271日目④
ナジンカと別れを告げた後、エカテリーナとウーノは明日の行動について作戦会議をしていた。
「さてと、ウーノ。ポツカでのわたくしたちの身分について、お話がありますの。まず、わたくしとウーノのポツカでの立場ですわね。ウーノはポツカの故郷に戻る途中、そしてわたくしは、『夫』のポツカ行きに同行する、外交武官という身分になりますわよ。つまり、『夫婦』という仮初の関係を、演じることになりますわね」
先ほどの涙と一緒に、下心が流れ出たエカテリーナは、真面目な顔をしていた。『夫婦』、と口にするときにも、照れも恥じらいもない。
「分かった。じゃあ、ポツカで自然な態度がとれるように、明日はデートの練習も兼ねて……ど、どうしたの?」
ウーノが『デート』と口にしたとき、エカテリーナは自分の頭に電撃を放った。美しい金髪が少し焦げている。
「何でもありませんわよ、気にしないでくださいまし。そうですわね、明日はデートですわね。それと、夫婦だと怪しまれないように、わたくしも刻印『貞淑な淫紋』を刻もうと思いますわ。何かあった時、ウーノにだけ刻印があって、わたくしに刻印が無かったら、不自然ですもの」
エカテリーナの提案に、ウーノは首を傾げた。
魔石を破壊してミーシャとの刻印を消せなくなった以上、ウーノはエカテリーナとの刻印を結べない。どうするというのだろう。
「刻印って、男女セットでやるものじゃないの?」
ウーノの疑問に、エカテリーナは頷いて見せた。
「ええ、普通はセットでやるものですわよ。ですけど、強く願い結べば、可能ですの。わたくしだけでも、ウーノへの刻印を刻めますのよ。もちろん、貴方に追加の刻印は無いので、ミーシャとも触れ合えなくなる、ということはありませんわよ、安心してくださいまし。ああでも、わたくしと触れてしまうとウーノの刻印が発動しますので、依然として注意は必要ですわね」
エカテリーナは何でもないことのように言ったが、ウーノはそれがどれほど重たい枷になるか、理解していた。
「……でも、それだと、エカテリーナが損するだけと言うか……君の人生の選択肢が、狭まるだけじゃないかな?」
「あら、わたくし修道騎士ですわよ?どのみち処女で居続けなければならない運命。刻印を、『貞淑な淫紋』を刻んだところで、別に何も変わりませんわよ」
あっけらかんと言うエカテリーナに、ウーノは頭を下げるしか無かった。
エカテリーナをプレイガールだと勘違いしているウーノは、自身の身を犠牲に自分に寄り添ってくれるエカテリーナに、ただただ感謝する他なかった。
男性の裸、もとい自分の裸体を見て鼻血を出したり、一瞬だけ見た自分のヌード写真を脳に焼き付けてオカズにしているなど、処女臭さはいくらでもあるのに、ウーノは誤解していた。距離感の近さ、そしてエカテリーナのモテ要素に、彼女は非処女であろうと。
そしてその誤解は解かれぬまま、二人は会話を続けた。
「ごめん。この旅が終わったら……いや、いざと言う時のために、解除用の髪の毛、儀式の後すぐに作るよ。魔力を髪に込めればいいんだっけ?魔力はどうやって操れば良いの?」
「いりませんわ。いざと言う時、なんて来ませんもの」
「え?い、いや、そうは言っても、君は一生刻印が……」
「オホホ、ウーノは先ほど、もしもミーシャを救えなかったら、一生刻印を背負って生きていくとおっしゃいましたわね。それと同じですわよ。大丈夫、わたくしが貴方を守りますもの。何も心配はいりませんわ」
ウーノはエカテリーナを、眩しそうに見た。
何て献身だろうか。ミーシャとの友情、あるいは自分への性欲、そして修道騎士としての矜持。何が彼女をそこまで律しているか、正解は分からない。ただただ、ウーノはエカテリーナの心意気に、輝きを見た。
