265日目③
「ミーシャちゃんは、友達がいないって言うと、すごく早口で怒るんです」
「ああ、わたくしも、覚えがありますわよ。ふふ、あの子ったら、普段は大人しいのに、変なところで見栄っ張りで……」
泣きつかれて落ち着いたウーノを、エカテリーナはソファへと運んだ。
今二人は、共通の大切な故人、ミーシャの思い出話を、ソファの上で寄り添って座りながら、話していた。
「それに、巨乳にコンプレックスがあるみたいで……俺がちょっと、他の女の人の胸に視線をやると、すぐに怒って……」
「確かに良くぼやいてましたわね。わたくしが、胸なんてあっても肩が凝るだけ、っていうと、じゃあくださいよって言って、わたくしの胸にビンタして……本当に、普段は大人しくて控えめな性格なのに」
「そうそう、たまに見栄っ張りで、調子に乗りやすくて!手紙の冒頭にも、エカテリーナさんは巨乳だからって……手紙……でも……」
弾んだ声で話していたウーノは、手紙の内容を思い出して、落ち込んでしまった。
再び涙をためた彼の目元を、エカテリーナはすっと拭った。
「……本当に、ミーシャは罪な女ですわね。貴方のような素晴らしい男性に、こんなに愛されて……そのくせ、自分じゃ幸せにできない、なんて……」
エカテリーナが寂し気に微笑むと、ウーノは沈痛な面持ちで呟いた。
「俺は……ミーシャちゃんに、幸せにして欲しい、なんて言ってないんです……思ったこともない……俺はむしろ、ミーシャちゃんを幸せにしたいって、守りたいって……力不足でしたけど……」
「……ウーノさんは、強くて、優しくて……気高い方ですのね。ミーシャがベタ惚れしてたのも、納得ですわ。それに、不安になっていたのも……こんなに素敵な男性を、周りが放っておくはずが、ありませんもの……」
エカテリーナは、ロンググローブで包まれた手で、ウーノの手を握った。二人とも手袋をしているのに、不思議と互いの温度が伝わるように、じんわりとした温もりを感じた。
「はは……ミーシャちゃん、嫉妬深くて……刻印するとき、『貞淑な淫紋』を刻むとき、俺にろくに説明せずに、儀式を行ったんですよ?まあ、結局、俺もミーシャちゃんのこと、愛してるから良かったんですけど……あれ、刻印……?」
ウーノはハタと気が付いて、立ち上がった。彼は刻印を刻んだ時に受けた、神官からの説明を思い出したのだ。
「ウーノさん?どうしたんですの?……ちょ、どうしたんですの!?あ、危ないですわよ!?わたくしも女、そんな風に肌を露出しては……!?」
立ち上がったウーノはそのままベルトを外し、シャツをめくりあげた。エカテリーナはそんな大胆な行動に、再び直視してしまったセクシーなへそを見て鼻血を噴き出した。
ポタポタと鮮血を滴らせる彼女を気にせず、ウーノは下腹部をエカテリーナに見せた。
そこには、刻んだ当時と同じまま、少しも広がらず、黒々としたままの『貞淑な淫紋』があった。
「こ、刻印!ミーシャちゃんが死んだなら……刻印は白くなるはず、なのに……!」
その言葉に、エカテリーナもハッとして立ち上がった。鼻血は止まった。
「そ、そうですわ!夫婦のうち、どちらかが先立つと、刻印は白く変色する……!で、ですけど、ウーノさんのそれは、黒いまま……!つ、つまり!」
純愛過激派の修道騎士のエカテリーナも、刻印のことは良く知っていた。
「ミーシャちゃんは、生きてるっ……!」
二人は顔を見合わせて、喜び抱き合った。
「ミーシャが生きている、それは間違いありませんわね……捕虜にでも、なっているのかしら?まったく、帰ってきたらお説教ですわよ!」
「そうですね……こんな、こんな手紙書いて……心配させて……いっぱい怒って……いっぱい、抱きしめて……」
二人は抱き合ってジャンプしていた。そして一通り喜びの感情表現の爆発が落ち着くと、ソファに座って、これからのことを語り合った。
「わたくしは、首都に行って色々調べてみようと思いますわ。きっと、解放交渉中の捕虜のリストなんかが、あるはずですの。まずはそれを確認してきますわ。それでなるべくミーシャが早く帰ってこれるように、手を打ってきますわね」
「ありがとうございます!俺は……俺は何をしたらいいでしょう?」
自分を指さして首をかしげるウーノに、エカテリーナは微笑んだ。
「あら、ウーノさんには一番大事な役目、ミーシャの帰還祝いの準備がありますわよ」
「……で、でも!俺も何か、ミーシャちゃんが早く帰ってこれるように、何か……!」
