96、レッスン成果と大きな一歩
ゲーデを大陸侵略のために作られたアーティファクト『地獄の処女』に吸収させ、セオドリックの魔力はそこで尽きた。
変身をずっと続けていたことと、エースの竜の力で大幅に回復したとはいえ、短時間で三回も使用者の魔力と演算能力を羽振りよく使用するアーティファクトを使い、相当な無理が生じていたためだ。
セオドリックは心身共に限界を迎え、大きい黒猫のようなヒョウの姿に変身した。
それをアニエスは腕いっぱいに優しく抱きかかえる。
「……これがセオドリック様?」
「心身共に限界になると、本人の本質に近い姿に変身してしまうんですって」
「まあ、セオドリック様が黒髪に灰色の目なのにも驚いたけどね」
「そう? そうは見えなかった」
「あの状況で、あそこにセオドリック様以外の誰かがいるとは思えないし……」
エースはそう言いながら、散らばったアニエスのストーカーの肉片を魔法でかき集め、出来るだけ人間の姿に近づけようとした。
一方アニエスは、アーティファクトに近付いた。
このアーティファクトの元々の姿は美しいブルーサファイアの指輪である。
最初その指輪をアニエスがセオドリックに言われてはめていたが、セオドリックが変身を解いたと同時に自分でアニエスの指から引き抜き、翼の剣の形に変えた。
それから今、アーティファクトは変化した姿のまま床に転がっている。
……果たして触っていいものかどうか? アニエスは手を何度も伸ばしては引っ込めた。
その時、かさかさと変な音がしてアニエスが振り返る。
だが、そこには誰もいない。
目を凝らして右左と見た。――けれど、まだ大魔法の残滓がそこら中に残っていて違和感ある魔力を上手く拾えずにいる。
アニエスは警戒しつつアーティファクトへと再度向きを変えた。
アーティファクトにいよいよ腕を伸ばしたその時。
「ぴゃあああ!!」
後ろから小動物のような声がしてアニエスはすぐに振り返った。
「アニエス……大丈夫!?」
エースはその手に小さな動く人形の様なものをぎゅうっと握りながら、アニエスを気遣う。
「エースもしや、それは……ゲーデ?!」
「みたいだね。吸収される前に分離していたものが変化したみたい」
ミニゲーデは「放せ放せ」と騒いでいる。どうやら、元のサイズのような力は残っていないらしい。
「流石は悪魔……常識外れね」
「…………でも、そんな風に悪魔が残っていて助かったよ。気の利かないセオドリックはすべて処分してしまうからね?」
「!! フレイ様」
現れたのは、国王の弟でセオドリックの同い年の叔父、神出鬼没のフレイだ。
「悪いけどそれは貰っても構わない? 君達だって処分に困るでしょう」
今はセオドリックが獣姿のまま気を失っている。どうやらずっと機会を窺っていたらしい。
「それとそのアーティファクトは武器に変形した後すぐは下手に触らない方がいい。……一応王族しか使えないことになってるみたいだからね」
フレイは、『地獄の処女』を拾うと、何事か古代語で唱えて元の指輪へと鎮め、最初のブルーサファイヤの指輪がその手のひらに転がった。
「じゃあ、悪魔を渡してくれる?」
「渡すのは構いません。扱いに困るのは確かにそうなので……ただ指輪は義姉がセオドリック様から預かったものなので、悪魔と交換に返して頂けますか? ……貸し主に直接返さないのはトラブルのもとですから」
「しっかりしてるんだね。別にいいけど」
エースとフレイは互いに差し出す。
「いっつ…………!!」
「エース!?」
悪魔を渡そうとした瞬間。エースの手にピリッとする痛みが走った。
エースはすぐさま自分の手を確認したが、手はそっくりしていて何の問題もない。
「?」
「確かに渡したし、悪魔は受け取ったよ。ありがとう、あと、そこに転がった死体の件だけど……部下に言って仮安置所に移動させるよ。処分云々に関しては明日セオドリックにでも聞くといい。もう遅いし今日は帰りなさい」
「……お気遣いいただきありがとうございます」
確かに色々とあって、どっと疲れていた。
アニエスはタニアにまずは報告を済ませ、そこでセオドリックもタニアに預ける。
ここでもフレイの言った通り、処分云々については後々話し合い、今日はもう休むようにと申し渡された。
「アニエス、部屋に戻る前に公爵の執務室においでよ。ナイジェルに飲み物と温かい食べ物を用意させるから」
エースはこのままアニエスを一人で部屋に帰すのを心配してそう申し出た。
アニエスもそう言われ素直にエースの厚意に頷く。
執務室に入ると、エースはすぐにナイジェルにお茶と温かい夜食の準備を命じる。
ナイジェルはアニエスが返り血を服に浴びている様子に一瞬ぎょっとしながらも、既にお湯は温めていたようですぐにお茶を出してくれ、温めた蒸しタオルをアニエスに渡すと、それでアニエスは顔や頭を出来るだけ拭った。
