307日目①
何か夢を見ていた気がする。飛び切り素晴らしい夢を。
もう少しで幸せの絶頂、そんなタイミングで、目が覚めた。
ドンドンドン。そして続くエカテリーナの声。
何時もだったらこの時間には目が覚めているのだが、今日は寝すぎたらしい。
「今行くよ!」
返事をしながら慌てて飛び起きた所で、股間に痛み。理由は単純、朝の生理現象ではあるが、いつも以上にMy Sonが元気になっていたのだ。
この状態でエカテリーナの前に姿を現すのは憚られる。しかし、出ないわけにもいかない。
ウーノは毛布を掴んで体の前を隠しながら、扉を開けた。
「ただいまですわ」「ただいまーぁー」
イネッサも一緒に帰って来ていたらしい。あくびをしながら彼女は目をこすっていた。
「お帰り、二人とも」
ウーノは片手で毛布を抱え、もう片方の手で二人の荷物を受け取り、えっちらおっちら上着をハンガーにかけたり鞄を片付けたりする。
「あら、ウーノ、どうかしましたの?毛布をずっと抱えて、寒いんですの?」
「あ、ああ。そうなんだ」
「寒い?暖房の魔導具は……ああ、ちゃんと動いていますわね。冷え性ですの?」
「ああ、まあね」
誤魔化すように笑うウーノに対して、エカテリーナは少し心配そうにするものの、イネッサはニンマリと口角を上げて目を細めた。
「ああ、なるほどねぇ。冷え性ねぇ、男は大変だねぇ。どれ、アタシが温めてやろうか?」
この世界で冷え性と言うと、男がなる不調だ。と言うか、身体的な不調だとか病弱だとかは全部、男のイメージがある。
女性は身体強化魔法と回復魔法で、基本的に全部解決できてしまうからだ。
そんな訳で、ウーノは男らしい可愛げのある言動をしたことになるのだが……イネッサはまるで全部分かっていると言わんばかりに、ニヤニヤ笑いを浮かべて彼から毛布を剥ぎ取ろうとした。
「いや、ちょ、結構結構!もう治ったから!」
「おうや、なら毛布はいらないねぇ」
「や、やめ、止めろぉ!」
「イネッサ、ウーノにちょっかいかけないで下さいまし。困ってるじゃありませんの」
エカテリーナの介入もあり、ウーノは何とか毛布を死守することに成功した。
別に裸を見られても、照れはしても恥じらいは無い。しかしアソコがオッキしてるのを見られるのは恥ずかしかった。興奮してるならまだしも、生理的に肥大化しているだけだし。
因みに、こんなやり取りをしつつも、何故だかムスコはまだ元気だった。
「くく、なあに、ちょっとからかっただけさね。オトコノコの朝だったみたいだからねぇ」
「オトコノコの朝……?ああ、そんな表現するんだ」
少し考えて、朝立ちのマイルド表現だと気が付いた。
この世界の男性はあまり下ネタを話さない。そして人夫のウーノに露骨なセクハラしてくる人間は村には(表立っては)居ない。
よってウーノにその手の語彙力は、あまりなかった。
とは言え男子校出身、そっちの言葉への適応力は高いのだ。
「何ですの?オトコノコの朝?」
一方のエカテリーナは知らなかったらしい。首をかしげていた。
「カマトトぶってんじゃ……って、騎士サマはオボコだったねぇ、知らないのも仕方が無いか」
「何ですのよ、いったい。その言い方だとまるで、性的な……」
「そうさね。アソコが大きくなってるってことさ」
あっけらかんと言うイネッサに、エカテリーナはアソコが何か理解して、頬を赤くした。
「あ、あぁ!そう言うことでしたのね!そう言えば官能小説でもそんな表現、見たことがありましたわ!なるほど、ウーノは今……」
全てを理解したエカテリーナの視線は、毛布で隠されたウーノの股間に集中した。
「あの、ごめん。俺が人夫だという事実、忘れてない?あそこに妻がいるんだよね。あまり見られると、こう、うん」
「はっ!コホンッ、ご、ごめんあそばせ!」
エカテリーナは慌てて顔を背けて視線を外す。しかし気になるようで、紫の瞳がキョロキョロと彷徨っていた。
「クク、純朴なアモリア純潔処女修道騎士には、刺激が強すぎるらしいねぇ。まぁ、まだ元気ってことは、さっき起きたってことだろう?ミーシャの世話、してやんな」
一通りからかって満足したのか、イネッサはその場に服を脱ぎ捨てながらシャワー室へと向かって行った。
ウーノは肌色成分多めの生脱衣から頑張って視線を外し、エカテリーナに半笑いで伝える。
「まあ、うん。あっちで朝のお世話、してくるよ」
「え、ええ。行ってらっしゃいまし」
エカテリーナはモジモジとして、小さく頷いた。
