260日目①
撤退に次ぐ撤退で、戦線も部隊も滅茶苦茶だ。今ミーシャは、人員整理の結果寄せ集められた急造部隊で、いつものように前線衛生兵の任務に就いていた。
魔導戦車と攻撃用魔導具により生み出された、炎と氷、風の刃と土の杭、雷と水の束。美しくも暴虐に満ちた彩色豊かな戦場で、ミーシャはある死体を見つけて足を止めてしまった。
「……え?」
首に看板を掛けた、一組の男女の死体。その看板には、『内通者』と書かれていた。
女の死体は自分と同じ、黒髪青目の、流れ水の民だった。
『貴様の夫も秩序警察に引き渡して……』
ミーシャの脳裏に、ナジンカの言葉が響いた。
この人たちが何をしたのか、どんな関係だったのか、知らない。もしかしたら二人とも、本当にスーラフの工作員だったのかもしれない。でも、もし、本当は無実だったのだとしたら。流れ水の民というだけで妻が処刑されて、夫も連座で処刑されたのだとしたら……
そんなことに気を取られていたミーシャの眼前に、大きな火球が迫っていた。
魔法使いであれば死にはしないが、当たればしばらく身動きが取れない。そうなれば、魔法使いを殺す貴重な機会を逃すまいと、敵兵が殺到してくるだろう。
しかし、戦場のど真ん中だというのに、意識をよそにやっていたミーシャでは、この攻撃を避けられなかった。水の防壁も間に合わない。
訪れる痛みに、そして続いて起こるであろう死を想像して。ミーシャが呆然としていると、閃光が走った。
次の瞬間、気が付いた時には、ミーシャは塹壕にいた。横にはエカテリーナが荒く息を吐いていた。
「はぁ~……何とか帰ってこれましたわね……ミーシャ、水!水下さいまし!足を冷やしたいですの!」
「……あ、は、はい!」
エカテリーナが『雷縮地』で、ミーシャを助け出したのだ。
足を酷使する大技を使わされたというのに、彼女は文句を言うでもなく、悪態をつくでもなく、呑気に水を要求した。
「はぁ~……癒されますわねぇ……でもミーシャ、温くなって来ましたわよ。新しいのと交換してくださいまし」
「ご、ごめんなさい……」
熱を持ったふくらはぎが冷える快感にエカテリーナが目を細めていると、ミーシャは何も言わずとも頭を下げた。
助けてくれたことに対してか、水が温いことに対してか。相変わらず謝り癖の抜けない戦友に、よろしくてよ、と手を振りながら、エカテリーナはミーシャの心境を推し量っていた。
ナジンカとの直接対決以降、ミーシャは戦闘中でも、ぼーっとすることが増えていた。
以前のように避けられはしないが……エカテリーナが話しかけても、どこか気の抜けた返事をすることが増えていた。
一度は心が持ち直したと思ったが、ウーノを引き合いに出されて詰られたことが、よっぽど応えたのだろう。
敵の攻撃を前にして放心する姿は、無意識の内に死に場所を求めているかのように思えた。
今すぐ励ますことは、難しい。エカテリーナは雑談を続けながら、何とかミーシャの気を紛らわせようとしていた。
「はぁ~……冬だっていうのに、もっと冷やしたいと願うなんて……思ってもみませんでしたわよ……だれか、氷の魔力……何でもありませんわ。はぁ~……嫌な顔、思いだしてしまいましたわ……」
しかし問題を忘れさせようとしている最中に、元凶の顔を思い浮かべてしまったエカテリーナは、ゲェという顔をした。この部隊で氷の魔力の魔法使いと言えば、ナジンカ・クリコニク少尉だった。話題に出すべきでないときに限って、嫌な顔を思い出してしまい、エカテリーナはため息をついた。
とはいえ、ここ最近の彼女は大人しかった。エカテリーナの言葉が多少なりとも響いたのか、ミーシャの悪口を表立って言うことは無くなっていた。
「……おい、なぜ貴官がいる、エカテリーナ大尉。ここは私の塹壕だ。出て行きたまえ」
ミーシャはびくりと身をすくませた。
噂をすれば。ナジンカが彼女の取り巻きと共に、身を屈めながら歩いてきた。近くの塹壕に慌てて飛び込んだせいで、偶然に天敵同士が鉢合わせてしまったのだ。
