97、様子が変な義姉と変身した義弟
アニエスはその日、目はひたすら虚空を見つめ、口は半開き、いつもきちんと撫でつけている髪のセットはアホ毛が跳ねていた。
見るからにぼーっとした様子の主の姿に、昨日の顛末が気になるも、アレクサンダーは尋ねられずいる。
「………………」
アニエスはアレクサンダーに運んでいたスープのさじを不意に器に戻し、それを見つめ急にゼンマイの切れたおもちゃのように動かなくなった。
「お嬢様?」
アレクサンダーが尋ねるも、アニエスは微動だにしない。
「アレクサンダー様が尋ねているのですから……返事くらいしたらどうなんですか!?」
本日、アニエスと一緒にアレクサンダーの食事を手伝っているのは、ラピスラズリの輝く瞳に紺の髪の国軍の歌姫にして、アニエスの王宮宮廷行儀見習いの後輩。
美少女マリオンちゃんである。
「あ、うん……ごめんなさい」
そう言われ返事をしたが、アニエスはやはり本調子では無い様だ。
「具合が悪いのですか? それとも、昨日やはり問題が……?」
「ううん、昨日のことなら解決したわ。完璧とは言えないけれど」
「完璧でないことで気掛かりが?」
「ううん……気掛かりではあるけれど、これはそれとは別件なの」
「じゃあ、いったい何なんですか? 仕事でもそれではこっちも迷惑です!」
マリオンがトゲトゲとアニエスに詰めよる。
「ん……」
しかし、アニエスはそれきり黙ってしまった。マリオンとアレクサンダーは顔を見合わせる。
アレクサンダーの食事が終わり、収容所三三〇五号室を出たアニエスの足取りは見るからに重いものだった。
「あの……明らかに様子がおかしいですよ? いつもうっとうしいくらい元気なのに」
そう言われ、アニエスは虚ろな目で振り返る。
「マリオンは、よく知る人が急に変わって……戸惑ったことはある?」
それでマリオンに尋ねた。
「はっ? 変わった?」
「そう、昨日まで普通だったのに急に別の人みたいに……!」
「貴方の近しい人、と言うと夏にいたメンバーの誰かですか?」
アニエスは答えなかったが雰囲気から、マリオンはそれを肯定ととらえた。
「でしたら、変わることもあるのでは? 私たちは今、成長期にあり、様々な形で社会と関わり、世界が最も広がる時期にいます。……まして夏のメンバーなら、出会いは向こうから次々と訪れるでしょう。交流は自然と人を変えるものです」
それに、アニエスの肩はビクッと反応した。
「……やっぱり、そういうものなのね?」
「というか詳しく話して頂けないと、こちらも要領を得ないのですが」
「それは、ごめんなさい。言えないの……」
アニエスは、うっかり口を滑らせ修羅場になる事態がいい加減トラウマになってきているのだ。
「じゃあ、その気の抜けた様子止めてください。こっちに解決の機会が無いのなら、貴女の心持ちを変えていただく外ないのですから!」
「おっしゃる通りにございます」
アニエスは、はあっ、とため息をつくとスイッチを切り替えシュッと背筋を伸ばした。
「私はタニア様に呼ばれているため、そちらに赴きます。ですので申し訳ないのですが、残りの片付けをお願いします」
アニエスはいつものテキパキした調子で、マリオンに指示をした。
「あと、お昼はタニア様の話の行方によっては、アレクサンダーのところに私は行けなくなります。その時はマリオン一人でお願い致します」
「……承知しました」
マリオンは平静を装っていたが、内心アレクサンダーと二人っきりになるチャンスに高らかに歌いだしたくなっている。
そのまま、きびきびした様子でアニエスは、地下三階から地上三階のタニアの執務室のドアの前まで急ぐ。
すると、アニエスの動きはまたしても若干ぎこちないものになった。
ノックをしてアニエスはドアノブに手をかける前にドアの前にて入室時の挨拶をする。
「アルティミスティアが入室します。失礼致します」
アニエスはゆっくりと扉を開けた。
中で、待っていたのはタニアとセオドリック、ノートンと、タニア付きの高等女官長だけだった。
アニエスが顔を合わせるのを躊躇っていた人物の姿は無い。
アニエスは瞬きをして、一瞬キョロと室内を見渡してからしずしずと室内へ歩を進めた。
「アニエス、改めて昨日はお疲れ様でした。多大な被害が出ず本当に良かった……!」
タニアはいつものように柔らかく微笑み、アニエスを労った。
「労いのお言葉痛み入ります。しかし、一名の死亡者を出してしまいました……。私の責任です。どのような処分もなんなりとお申し付けください。……粛々とお受け致します」
それに対し返事をしたのはセオドリックだった。
「いいや、それについては責任を負わなくていい。彼が死んだのは悪魔に自らの欲望を願ったのが原因だ。その時点で甚大な被害が出てもおかしくは無かった。……何もなくゲーデに殺されたのなら君にも責任があるが……明らかに自業自得だ!」
「ですが……!」
アニエスはそれでは自分の罪が軽すぎると、思わず食い下がろうとする。しかし、それを制止したのはタニアだった。
