を、ちゃんと自分に当てはめてくださいまし」


 自分を臆病だと卑下するミーシャを、励ますつもりで言った言葉。それがまさか自分に返ってくるとは。

 ウーノはその奇妙なめぐりあわせに、少し気持ちが解けた。


「……分かったよ、エカテリーナ。手間を掛けさせてごめん。本当に、もう大丈夫だ。確かに俺は、さっきまで怯えてたけど……もう大丈夫だ」


 女の前で怖がるのは、男として情けない。しかし無理をして強がる方が、よっぽどみっともない。それで耐え切れず途中で心が折れるのは、何よりみじめ極まりない。

 確かに怖い、脈は早まり胃はひっくり返りそうだ。それは認めよう。認めたうえで、立ち上がろう。


 多少はまともな笑顔を作れるようになったウーノを見て。エカテリーナは神妙な顔つきで彼の目を覗き込んだ。


「この先、さっきのより、もっと多くの血を見ることになりますわよ?それだけではありませんわ。命に代えても貴方を守る所存ですけど……わたくしだって無敵ではありませんわ。どんな辛い目にあっても、おかしくありませんの。だからウーノ、もう一度言っておきますわね。わたくしに後を任せて、貴方は村に帰っていても、良いんですのよ?村で帰りを待つのも……大切な役目ですわ」


 エカテリーナの言葉に、ウーノは自分もあの青白い手の持ち主のようになることを想像した。

 爪がはがれ、手足がもげる。生きたまま焼かれ、生きたまま埋められる。それは今まで見てきた戦争映画のような画面の向こう側の出来事ではなく、これから先、自分の身に起きうることだ。


 それはきっと、苦痛に満ちた悲惨な物だろう。想像するだけで、玉が縮み上がる。

 しかし、それ以上に苦痛なことがある。


 ウーノは歯を食いしばり、顔を拭った。その瞳は揺れることなく、紅潮した頬の熱で張り付いていた凍った泥が解け落ちた。


「どれだけ痛めつけられようとも……一人であの家で、ミーシャちゃんの帰りを待つよりは、マシさ」


「ウーノ……」


 慰めるように、以前そうしたように、自分の胸に抱きしめようとするエカテリーナ。しかしウーノは、その抱擁を肩を掴んで押しのけて、拒んだ。

 それは、優しくて強い、母性的なまでのエカテリーナの献身を拒む、自立の決意表明だった。

 エカテリーナの力は強かったが、それでもウーノは、全力でその逃げ道を拒んだ。


 熱いお茶を一飲み。緊張と恐怖で乾いていた喉が潤い、ひっくり返りそうになっていた胃に熱が宿る。

 完全に気力が戻ったウーノは、エカテリーナの目を見て口を開いた。


「手紙の返信が遅れて、何かあったのかな、って不安になったり。秋には終わるって聞いてた戦争が、いつまでも続いたり。待つだけで、確かなことが何一つ分からない状態で、何もできない無力なままでいるのは……耐えられないんだよ。それなら少しでも近づいて、少しでも同じように傷ついた方が、よっぽど楽だ」


 抵抗する腕の力強さに、本気が伝わったのだろう。

 エカテリーナは無理に抱きしめるようなことはせず、少し長く目をつむると、抱きしめようと回していた手を戻した。

 代わりに彼女は、ウーノの手をしっかりと握りしめる。


「分かりましたわ。でも、一つだけ訂正させてくださいまし。先ほどは、『わたくしだって無敵では無い』と言いましたけど……わたくし、最強ですの。だから、ウーノ、貴方が傷つくことはありませんわ、絶対に」


 力強く笑うエカテリーナ。彼女は勢いよく立ち上がり、ウーノを引っ張り上げた。

 毎度毎度、エカテリーナに引っ張ってもらってしまうことに情けなさを感じながらも。ウーノは確かな足取りで立ち上がった。


 確かな足取りではあったが、エカテリーナの引く力が思いのほか強く、ウーノは彼女に抱き着くように寄りかかってしまった。金髪の赤くやわらかな毛先が、彼の鼻をくすぐった。

 しかしそれは、エカテリーナにしても同じことだった。女性としては身長の高いエカテリーナは、旅用ブーツを履くとだいたいウーノと身長が同じくらいになる。つまり彼女の鼻先にも、ウーノの首筋が差し出されたのだ。

 恐怖により冷や汗をかいた、ウーノの首筋が。


「スーハ―スーハ―……それでは、クンカクンカ……急いで魔導車のところに……おっほ、雄の匂い……」


「……あれ、俺、今、貞操の危機だったりする?」


 首筋に当たる鼻息にモゾモゾしながらウーノが言うと、エカテリーナは慌てて彼を離した。


「な、何でもありませんわよ!かっこつけたウーノが意地らしくて可愛いと思ったりしてませんわよ!汗のにおいがかぐわしいとか、思っていませんわよ!」


「全部言っちゃってる!」


「え!?ちょ、声に出てましたの!?タンマですわ!」


 心の声が駄々洩れのエカテリーナに、先ほどまでの真面目な空気が台無しにされてしまった。そう、この世界では性欲が絡んでIQが下がるのは、女の側なのだ。


 ウーノのような態度は、男のくせに生意気、と思われることもあるが、恋は盲目でエカテリーナからすると『男のくせに生意気♡』『強がっちゃって♡』になる。まあ実際、男の筋肉がセックスアピールになる理由が、『力で勝てないの分かってるのに鍛えちゃって可愛い♡』であるように、男の努力をいじらしくて健気とする風潮はある。エカテリーナの性癖もそこまでおかしくは無いのだ。匂いフェチも、まあ、うん。


 赤らめた頬を押さえつける、凛々しく高貴で、肉食獣な女騎士。そんな彼女に、ウーノは冗談交じりで提案した。


「まあ、エカテリーナには世話になるわけだし……刻印が反応しない範囲でなら、何でもするよ。何でも言ってくれ」


「何でも!?今、何でもって言いましたわよね!?」


 その反応に、エカテリーナが想定する『何でも』がだいぶ広いことに、ウーノは気が付いた。


「……あ、そうか。いや、うん、言ったよ、何でも」


「何でも……は、はんはえておきますわ!」


 想像だけで鼻血が出たのか、エカテリーナは鼻をつまんだ。


 いつも通りの緩い雰囲気に戻りつつ。ウーノは立ち上がって、エカテリーナと共に退避壕を出た。

 出た途端、寒い風が吹き抜けて、思わず縮こまりそうになる。しかし、立ち止まってはいられない。まだまだ先は、長いのだから。


 静かにふざけつつ、二人は月明りの中、塹壕を進んでいった。

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