250日目①
ナジンカ・クリコニク少尉の事件からしばらくして、ミーシャは塞ぎがちになっていた。
彼女が自身と同じ貴族階級のボンボン娘新兵をまとめ上げ、流れ水の民のミーシャのことを寄ってたかって陰口を叩いていたこと。そして郷里から届く手紙が、どれもこれも誹謗中傷の内容に変わっていたことが、その原因だった。
特に、ミーシャは以前は何よりも楽しみにしていた、郵便物の確認をしなくなっていた。仮にしても、中身を一瞬確認すると、すぐに風の刃でズタズタにしてしまっていた。
「……ミーシャ、こんなとこに居ましたのね。ほら、一人だと危ないですわよ。こっちの塹壕に来てくださいまし」
「……」
「はぁ~……しょうがないですわね、私がそっちに……ちょ、なんで逃げるんですの!?」
そして、大切な戦友のエカテリーナのことも、避けるようになっていた。
今まではミーシャは、必ずエカテリーナと同じ塹壕に身を潜め、苦痛に満ちた待機時間を会話で紛らわせ、危険に満ちた突撃を助け合ってきた。
しかし今では、別の小さな蛸壺塹壕を自分で掘って、エカテリーナと別行動をとるようになっていた。
基地でも今まで同室だったのに、現在は戦死者と負傷者の増加で部屋が空いたため、適当な部屋で過ごすようになっていた。
しかし、エカテリーナは今日こそはミーシャを逃がす気はなかった。
彼女は塹壕を飛び出して逃げ出したミーシャを追って、自身もまた塹壕から飛び出した。
単独で塹壕と言う隠れ家から姿を現した標的に向かって、敵陣から無数の魔導具の攻撃が放たれる。すれ違う氷槍の風圧、地面に刺さる土棘の飛沫。そんな殺意を二人はひらりひらりと交わして、戦場のど真ん中で鬼ごっこを始めた。
「こ、来ないでください!」
あまりにしつこいエカテリーナの追跡に、ミーシャは呼びだした水球を、風の魔法で細かくして霧にすると、エカテリーナに放った。
しかし、戦術スキルはエカテリーナの方が数段上。付け焼刃の目くらましなど、彼女には効かない。地面を蹴飛ばして土塊を飛ばして、霧を晴らしてしまう。そして一瞬で地形を確認すると、隠れるのに適したクレーターを発見した。エカテリーナは足に身体強化魔法と雷の筋力増幅を掛け合わせ、一瞬で長距離を詰める技、『雷縮地』を使った。まばたきの目を閉じるだけの時間でミーシャの首根っこを摑まえ、開くまでの時間で事前に見つけていたクレーターに彼女を引きずり込んだ。
「ぜぇ……ぜぇ……はぁ~……この技使うと、足が痛てぇですわね……ミーシャ、水を出して冷やしてくださいまし」
逃げ出したこと、自分を避けていることに言及せず、エカテリーナは呑気にミーシャに要求した。
「……私といると、エカテリーナさんまで、陰口言われちゃいますよ……」
ミーシャは水球を呼びだしてエカテリーナの足に当てがいつつ、無表情で呟いた。
「はぁ~……わたくしたち、だいぶ長い付き合いになりましたわよね?いい加減理解してくださいまし。わたくし、そんなの気にする玉じゃありませんわよ……あ、喉も乾きましたわね。もう一個、水を出してくださいまし」
ミーシャは素直に水球を出して、エカテリーナの口に放り込んだ。
「でも……前まで仲良かった人も、最近は……エカテリーナさんもいつか……」
「それ以上くだらない戯言吐くようなら、貴女であっても容赦しませんわよ、ミーシャ」
一息で水を飲み込んだエカテリーナは、ミーシャの言葉を遮るように、彼女の口元に拳を当てがって凄んだ。
クリコニク少尉にした時と同じことをするぞ、と脅しているのだ。
「ご、ごめんなさい……」
ミーシャはコクコクと頷いた。その様子に、エカテリーナは深々とため息をついた。
「はぁ~……はぁ~……はあああぁぁぁ~~……割とマジで傷つきましたわよ、今の。貴女に後ろから攻撃用魔導具で奇襲されたときより、裏切られた気分ですわ」