「今は、待つことが……ああ、そんな顔なさらないでくださいまし!」
待つことしかできない。再び無力さを突きつけられたウーノは、眉を寄せて泣き出す寸前のような顔をしていた。
エカテリーナは慌ててウーノの手を取ると、努めて明るい声で語った。
「お、俺……やっぱり、何も……また、何もできないで……!」
「もう!違いますわよ!いいですの?ミーシャはすっごく、気まずい顔して帰ってきますわよ、絶対。だから、ウーノさんは……そうですわね、怒ったり、お説教は後回しで、まずはミーシャを暖かく、出迎えてあげてくださいまし。そのために、家を飾ったり、食事を用意したり……色々、準備がありますわよ、ね?」
エカテリーナの慰めに、ウーノは未だに暗い顔をしていたが、それでもミーシャが生きている、帰ってくる、というのは嬉しいことだ。とびきりの笑顔で、帰宅を祝ってあげよう。そう気持ちを切り替えたウーノは、無理やりにでも笑顔を浮かべて、頷いた。
「分かりました。エカテリーナさん、何から何まで、すみません。どうか妻を……ミーシャちゃんを、よろしくお願いします!」
「おほほ、任せてくださいまし!」
ドンと大きな胸を叩いて、エカテリーナは頼もしく笑った。
エカテリーナが去ったドアを眺めながら、ウーノはかつてミーシャに言われた言葉を思い出していた。
『もしも私が困ったり、弱ってたら……ウーノさんが、私を助けてください!守ってください!』
女性が男性に頼るという、『女性らしくない』情けない言葉。見栄や意地を張らず、自分のために言ってくれた、大切な言葉。
もしも、エカテリーナが上手くいかなかったとしたら。
『女子供を守るのが男の役目だ』
忘れかけていた、父の教え。この世界では、無謀な考え。
それを、今度こそ実践すべき時ではないか?
ウーノの中で、小さな火がくすぶっていた。
寒々しい針葉樹の森の細道。しかし、来た時とは打って変わって、エカテリーナは明るい気分で道を歩いていた。
来た時は、訃報を届けるため。しかし行く今は、吉報を見つけるため。
それだけに、エカテリーナの足取りは軽く、カバンをブンブンと振り回して、鼻歌にスキップまでして、森を歩いていた。
しかし不意に、エカテリーナは立ち止まった。先ほどまでの浮かれポンチ具合は鳴りを潜めて、エカテリーナ大尉として、戦場を蹂躙した古強者の眼光で森を睨んだ。
「……出てきてくださいまし。発情した雌は、隠れていても臭いで分かりますのよ?」
斜め正面の木の上、冬であっても葉が青々と茂る針葉樹の上を見て、エカテリーナは声をかけた。
しばらくは何の反応もなかったが、彼女が痺れを切らして紫色の雷光を右手に宿したところで、視線を向けていた正面から、氷の棘が複数飛んできた。
彼女はそのまま雷の迸る右手を振るうと、容易くそれらの攻撃を粉砕したが……すぐに後ろに飛び退いた。彼女が立っていた場所を、牛型の魔物……いや、魔導車が通り過ぎた。
すでにサイボーグゾンビに改造されて久しいそれは、巨体でもって一人で突き進む。標的を失った魔導車は向かいの木に衝突するが、太い木の幹を半ばまで削ってしまった。村の特産だという魔導車、手伝いの過程で操縦を知ったのだろう。
その光景に気を取られていたが、再び氷の棘が飛んできた。今度は雷すら宿さず、素手のままエカテリーナは難なく迎撃した。
そして次はこちらの番と、全身に紫と金の電気をまとい、音を置きざりにした光速の踏み込みで、警戒していた木に向かって拳を振るった。
木はこぶしの形のまま貫通して、一瞬で雷に打たれたように発火した。
燃え盛る木の上から、小さな人影が、木を蹴られて落ちて来た虫のように、ボトリと落下した。
緑色の髪を少し焦がしながら、殺気を放つ少女。攻撃用魔導具を手に持つタチアナがそこにいた。彼女はエカテリーナを見ると、殺気立った声で叫んだ。
「ウーノ兄さんは、渡さない!誰にも!ウーノ兄さんは私と結婚するんだ!」
「あらあら、横恋慕とは、感心しませんわね。既婚者に手を出そうとするのは、アモリア様の意志に反しますわよ?」
命を狙われたというのに、エカテリーナは余裕の態度を崩さなかった。一般的な社会常識を、ただ淡々と述べる。
「違う!ウーノ兄さんは、あの女に襲われて、仕方がなく結婚したんだ!本当なら、私と結ばれるはずだったんだ!」
しかし、エカテリーナの言葉は、情念に狂った少女には届かなかった。村に来るとき乗せてもらった恩もあるから、なるべく穏便に済ませたかったが……エカテリーナは拳を構えた。
