90日目①
春から私の国は戦争してるらしいけど、3か月くらいして今は夏。負け続きとか何とかで大人は難しい顔してるけど、私には友達との付き合いの方が、重大な問題だった。
「ね、ねえ、みんな、帰ろ……怒られるって」
「まあ、タチアナは弱虫ね!怖かったら先に帰ってもいいのよ?」
「こ、怖くないもん!」
薄暗い森の中を貫く、ガタガタとした道。
森に住んでいる、ウーノ兄さんの家につながる道を、私含め4人で、女友達と一緒に歩いていた。
森には魔物が出るから、魔物避けがしてあるこの道でも、11歳の私たち子供は通ってはいけないと、大人たちから言われてる。
だから私は反対したけど、みんなはちょっとした冒険だと言って、行ってしまった。
私は本当は来たくなかったけど、仲間外れにされるのが恐くて、ここまで来てしまった。
ラシスカは夏でも涼しいけど、森の中は風通しが悪くムシムシした。じっとり汗が出てくるような、嫌な暑さだった。
「あ、あれよあれ。……よっしゃ、やっぱりね!男の一人暮らしだっていうのに、洗濯物外干ししてるわ!」
しばらく歩くと、木がない開けた場所についた。中心にログハウスが建っている。
リーダーの子は、その家を見て指をさした。ウーノ兄さんの家だ。
「それがどうかしたの?」
「今からパンツを頂戴するのよ!あいつ男のくせに無防備すぎるし、1枚2枚盗られたところで、気が付かないわ!」
その計画を知らなかったのは、私だけだったようだ。他の子はみんな、緊張しながらも、唾を飲んで頷いていた。
「だ、ダメだよ!そんなの!」
「まあ、タチアナは真面目ぶっちゃって!本当はそんな勇気がないだけでしょ?」
「そ、そうじゃなくて……」
私が言いよどむと、リーダーの子がイジワルな顔をした。
「じゃあ、証明して見せなさいよ。今から一人で、あそこからパンツを盗ってくるの。そしたら、あなたが臆病者じゃない、って認めてあげる」「やってこいよ!」「行きなさいよ!」
私は無理やり背中を押されて、前に出てしまった。
振り返ると、みんなニヤニヤ笑っていた。このままやっぱり無理、と言うと、きっとこれからずっと仲間外れにされる。パンツ泥棒が目的だって、私だけが知らなかったし。
ウーノ兄さんは、お父さんと仲が良いから、良く家に遊びに来る。
長女で弟と妹の面倒を見ないといけない11歳の私にとって、年上で甘やかしてくれるあの人は、兄のような存在だった。
でも、もしもパンツを盗んだのがばれたら?二度と、私の頭を撫でてくれないだろう。
いつも優しくしてくれるウーノ兄さんが、私を軽蔑する目で見ている……想像するだけでも、怖ろしい。
……でも、それ以上に、私は仲間外れが恐かった。村で孤立したら、もう生きていけない。
「ごめんなさい……」
彼の顔を思い浮かべて謝罪しながら、私は軒先に吊るされた洗濯物に近づいた。そうして、目的のパンツを手に取ったところで……
「あっちー……手ぶくろ長袖長ズボン、やめようかな……でも、不注意で女の人と身体接触するの防ぐには、これしかないし……あー、あちいあちい」
ウーノ兄さんが大きな独り言を言いながら、家から出てきた。こっちに向かってくる!
私は助けを求めるつもりで、視線を道の方に向けるけど、みんなが走り去っていく背中が見えた。見捨てられたんだ。
「ど、どうしたら……」
近づいてくる足音に、私は隠れ場所を探したけど、どこも見つからなかった。
下着泥棒がバレたら……さっきの想像が、現実になりかけている。心臓がバクバクして、呼吸が浅くなるのを感じた。
いよいよ足音が大きくなって、私は覚悟を決めた。
道に逃げても、男とは言え大人のウーノ兄さんにはすぐ追いつかれる。森の中に逃げ込むしかない。
「んん?足跡?誰かいる……あ、ちょっと!?そっちは危ないよ!」
掴んだパンツを捨てるのを忘れて、私は走り出した。茂みに走りこむのを少し見られたのか、ウーノ兄さんが追いかけてくる。
私は何とか逃げ切ろうと、大人ではくぐれない木の根の隙間を這って、どんどん森の奥に進んだ。
しばらくして、ウーノ兄さんの声は完全に聞こえなくなった。でも、無我夢中で逃げたせいで、すっかり方角が分からない。
自分が走って来た足跡をたどれば、帰れるかも……そう思ったけど、夏の森は草がボーボーで、付いた足跡はすっかり分からなくなっていた。
「ど、どうしよう……」
私はその場にへたり込んだ。完全に迷ってしまった。
喉が渇いてきて、焦りが恐怖に変わり始めた時、恐ろしい唸り声が聞こえた。
「グルルル……」
「ま、魔物!」
狼に似た、でも狼ではない、もっと恐ろしい存在。
魔法が使える生き物、魔物だ。
口元には、その証拠である金属光沢を放つ、土の魔法で鉄みたいに固くした牙。
そしてその魔物は、私に飛び掛かって来た!