「そ、その話はしないでください……本当に反省してますから……」
出会って間もないころ、ミーシャは運んでいた攻撃用魔導具を暴発させてエカテリーナの右手を吹き飛ばしたことがある。
そんな新兵で未熟だったころを引き合いに出されたミーシャは、エカテリーナの肩を叩いた。その気安さに、エカテリーナは内心でホッとした。
「本当ですの~?やっぱり、比喩じゃなくて、マジでケツのほくろ数え合った方がよろしいんじゃなくて?」
「や、やめてください……も、もしかして、エカテリーナさん、そっちの趣味が……?」
狭いクレーター内で少しでも距離を取ろうとするミーシャに、エカテリーナはフッと微笑んだ。
「あら、わたくしはノーマルですわよ。その証拠に、貴女の夫のヌード写真で何度も慰め……」
「わ、忘れろー!忘れろー!!」
開けていた距離を一瞬で詰めて、ミーシャはエカテリーナに殴り掛かった。
ポカポカという気の抜ける打撃音に、エカテリーナは可笑しくなって笑ってしまった。
「おほほ、諦めてくださいまし……元気は出ましたわね?」
今まで通りの関係に戻れたことを、嬉しく思いながら、エカテリーナはミーシャに問いかけた。
そんな彼女に、ミーシャは殴る手を止めた。自分のために、道化を演じてくれていたのだと思うと、申し訳なさとありがたさで胸がいっぱいになった。
戦友の夫のヌード写真を何度もオカズにしたのは事実であるが。
「はい……すみませんでした……嫌な態度取って……」
「あら、そこはすみません、じゃないですわよね?」
ミーシャは以前のシャワー室でのやり取りを思いだした。
「あ、ありがとうございます……?」
「おほほ、どういたしまして、ですわ。さて、『私のために力を揮うなら、この戦争が早く終わるようにするために揮え』だなんて、格好つけたこと言ってた割に……随分と落ち込んでましたわね。何があったのかは、まあだいたい察しがつきますわよ?でも……ちゃんと言葉にして、教えてくれませんこと?勝手に落ち込んで仲間外れは、やめてくださいまし」
エカテリーナの寂しげな表情に、罪悪感を感じたのか、ミーシャは俯いてポツポツと語った。
「……クリコニク少尉が、私の悪口……言ってますよね?それは、別にいいんです。そういうの、慣れてるので……でも、エカテリーナさんの悪口まで、最近は言ってて……そ、それに、他の人にまで……私に関わる人、全員の悪口を言って回っていて……みんな最近、余所余所しくて……」
ミーシャの途切れ途切れの言葉を、エカテリーナはじっと聞いた。
そして話が終わって、小さく震える彼女を、優しく抱きしめた。
「大変でしたわね……あの馬鹿どもは、わたくしがちゃんと、ぶちのめして分からせてやりますわ。それに、薄情者どもにも、ちゃんと話をつけておきますわよ」
ミーシャが自分を避けてきた理由は、自分への配慮、そして恐怖なのだと、エカテリーナははっきり理解した。
だからこそ、心配しなくていい、わたくしは味方だと、そう伝えるために強くミーシャを抱きしめた。
ミーシャは柔らかい胸に抱かれて、安心してしまった。普段はムカついてばかりのこの脂肪の塊が、今は自分を包む母性のように感じられた。
「……ふふ。もう、やめてください。『私のために力を揮うなら……この戦争が早く終わるようにするために、揮ってください』って言ったの、本当に本心なんですから……」
そう言って微笑むも、ミーシャの表情には未だに影があった。エカテリーナはその影を見て、気落ちしている理由が、ナジンカ・クリコニク少尉の言動だけでないことを察した。
「……手紙、ですの?」
ミーシャから避けられるようになっていたので、詳しくは把握していなかったが、彼女がすぐに手紙を処分するようになったというのは、エカテリーナも目撃していた。