そう言うわけで、ミーシャの日常の介護を始めたが、一つ問題があった。
オムツ替えである。
オムツを脱がせて交換するのだから、ミーシャのアソコを必然的に、見てしまうのだ。
今までは、ちょっと邪念が沸いても、『これは介護、不適切』と戒めていた。
しかし今はどうか。そこそこ時間が経ったにも関わらず、ウーノのゾウさんはグレートマンモスのままだ。
この状態でオムツ替えおよび体を清めるのは、非常に倫理的危機である。
ウーノは必死になって、知り合いの男性の顔を思い浮かべようとした。
村の男衆、それからヘンリク、ルカ……ルカは止めよう。
しかしそうして必死に煩悩を退散させようとしていたところで、ミーシャが身じろぎしたのが見えた。
何時もの生理反応。排泄前の身動き。体の中の感覚が、生きている証拠。
そこでウーノに、天啓が舞い降りた。
臍から下腹部。刻印の場所。生身の肌が残る、その一帯。
それはまさに夫婦の営みで、最も深く、最も近く、触れ合う場所ではないか。
指で文字を書いても届かない。
声をかけても届かない。
回復魔法も緊急回復薬も届かない。
でも、肌よりも奥深く、肉の中に触れ合う、あの体の芯が溶けるような、二人だけの最も原始的なつながりなら。
それなら、届くかもしれない。
心臓が高鳴り、ドクドクと血流が全身をめぐる。ただでさえ充血していた海綿体に、更に血が流れ込む。
これは欲望ではない。いや、欲望も混ざっている。でも、それだけじゃない。
伝えたいのだ。俺はここにいる、と。
言葉が届かないなら、体で。
決意を固めたウーノは、急いで隣の部屋の戸を開けた。
バスタオルで頭を拭いているイネッサと、シャワーを浴びようと脱衣所の扉を開けかけているエカテリーナが居た。
「ひらめいた!ひらめいたんだ!ミーシャちゃんを起こす方法を!」
色々と興奮状態のウーノは、目を充血させて叫んだ。
突然の大声に驚いた二人の視線が、彼に向けられる。そして視線が下がる。目が見開かれた。
「う、ウーノ?その、隠さなくて良いんですの?」
「いや、眼福だねぇ」
その反応を気にせず、ウーノは自分の言いたいことだけを言う。
「言葉で言っても分からないなら、体で分からせれば良いんだよ!ちょっとミーシャちゃんに分からせしてくるから、しばらくあっちの部屋には来ないでくれ!あぁ、あとエカテリーナ、消音の魔導具貸してくれ!」
「え、えぇ……」
エカテリーナから魔導具を受け取ると、ウーノはイネッサの方を向いて股間を指さした。
「イネッサ!これは愛だよ!俺の想いは、間違いなく、愛だ!自己陶酔でも義務感でも無く、俺はミーシャちゃんを女として愛してる!これがその証拠だ!はは!悩ませてくれたね、君は!」
ポカンとしたままの二人を置いて、ウーノは元の部屋に戻ろうとする。
しかしその直前、エカテリーナは思い出したように声をかけた。
「その、ウーノ?くれぐれも、くれぐれも一人で悩まないでくださいましね?後絶対に、ミーシャを抱えて窓から……」
「分かってるって!その話はしないでくれよ、心配いらないさ!」
どこか熱に浮かされたような、様子のおかしいウーノを見て。シュチェンでの窓外逃亡事件を引き合いに、不安げな顔をするエカテリーナ。
そんな彼女に、ウーノは歯を見せて笑うと扉を閉めた。
そのままズンズンとベッドに歩いて行く。
消音の魔導具を起動する。風が鳴り、部屋の音が外に漏れなくなったことを確認した。
寝台のミーシャの前に、膝をつく。
布を剥いだ。おむつの紐を解く。
下腹部から太腿にかけて、生身の肌が露わになる。白く、血の気が薄い肌。それでもミーシャの、妻の肌だ。温かい、人間の、愛する女性の柔肌。
オムツを包んで捨て、股間を清める。その作業中、ミーシャは身じろぎ一つ無い。
しかし、それは表面に触れているだけだから。体内の感覚は、まだ無事なはずだ。
ウーノは、ガラスに覆われたミーシャの唇に、顔を近づけた。
相変わらず、冷たく硬い。
でもその下に、ミーシャがいる。
再び口づけを、落としながら。彼もまた、自らの服のボタンに、手を掛けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
最近聞こえて来る幻聴は、ウーノさんの声ばかり。
イネッサの幻聴に飽き飽きしていた私にとっては、とても嬉しいことだ。
それにしても、私の世話をしている人は、何時になったら投げ出すんだろう?