「まったく、子供の躾は得意じゃないんですの。殺さないように手加減しますから、死なないでくださいましね」
そう言って、エカテリーナはタチアナの目の前から消えた。
「なっ!?ど、どこに!?」
「上ですわよ」
その声に頭上を見上げた次の瞬間、タチアナは雷に打たれた。
さてどうした物か。エカテリーナは首をひねった。
とりあえずタチアナは死んでいない。筋肉は電撃によって痙攣し、雷撃の通った皮膚は樹状に黒焦げているが、それだけ。魔法使いでなくても女なら3日もすれば治るだろう。
問題なのは、彼女の処遇をどうするかだ。
ウーノに説明するか、彼女の親には何と話すか、そしてミーシャに手紙を出したのが、個人の犯行なのかの尋問。
考えた結果、エカテリーナは全部を全部、一切合切明らかにすることにした。隠し事は苦手なのだ。
ぐったりしたタチアナを担いだまま、エカテリーナはウーノの家に戻った。そのままドアをノックする。
「はーい……あれ、エカテリーナさん……そ、その肩の上のは!?」
「タチアナ、と言いましたわね?この子の家、知ってますの?色々話すことがあるから、付いてきてくださいまし」
驚くウーノを伴って、エカテリーナはウーノと共にタチアナの家、ウーノも良く知るエルモライとゾーヤの家を訪ねた。
丁度彼ら夫婦も家にいたところで、村長の家を訪ねた若い軍人が、ボロボロの娘を担いできたことに驚きつつ、家に上げた。
「えーっと……うちの娘が、何かご無礼を……?」
「そうですわね……まあ、私にしでかしたことより、ウーノさん、そしてミーシャにしたことの方が、重大ですわね」
そうしてエカテリーナは、タチアナに襲われたこと、そして戦場でミーシャを苦しめた、故郷からの誹謗中傷の手紙の話をした。
ウーノには、この話をまだしていなかった。ただでさえ悲しんでいる彼に、余計な情報を与えて混乱させたくなかったからだ。
しかし、ミーシャが生きていると分かった以上、これは清算しなければならない問題だ。
「じゃ、じゃあ、俺が書いた手紙は……」
「あの写真が入った手紙以降は、届いていませんでしたわね……タチアナ、彼女には、この村に来るとき魔導車に乗せてもらいましたの。その時に、彼女が郵便配達の仕事をしていると聞いた時に……少し怪しんではいたのですわ。その後の言動も含めて……まあ、本当にわたくしを恋敵と定めて、命を狙ってくるとは、思いませんでしたわね」
ウーノは、とても複雑そうな顔でタチアナを見た。親しくして妹のように可愛がっていた少女が、まさか自分に思いを寄せて、妻を貶めようとしていたとは、思わなかったのだろう。その行動に怒りを覚えつつ、しかし完全に憎悪はできない、そんな複雑な思いが籠っていた。
一方で、話を聞いていたゾーヤとエルモライは、すっかり顔を青ざめさせていた。娘が軍人に襲い掛かり、その上職権乱用して村の仲間を傷つけたのだ。
「……うちの娘が、本当に、本当に申し訳ありませんでした……!タチアナ!何寝てるんだい!さっさと起きな!」
ゾーヤはエカテリーナの雷に打たれてボロボロの娘を、乱暴に揺すった。
エルモライの方は、衝撃の事実にキャパオーバーになったのか、青い顔のまま泡を吹いていた。
「そうですわね……話を聞きませんと。ほい」
エカテリーナは指を振って、タチアナに回復魔法をかけた。
すると彼女は、意識を取り戻したのだろう。目を開いてエカテリーナの姿を認めると、横たわっていた長椅子から跳ね上がって、再び飛び掛かろうとした。
「……ウーノ兄さんは渡さない!」
「何やってんだいお前!」
そんな娘の頭を、ゾーヤは全力で殴った。思わず頭を押さえてうずくまるタチアナ。そして周囲を見て、状況を悟ったのだろう。瞳から先ほどまでの闘志が消え、その場に崩れた。
「ああ、ダメ、だった……」
「泣きたいのは私だよ!」
ハイライトの消えた目から、すっと涙を流すタチアナを揺すって、ゾーヤは叫んだ。
そんな親子のやり取りを、ウーノは黙って見ていた。意外と冷静な彼の姿に、エカテリーナは疑問を投げかけた。
「落ち着いてますわね?もっと取り乱すかと思いましたわよ」
「……タチアナちゃんがしたことは、許せないですけど……憎み切れないというか……それに、俺が怒っているのは、タチアナちゃんだけじゃないんです。ミーシャちゃんと、自分自身に、もっと怒ってるんです」
エカテリーナは首を傾げた。今回の一件、ミーシャとウーノの夫婦は完全な被害者だ。だというのに、何を怒るというのだろう。