この前に自分が燃やしたような中傷文がまた来て、心を痛めているのだろうか?エカテリーナはミーシャを抱きしめながら、静かに問うた。
「……原因は、手紙なんですけど……悪口の手紙は、別にいいんです……でも一回だけ、ウーノさんからの手紙が、来たんです。宛名の文字が、ちゃんとウーノさんで……」
「……それで?」
先を促すエカテリーナに、ミーシャはエカテリーナの胸に、顔をうずめた。そのまま、くぐもった声でしゃべった。
「それで……ウーノさんから……私と夫婦なせいで、村で肩身が狭いって……別れて欲しい、刻印を解除したい、って書かれてて……」
エカテリーナはミーシャを突き放して、胸倉を掴んだ。
「筆跡は!?ちゃんと確認しましたのよね!?」
そう叫ぶと、ミーシャは目を腫らして叫び返した。
「……分からないですよ!その時はショックで、すぐに手紙をみじん切りにしちゃって……!でも、ウーノさんの字、直線的で特徴的だから……一目見た時に、ウーノさんの字だ、って思って……!もしも本当なら……私のせいで……ウーノさんが……だったら、私は……ウーノさんの幸せのために……別れるしか、無いじゃないですか……!」
自分で言いながら、ミーシャはブワっと涙をこぼした。そんな彼女に、エカテリーナは頭痛がするかのように、顔をしかめた。
「こんのおバカ!なんで夫の愛を信じられないんですの!あれだけ手紙でイチャコラ純愛かましておいて、なんで今更不安になってるんですの!?」
「だってウーノさんは……!私にはもったいないくらい、素敵な人なのに……!わ、私が魔法で脅して、襲ったせいで……私と結婚する羽目になって……!無理やり脅されて、好きでもない女と、結婚させられたんだから……!私なんかより、他にいい人がいれば、きっとその人が……あうっ!」
叫ぶエカテリーナに、ミーシャは再び叫び返したが、そのネガティブな発言は、エカテリーナに頭突きをされて中断された。
「だったら!さっさとこの戦争を終わらせて!夫の元へ急げばいいじゃないですの!?なんで守るんじゃなくて、逃げようとするんですのよ!?それにもし、寝取ろうとする不埒な女がいたら、貴女魔法使いなんですから、ぶちのめして分からせてやるんですわ!何を悩んでいますの!?女らしくない……アイタっ!」
ミーシャもまた、エカテリーナに頭突きをかました。鼻水と涙をダラダラと垂らしながら、ミーシャは絶叫した。
「私が帰ったら、ウーノさんの幸せまで奪うことになります!せっかくウーノさん、村の中で居場所があるのに……寄生虫が横にいたら、ウーノさんまで悪口言われる……!エカテリーナさんは、強くて優しくて、芯がある人ですけど……!村の人がみんながみんな、そうとは限らないし……ウーノさんだって、耐えきれないかもしれない……!だったら!ここで死んで!ウーノさんを、国のために死んだ兵士の未亡人にしてあげた方が……きっと……う、うぅ……うえーん……!うぅ……ひっぐ……」
話している途中で、ミーシャは慟哭した。そんなミーシャを、エカテリーナは強く抱きしめた。
「おバカ……!泣くくらいなら、強がるんじゃねーですわよ……!」
「うぅ……やだ……!ウーノさんに会いたい……ウーノさんは私の奥さんだもん……他の人に……渡したくない……!うぅ……ひっぐ……でも……私じゃ……私じゃ、ウーノさんを幸せにできない……!」
「うっせですわね!グダグダ悩んでないで、会いにいきゃあ良いんですわよ!もしも村人からなんか言われたなら、わたくしも一緒にぶちのめして差し上げますわ!だから、ミーシャ!生きて、帰りますわよ……!」
一緒にぶちのめしてやる。味方してやる。戦友の心強い宣言で、ミーシャはグチャグチャの感情に、ようやくケリをつけることができた。
「ふっー……ふっー……ばい゙……!」