食事だけじゃない、食べてるんだから、出してるはず。実際に尿意や便意は感じるし、お腹が動く感覚はある。出してるときの感触は、触覚が鈍くなっているからか、感じないけど。
ともかく、オシッコとかウンチの後始末まで、されているはずなのに。こんな状態の私を、そんなに面倒を見ているなんて。一体何の目的なんだろう。
……まあ、いっか。考えても仕方が無い。それより、また幻聴が聞こえて来た。
『愛してるよ、ミーシャちゃん』
「はい……!私も、愛してます!」
静寂の暗闇に向かって、私は返事をした。
この幻聴が、私の無意識が作り出した虚しい記憶の残響でも、心が温かくなる。
彼が私に、そんな言葉をかけてくれるはずは、無いのだ……け……ど!!???!!!!!??!?
えっ!??!!?あっ、何が!??!???!!!あ、あぁ!!???!!???
この太さ、この熱さ、この形!!??!!??
えっあ、ウーノさん!?!?!!!!???!これ、ウーノさん!?!!??!!!?
あ、あぁぁ……あっ❤
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
エカテリーナとイネッサは向かい合っていた。消音の魔導具のおかげで、隣の部屋からは何も聞こえない。
宿の他の宿泊客の足音、外から聞こえる子供の笑い声。小さく聞こえる街の雑音をBGMに、二人は何をするでもなく座っている。
エカテリーナは寝台の端に腰を下ろし、膝の上で手を組んでいた。イネッサは窓枠に腰を掛け、片足をぶらぶらと揺らしている。
手持無沙汰になったイネッサは、窓を開けて眼下の大通りを見下ろす。
寒風が吹きこみ、部屋の温度が下がる。イネッサは身震いして、窓辺から離れた。
窓を開けっぱなしにして横に避難したイネッサに呆れつつ、エカテリーナは立ち上がって窓を閉める。
そしてしかりつけるようにジロリと睨むと、イネッサは小さく舌を出した。
エカテリーナはため息をつき、今度は自分が窓辺に腰かける。
そしてふと、気になっていたことを尋ねた。
「……なんか、様子がおかしかったですわね。消音の魔導具まで借りて……何かありましたの?」
エカテリーナが、首を傾げる。
イネッサは碧い瞳を天井に向け、ふっと鼻から息を抜いた。
「おいおい、あの様子を見て分からないのかい?何って、ナニだろうねぇ」
「……ナニ?」
「ナニ」
一拍の間。エカテリーナの紫色の瞳が、一度瞬いた。二度。三度。
「……ナニ、ですの!?あ、あの状態のミーシャと!?まさか、その……元気になりますの!?いえ、大きくなってましたわね……!いえでも、その、それを維持できますの!?」
声が裏返った。
「さてね。あの状態のミーシャ相手じゃ、並みの男ならケツをほじくり返して無理やり勃たせても、挿れる前に折れるだろうさ。でもアイツ、並みの男じゃ無いからねぇ。一級品の大淫夫さ」
「ちょ、すっごくオカズにしたいですわね!いえ、流石に今のミーシャとの交わりをそうやって使うのは、それは人として……」
エカテリーナは壁の向こうの光景が気になって、首が真横に固定されてしまった。
あまりにも素直な反応に、イネッサはクツクツと肩を揺らし笑う。
「クク、まあ手伝いは不要かねぇ。あんな状態のミーシャでも、女としてちゃんと愛してるみたいだしねぇ」
イネッサは笑顔の残滓で唇を歪めて、静かに息を吐く。その言葉にエカテリーナも理性を取り戻し、小さく咳払いして頷いた。
「ええ、そうですわね。あの姿のミーシャを見ても……ウーノは、今まで一度も顔を歪めませんでしたわ。特に、2週間前、初めてその姿を見た時も。四肢がない。顔もない。声も出せない、耳も聞こえない。事前にそう聞いていても、それでも直視すれば辛いでしょうに。ただ穏やかで、妻のために何かしようと……純愛、ですわね」
ホゥと嬉しそうに、眩しい物を見るように、エカテリーナは目を細める。
それに対して、イネッサは水を差すように、低い声で笑った。