渇きで死ぬ前に、この魔物に生きたまま食い殺される。
どちらがより辛いか見当もつかない。私は予想される痛みに怯えて、目をつむった。
でも、それは訪れなかった。代わりに、私の顔に、何かがポタポタと触れた。
薄目を開けると、魔物は何かに食いついて宙ぶらりんになっていた。
何かは、誰かの腕だった。誰かが私を庇うように、腕を突き出していて、そこから血が滴っていた。
そしてさらに見上げると、誰かは、ウーノ兄さんだった。
「この……喰らえ!」
「キャインキャイン!」
攻撃用の魔導具か、氷の刃が出現し、魔物を切りつけた。
魔物は悲鳴を上げて、ウーノ兄さんの腕から口を離した。
彼は苦痛に顔をしかめつつ、更に魔導具を展開して、魔物を切りつけた。長い魔法の爪が伸びた前足が、切り落とされた。
魔物は手傷を負わされると、恨めし気に唸った後、森の奥に姿を消した。割に合わないと判断したんだろう。
「……ご、ごめんなさい。私……」
「ぐうぅ……ああ、やっぱり……パンツ泥棒さん、怪我はない?」
苦痛に腕をしかめつつ、ウーノ兄さんは私が握りしめていたパンツを見て、にやりと笑った。
ウーノ兄さんは、私に恨み言の一つも言わず、泣き言一つこぼさず、涙も流さないで、私を家まで導いてくれた。
家に着くと、ウーノ兄さんは自分の腕の治療を始めた。回復魔法が使える魔導具を片手で器用に扱った。
「あ、あの、私、何か……」
「ああ、それなら……そこの棚に回復薬が……そう、それ……で、蓋を開けて、傷口に……ぐっ……がぁ……」
指示の通りに回復薬を開けて傷口にかけると、煙を上げてジュウジュウと音がした。
「だ、大丈夫!?」
「ああ、ああ……大丈夫だ……ふうぅ……ほら、もう元通りだろう?」
ウーノ兄さんはそう言って、私に手をグーパーして見せた。
「良かった……」
私がホッとすると、ウーノ兄さんは再びニヤリと笑った。いたずらっぽい、からかうような、そんな笑顔。
「さてと、タチアナちゃん?どうしてパンツ泥棒なんてしたのかな?はは、いやー、セクシーすぎてすまない」
「ご、ごめんなさい……臆病だって思われたくなかったらやれって、友達に……」
「あっ……俺が色気たっぷりの人夫だからとか、そういう訳じゃないのね……コホン。ともかく、だめだよ!」
咳払いの後、ウーノ兄さんは怖い顔になった。
「はい。パンツ盗んで、ごめんなさ……」
「森の中に入っちゃ、絶対にダメだからね!」
私が想定していた方と全く違うことを怒られた。
「……え?あの、パンツのことは……」
「うん?まあ、年頃の女の子だし、そういうの気になる年齢でしょ?盗むのはダメだけど、まあ、今回は許してあげる。それよりも、森は危ないから……」
まだ森に入ったことを説教するウーノ兄さん。私は生返事しながら、なんで許してくれるのか、グルグルと悩んだ。
「あ、あの、それで……」
「ああ、うん。言わなくていいし、言わないよ。君が俺の下着盗もうとしたことは、俺の心の中に仕舞っておく。もちろん、エルモライさんにもゾーヤさんにも言わない」
なんで?どうして?パンツが盗まれたのに?男の人にとっては、すごく嫌なことじゃないの?私のこと、気持ち悪いって思ったり、嫌いにならないの?
