230日目①
「はぁ~……雪時々砲撃……相変わらずクソッタレな空模様ですこと……」
ここ1か月、エカテリーナは塹壕の中で、毎日のように空模様に文句を言っていた。
「そうですね……」
ミーシャは虚ろな目で相槌を打った。直後、敵の魔導具の砲撃が近くに着弾し、塹壕を揺らした。
粉砕された鉄条網の破片がすぐ近くに落ちてきて、エカテリーナはビクリとして防御姿勢を取るが、ミーシャは身じろぎ一つしない。
しばらくして砲撃が止んで、再び雪が降り積もるシンシンという音だけが塹壕を満たすと、エカテリーナは再びため息をついた。
「はぁ~……敵陣地後方につながるトンネル……あるならさっさと使ってくださいませんこと?お貴族様は馬鹿なんですの?と言うか、報復砲撃は無いんですの?こちら側から一切、砲撃音がしませんわね」
「そうですね……」
相変わらずミーシャはそれしか言わない。まるでシェルショックでやられた兵士だ。
「……ミーシャ、なんだか昨日からそんな様子ですわね。何があったんですの?」
「そうですね……」
シェルショック?頭を叩けば治るんじゃないですの。PTSD?また戦場で死にかければ治りますわよ。
そんな蛮族思考回路のエカテリーナですら、流石にミーシャが心配になって来た。
「……総員突撃!」
「そうですね……」
「誰か助けて!」
「そうですね……」
「ダメだこりゃ、ですわね」
「そうですね……」
普段だったらエカテリーナよりも素早く命令や救援要請に反応するミーシャが、この様子である。
しばらく考えたエカテリーナは、禁じ手を使うことにした。
「はぁ~……ムラムラしますわね。ミーシャ、貴女の旦那のウーノさん、借りますわね?ムホッ、ウーノさん、私の巨乳に釘付けですの?」
「そうで……え?え?ダメ、ダメですよ!ウーノさんは私の夫です!たとえエカテリーナさんでも絶対にダメです!指一本触れさせません!」
ミーシャはそう叫んで、エカテリーナの胸倉に掴みかかった。
無気力状態からは脱したらしい。
「あ、気が付きましたわね」
頭をグラングランされながら、エカテリーナは作戦成功に安堵した。
「あ、あれ?ウーノさんは?あれ?ここは……塹壕?ああ、良かった……私の貧乳に飽きて巨乳に飛びつくウーノさんは、いなかったんですね……」
ミーシャはパチクリと目を瞬かせて、周囲を見回し、彼女もまた安堵した。
最悪の光景、エカテリーナにウーノが寝取られる、ではなかった。それに比べれば、血肉が飛び散る地獄の戦場の方がずっとましだ。
「……いい加減手を離してくださいまし」
「あ……ご、ごめんなさい……」
どうやらショック療法により、正気を取り戻したらしい。
憂鬱そうな表情のままだが、ミーシャはちゃんと受け答えができる状態に戻った。
「……それで?何か悩み事があるなら、聞きますわよ。下らない新聞の戯言ですの?それとも、恩知らずで恥知らずの新兵どもですの?」
最近の新聞には、『流れ水の民はスパイだ!』という論調が並んでいる。特に政府新聞が、そういった民族差別的な内容を書き立てていた。苦しい戦況と物資不足の不満をそらすための、分かりやすいプロパガンダだったが、残念ながら影響を受ける者も一定数いる。
そうした者は、最前線の塹壕の中にも紛れていた。最近徴兵されてきた新兵たちだ。開戦当初から戦っている古株たちは、ミーシャに命を助けられたものも多く、今更流れ水の民だからと、彼女を悪く言うことはない。しかし、プロパガンダに浸かってから徴兵された者の中には、救助に来たミーシャを面と向かって罵倒する者すらいた。
「それはそれで、悩みの種ですけど……ウーノさんから、半月以上、お手紙届いてなくて……前は4日ごとにやり取りしてたのに……はぁ、私のこと、嫌いになっちゃったのかな……」
「……ああ!そう言えばそうですわね。忘れていましたわ」
ミーシャの言葉に、エカテリーナはポンと手を打った。
そんな彼女に、ミーシャは首を傾げた。
「催促されないとは、思ってたんですけど……飽きちゃったんですか?まあ、私としては、変なことに使われない方が、良いですけど……」
ミーシャはそう言いつつも、少し寂しそうな表情を浮かべた。エカテリーナに夫からの手紙をトリップのダシにされないのは良いが、あのレビューが聞けなくなるのは、それはそれで残念なのだ。
「いえ、オカズに困ってないから、忘れていただけですわよ。読めるものなら読みたいですわね」
「オカズって……」
ミーシャは心の底から嫌そうな顔をした。エカテリーナが何をオカズと言っているか、察しがついているからだ。
「そりゃもちろん、ウーノさんのヌード……」
「忘れてって言いましたよね!?忘れてください!もう半月以上経ってるんですよ!?」
エカテリーナが言い終わる前に、ミーシャは彼女に掴みかかった。
しかしエカテリーナはどこ吹く風である。
「無理ですわよ。10年後くらいに言ってくださいまし。それなら半分くらいの確率で、忘れてるかもしれませんわね……んん、思いだしたら、体が火照って……」
「わ、忘れろー!!」
頬を赤らめるエカテリーナをミーシャが全力で揺する。そうして狭い塹壕の中でじゃれ合っていると、後方の陣地の方角から爆発音が聞こえた。
一瞬動きを止めるも、二人はじゃれ合いを再開した。魔導具の準備が整い、味方側の報復砲撃が始まったのだと思ったからだ。