「ありがとう。本当に、申し訳ない。なんてお返しをしたらいいか……」
「もう、そんなこと気にしないでくださいまし。さてと、それじゃ、明日は儀式をしてから、部隊の仲間の中で、口が堅いのに何人か、援助をお願いする、って感じで良いですわね。ナジンカも気前よく、宝飾品を二つも下さいましたし、恐らく十分な額が集まりますわよ。それで、午後過ぎに、魔導車に乗ってゾーヤさんとの合流地点に、向かうといたしましょう」
「ああ、分かった。じゃあ、明日に備えて、寝ようか……あ、ごめん、お金節約しないと、って思ってダブルベットにしたんだけど……嫌だったら、俺はソファで寝るから……ちょ、だ、大丈夫?」
そろそろ寝よう、そう話している途中で、エカテリーナは再び雷で己の頭を焼いた。
「ええ、気にしないでくださいまし。というか、わたくしは気にしませんわよ。でも、ウーノは良いんですの?わたくしの方がソファで寝ますわよ」
「いや、エカテリーナが気にしないなら、同じベットで寝よう。これからは夫婦を演じるんだ。お金の節約もだけど、ダブルベットの部屋を選ばないと不自然になっちゃうし、今の内から慣れておいた方が良い……ねえ、本当に、大丈夫?」
これで3度目。エカテリーナは自分の頭に雷を撃った。
「気にしないでいいですわよ、本当に。合理的な判断ですわね、では、お休みなさいませ」
「ああ、お休み」
そう言って、二人は大きなダブルベット、同じベットに寝転んで、目を閉じた。
夜の間中、バチ!バチ!と、何度か電撃が走った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
これは、夢だ。直ぐに気が付いた。だって、いなくなったはずの、お母さんがいるから。
「やっと、完成しましたね」
森の中の丸太小屋。街から街へ、村から村。時には荒野でテントを張って、お母さんと二人っきりで生活してきた。
だからこそ、初めての自分の家に、この時の私はとても興奮した。
「お母さん、これからはここで暮らすんですね!?」
小さくジャンプして、お母さんの腕を振り回す。この後のことは、よく覚えてる。はしゃぐ私に、お母さんはとんでもないことを言うのだ。
「そうですよ。もっとも、お前だけで、ですが」
「え?ど、どういうことですか?」
「私は流れ水として、東に旅を続けます。しかし、東の山脈は、幼いお前には過酷すぎる……お前は貯め水として、この地に留まりなさい」
「え?どういう……?えぇ?」
困惑する私に、お母さんは私の腕を振りほどいて、森の奥へと去っていく。
「ミーシャ、どうか達者に!川の流れが、お前を祝福してくださるように!」
目が覚めた。いや、目は無いから、覚めるも何も無いか。
じんわりと、体が温かくなるのを感じる。誰かが回復魔法をかけてるみたい。何かを言ってるのか、耳が震えるけど、鼓膜が破れて何も聞こえない。
ああ、止めて欲しいなぁ。そう言いたいけど、声も出ない。振り払おうにも、腕も無いし、足も無い。
禁術『狂わしい飴の穢土』を受けてしまった。直撃こそしなかったけど、その余波を受けてしまって。勝手に増えて行くガラスが、私の皮膚を覆い始めた。
戦線に復帰するために回復魔法を体にかけ続けて、なんとか小康状態になったときには、私には手足も、声も光も音も、消えていた。
戦争は、終わったらしい。物言わぬガラス塗れであろう私は、誰かに運ばれて、誰かの世話を受けていた。
でも、緊張感の切れた私は、命に執着できなくなっていた。
だって、私はもう、必要ないから。
もうエカテリーナさんは、ウーノさんに会ったかな?
もう二人は、一緒に幸せになってくれたかな?