「へっ、どこまで持つか、見物だねぇ。生きる気力もない奴を、ずっと看護し続けるのは、心が疲れるよ。確かにアイツは、随分と生意気な表情をしてたさ。下の世話だって、苦でも無い、当然だって顔で。でも、いつかは擦り切れるさ、きっと」
自分がそうだった。最後までは言わずとも、遠くを見るように、イネッサは窓の外に視線を向ける。
空風が吹き、葉の無い枝木が揺れていた。
エカテリーナは膝の上の手を見つめた。組んだ指に、力が入る。
「……ウーノは諦めませんわよ。擦り切れることなく、きっと。ミーシャが生きるのを諦めるのを諦めるまで、ずっと愛し続けますもの」
「はんっ、どうだかね」
皮肉気に、イネッサは呟く。エカテリーナはそんな悲観論を吹き飛ばそうと、重要な事実と推論を述べた。
「それに、ミーシャ曰く……ウーノはとても、テクニシャンだそうですわ。きっと長らく自分の指以外くわえ込んでいない体に与えられた快楽の洪水で、ミーシャも直ぐに、気が付きますわよ。イチコロですわ」
「……ぁあ、ウーノの奴がテクニシャンかはともかく……ミーシャはマジで、弱いからねぇ」
案外本当にそうなるかもしれない。
それにしても、自分の言葉に対して、まさかあんな形で返事をするなんて。
イネッサは意地悪な笑みを忘れ、ただただ自然に、小さく笑った。
この世界に、機械時計は無い。
時間を測るには、日時計か、水の魔導具から一定量ずつ落ちる水で刻を数える水時計を使う。どちらも宿の客室一つ一つに置いておくような代物ではない。
しかし、窓から差し込む光の角度で、おおよその見当はつく。
ウーノが別室に移ったのは、朝方、自分たちが戻ってきてしばらくしてからだった。今はもう、西日が壁を赤く染めている。
エカテリーナとイネッサは、交代で部屋を離れて昼食を済ませた。その後に仮眠を取ったりしつつも、ソワソワして待っていた。
しかしウーノは、その間ずっと別室にこもりきりだ。消音の魔導具が効いているから、壁の向こうからは物音一つ聞こえない。
最初の一、二時間は、まあ久しぶりの夫婦水入らずだし、と納得していた。
三時間を過ぎた頃から、エカテリーナが膝の上の手を組んだり解いたりし始めた。イネッサは水を手のひらに生み出して、魔法で手慰みをしている。
四時間を過ぎると、さすがに落ち着かなくなった。盛り上がるといっても、ミーシャはあの状態だ。できることには、限りがあるはずで。
「……流石に、長すぎますわね」
エカテリーナの脳裏に、シュチェンでの窓外脱出事件がよぎった。釘を刺したし、心配するなと言われたが……
「寝てるんじゃないかい?ヤッて疲れて、そのまま」
イネッサの一言で、不穏な妄想が途切れる。
それもそれで問題だが、窓から逃亡されるよりはマシか。エカテリーナは立ち上がり、隣室の扉を叩いた。
「ウーノ?結構な時間が経ちましたけれど、大丈夫ですの?」
数秒の沈黙。それから、バタバタと慌てて何かを整える気配がして、ドア越しにウーノの声が返った。少し息が上がっている。
「ああ、ごめん、夢中になってたよ。そろそろ、やめた方がいいかな」
イネッサもやってきて、ドアの横に寄りかかり腕を組んだ。
「いや、大丈夫なら良いけどねぇ……で、何発やったんだい」
「えーっと、10回以上かな?」
エカテリーナとイネッサは、顔を見合わせて目をパチパチと瞬く。
そして同時に叫んだ。
「「……10!?」」
声がハモった。
「じゅう、じゅう、10回ですの!?」
「いや、あの、こう……股間に身体強化魔法かけると、無限にいける気がして……」
「死ぬよアンタ!!腹上死って知らないのかい!?交わりの最中に心臓が止まって死ぬことさ!!身体強化で疲れを忘れてるだけだよそれは!」
イネッサが奔放な生活の中で見聞きし、肌で覚えた実感だった。
身体強化魔法を使いこなせる男は少ない。魔法は感情の世界なのだ。男が体系的に学ぶ機会は無い。
しかし中には、天性の才か、それか偶然知り得て会得する男もいる。そして、そうした男が娼夫になると、身体強化魔法を股間にかけてお馬さん状態になれるのだ。そしてその娼夫は爆売れして、早くに亡くなるのだ。やり過ぎて。
連続で5回も出せば負荷が多い。それを半日ほどで10とは、明らかに異常値である。