「それはまた、なぜですの?」
「ミーシャちゃんと、前に約束したんです……『何があってもウーノさんは私が守る。だから、ウーノさんも、私が弱ってたり困ってたら、助けて』って。だから、その約束を信じてくれなかったミーシャちゃんに、怒ってます……それと、『流れ水の民と夫婦だと周囲から誹謗中傷される。ウーノさんはそれに耐えきれないかもしれない』、って、ミーシャちゃんに頼りにならないって思わせた、自分の弱さが、憎いです」
ずっと、気にしてきた、この世界における男である自分の無力さ。その無力、弱さが、ミーシャを不安にさせた。その事実が、ミーシャを戦争に送り出した時に感じた以上に、自身がちっぽけな存在であると、感じさせられた。
唇をかみしめるウーノに、エカテリーナはそっと寄り添った。
「……戦争は、人を惑わせますわ。平時ならきっと、ミーシャも貴方を信じて、いられたと思いますの。だからどうか、ミーシャと、そしてご自身を、責めないでくださいまし」
「……はい。さあ、タチアナちゃん!話がある」
頷いたウーノは、タチアナの元に歩み寄った。
呆然と、しかし嬉しそうに、彼女は想い人を見上げた。
「ウーノ兄さん……」
「君を勘違いさせたなら、謝る。ごめん。でも、俺はミーシャちゃんを、愛してるんだ。だから、君の想いには、答えられないし、君の行いは許せない」
タチアナは、そんな拒絶の言葉に、イヤイヤと首を振った。
「……どうして?あんな女より、私の方が、ウーノ兄さんを幸せにできる……守ってあげられる、養ってあげられる!ウーノ兄さんが働かなくてもいいように、私が……!」
縋りつくように伸ばされたタチアナの手を、ウーノははたき落とした。
「……やっぱり、君のことは、愛せない。俺にとって、ミーシャちゃんの方が、よっぽどいい女だよ」
ウーノは吐き捨てるように言った。
タチアナは、最初からウーノ・ソーヤーと言う人間を、理解していなかった。
ウーノが女性に求めるのは、勇敢さでも、稼ぎでも、強さでもない。この世界で一般的に言われる、女性らしさを求めていない。ただ己を一人の人間として認め、後ろに隠すのではなく、共に歩んでくれることだ。美人だと尚いいが。
ずっと好意を寄せていたウーノから拒絶されたことで、タチアナは完全に糸が切れたのだろう。叩かれた手が、再び上がることは無かった。
「ウーノ……本当に、申し訳ない……うちのバカ娘が……!」
「……いいんです。勘違いさせるような言動をした、俺にも責任がある……もしも申し訳なく思うなら、ミーシャちゃんが帰って来た時、仲間外れにならないように、手を回してください」
頭を下げるゾーヤに、ウーノは首を振った。その姿に、ゾーヤはただただ、頭を下げ続けた。
「さて、ではタチアナの今後の処遇ですけど……」
左右の手からバチバチと雷を握りしめて、エカテリーナが言った。その姿にゾーヤは顔を青くして、タチアナは死を受け入れるように、そっと目を閉じた。
「ま、待ってください。エカテリーナさん……タチアナちゃんは、酷いことをしたけど、まだ『子供』だ。更生の機会を、与えてやって欲しい」
そんなエカテリーナを、タチアナの方を見ながらウーノは制止した。
まだ『子供』、その言葉を聞いた時、タチアナの目から涙が一滴、溢れた。その涙の意味は、ウーノには理解できなかった。
「まあ、一番の被害者のウーノさんが、そうおっしゃるなら……わたくしの居た、アモリア純潔処女修道騎士団に身柄を預けるというのは、如何かしら?あそこは純愛過激派の宗派、きっと彼女も、純愛とは何か考え、そして己の罪と向き合う、良い場所になると思いますわよ」
両手から雷を消すと、エカテリーナは手を叩いた。
この場で最も強く、そして第二の被害者の彼女の提案を、断るものは誰もいない。
ゾーヤ、そして意識を取り戻したエルモライは、娘が処刑されずに済むことに安堵しながら、エカテリーナの提案を受け入れた。
その後、タチアナは全てを正直に話した。涙を流した後の彼女は、どこか清々しそうにしていた。
ウーノが書いたミーシャへの手紙、一部が塗りつぶされ、タチアナへの愛の手紙として捏造されたものが、納屋から見つかった。
そして、封筒を流用して、ミーシャへの誹謗中傷を行ったことも。
かくして、一人の少女の、色に狂った暴走は、終わった。後に残るのは、妻の帰りを待つ夫、そして戦友を迎えに、旅立つ女だ。
話がまとまった昼過ぎ、再びエカテリーナは魔導車に乗り、旅立った。




