265日目②
「はぁ~……どう説明しろっていうんですのよ……」
エカテリーナは寒々しい針葉樹の森、その細道を歩きながら、ウーノにどのように事情を説明すべきか、悩んでいた。
ミーシャは敵の防衛線を食い破る大活躍をしたが、そのせいで激しい戦闘になったのだろう。遺体回収の際に、ミーシャの亡骸は見つからなかった。しかしあれだけの大立ち回りをしたのだ。生きているはずもない。
村長への事情聴取から察するに、ウーノのミーシャへの愛は冷めていない。誰かが夫婦の仲を引き裂くために、細工をしたのだ。
遺体すらなく、形見と言えるのは刻印を消すための遺髪だけ。
そんな状態で、どうやって愛する妻の戦死を知らせろと言うのか。エカテリーナは憂鬱な気分で、道を進んでいた。
しかし、歩いている以上、ゴールは訪れる。森の中で少し開けた場所に出た。中心にはログハウスが建っている。
彼女はしっかりとロンググローブの紐を、万が一にも外れないようにきつく締めなおした。
エカテリーナは家の玄関の前に立ってノックをしようとしたが、家の裏手から聞こえてくるジュプジュプという空気が入り混じった水音に気が付いた。
何か作業しているのだろうか?彼女がそちらに歩みを進めると、一人の男性がいた。
「ふう、やっと終わった……寒い寒い……早く風呂入って服着よ……」
そこにいたのは、記憶に焼き付いたあの写真の男性だった。
彼は魔導車の整備をしていたのだろう、両手を真っ赤に濡らして……
「ドエッッッ!?!!??!?!?」
パンツ一丁で、汗から湯気を出していた。
「いや、すみません……見苦しい物を……」
「はら、謝らないでくだはいまし。眼福でしたわよ」
風呂から出てきて頭を下げるウーノに、リビングで待っていたエカテリーナは、鼻に鼻血止めのちり紙を詰めたまま、首を振った。
生のパンツ一丁姿は、例の写真の他、純愛もののラブストーリーの挿絵の春画でしか男体を知らない彼女には、余りにも刺激が強かった。
特にエカテリーナの鼻の毛細血管を刺激するのは、ウーノの筋肉質な体つきだった。
元々マッチョで、それ故にミーシャを狂わせたその肉体美。その体は、日々の魔導車製造家業の労働で更に実用的な、働くための肉体に仕上がり。より一層にエロに磨きをかけていた。
この世界の男性の仕事と言えば、売春以外はデスクワークがほとんどだ。だからこそ、体が引き締まった男性は少ない。
しかし、凛々しい体つき、というのはこの世界でも男性性の象徴の一つであり、性的魅力の一要素だった。
『女に力では勝てないくせに筋肉なんか付けちゃって可愛い』、とキュンとしてしまうのだ。
それゆえに、ウーノの労働によって形成された肉体美は、エカテリーナの理性を激しく揺さぶった。
エカテリーナは強力な魔法使いであり、切断された腕を1日で生やせる回復魔法の持ち主だ。しかし、ふとした拍子にウーノのほぼ裸の姿を思い出しては鼻血を噴き出してしまうので、回復魔法を使ってもきりがない。
そのため、ちり紙を詰めるという回復魔法が使えない貧弱な男性がするような、軟弱な治療行為で対応しているのだった。
「が、眼福……?ま、まあ、ともかく。妻からの手紙で、偶に名前が出ていたので、ずっとどんな方か気になっていたんですよ。初めまして、エカテリーナさん。妻のミーシャがお世話になったようで。どんなご用件で、いらしたんですか?」
しかし、流石にこんな姿で、大切な話をするわけにもいかない。エカテリーナはちり紙を取ると、だらしなく緩みそうになる頬を張り、一兵士として、凛々しく張り詰めた微笑みを浮かべた。
「まあ、ミーシャは変なこと書いてないと、いいのですけど……今日は、ウーノさんに、ミーシャからの手紙を渡しに、訪ねさせていただきましたの。受け取ってくださいまし」
封筒を受け取ったウーノは、照れ笑いを浮かべた。
「はは、ミーシャちゃんはエカテリーナさんのことを、すごく褒めてましたよ。夫の俺が、少し嫉妬してしまうくらい。ミーシャちゃんにとってあなたは大切な人なんだなって……手紙、ありがとうございます」
そう言って、ウーノは手紙に視線を落とした。読み進めてすぐに、ウーノが目を丸くしてエカテリーナを見つめるが……彼女は澄ました顔を維持した。自分のヌード写真が目の前の高貴で美しい女性にオカズとして利用された、という事実に彼は動揺が隠せていなかったが、そんなソワソワした感情はすぐに消え失せた。
最後まで読み進めたのだろう。彼は、困惑と微かな恐怖が滲んだ表情で、手紙の上に視線を何度も上下させていた。
「……貴方の妻、ミーシャ・ソーヤー少尉……いえ、ミーシャ・ソーヤー少佐は、部隊の撤退の時間稼ぎとして、決死隊として……戦死なさいましたわ。貴方のことを、わたくしに託して……」
ダン!
