271日目②
「いらっしゃいませ、お客様。お一人様でしょうか?」
「あ、いえ。もう一人連れが……俺はウーノです。エカテリーナと言う連れが、後で」
ウーノはエカテリーナに連れられたホテルで、受付をしていた。
エカテリーナのような魔法使い兵の尉官がよく使うというこのホテルは、カチッとした印象を受ける。
そして首都は村よりは多少は進歩的なのか、受付は男性だった。
「かしこまりました。ご家族様のご利用でしょうか?同室であれば、ダブルベッド、ツインベッドの2種類がございます」
「えーっと……料金は……ああ、ダブルの方が安いのか……じゃあ、ダブルで」
ダブルベッドは二人用の大きなベッド。ツインベッドはベッドが二つの構成だ。
ウーノはこれからの旅を考えた。ポツカ領内に行けば、ミーシャの身代金のために、本格的な節制生活が必要だろう。
そう考えると、今の内から少しでも節約に慣れる、つまりダブルベッドの環境に慣れた方が良いだろう。
そんな合理的な判断からウーノはダブルベッドを選択した。
案内された103号室に入り、ウーノは上着をハンガーにかけ、ベルトを緩めた。
小さな窓が付いた、ベッドとクローゼットがあるだけの一番安い部屋。寒いラシスカ特有の小型魔導暖炉だけが、ちょっとしたおしゃれ要素である。
「ふう……エカテリーナも優しいな、貴族なのに、呼び捨てでいいなんて……男なんて選り取り見取りだろうに、俺のために親切にしてくれて……そういえば、エカテリーナは18歳って言ってたっけ。……情けない、俺、また年下の女の子に泣きついてたのか……」
ミーシャの訃報を聞いて、泣いてしまった時、ウーノはエカテリーナの胸の中で涙したことを思いだして、恥ずかしく思った。
しかし、先ほどはどうしてあのような行動を取ったのだろう。ウーノは首を傾げた。
今まで、寄り添い慰め、励ましてくれる、優しさと気品、勢いと強さが同居した、『いい女』であった彼女が、なぜあんな、激しめなボディタッチを……あれではまるで、自分を性的に見ているような……
「いや、無い無い……どんな相手だろうと口説き落とせるだろうに、エカテリーナさ……エカテリーナは……よりによって俺を……いや、待てよ……?」
自惚れるな、そう自分に言い聞かせようとしていたところで、ウーノはすっかり忘れていた事実を思い出した。
そう、確か、エカテリーナは自分のヌード写真をオカズに……
「……え、マジ?俺、襲われそうだったの?こ、困るなあ……」
ウーノはにやけそうになる頬を抑えながら、大きな独り言を吐いた。
思い返せば現代日本でも、どんなイケメンであっても、高い社会的地位にある男でも、一時の衝動に身を任せ大きな過ちを犯すケースは、沢山あった。そしてこの世界では、その過ちは女性が犯すものだ。
性欲は、人を狂わせる。エカテリーナも、狂ってしまったのかもしれない。
そしてウーノは、エカテリーナから『そういう目』で見られていることが……嫌ではなかった。
この世界に来て、まだ1年も経っていないウーノ。彼の中には未だに、『自分を好きになってくれる女の子が好き』という男子校マインドが残っていた。
「やばいな、ダブルベッドの部屋にしちゃった……でも、エカテリーナなら……」
タチアナは、最愛のミーシャを傷つけた。その事実が先立って、狂気的な愛と情欲を向けられても、ウーノはその愛を嬉しいとは思えず、受け入れることができなかった。妹のように思っていたので、女性として意識していなかったのもある。
しかしエカテリーナはミーシャのただ一人の『友達』であり、ミーシャの訃報に泣き崩れた自分を支えてくれた女性だ。わずか数日であっても、ウーノにとってエカテリーナは、大きな存在になっていた。
そんな彼女から。美しく強く気高い、この世界で『強者女性』と定義される美女から、『男として意識される』というのは……心地よかった。
男なんて選び放題の恋愛経験豊富であろう女性から、男として意識されるのは、なんとも雄のプライドが刺激されるものだ。
アモリア純潔処女修道騎士団。純愛過激派の宗派のエカテリーナが所属する組織は、団員に生涯処女であることを求める。ウーノもそれは道中のエカテリーナの説明で知っていたが、そんなものは方便だと、勘違いしていた。
実際にはエカテリーナは宗教上、恋愛小説の描写以上には男を知らないわけだが……宗教的美徳である禁欲を、聖職者が如何に軽く破るか知っている現代っ子のウーノは、エカテリーナのことを誤解していた。
女性の方が性欲が強い貞操逆転世界で、美人でスタイルも抜群、軍人で勇気も度胸もあるモテ要素をコンプリートしているであろうエカテリーナが、処女なわけないと。