「え、あ……それは、まずい、のか?」
「まずいに決まってますわ!!」
エカテリーナも参戦する。二人がかりの怒声が、ドア一枚隔てて響いた。
ウーノはドアの向こうで素直に反省の声を上げた。
「分かった、分かったから……! もうやめるって……!」
消音の魔導具が解除されると、隣室から微かに窓を開ける音がした。換気しているらしい。
しばらくして、ウーノがドアを薄く開けた。顔だけ覗かせる。頬が火照って赤く、額に汗が滲んでいる。
「あー、その……ベッドのシーツ、洗わないとダメだな、これ。替えのシーツとか、宿にあるかな」
イネッサが呆れ顔で立ち上がった。
「はいはい……アタシが聞いてくるよ。ついでにタオルと、水桶も貰ってくる」
イネッサは宿屋の娘である。こういう時の段取りは、体に染みついていた。客室の備品がどこにあるか、汚れ物をどう処理するか、女将にどう話を通すか。実家の宿、虎の王城で手伝っていた頃に、何度もやった雑事だ。
イネッサが階下に降りていく間に、エカテリーナがドアを開けて部屋に入った。
窓が全開になっている。冬の冷たい風が吹き込んでいるのに、部屋の空気はまだ生温い。汗と、それから……まあ、それ以上は考えないことにした。
ミーシャは寝台の上で、毛布に包まれていた。下腹部の辺りに、新しいおむつが当て直されている。不器用だが、丁寧な当て方。ウーノがやったのだろう。
エカテリーナはミーシャのガラス化した額にそっと手を当て、状態を確認した。呼吸は安定している。特に悪化した様子はない。ひとまず安心して、後始末を手伝うことにした。
正直一人になりたい気分だが、鋼の意思で、我慢した。
しばらくして、イネッサが替えのシーツと水桶を持って戻ってきた。
「女将には、『色々あって疲れで汗をかいた』って言っておいたよ。まあ、嘘じゃないしねぇ」
「ある意味ではね……」
イネッサは手際よく新しいシーツを広げて寝台に被せた。角を折り込み、皺を伸ばし、マットレスの下に端を挟む。十数秒で完了。
「……早いな」
「こんなの初歩の初歩さ。宿屋の仕事はまず、ベッドメイキングと皿洗いから仕込まれるんだよ」
イネッサは水桶から布巾を絞り、ミーシャを拭った。ついでにもう一枚タオルをウーノに放る。
「ほれ、アンタもシャワー浴びてきな。アタシはともかく、そこの騎士サマは辛抱溜まらんて顔だ」
「ちょ、そんなことは、ありませんわよ!夜更けまで、みんなが寝静まったころまで待てますわよ!」
「それを辛抱溜まらんって言うんだよ、アンタ」
イネッサは呆れ顔だ。色々と性に奔放な彼女だが、随分と行儀が良い。
ウーノは少し不思議に思いながら、シャワー室に向かう。この宿は大浴場は無いが、代わりに簡素なシャワー室が、それぞれに備え付けられていた。
手荷物から代えの下着も持って、汗と体液を流す。
ウーノがサッパリして戻って来た間に、ミーシャの清掃も終わったらしい。
最後におむつの当て方を微調整し、擦れる部分に柔らかい布地を噛ませていた。
「……ふうん」
小さく呟いた。何を確認したのかは、言わなかった。
ウーノは今更ながら、少し気恥ずかしくなった。とはいっても、その恥じらいようはこの世界の男性からすれば大分軽い。
困り顔で頬を掻く彼を見て、エカテリーナは頬を赤らめてため息をついた。もう何も言うまい、である。
あれこれと後始末が済むと、ウーノはミーシャの寝台の横に座り込んだ。離れるつもりは無かった。
「腹減ったろ、夕食はどうすんだい?下に食堂があるけど」
「ミーシャちゃんの傍にいたいし、今は良いよ。途中で、余った干し肉とか食べたし」
迷いのない即答だった。イネッサは肩を竦めた。
「はいはい……何か適当に貰ってきてやるよ。そんだけ出したら、食わないと本当に体壊すよ、アンタ」
イネッサは呆れ顔で言いながら、部屋を出て行った。
やはり妙に、協力的な気がする。まあ、ありがたいのだが。
イネッサが食堂から夕食を運んできてくれた。パンと、根菜のスープと、干し肉。三人分。礼を言って受け取る。