そう、別に仲直りしたわけでもない。ミーシャの悪口こそ言わなくなったナジンカだが、エカテリーナには口を引き裂かれた恨みがある。結局彼女はエカテリーナに仕返しできていないままだ。
「あら、ごきげんよう、クリコニク『少尉』。あいにくですわね、今足を冷やしてますの。上官命令ですわ、貴女たちが出て行ってくださいまし」
「貴様ぁ……!」
二人がバチバチと視線で火花を飛ばし、取り巻き二人とミーシャがアワアワと狼狽える。一触即発の空気を切り裂いたのは、ヒュルルという、信号弾が打ち上がる音だった。
その場に居合わせた全員が、音がした方角を見上げる。青色の信号弾。意味は、全軍退却である。
「エカテリーナさん……!足はどうですか!?」
「まあ、もう少し休ませたい、と言うのが本音ですわね……でも、走れますわよ」
ミーシャはエカテリーナの足に、なけなしの回復魔法をかけると、煙幕代わりの霧を用意した。
以前エカテリーナに使ったのは、とっさに作った小規模な霧だったが、今度はしっかり準備した、濃霧である。
ちらりと見ると、ナジンカも冷気で霧を作っているようだ。ミーシャは彼女が霧を放出するのに合わせて、自身の霧を解き放ち、エカテリーナと共に塹壕から飛び出した。
敵の魔導具の攻撃が、金切り声を上げて掠めるが、霧の煙幕のおかげでほとんどは明後日の方角に飛んでいく。
二人は事前に指定されていた退却ポイントの司令部まで到着した。
「これで魔法使い兵は全員か……!?よし、これより作戦を通達する!」
二人が到着してしばらくして、この部隊の司令官の貴族が全体にブリーフィングを開始した。
「全員……?随分と数が減りましたわね……」
「しっ!聞こえますよ……!」
エカテリーナのぼやきを、ミーシャは制止した。幸いにも司令官には聞こえなかったようで、ブリーフィングはそのまま進行した。
「……以上のように、帝国政府は講和条件に調印する予定だ。あと12時間で終わる戦争だ、死んでもつまらない。持ち場は放棄して、全面撤退とする!」
「あら、初めてまともな判断をしましたわね、彼女」
「しーっ!」
ミーシャはハラハラして、エカテリーナの口を覆った。
「しかし、このまま退却しては、包囲される可能性もある……よって、懲罰部隊と魔法使い兵一人を、決死隊として殿にする!」
決死隊。その言葉に、魔法使い兵たちは顔を見合わせた。
だれが選ばれるのだろう?視線は自然と、一人の兵士に向かって行った。
ミーシャはビクリと、体をすくませた。
「決死隊に選出された者の遺族には、戦死者遺族年金が受給される……残された家族の心配はしなくて良い。よって、ソーヤーしょう……」
「わたくしが、決死隊を引き受けますわ」
視線を向けられていたミーシャの前に、名前が読み上げられかけていたミーシャの前に、視線を遮るように、声を遮るように、エカテリーナが進み出た。
「エカテリーナ大尉……」
司令官は想定外の申し出に、呆然と呟いた。
「わたくしは修道騎士団育ち。小さいころから、戦場で死ぬ覚悟はしていましたの。それに、決死隊としての名誉の戦死は、皆きっと誇らしく思ってくださいますわ……ですから、わたくしが、決死隊として殿を、務めて見せますわよ」
「だ、ダメですよ、わ、私が命じられる役割を、そんな……」
ミーシャは混乱する頭で、エカテリーナを引き留めた。
自分のせいで大切な戦友を戦死させる訳にはいかない。命は惜しいが、ミーシャは必死でエカテリーナを引き留めた。
「ミーシャ、ごめんあそばせ。不埒な寝取り女と純愛に立ちふさがる神敵を一緒にぶちのめす約束、果たせそうにありませんわね。一人で頑張ってくださいまし」
エカテリーナは、これから死地に赴くというのに、茶目っ気たっぷりにミーシャにウインクして見せた。
一切の震えなく、一切の躊躇いなく、一切の迷いなく。彼女は覚悟を決めていた。
「エカテリーナ、さん……」
ミーシャにそっちの趣味は無いが……その魂の気高い在り様に、思わず心がトキメキかけてしまった。
