37-怪異がいっぱい
怪異の目星をたて、師匠とルヒナは岩山に向かった。
私と師匠は赤紙魚という怪異を探し、岩山を探索した。
「ここだな……」
小川は岩肌にぽっかりと開いた洞窟の入り口から流れ出ていた。入り口の淵には苔が生え、蔦が這っている。内部の湿度は高そうだ。
「入るぞ」
「はい」
私は師匠と共に洞窟に入り、すぐに後悔した。
ワサワサワサワサワサワサワサ……。
洞窟の天井、壁、床を埋め尽くす赤い紙魚紙魚紙魚紙魚……。
虫除けの薬をつけていたおかげか、私と師匠の足元には赤紙魚は近寄ってこないけど……。これは……。
「気持ちわるっ! いやいやいや、気持ち悪い! 師匠、私は外に出ておきますね!」
「赤紙魚の大量発生……。何か原因があるのか……?」
取り乱す私とは対照的に、師匠は冷静に状況を分析していた。
「師匠、こんな大群を退治する薬とか、あるんですよね!?」
「あんたの着火の魔法で洞窟内を焼き払うのは──」
「絶対に嫌です! 一刻も早くここから出たいです! っていうか、もう出ます! さよなら!」
「あ、おい!」
私は師匠を残して洞窟の外に出た。はあ……、きつかった……。
特段、虫が嫌いとか集合体恐怖症とかではないけれど、あの数は……。あんなの見たら、誰だって正気を失う。
「はあ、はあ……。うっ……」
こみあげてきた吐き気を堪え、息を整える。本当、精神衛生上よくないって……。
モクモク……。
「ん?」
洞窟から白い煙が昇った。師匠が何かした? と思っていたら、煙の中から師匠が出てきた。
「ったく……。異術師になるなら、虫くらいで騒ぎ立てないようにならないと駄目だぞ」
「師匠が冷静過ぎるんですよ。……それで、師匠は洞窟の中で何を?」
「殺虫効果のある素材を焚いた。あの煙に巻かれて、中の赤紙魚は全滅してるはずだ。逃げる間もなくな」
「それじゃあ、一件落着ですね……」
「うーん、それはどうだろうな」
「え?」
顎に指を添え、考え込むポーズをとる師匠。え、まだ何か問題が残ってるの?
「あれだけの赤紙魚がいたんだ。岩山や村に残存してるやつがいるかもしれない」
「それじゃあ、どうするんですか?」
「この薬を使う」
師匠は薬箱から後ろ手に小瓶を取り出し、私に見せた。中には無色透明な液体が入っている。
「これは一部の虫の怪異によく効く薬でな。希釈して使う物だ。赤紙魚に直接かけなくても周囲に撒かれただけで忌避し、近付かなくなるんだ。これを赤紙魚が潜んでいるところに撒いて回って──」
「ええー……。まだそんな虫退治の仕事を……」
もうあんな虫の集合体を見るのはこりごりだ。洞窟内で見た規模じゃないにしても……。
「簡易魔法、水球・大」
私は右腕を掲げて手の平を上に向け、頭上に屋敷ほどもある巨大な水球を生成した。
「師匠、希釈って、小瓶一本分の薬に対してこれくらいの水でいいですか?」
「あ、ああ。だが、あんたは何を……」
「その薬、人体には悪影響とかありますか?」
困惑する師匠を他所に、私は続けた。
「いや、無害だ。原料には雪解け水と砂糖とクルミの殻と木の葉しか使ってない」
「その薬、貸してください」
私は左手で師匠から小瓶をかすめ取り、蓋を開けて頭上の水球の中に投げ入れた。薬と水が混じり合う。
そして水球内の水流を操り、瓶は外に排出。
「おっと」
瓶が地面にぶつかる前に、師匠がとっさにそれをキャッチした。
私は使い捨てにするつもりだったけど、確かに再利用した方がよかったか。落ち度!