ウーノは寝台の横の床に座ったまま、片手でパンをちぎって食べていた。もう片方の手は、ミーシャの生身の下腹部に触れたまま離さない。
エカテリーナは椅子に座り、スープを匙で掬いながら、ちらちらとウーノを見ていた。何か聞きたそうに口を開きかけ、閉じ、また開く。
イネッサは窓際に腰かけ、干し肉を噛みながら黙っている。
「……訊いてもよろしいかしら。その、10回も出せるほど……興奮できましたの?今のミーシャで」
聞きにくいことを、エカテリーナは聞いた。
動機は好奇心とか野次馬根性では無い。今のウーノの心の内は、敬虔なる純愛過激派として知りたい、純愛の在り方なのだ。
ウーノはパンを咀嚼しながら、あっけらかんと答えた。
「ミーシャちゃんに、俺が来たと分かってもらえるまで、やり続けようと思ってたんだ」
「分かってもらえるまで……?」
「目が見えない、耳も聞こえない、声も出せない。触覚も、ほとんど遮断されてる。でもココは無事だ。なら、体で、伝えるしかない、でしょ?」
少し照れくさそうに、頬を掻いた。
エカテリーナは匙を持ったまま、動きを止めていた。
「その……ある種の使命感、と言うことかしら。興奮材料は」
声が小さくなる。言葉を選んでいる。
四肢がなく、顔もガラスに覆われた妻。その姿を前にして、男として、滾れるものなのか。
ウーノは、ミーシャのガラス化した頭を、そっと撫でた。指の下で、ガラスの髪がかすかに軋む。
「使命感か……少し違うかな。姿かたちが変わっても、ミーシャちゃんはミーシャちゃんだから、それだけでこう、ねぇ。そりゃ、可愛い系の美人で、小柄で、守ってあげたくなる感じとか……容姿も、俺好みだったよ」
「胸が小さくてもかい?」
イネッサがチャチャを入れる。しかしその表情は、どことなく気遣わしいように見えた。
「俺の好きな胸は、好きな人の胸さ。まあ、大きいと視線を奪われるのは、事実だけどね。でも、顔とか体は、好きになった要素の一部でしかない。ちょっと臆病で口下手で、意地っ張りで、見栄っ張りで、ほんのちょびっと暴力的。でも、誰よりも一途で俺を気遣ってくれる。そんなミーシャちゃんを、俺は愛してるんだ。どんな状態であろうとも」
「こんなガラス塗れでもかい」
「ああ。いや、良く見てよ。ほら、この鎖骨のとことか、ほっそりした脇とかさ。ガラス化してても、こう、セクシーでしょ?生身のとこだけじゃなくて……うん?結局体を褒めているのか、俺は?」
「クク……あぁ、やっぱり馬鹿だねぇ、アンタは!」
真面目な顔で悩み始めるウーノを見て、イネッサは押し殺したように笑った。笑いすぎてか、一筋の涙が、頬を伝った。
一方のエカテリーナは、ただ静かに、涙を流していた。大粒の涙が、彼女の紅潮した頬を伝う。
「……姿かたちが変わっても、愛し方を変えない。創作物の中でしか聞いたことのない表現の、実在した姿を。今日、この目で、見ましたわ」
何度目だろうか。静謐な、清く澄んだ、その雫を零すのは。
人生で、1度でもあれば一生記憶に残るような、そんな涙をこぼしながら。エカテリーナは晴れやかな表情で、ウーノを見つめていた。
「え、泣いてるの、エカテリーナ?」
ウーノはエカテリーナ(の情緒)が心配になって、彼女を覗き込む。しかし当の本人は、小さく微笑んで、首を振った。
「以前、わたくしは愛を『自己犠牲を誇ること』と言いましたわね。タチアナの……あの子の最期を見て。ウーノ。貴方の愛もまた、自己犠牲ですわ。あの姿の妻を、一日中、休みなく愛し続けるのは……」
「自己犠牲じゃないよ、エカテリーナ。俺も、ミーシャちゃんに、すっきりさせてもらったし」
エカテリーナの口が、半開きになった。感動と脱力が同時に来て、小さな微笑みが大きな笑みに変わる。
イネッサは窓際で、スープのスプーンをウーノに向けた。
「……アンタ、本物の馬鹿だね」
声は呆れていた。しかし、口元は緩んでいた。
夕食を終え、イネッサは鼻歌交じりに窓の外を眺め、エカテリーナは書類の整理をしていた。
そしてウーノはミーシャの傍に座って、生身の下腹部をゆっくりと撫でていた。
気が付いてくれたかな、どうかな?