自分に対して距離感の近いエカテリーナは、経験豊富なプレイボーイならぬプレイガールだと、誤った認識を持っていた。
「ちょっとなあ……どうしようかな……イテッ……」
浮ついた気持ちで大きなダブルベッドに寝転んだところ、彼は首元にチクチクとした感触を感じた。
「ん……ああ、ミーシャちゃんの……」
ウーノが首元に触れると、そこには小さな首掛け袋があった。お守り代わりにミーシャの髪を入れていたのだが、口紐が緩んで毛先が飛び出していた。
何と無しにそのまとめられた黒髪を取り出し、眺める。ふわりと揺れると、まだ微かに、愛しい妻の残り香が感じられた。
今はまだ、昼過ぎ時。日は天頂を過ぎたが、まだまだ夕暮れには遠い。そんな時間にホテルの部屋に籠っている客は少ないのか、時々聞こえる物音を除けば、静かなものだ。
そんな中で、ウーノはベッドに寝転がりながら、耳鳴りが聞こえて来た。横たわっているまま、深い穴に落ちていくような、体が沈み込んでいくような錯覚に陥った。
「……何、期待してたんだろう、俺……ミーシャちゃんが、今どれだけ、辛い思いをしてるか、考えもせずに……ミーシャちゃんを助ける、って息巻いてたのに、他の女に鼻の下、伸ばして……」
流されやすい自分への罪悪感や失望。そんな感情が、ウーノの体を鉛のように重くさせ、ベッドの中に埋め込んだ。
脳内で再生される、たった6日間の、しかしかけがえのない幸せな日々。最後、ミーシャと別れる前夜の彼女の涙を思い出した時、彼の体は跳ね起きた。
無力で、そして不誠実ですらある、自分への怒り。熱く燃える負の感情が、冷たくなっていた彼の体に火をくべた。
妻と離れ離れ、溜まる物もある。時には気が迷うことも、あるかもしれない。少しくらい、他の女性に目が行ってしまっても、仕方がない。
しかし、今の自分の使命は、ミーシャの救出だ。そのことを念頭に、置くべきなのだ。
ウーノは、一つの決断をした。
「……うん、これはもう、いらないな」
「はぁ~……マジでどんな顔して会えばいいんですの……?」
「大尉、私は暇じゃないんですぞ?分かっていますかな?」
エカテリーナはナジンカを連れて、ホテルに来ていた。
さっきのやり取りで、ウーノに合わせる顔がなくなったエカテリーナが、仲介人を欲した結果だった。
ウーノとは夕食時、ラウンジで待ち合わせの予定だ。
ナジンカは文句を言いつつも、修道騎士を惑わせる人夫がどんな存在か興味があり、ついでに宝飾品を渡すために、付いてきたのだった。
「そんなこと言って、なんだかんだ付いてくるあたり、ナジンカも人が悪いですわね……失礼、一人で泊まりたいのですけど、よろしいかしら?エカテリーナと言う名前で……」
受付の男性はその言葉を聞いて、手を叩いた。
「ああ、それでしたら、男房様がすでに、ダブルベッドのお部屋に宿泊されています」
「男房様……?」
「あ、申し訳ございません。早とちりでしょうか……ウーノ様なのですが……」
その言葉を聞いて、エカテリーナはナジンカに泣きついた。
「ど、ど、どエロイ……こほん、どエライことですわよ!?わたくし誘われてるんですの!?ダブルベッドで同室ですのよ!?」
「落ち着いてくだされ、大尉……ウーノ殿は『貞淑な淫紋』を刻まれているのでしょう?ありえませんぞ」
その言葉に、エカテリーナは何とか正気を取り戻した。
「そ、そうですわね……わたくしとしたことが……でもダブルベッドで同衾って……コホン、ええ、間違いありませんわね。どちらの部屋ですの?」
「103号室になります」
そうして二人は、おっかなびっくりした足取りで、103号室に歩いて行った。
扉の前にたどり着くと、ジュージューという何か水が蒸発するような音が聞こえて来た。扉の隙間からは、戦場で散々嗅いだ人体が焼ける臭いが、漂っていた。
「な、何をされてるんですの……?失礼、ウーノ、エカテリーナですわよ!」
エカテリーナがそう言って扉をノックすると、中からドタドタと音がした。
「ああ、ちょっと待って!……大丈夫!」
ナジンカとエカテリーナが顔を見合わせつつ、扉を開けると、額に汗を垂らして、シャツを着崩した格好のウーノがいた。
扉を開けた瞬間に、ムワッと蒸気があふれ出た。
「戻りましたわよ……ドエッッ!?!?!!?」
「……おっと、失礼」
その格好に、エカテリーナは嬌声を上げ、ナジンカは後ろを振り向いた。許嫁がいる分、ナジンカの方が淑女的である。
ウーノは上半身裸で女性の前に出ることがいけないことだと、学習はしていた。しかし、彼の対応はまだまだ不十分だった。