戦死。その言葉を聞いたウーノは、手紙を握りしめたまま、テーブルを強く叩いて、エカテリーナの言葉を遮った。
「う、嘘だ!魔法使いは、簡単には死なないって……!ミーシャちゃんは、絶対に帰ってくるって……!」
現実を受け入れられない。そんなように引き攣った笑顔を浮かべるウーノを、エカテリーナは痛ましく思いながら、静かに語りかけた。
「……遺体は、見つかっていませんわ……ですけど、とても激しい戦闘でしたの……骨一つ残らずとも、不思議ではないほどに……その封筒の中にある遺髪が、刻印『貞淑な淫紋』を解除するための、ミーシャが想いを込めたもの。ミーシャは最期まで、貴方の幸せを……」
「やめてくれ!聞きたくない!聞きたくないんだ!」
ダン!ダン!ダン!
ウーノは話の途中で叫んで、再びテーブルを叩いた。イヤイヤと、都合の悪い話を聞きたくないと駄々をこねる子供のように、自分の思い通りにならなくて癇癪を起す子供のように。何度も何度も、テーブルを叩いた。
4度目、再びテーブルを叩こうと腕を振り上げたウーノの手を、エカテリーナがつかんだ。
いつの間にか彼女は、椅子から立ち上がってウーノの横に控えていた。
「……それ以上は、手を痛めますわよ」
そっと首を横に振るエカテリーナを見て、ウーノは行き場を失った感情に、何とか整理を付けようと、浅い呼吸を繰り返した。
「ハー、ハー、ハー……どうして……どうして、ミーシャちゃんが……選ばれたんですか……?」
その言葉に、エカテリーナは整った顔を歪めた。忌々しさと罪悪感、濁った昏い感情が入り混じった目で、エカテリーナは答えた。
「……昨今の、流れ水の民への評判を、知っていますわね?誰か一人を生贄にする、と言う時に、ミーシャが流れ水の民であることは……十分な理由になったんですの……」
「そん、な……それだけのことで……」
ウーノは、ミーシャが罪を犯したでもなく、ただただ、生まれを理由に死を強要されたという事実に、悲しみ憤った。
だけど……エカテリーナは言葉を続けた。それがすべてではないからだ。
ウーノからどう思われるか、全て承知の上で、エカテリーナは正直に、起こったことを話した。
「わたくしは、アモリア様にお仕えする、純潔処女修道騎士団の騎士。戦死を悲しむ人はいませんわ。だから、最初は夫のいるミーシャの代わりになると、名乗りを上げたんですの……でも、直前の戦闘で、足に不調をきたしていたわたくしでは、力不足だと……そのせいで、ミーシャは……」
ウーノはその言葉を聞くと、椅子から立ち上がり、横に立っていたエカテリーナを睨みつけた。
「どうして……!ミーシャちゃんじゃなくて……どうして……あなたが……ここにいるんだ!」
そのままウーノはこぶしを振り上げた。しかし、彼の拳は頭上でプルプルと震えたままだ。
彼にもわかっているのだ。怒りを目の前にいるエカテリーナにぶつけることが、理不尽であると。裁かれることを望む罪人のように、静かに悲しんでいる目の前の女性を殴っても、何も変わらないことを。
「どうぞ……殴ってくださいまし。それで貴方の気が、少しでも晴れるなら……どうかわたくしを、罰してくださいませ」
エカテリーナは、行き場のない怒りに、拳の行方を悩ませているウーノに、顔を横に向けて頬を差しだした。
彼女は、ウーノの怒りを受け止める覚悟をしていた。なぜミーシャでは無く、自分がここに立っているのか。そんなことは、本人が一番分かっている。
怒りをぶつけることで楽になるのは、ウーノだけでは無かった。その怒りで痛みを感じなければ、エカテリーナは自分が許されない気がしたのだ。
しかし、ついぞウーノがエカテリーナを殴ることは無かった。彼は力のこもった握りこぶしを解いてゆっくり下ろすと、そのまま彼女の肩に手をかけた。
「う……ぐうぅ……あ、ああぁ……」
ウーノは泣き崩れて、エカテリーナに寄りかかった。身長の高い彼女は、ウーノと同じくらいの背だ。膝を折った彼の頭は、丁度エカテリーナの胸の位置にあった。
エカテリーナは、少し躊躇したあと、自分の胸に縋りついて泣くウーノの頭を、そっと抱きしめた。
心の中で、ミーシャに謝罪しながら。本当に、これでいいのかと、天の国にいるであろうミーシャに投げかけながら。
最愛の妻を失い、泣きじゃくる男を、エカテリーナは優しく、抱き留めた。