けれど食事に関しては食堂の火がもう落ちているようで、すぐに温かい料理が準備できないため、ナイジェルは外套を着こみ、ひとっ走り外に買いに行ってきます! と部屋を出て行く。
「すぐに帰ってこれると良いけど……」
そう言いエースは自分の真新しいシャツとスラックスを出すとアニエスに手渡す。
「男物だし……すぐに部屋に戻るだろうけど、その格好のままいるのは居心地が良くないでしょう? ――隣の部屋で着替えておいでよ」
それにアニエスは、またも頷いて隣の部屋の奥へと消えた。
エースはその着替えの間、琥珀色に綺麗に淹れた茶の湯気を眺めながらお茶を飲む。
……けれど、いつまでたってもアニエスが戻ってこない。
不審に思ったエースは隣に続く扉をノックをした。
「アニエス大丈夫?」
返事がない。エースは再度ノックした。
それでもやはり返事は無かった。
「アニエスごめん。入るよ?」
入るとアニエスは着替えておらず、着替えを持ったまま床へとへたり込み呆然としている。
「アニエスどうしたの!?」
それに、アニエスは静かに振り返るとその目は涙で潤んでいた。
「エース……ごめんね何だか腰が抜けちゃって……」
エースはアニエスに駆け寄り、その目に視線を合わせた。
「どうしたの?」
「いや、悪魔を倒せた安堵と多くの生贄を出さずに済んだことと、だけど……なのに……人が死んでしまったわ……家族や友人もいたはずなのに!? 私が被害を結局出してしまった!! それが正直、今更ながら胸に迫って……なんてことをしてしまったの私は……」
そう言いアニエスは小刻みに震える。エースはそんなアニエスを優しく抱き締める。
「アニエスが気に病む事は無いよ! 死んだのはアニエスの物を勝手に盗んだんだから、自業自得だ!?」
「……でも、命を奪われるほどの罪じゃないでしょう?!」
「でも、それを裁いたのはアニエスじゃなくて見えざる手で、……それは人間にはどうしようもない!」
「でも、私が見落とさず、選択を間違わなければ……救えたかもしれないのに……!」
「もともと顔も性別も素性が誰かも知らなかった相手を……? そんなのは無理だ!」
「それでも、やはり私には責任があると思うわ……」
エースはアニエスの肩を掴み、いったん自分から優しく離した。
「だったらその責任は俺にもある。もっと早くあの場に行ってれば変わったはずだ!」
「そんな、もしもみたいな話は……」
「だったら、アニエスも一緒だよ。……アニエスがした間違いは誰にでも起こりうる。でもアニエス一人が命の全責任を負うほどの非ではない。それは死んだ本人にも責任があるはずだ。……違う?」
「…………確かに?」
アニエスはゆっくりと瞬く。そして、顔を少し赤らめ視線を外した。
「……えっ、どうしたの?」
「なんだかエースが、いつもの出来のいい義弟って感じじゃなくて……急にちゃんと大人の男の人に見えちゃって。ちょっと恥ずかしくなったというか……。すごく頼りがいがあって、包み込まれるみたいで……びっくりしちゃった」
「え……」
「エースすごいね。へへ!」
アニエスは、照れて最後の方は笑ってごまかす。
「アニエス……アレ、本心だから」
「……何のお話?」
「ゲーデに言われてアニエスが落ち込んだから慰めた? ……違う。そんな安い理由じゃない。俺は最初から、本気でアニエスの方が可愛いと思ってる。ただ、ろくに知りもしない悪魔に、わざわざ俺の本音を聞かせてやる義理がなかっただけだ! アニエスが世界で一番綺麗に見える瞬間もある。理性が危うくなるくらい色っぽい時もある……思わず目を奪われて、どうしても視線が外せなくなる時もある。全部、本当だ。全部、俺の中で何度でも起きてる。……これは、俺がアニエスに抱いてる、嘘のない本心だ!!」
アニエスはそう言われ、赤くなりながら目を白黒させた。
「え、エース……! い、いいよいいよ、そこまで言わなくても……。そんなに気にしてくれてたの……? もう……エースって本当に優しいよね。私、そういうところ……すごく好きだよ」
「……………」
「? エース」
エースはアニエスに顔を近付け、じっとアニエスの瞳を見つめた。
宝石のタンザナイトに例えられるその瞳は、どこまでも深く澄んでいて誰もが心奪われる輝きを放っている。
本当に、こんなにも身震いするほど美しい人間がいるものなのだな……と身内で見慣れていても、時々改めて感嘆の念が湧いた。
不意にその目を縁取る長い睫毛が下ろされた次の瞬間。
エースはアニエスの小さく柔らかな唇を食んでいた。
最初は優しくちゅっと口付けてから、その唇に自分の唇を今度はしっかり重ね合わせる。