試すように指先を動かして、へそをくすぐる。すると、ミーシャの体が跳ねた。
小さく。しかし、明確に。
撫でられた場所に反応して、腰が震えた。逃げるように、あるいは求めるように。
「……今の」
ウーノはへそをくすぐり、そして下腹部をツーッと撫で上げた。再びミーシャはお腹をよじって、逃げるように反応した。
物音を聞いて視線を向けたイネッサの鼻歌が止まった。エカテリーナも、紙束から顔を上げる。
三人の視線が、ミーシャに集まる。
ウーノは今度は、リズミカルに叩いてみる。ミーシャの腰が、またクネクネ動いた。明らかに、触れる動きに反応している。
「おいおいおい!さっきまで、アンタの事後だって、撫でても無反応だったじゃないかい!何で今になって!」
「いや、そうだ!ミーシャちゃん、きっと失神してたんだ!刺激が強すぎて!今になって意識が戻って、気が付いたんだ!俺がここにいるって!」
エカテリーナが急いでベッドのミーシャに、手をかざす。
「回復魔法は……!あ、効きますわね!手ごたえがありますわよ!」
回復魔法が効く。つまり、ミーシャが自らを治そうと、生きようと、気力を取り戻したのだ。
「……クハッ、ハッハッハッハ!アタシの負けだ!エカテリーナ、アンタの言う通りだったよ!いつかは擦り切れるなんて言ったのは撤回だ!えぇ、愛が伝わるまで愛し続けるだって!?そうだよ、その通りだったねぇ!それも1日中、ぶっ通しで腰ふってさぁ!」
声を上げて、笑った。呆れて、嬉しくて、悔しくて。色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざった、彼女らしくない、堪えきれない笑いだった。
叫びつつ、彼女はミーシャに、全力で回復魔法をかけ始めた。
「10回も、とは思いませんでしたわよ!愛が伝わるまでって、もっと長期的な意味合いでしたのに!」
エカテリーナも嬉しそうに叫び返して、同じように回復魔法をかける。
ウーノは話が見えないが、自分が色々夢中になっていた間に、二人で何か、話していたのだろう。
少し気恥ずかしさを覚えつつ。しかしそれ以上に、歓喜に身を震わせながら。
二人の魔法使いに挟まれる彼女の頭を、優しく撫でた。
「あぁ、ミーシャちゃん。大丈夫、俺はここにいる。君を、迎えに来たんだ。愛してる、ずっと、これまでも、これからも」
抑えきれない感情の迸りから漏れ出た、その言葉を聴いて。エカテリーナは笑顔を溢れさせた。
愛の力で。そう、愛の力で。ミーシャのセイを、呼び覚ましたのだ。
「……愛の力ですわね!もっとも、やったことは10回以上の……」
「もうそこは触れないでくれないか!?」
ウーノの悲鳴めいた声に、イネッサがまた笑った。今度は腹を抱えて。
「くくっ……ああもう、腹が痛いよ。笑いすぎだ。あぁ、ウーノ!ゴミ箱持ってきな!ガラスが剥がれて来た!」
回復魔法を使っていて手が離せないイネッサが、ウーノに指示を出す。仕事が見つかって、ウーノも一安心である。
軽口を叩き合いながら、3人でミーシャを囲んで。
治癒を心から祈る祝福の中、日は沈み、夜は更けて行った。