生きる気力も無く、でも自分で死ぬこともできず。
ぼんやりと、暗闇の中。私は再び、考えるのを止めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、エカテリーナと共に、ウーノは儀式を終えた。エカテリーナの下腹部には、彼がしているのと同様の刻印が刻まれた。
「……なんというか、もっと何か、劇的に変わるものだと思っていましたわよ」
その後に、昨日と同じ、スーツと礼装軍服の正装の姿で、エカテリーナの戦友に挨拶周り兼カンパを募っている道中。公園の椅子に座って二人で軽食を食べていると、ふとエカテリーナがこぼした。
サンドイッチを包んでいた古新聞の記事、『スーラフ人民国でキメラ魔導車が製造開始、新時代の予感』という見出しに心惹かれていたウーノは、一度それを膝上に置いた。
「ああ、ちょっと痛いだけで、何か特別なことが起きる訳じゃないからね。俺も刻印を受けた時は、他の女性と二度と肌を触れ合ってはいけない、って言われて、すごく困惑したけど……こう、愛とか使命感とかが、湧き上がってくるようなことは無かったな。心からちゃんと刻印を受け入れられたのは、その後、ミーシャちゃんと話し合ってからだし」
「ああ、知ってますわよ、その話。ミーシャったら、ろくに説明せず、ウーノに儀式を受けさせたんですのよね」
その話をミーシャから聞いた時を思い出したのか、エカテリーナはクスクスと小さく笑った。
「そうなんだよ。基本的に、ミーシャちゃん暴走しがちというか、なんと言うか……初めての時も、押し倒されてだったしさ。まあ、あれは俺が悪かったと思うけど」
ウーノはそう言って、頬を掻いた。この世界に来た初日の、ミーシャへの自分の言動は、今思い出しても恥ずかしい。
この世界の価値観に慣れてきた今思えば、ミーシャはよく我慢した方かもしれない。ウーノは苦笑した。
「……でも、そのことをミーシャは、ずっと気にしてましたの。特に戦争が終わる直前の頃は……『力づくで襲われて、好きでもない女と結婚させられて。他に好きな人ができたんじゃないか』って」
エカテリーナは笑顔を引っ込めて、遠くを見つめるようにして言った。
ウーノはその横顔を見て、唇を尖らせた。
「……そんなこと、言ってたんだね……確かに、強引に押し倒されて始まった関係だし、刻印も不意打ちで刻んじゃったけど……俺、本当に、ミーシャちゃんを愛してるんだ。刻印だって、刻まれたこと、後悔してない……だけど、ミーシャちゃんには、それが伝わってなかったのかな。まあ、一緒に居られた時間は、結婚前夜も含めて、7日しかいられなかったけどさ……本当に、愛してたんだ……」
たった6日間の新婚生活。しかし、人生で最も幸せで、濃密な6日間だった。
過ぎ去った日々を思い出して、ウーノは胸の中が暖かくなった。しかし、横にいるのがミーシャでは無い、という現実が、どうしようもなく重かった。
気を紛らわせるように、残りのサンドイッチを一息で飲み込む。
よく噛んで、嚥下する。役目の終わった包装紙代わりの新聞記事を、ゴミ箱に投げ入れたところで、まだ記事をちゃんと読んでいなかったことに気が付いた。
拾ってちょっと読もうか。そんな風に考えたその時、少し強い風が吹いた。今は冬真っただ中。ちゃんと着込んでいても、風が吹くと寒い。
ウーノが首をすくめて縮こまると、バサリと重い何かが被せられた。エカテリーナが自分の着ていた、トレンチコートを彼に与えたのだ。
「ふふ……こんなに愛してもらっておいて、ミーシャも贅沢な女ですわね……わたくしだったら……いえ、何でもありませんわ。さあ、後2家、回るとしますわよ!」
エカテリーナは勢いよく立ち上がった。
それに続けて、ウーノも席を立った。掛けてもらったコートを脱いで、エカテリーナに渡そうとした。
「ああ。コート、ありがとう。もう大丈夫だよ」
「あら、良いですのよ?わたくしは寒いの慣れていますもの」
そう言ってエカテリーナは受け取らずにいたが、ウーノは強引に、軍服の上からエカテリーナにコートを被せた。
「いや、エカテリーナが着てよ。その軍服、スカート丈短いでしょ?寒そうだし、それに……他の男に、君の肌を見せたくないから……はは、どう?夫らしい言葉で……ちょ、どうしたの本当に!?」
再び頭に雷撃を放ったエカテリーナに、ウーノは困惑するのだった。