「私も、お兄様に掛けた盗聴魔術で確認しましたが、その通りだと思います。可哀想ですが……悪魔がどういうものであるかをアニエスと悪魔のやり取りで聞いて理解しておきながら、悪魔を利用した時点で本人に責任があるのは明白でしょう」
タニアはそう言い頷く。
「ですから、アニエス。貴方のことは罪には問いません。これは“王室の決定”とします! ――ただ、こういうことがあったので、改めて貴方の居室と貴方自身についてアーティファクトの申告漏れが無いかを再調査を致します。…………プライバシーが侵害されて不快だとは思いますが……どうか理解してね?」
アニエスは厳重な処罰が無いことに、内心、戸惑いながら、“王家の決定”とあれば貴族は従うほか無かった。
その判決をぐっと噛み締め、頭を深く下げる。
「いいえ、それくらい当然です!! ……どうか実家の私の居室も同じように再調査をお願い致します。……実家へは私からを連絡して、部屋の入室と調査の許可を言付けます」
「そう言ってもらえると助かるわ。ありがとう」
アニエスは、ふうっと、重く息を吐く。
自分の気持ちとして胸に棘が刺さったままだが、とはいえこれでこの事件は終わったのだ。
「それにしても、結局、叔父上はぬけぬけと悪魔を手に入れたわけだな?」
「小さくなっていましたから、本来、得たかったものが得られるかについては、甚だ疑問ですが……けれど、正直、手に余っていたのでこれで良かったのではないかと思います」
アニエスは、それについて自分の所感を述べた。
「私が最後まで確認をすればよかったのだ……済まない。悪かった」
セオドリックが言うとアニエスはブンブンと首と手を振る。
「いいえ! 今こうして王宮の平和を保たれているのは、ひとえに、セオドリック様の多大なご活躍のおかげです。……私こそ、どのように感謝を申し上げれば良いか……本当にありがとうございました!!」
そう言うと、セオドリックは嬉しそうにはにかんだ。
「いや、元はわたしがしゃしゃり出たことだ。気にしないでくれ!」
そう、白い歯を見せて笑う。
だが、アニエスはセオドリックに素直に尊敬のまなざしを向けた。
「それにしても、セオドリック様の王宮剣術は見事でした。……あれほど脊髄反射で攻撃できるのは、相当な鍛錬の証です。……きっと数万回でもきかないほど剣を振ってこられた事でしょう。並みの騎士の何倍も努力されてきたのだと、素人目にも察せる程に……!」
そう言い、あのアニエスがセオドリックの目を熱く見つめる。
「お兄様は普段はふざけていらっしゃいますが、これで努力の天才、鬼才ですからね? 恥ずかしがって、努力しているところは他には見せませんけれど……」
「タニア、余計な事は言わなくていいぞ……格好がつかない」
セオドリックのその照れ隠しのブスッとした物言いに、その場にいた全員が思わず笑う。
「それにしても、てっきりエースも来ると思っていたのですが……寝坊なのかしら? 彼にしては珍しいこと」
その名前を聞き、アニエスは思わずギクッとした。
「アニエスは何か聞いていない?」
「いえ、私も何も……」
アニエスは、努めて平静を装い答える。
「じゃあ話は以上です。アニエス持ち場に戻って大丈夫ですよ」
「恐れ入ります。では先に失礼致します」
アニエスはそう言い腰を下げて挨拶すると、静かにその場をあとにして廊下に出る。
すると扉の目の前に、エースの執事のナイジェルが深刻な顔で立っていた。
「え? ナイジェル……エースもいないのにどうしてここに?」
「お嬢様……あの……実は」
いつも、余裕な様子を見せるナイジェルには珍しく顔色も随分と悪い。
「どうしたのですか……?」
すると、ナイジェルの前にスッとアニエスと同じくらいの年恰好の少女が前に進み出た。
烏の濡れたような見事な鮮やかな黒髪と宝石タンザナイトのような青紫の素晴らしき瞳。
「え、え、え!? こ、この、世にも稀な素晴らしく見目麗しい、誰もが崇める大変美しいお嬢様はどなたですか? ……めっっっっちゃ可愛いです!?」
アニエスは後半、思わず体裁を忘れて素の感想をもらす。
そんな少女がじっとアニエスを見つめた。
何だか既視感が……よく知ってる人に似ているような……?
「でもエースに何だか似ている気が……」
「……エースだよ」
はい?
「エースは私の義弟で、私より上背があって、十三歳の男の子なのですが?」
「そう、だからそのエース」
???
「え、ええっと……………」
困惑するアニエスを尻目に、少女は目を伏せ沈鬱な面持ちで言う。
「昨日……フレイ様にミニ・ゲーデを手渡すときに、どうやらそこから呪いを受けたみたい。今朝、起きたら……こうなっていた」
アニエスはそれを聞きニコニコと表情を固め、回れ右をしてタニアの執務室の扉を改めてノックした。
中の返事を待って先程の手順で入室する。
「どうしたのアニエス。忘れ物?」
「タニア様、昨日の件はまだ解決していませんでした。……義弟のエースが、呪いを受けて女の子になってしまったようです!?」
かくして、王宮の平穏がまたもや崩れ、緊急事態が発生したのだった――。