「……ダメだ。それはダメだ、『ユスポフ』大尉」
しかし、その覚悟に水を差す声が上がった。司令官の貴族だ。
「……その呼び方、止めてくださいまし。その家名は、捨てましたわよ」
エカテリーナはミーシャに向けていた笑顔を仏頂面に塗り替えて、司令官をにらみつけた。
「貴官は捨てたつもりでも、姉上のユスポフ伯爵閣下は、そうは思っていないのだよ。私は貴官を死なせないようにと、彼女から頼まれている」
「はあっ!?わたくしを殺そうとしたあの人が!?そんなの噓に決まって……」
「少なくとも、貴官を庇ったのは事実ですな、『ユスポフ』大尉。お母様に貴官を軍法会議送りにするよう進言したら、『上』から却下されましたからな」
怒鳴るエカテリーナに、ナジンカが声をかけた。
姉に庇われた。それは、よほど屈辱的なことなのか、エカテリーナはナジンカに向かって吠えた。
「わたくしの身を守っているのは、今までの武功、ただそれだけ!クリコニク、貴女の影響力がその程度だっただけですわよ!わたくしは苗字の無い、ただのエカテリーナ……!」
「仮に姉上の口添えが無くても、決死隊に任命することは無かったであろうな。貴官、足が万全ではないであろう?」
エカテリーナの殺気すら混じった絶叫を遮って、司令官は声を張った。
彼女はエカテリーナの足を指さした。エカテリーナはこの貴族の司令官を、馬鹿だなんだと罵ってきたが、なんだかんだ言って一部隊の将。部下のコンディションは一目で分かる。
「ちっ……これでも?」
エカテリーナは不快そうに顔を歪めて、一瞬で距離を詰めて司令官に殴り掛かった。
雷をまとった拳は寸止めされるが、司令官はひるまなかった。
「……普段の貴官より、随分と遅い。やはり今の状態の貴官には、任せられん」
司令官は首を横に振った。
「……ごめんなさい、私の責任です。私がエカテリーナさんに、ご迷惑をおかけしたせいで、足を酷使してしまったから……私が責任をもって、決死隊を……」
「やめてくださいまし!ミーシャ……っく!?」
「クリコニク少尉!押さえろ!」
周囲の空気が変わったのを感じ取ったミーシャは、司令官の前に進み出た。エカテリーナが彼女を引き留めようとするが、彼女の足を氷が地面に張り付けていた。普段の彼女であれば容易く破壊できる足止めに、今は足を取られてしまった。
近くにいたナジンカに、司令官が大人しくさせるように命じた結果だった。
「……エカテリーナさん、本当に、本当に、ありがとうございました。やっぱり、エカテリーナさんは、貴族、だったんですよね?えへへ、そんな身分違いの私に、ずっと親しくしてくれて……ありがとうございました。あなたは、私にとって、初めての友達で……最後の友達です。どうか、お元気で」
ミーシャはエカテリーナに微笑むと、司令官から退却経路と、塹壕の地図を受け取った。どうすれば時間稼ぎがしやすいか、説明を受けていた。
「だ、ダメですわよ……ミーシャ、貴女には、帰りを待つ夫が……」
這ってでもミーシャを引き留めようと、エカテリーナはミーシャに手を伸ばすが……
「死を覚悟した兵士を引き留めるなんて、無粋ですぞ、ユスポフ大尉」
ナジンカは静かに首を振った。しかし彼女は、嫌味や皮肉でもなく、本心からそう言っているのだろう。ただ痛ましそうに、足を張り付けたエカテリーナの肩を叩いた。
「クリコニク!貴様ぁ!離せ!離せぇ!」
いつものお嬢様言葉も取れて、エカテリーナは叫んだ。しかしナジンカは、黙って首を横に振った。
そこに、司令官から指示を受け取ったミーシャがやって来た。彼女は懐から、二つの封筒を差し出す。
「……いつか、こんな日が来るんじゃないかって……思ってたんです。エカテリーナさん、ウーノさんのこと……好き、ですよね?その、何度もオカズにしてるくらいですし……だから、ウーノさんのこと、お願いします。もしもウーノさんが、悪い女に言い寄られていたら……エカテリーナさんが、私の代わりに、幸せにしてあげて欲しいんです。こっちが、ウーノさんにエカテリーナさんを紹介する手紙で、こっちが、エカテリーナさんに、ウーノさんを知ってもらうための……」