なのに、なんで……親にも黙ってくれるって……私に、都合がよすぎる。
「ど、どうして、許してくれるの?どうして……助けてくれたの?」
「んあ?えー……まあ、そうだな……似てるから、かな?……ああ、そうだ!友達に強要されたんでしょ?パンツ取ってこいって。女の子はその辺、妙なところでも度胸とか勇気を示さないといけなくて、大変だよね。ちょっと待っててね……あ、お茶とか、その辺の本とか、好きに読んでいて良いから!」
ウーノ兄さんはそう言って家を出た。しばらくして、外から魔導車が動く音が聞こえて、遠ざかった。
「……私一人置いて、無防備な……またパンツ盗まれるかもとか、心配じゃないの?それに、似てるからって、誰に……」
私がそんな疑問を考えながら、じっと待っていると、また魔導車の大きな足音が聞こえてきた。
「お待たせ!タチアナちゃん、君にこれをあげよう!」
帰って来たウーノ兄さんは、毛の生えた棒と、魔導具を私に渡してきた。
「あの、これは……?」
「さっき襲ってきた、魔物の前足。で、これはその時使った、攻撃用魔導具。これはもう壊れちゃったみたいだけど……ほら、これがあれば、とっさにその辺に落ちてた魔導具を使って魔物を撃退した!って、自慢できるよ!そうすれば、友達だって君にナメた口きけないさ!あ、でも、大人には秘密にしておいてね?」
ウーノ兄さんは、イタズラっぽそうに笑った。
男の人なのに、女の私を庇って傷ついて、それでも気丈に振舞って。
パンツを盗まれたのに、全然怒らなくて、私のことを心配して怒ってくれて。
そして、私が仲間外れにならないように、馬鹿にされないように、わざわざ危険な森に戻って、魔物の足を取ってきてくれた。
優しい、強い、無防備、かっこいい……
私は、彼の笑顔を見て、初めての感覚に陥った。
心臓がバクバクするし、顔が熱い。ずっとウーノ兄さんを見ていたいけど、ウーノ兄さんから隠れたい。
「は、はい……」
「よし、じゃあ、森の入り口まで送るよ」
送る、そう言われて、私の中で、ウーノ兄さんと手を繋いで歩いている自分が想像された。
「だ、大丈夫!一人で帰れるから!」
その想像の恥ずかしさに耐えきれなくなって、私はその場から逃げ出した。
玄関を飛び出して、村への道を走った。
家が見えなくなりそうなところで振り返ると、小さくウーノ兄さんが見えたけど、追ってはこなかった。
心配して見送ってくれたんだ!
そう思うと、私は嬉しくて、恥ずかしくて。それを打ち消すために、全力で走った。
そうして走って森を出ると、みんながいた。
「あいつ、捕まったんじゃ……」「タチアナが、私たちのこと喋ったら……」「ウーノなら……でも流石に……」
「あ、み、みんな……」
私が声をかけると、一斉に振り返った。
「タチアナ!私たちのこと、喋ってないでしょうね!?」
リーダーの子に肩を掴まれた。
私を置いて逃げたことの謝罪は、無かった。
「……捕まらなかったから、大丈夫。それに、見て、これ」
「え?何よ……これ、狼の足?でも、爪が鉄……?」
「も、森に逃げたんだけど……魔導具が落ちてたから、それで魔物を、倒したの」
私がそう言うと、みんなが目を丸くした。
「す、すごい……」「信じられない……」「姉ちゃんでも、一人で倒したことないって……」
ウーノ兄さんが言ったとおり、みんなの私を見る目が、変わったのが分かった。
「た、タチアナ……さっきは、先に逃げて、悪かったわね……」
今頃になっての謝罪だったけど、私にはそれが心地よかった。
私が『上』に立ったんだって、そう思えた。
「ううん、いいの。あ、でも、これ、私たちだけの秘密ね?大人にばれたら、怒られちゃうから……」
「わ、分かったわ」
皆がコクコクと頷く。私が『怒られるからやめよう』って言っても、聞いてくれなかった皆が。
私は気分がよくなった。
この後もみんなに色々言ってやりたい気分だったけど、丁度正午の鐘がなった。家に戻って、仕事を手伝わなきゃ。
それで、みんなで解散しようとした時に、リーダーの子が私の頬を指した。
「ね、ねえ、それって、魔物の返り血?」
頬を触ると、乾燥して粉みたいになった血が指についた。あの時ついたウーノ兄さんの血だ。
「……うん、そうだよ」
「す、すごいわね!見直したわ……」
興奮気味に言うリーダーの子から、逃げるように家に帰った。
ただいまも言わずに洗面所に行って、鏡を見る。頬には小さな血痕が残ってた。
私は鏡を見ながら、爪でカリカリとこすった。
「これが……ウーノ兄さんの……」
赤い塊が爪と指の間に入った。
小さいときは、お母さんから爪を噛むなって、怒られてた。今はもうしなくなったけど。
「……うふふ……甘い……」
久しぶりに噛んだ爪は、とっても、とっても、オイシカッタ。