ベルトが外れ、ズボンが腰パンになっており、シャツも慌てて羽織ったのか、ところどころボタンが外れて、ちらりと肌が見えている。
汗に濡れて肌が透けるその格好は、まだまだ、『誘っている』と思われてもおかしくない。
「あ、お客さん?やだなエカテリーナ、君だけだと思ってたから、油断しちゃったよ。ごめんなさい、えーっと、エカテリーナの……友達ですか?見苦しい物を見せてしまい、申し訳ない……もう大丈夫ですよ」
ウーノはエカテリーナの目の前で、シャツのボタンを開け、止めなおした。その光景をガン見しながら、エカテリーナは鼻を抑えていた。
「いやはや、こちらこそ失礼……大尉?大尉、何を呆けて……」
「ナジンカ、これが、これがウーノですのよ……わたくしの懸念、分かってくださいまし」
「まあ、はい……」
エカテリーナはナジンカの肩を掴んで小声で言った。
確かに、『油断しちゃった』と、貴女の前だからこんな格好をしているんです、貴女の前だけですよ、と。どうにも女の性欲、そして独占欲をくすぐるのが上手い。ナジンカも納得して、コクコクと頷いた。
かつて殺し合い寸前まで発展した女同士だとは思えないほど、二人の意見は一致していた。
この男、ドスケベすぎる、と。
「……コホン、ウーノ。女は皆、狼ですのよ、よろしくて?そのように無防備だと、ぱくりと食べられてしまいますのよ、性的に」
「大尉、もう少し表現を……」
「あー、前にもミーシャちゃんに、似たようなこと言われたな。気を付けてるつもりなんだけど……」
ナジンカは驚愕した。まず、人夫にするにはデリカシーの無いエカテリーナの言葉に、ウーノが何一つ嫌な顔をしないこと。そして、この無防備さでも注意している方である、と言うことに。なるほど、これは確かに、驚くべき大淫夫かもしれない。
「……ま、まあ?わたくしは淑女なので、いくら貴方が無防備でも?一向に構いませんわよ?ところで、何か音が聞こえてましたわね、何をしてましたの?」
「下心見えてますぞ、大尉」
呆れ顔のナジンカにも気を留めず、エカテリーナは鼻の穴を膨らませていた。
「ああ……暖炉で髪を燃やしてたんだ。ミーシャちゃんから送られてきた、形見の……いや、想い出代わりの。ミーシャちゃん、これで刻印消せなんて、言ってたらしいけど……助けに行くんだから、そんな物必要ないしね」
ウーノはそう言って、魔導暖炉の方を見た。
ミーシャの魔力、風と水の魔力がふんだんに含まれた髪は、火にあぶられて水滴を垂らしてジュージューと音を立てていた。
そのせいで室内はちょっとしたサウナ状態になっていたようだ。小さな窓では換気も限界がある。
「……い、いいんですかな?まだソーヤー少佐を、助けられる保証はないというのに。それを燃やしたら、貴殿は二度と……」
鼻の穴を膨らませた卑しい表情のまま呆然とするエカテリーナに代わって、ナジンカは問いかけた。
彼女もまたことのあらましを、エカテリーナから聞いていた。だからこそ、髪を燃やす意味を理解している。妻がいない状況で刻印を消す手段を自ら無くすことが、どれだけ重大なことか。
しかしウーノは何の気後れもない様子で、笑って頷いた。
「はは、俺、弱いから……こうでもして無理やりにでも制限掛けないと、きっと道を踏み外すと思うんです。今の時点で、もう危なかったし……でも、やっぱり俺には、ミーシャちゃんしかいないから、他の女の人と二度と愛し合えなくなっても……もしもミーシャちゃんを助けられなかったとしたら、彼女への貞操を胸に、生きていきます。それがせめてもの、ミーシャちゃんを助けられなかった、無力な自分への、戒めと……償いです」
ナジンカもエカテリーナ同様に言葉を失った。二人は以前、目の前の男性の笑顔と同じものを見たことがあった。それはかつて、これから死地に赴く時にミーシャの見せた、愛する人への悲壮な覚悟が詰まった美しい笑顔だった。
その笑顔を前に、エカテリーナは先ほど道を外しかけていた自分を、心から恥じた。自然と、ツッーっと一筋の涙が流れ出る。その涙には煩悩やら下心やら、色々な雑念が混じっていた。
そして涙をぬぐった彼女の瞳の中には、ただ純粋な、サラサラと流れ落ちる砂時計の白い砂のような、そんな静謐な光が宿っていた。
「……わたくし、貴方の中に、真の純愛を見ましたわ。必ず、貴方の刻印を汚さぬまま、ミーシャとの再会を、果たさせて見せますわね。貴方の騎士として、剣として、盾として……友として」
エカテリーナは改めて、己が神アモリアと、ウーノに向けて宣言した。