「馬鹿言わないでくださいまし!貴女あれだけ、『ウーノさんは渡さない!』って言ってたじゃありませんの!?それに生きて帰るって、約束したじゃありませんの!何勝手に諦めようとしてるんですの!許しませんわよ!そんな手紙受け取りませんわよ!燃やしますわよ!」
今までウーノへの独占欲を、これでもかと露にしていたミーシャが、他の女に譲ろうとする。それがどれだけ異常で……どれだけミーシャが追い詰められていたか。エカテリーナは考えるだけで、胸が張り裂けそうなほど悲しかった。
「……良いんです。やっぱり大事なのは……ウーノさんの幸せ、ですから。私が側にいることが、ウーノさんの不幸に繋がるなら……それに、エカテリーナさんの横で、ウーノさんが笑っているなら……他ならぬ、エカテリーナさんなら、私も、受け入れられますから。えへへ、爪弾きの流れ水の民の女より、貴族の血筋を引くエカテリーナさんの方が、ウーノさんにふさわしいですしね!だから……夫を、お願いします」
「ミー……シャァ……ダメ……ダメですわよ……」
腕がもげても、塹壕で3徹しても、涙を流さなかったエカテリーナが、今初めて、涙を流した。
戦友の悲し気な笑顔に、悲壮な笑顔に……不条理に押しつぶされる純愛に、彼女はこの戦争中、初めて涙を流した。
そんなエカテリーナに、ミーシャは優しく微笑むと、表情を正して彼女を押さえつけるナジンカに向き合った。
「……クリコニク少尉。私はこれから、国家の寄生虫でも、裏切り者でも、スパイでもないと、証明して見せます。命を賭して、皆さんが退却しきるまで、時間を稼いで見せます。ですからどうか……約束してください。アモリア様と、父なる祖国ラシスカと、あなたの中に流れる高貴な血に、誓ってください。必ず、エカテリーナさんを、後方に退却させると」
「……まあ、良いでしょう。誓いましょうぞ。我らが女神アモリア様と、父なる祖国ラシスカと、クリコニク子爵家の母祖の血統に誓って、エカテリーナ大尉を、連れ帰ると。十分な時間があれば、ですがね」
まさか自分に言葉がかかるとは思っていなかったクリコニク少尉は、驚いたようにしつつも、神妙な顔で頷いた。
ミーシャはそんな彼女をじっと見つめるが、クリコニク少尉は視線をそらさず、じっと見つめ返した。
ミーシャはその眼差しを信じることにして、再びエカテリーナに微笑んだ。
彼女はふわりと髪を魔力に揺らすと、その長い黒髪を風の刃で刈り取った。
クルクルと一塊にして結ぶと、エカテリーナが受け取ろうとしない封筒に一緒に入れて、彼女の目の前の地面に置いた。
「刻印を解除する、っていう想いと魔力を、髪に込めました。それを使って、ウーノさんから私の刻印を消してあげてください。エカテリーナさんも、純愛過激派の修道騎士ですから、出来ますよね?あ、ウーノさんは、結構巨乳好きなはずなので……谷間を強調した服を着て会えば、きっといちころです!……じゃあ、エカテリーナさん、ウーノさんを、よろしくお願いします。皆さんも、どうか無事に退却できるよう、ご武運を!」
ミーシャは曇り一つない笑顔で、周囲にお辞儀して、司令部を出て行った。先ほど司令官の前に進み出たエカテリーナ同様、そこには死を目前としてもなお、気高さを維持する兵士の覚悟が見て取れた。
自然と、その場に居合わせた魔法使い兵たちのほとんどが、彼女を敬礼で見送った。
ナジンカを始めとした、ミーシャに悪意を向けていた貴族の新兵たちですら、この時は黙りこくっていた。
敬意を背に受けて、短くなった黒髪に魔力を巡らし揺らす。そしてトレンチコートの裾を掴んで帆にすると、追い風に吹き飛ばされてミーシャはその場から飛び去った。
「待ちなさい!ミーシャ!ミーシャぁぁ!!」
ただ一人、自身の無力さへのエカテリーナの慟哭が、静かな司令部に響いた。