「あら、ようやく砲撃が……それはそうと、やっと敬語が取れましたわね?まあ、あの熱愛ぶりで、そんな急に冷めるはずがありませんわ。手紙はもう出してるけど、補給のあれこれでごたついて遅れてるだけですわよ、きっと」
どれだけ揺すってもびくともしないエカテリーナの強靭な体幹に、ミーシャは敗北した。諦めたようにため息をついて、地面に座り込んでのの字を書き始めた。
「そう、だと……いいんですけど……やっぱり、あれがダメだったのかな……」
うじうじと悩み続けるミーシャに、エカテリーナは首を傾げた。
「あら、何か心当たりがあるんですの?」
「心当たりと言うか……手紙に書いた内容が、ダメだったのかなって……なんであんなこと書いちゃったんだろうって、後悔してます」
戦場の愚痴か、それとも……もしかして、戦友にヌード写真を見られてオカズにされていることを、馬鹿正直に書いたのだろうか?確かに自分の裸体が妻以外の女に利用されるのは、きっと寒気がすることだろうし、断筆する理由になるかもしれない。
そんな風に思考を巡らせたエカテリーナは、少し反省した。もしそうだとしたら、自分の行動が愛し合う夫婦の関係にひびを入れたことになる。責任を感じなくもないのだ。
「……いったい、何を書いたんですの?」
エカテリーナは神妙な表情でミーシャに尋ねた。
ミーシャは言いにくそうに、しばらくアウアウと口を開け閉めしたが、決心がついたのか小さく呟いた。
「……パンツ」
「え?パンツ?」
想像もしていなかった単語の登場に、エカテリーナがキョトンとして聞き返すと、ミーシャは再び言いにくそうに小さな声で言った。
「だから、その……3日……パンツ……」
「もう、もっとはっきり言ってくださいまし」
埒が明かないのでエカテリーナがミーシャの口元に耳を寄せると、ミーシャは覚悟を決めたのか、真っ赤になって叫んだ。
「『ヌード写真だけじゃ欲求不満だから、3日くらい履き続けたパンツを送ってください』って書いたんです!」
耳を寄せたのだから、そんな大声でなくともよい。
耳元の絶叫に、脳をグワングワンと揺らされていたエカテリーナは、次第に今耳にしたセリフの意味を認識し始めた。
「……つまり、慰めるのに使いたいから、匂いが染みついたパンツを送れと、手紙に書いて出したんですのね?」
「……はい」
ミーシャが唇を噛んで俯く。自分の痴態を知られた恥ずかしさから、耳まで真っ赤だった。
そんなミーシャを見て、エカテリーナは天を仰いだ。相変わらずの曇天で、雪が降ってくる。
もう一度、ミーシャを見る。真っ赤になった顔に触れた雪が、すぐに解けて水になった。
エカテリーナはこの行いが純愛かどうか、信じる教義と信仰の元に、審判に掛けた。そして、判決が出た。
「こんのドスケベ脳内ピンクお花畑欲求不満モンスター!!それは純愛とかじゃなくてただの性欲ですのよ!恥を知りなさい恥を!」
「なっ、なっ!そ、そういうエカテリーナさんだって、人夫の体に欲情してるじゃないですか!人のこと言えた義理ですか!?」
エカテリーナの命名した、恥ずべき二つ名に、ミーシャは今度は怒りで頬を染めながら憤慨した。
「残念ですわね~。私が興奮しているのは、ウーノさんの体ではなく、妻を愛するその精神性ですわよ~。あら、ミーシャのように即物的肉体的な物ではなく、心の在り様に興奮している方が、ウーノさんに純愛してるんじゃありませんこと?」
「い、言わせておけば―!!私の方がウーノさんを愛してますから!絶対絶対そうですから!」
再びミーシャがエカテリーナに掴みかかるが、今度はエカテリーナもミーシャにやり返して、くすぐり攻撃を仕掛けた。魔法使い兵の尉官といっても、二人ともまだ10代の少女なのだ。キャイキャイと、戦場には似合わない明るい声でじゃれた。
そうして狭い塹壕の中で遊んでいると、再び後方から爆発音が聞こえた。二人がいる塹壕も少し揺れ、壁から土がパラパラと落ちた。
それを見て、最初に動きを止めたのはエカテリーナだった。
「今の、感じましたわよね?地面が、少し揺れましたわよ……後方の砲撃陣地とこの塹壕では、距離がありますもの。普通の砲撃では、揺れが伝わるわけがありませんの」
砲兵陣地は離れた位置にある。いくら爆音と言えど、塹壕を揺らすことは、今までなかった。それが大きな違和感になったのだ。
その呟きに、ミーシャも動きを止めた。
「そうですね……それに、いつも砲撃の時は魔導具が連続して起動するのに、さっきのは一回だけ……」
「……言われてみれば、妙ですわね。普通は、砲撃の爆音は連続して聞こえてくるはず……単発で終わるわけがありませんわ」
さっきまでふざけてじゃれ合って、怒り笑いしながら取っ組み合っていた二人は、すっかり兵士の顔になって状況を分析していた。
何か、何か想定外の事態が起きているに違いない。エカテリーナとミーシャは、剥がれ落ちた塹壕の土壁を見ながら、思考を深めていく。
彼女たちが答えにたどり着いたのと、後方から叫び声が聞こえたのは、ほとんど同時だった。
「Marchons au pas!(前進せよ!)」
スーラフ語の掛け声が、大音量で響き渡る。
ラシスカが利用しようと計画していたトンネルと同じようなものを、スーラフに利用されてしまったのだ。
この日、ラシスカ軍の防衛線は崩壊した。