驚いて思わず離れようとするのを、エースはアニエスの肩や手をしっかり両手で掴んで制止し、その唇を逃がさなかった。
やがて口付けは深いものになり、中から侵してゆく、優しく蕩けたチョコのように甘く……脳みそが熱に溶け、舌の付け根が痺れて、喉がヒクヒクと耐えられず痙攣した……まるで波に翻弄され攫われでもするようなそんな口付け……。
一番柔らかなところが絡み合い、なぞり、喉の奥とお腹の奥がきゅんきゅんと締まっていく。
「ん……ん……っ!」
アニエスの口から、息とともに声が漏れる。
強張る身体には徐々に力が入らなくなり、芯が蕩け……自身の力でアニエスが体を支えるのさえ困難になると、エースはその腕でしっかりと支えた。
エースが唇を離すと、アニエスの顔は耳まで桜色に染まり小さな唇が赤く濡れ、長い睫毛が伏せ気味になって、大きな瞳は先程より……より潤んで、瞳の輪郭さえおぼろげになる。
エースはその様子をみて耳元にアニエスをそうした悪魔のような唇を運び、甘く囁いた。
「ほら……おかしくなるほど綺麗だよ……?」
そう言われ、アニエスはハッと正気に戻り、顔をカカカカーーーーッとだるまのように赤くした。
「あ……な……!」
アニエスは抗議のために口を開いたが、脳と口がちぐはぐに混乱して、上手く言葉が紡げない。
でも、その唇あっけないまでに再度エースに塞がれてしまった。
背中を次々這い上がる痺れを伴う電流に、アニエスの意識がどこか遠くへ飛んで行きそうになる。
目の前が白み、頭のてっぺんをきゅっと引っ張られている感覚に襲われ、それをどうにかに逃がしたいのに……そうすると今にも気絶してしまいそうで、思わず必死に堪えた。
けど、頭の半分では今にも意識を手放したくなって……身体がざわざわと甘くざわめいている。
これがどういうものかが……あまりに未知すぎて、アニエスは切なくて泣きたくなってしまった。
一方エースは、今まで飢えに飢えた虎がようやく獲物を捕食した時のように、ゆっくりとその味を噛み締め、心行くまで貪る。
ようやくエースがある程度満足し、けれどそれでも名残惜し気に唇を離すと、アニエスはエースの胸に倒れこんだ。
呼吸が乱れて、汗が滲み、息も絶え絶えになる。
エースはアニエスの額にキスし、慈しむように抱き締めて、そのただだだ無防備な様子を眺めた。
「……何……こ……」
アニエスがようやく言葉を紡ごうとするのに、エースは飄々と答える。
「あーあ、思わず見惚れてキスしちゃった……」
悪びれもせず、そう宣った。
「~~~~!! 何を言ってるのよ……! い、いったい……この不良、不良!? こんな……こんなことを……覚えてくるだなんて……もしや毎夜、王都を遊び歩いていたの!?」
「……………………」
……エースの身からすれば、決して遊びでは無かったが、世間がそう認識してもそれは決して間違いでもない。
「無言ということは……肯定なの?」
「いや……遊びというか、むしろ」
修行……みたいな?
「お、お義姉さんはそんなことは許しませんよ。説教です! はい正座!」
「そんな腰抜けてる人に言われても……」
「おかしいよっ!! 私の身体は毒さえ効かないのに……エースのキスひとつでこんな風にふわふわヘロヘロになるだなんて? ハッ……なるほど。これはもしや魔法を使用している!?」
「魔法なんて使ってないよ?」
エースは嬉しさに顔がにやけるのを必死で隠した。
「毒も魔法もない……君への想いとキスだけだ」
エースは妖しくも目の離せぬ笑みを浮かべ、艶っぽい目線を送る。
「そんな、じゃあキスひとつで私がこんな無様な醜態をさらしていると……?」
「……試しにもう一回する?」
「いいえ、大丈夫です!」
アニエスはブンブンと首を振った。
「そう、残念だな……」
アニエスは、ようやく起き上がれるようになり、エースを改めてまじまじと見た。
……なんだろうか、この余裕は? 本当にエースがアニエスよりいくつも年上にでもなったみたいだ。
「私の方が、お義姉さん……なんだ……よ?」
アニエスは後半尻すぼみで宣言した。
「違うよ」
「!!」
「アニエスは……特別な女の子だ」
エースは、まるで見透かすようにアニエスを見つめ る。アニエスはエースの言ってることが理解できず、頭に膨らんだクエスチョンマークを飛ばす。
「……ようやく、スタート地点だね?」
今日、アニエスは初めてエースを義弟でなく、一人の男性として意識した。
それは、エースのずっと待ち望んでいた大きな一歩。
「覚悟しといてね? 僕のアニエス」
そして、ここへ来てようやくエースは宣戦布告を告げるに至った。
アニエスの処罰はどうなるかは次回。
そろそろ寄宿舎学校が始まります。