「おいルヒナ、その水の塊をどうするつもりだ?」
「こうします。簡易魔法、送風!」
私は左手で作った風の塊を水球にぶち当て、爆散させた。
小さな水滴となって上空に弾け飛んだ水は、重力によって岩山や村に降り注ぐ。まるで天気雨のように。
「これで周囲に満遍なく、希釈した薬液を撒けたでしょう」
「薬液を雨みたいに……。確かにこれでも効果はあるだろうが、事前に何をするか言ってくれよ」
「すみません、虫退治の作業がしたくなさ過ぎてつい……。っと、簡易魔法、障壁」
私にも薬液の雨が降り注いできたので、頭上に障壁を張って屋根の代わりにした。
人体に害はない薬とは言え、原料に砂糖を使ってるそうだから、濡れたらべたべたになりそうだ。
「師匠も隣に来て、雨宿りしたらどうですか?」
「……おう」
◆
岩山を降りた後、私たちは村長に経過報告をした。彼は、「これで普通の夢が見れるようになる!」と喜んでいたけど、果たして……。
その夜、私は村長宅の借り部屋にて、例のように師匠に見張りをしてもらって眠りに就いた。
「すやぴー」
その日も夢を見た。
私は雨の世界に一人で立っていた。頭上からは豪雨が降り注ぎ、もうすぐこの世界は水没してしまうんじゃないかと思った。しかし、そうはならなかった。地面が金網だったので雨は網目をすり抜け、地の底へと消えていった。ただそれだけの夢だった。
◆
翌朝、村は歓喜に包まれた。久しぶりに村人たちは、夢らしい非現実的な夢を見たらしい。
村中、夢の話で大盛り上がり。池で魚になって泳ぐ夢を見たとか、竜を退治する夢を見たとか、死んだ家族と夢の中で会ったとか。逆に運悪く夢を見れなかった人は悔しがっていた。
また、怪物に追われたり食べられたりするような悪夢を見た人でも、その内容を嬉々として語っていた。
「夢らしい夢が見れるようになった……。それだけで、この騒ぎ様ですか。もしかして、夢くらいしか娯楽が無いんですかねえ」
「そう言うな」
私と師匠は夢の話題で大盛況な井戸端会議を、遠くから眺めていた。
「こんなに喜んでもらえたなら、今回の一件、頑張って解決したかいがあったってもんだな。ルヒナもそう思うだろ?」
「いいえ、微塵も思いませんが? 報酬、少なすぎですし」
「あんたなあ……」
「ところで、どうして赤紙魚は岩山の洞窟で大量発生してたんでしょうか」
「知らん」
ええー……。
「いいんですか? それで」
「この村に腰を置いて、原因究明に何年も費やすとか、俺はそんなタチじゃないからなあ。まあ、村と岩山に虫除けの薬を撒いたんだ。向こう十数年は、この村に赤紙魚は発生しないだろう」
「そんなに強力な薬だったんですね」
「貴重な原料を使ってるからな」
ん? 貴重な原料?
「師匠はあの時、薬の原料はクルミの殻とか砂糖だとかって言ってませんでしたっけ? どこが貴重な原料なんですか?」
「使ってるクルミが、一部の山で稀にしか採れない高級品なんだ。貴族が食べるケーキの材料でしか流通してない。一般人が手に入れるには直接取りに行くか、商人と直接交渉するしかないんだ」
「さいですか」
それから三日間、私と師匠は経過観察のために村に滞在した。その間、前のように完全に現実を再現した夢を見たという村人は現れなかった。
ちなみにその三日間も、私は念のため師匠の見張りの下で眠りに就いていた。
そして四日目、師匠は赤紙魚が駆除できたと判断し、報酬の五百ロアを受け取って村を出た。
村を出てすぐに、私たちは深い霧に襲われた。
そりゃあもう濃い濃い、真っ白な霧だ。前後不覚どころか、自分が履いている靴の色さえわからない。
「ルヒナ、はぐれないように手を握っておいた方がいいと思うんだが」
「そうですね。師匠、手を」
霧の中から師匠の手が差し伸べられた。私はそれを放さないよう、両手でしっかりと、ぎゅっと握る。
「……やっぱり、この霧の中を歩くのは危険だな。今日はここで野宿しよう」
「えー、またですか?」
また? ここで野宿? 来た道を引き返せば、すぐに村じゃ……。いや、この霧じゃ道を引き返すこともできないか。
私は昨晩と同じように草の上に寝袋を敷き、障壁の立方体で囲もうと……。
「師匠、今日は私と一緒に障壁の中で休みませんか?」
「……いや、いいよ。外で見張りをしてる」
「この霧じゃあ、見張りも何もないでしょう。それに、こんなに何も見えないんですから危ないですよ?」
「まあ、あんたがいいなら……」
私は師匠に隣に座るよう、手で促した。
「もっと近くに来てください」
「こうか?」
「簡易魔法、障壁・六枚」
「え、六枚?」
普段なら底面を除いた五枚で障壁の立方体を張るのだけど、今日はそれにもう一枚加え、立方体の内部を半分に仕切った。私のエリアと師匠のエリアで二等分だ。狭いけど、身を丸めれば充分寝られる。
「……まあ、そうだよな」
「どうかしたんですか?」
「いや、何でもない」
結局夜になっても霧は晴れず、私たちはそのまま眠った。
◆
「……ルヒナ、起きろ。起きろって。この障壁を解除してくれ」
「う、ううん……?」
「もう朝だぞ。霧も晴れた」
「あさ……」
「起きて、周りをよく見てみろ」
師匠に起こされ、私は眠気眼を擦りながら周囲を見回す。
霧はきれいに晴れていて、視界は良好。朝日も美味しかった。
「え、あれ……」
そこは草以外の何も無い、広くて真っ平な草原だった。岩山も、村も、湖も見当たらない。
「村から出て少ししか歩いてないと思っていたが、随分と遠くまで移動してたみたいだな。霧のせいで気付かなかった。それに、街道も見失っちまった」
私は障壁を解いて立ち上がり、改めて周囲を見回す。
どんなに遠くを眺めても、空の青と草原の緑しか見当たらない。
「何だか不思議な感覚ですね……。まるで村も岩山も、最初から無かったかのような……。ところで、これからどっちへ進むんですか? 街道を見失ってしまいましたが」
「そうだな……。とりあえず東に進むか。運が良ければ、国の東側を南北に突っ切る大きな街道に出られるはずだ」
「……」
「おい」
「……」
「ルヒナ、出発の準備をするぞ。寝袋をたため」
「あ、はい。すみません、少し考え事をしてました」
ふとしたことを考えていた。
私は気象には詳しくないけど、水辺も何も無いこんな草原の真ん中で、霧って発生するものなのかな。




