92、悪魔ゲーデと商取引
アニエスは指先に上ったテントウ虫を弄り倒していた。
テントウ虫はその習性から上へ上へ行きたがるのだが、どうやら変身するとそうゆう習性まで付いてくるらしい。
アニエスはあらゆる方向に指を向けたり、渡したりして遊んでいる。
しかし、流石にセオドリックも怒ったのか今度は手でなくアニエスのその鼻先に向かってビュンと飛んだ。
「……申し訳ございません」
しかも、この大きさだと前回の獅子とは違い声も出せないようだ。
なんか、変身て思ったより制約が多くて大変そうである。
そう、このテントウ虫はセオドリックが変身した姿だから、うっかり潰さないように気を付けねば……とアニエスは慎重になった。
もしこれで死んでしまったらと思うと背中を冷たい汗が伝う。
それにしても先程から、無くした物を探しているふりをしているが、犯人は一向に姿を見せてくれない。
まあ、約束をしているわけでは無いので、今日、来るかも見当がつかないのだが……。
アニエスは、指につけられた大きなブルーサファイアのアーティファクトを改めて眺めた。
明らかに国宝に見えるが、出してきて果たして大丈夫なものなのだろうか?
(この身に国宝と王太子殿下の御身……いくら無法者の私でも、体が緊張で強張ってしまう……!)
それにしても……とアニエスは思う。
犯人は特徴もわからない。ぶっちゃけてしまえば男なのか女なのかすらも……。
そして、犯人が持つ悪魔の正体。
フレイが探していると言った悪魔……彼の話を鵜呑みにすると原典に乗る悪魔ということだが……。
(……流石に原典の悪魔全員は、把握してないなあ)
アニエスは、頭を掻いた。
コンコンコン……。
そこに、部屋を三回ノックする音が響く。……親しい相手への入室確認の回数だ。
「……来た?」
アニエスはそっとドアの近くへ歩み寄る。セオドリックはアニエスの首の後ろに隠れた。
呼吸を整えドアを開けると、そこには同期の王宮行儀見習いのソフィア嬢が立っていた。
「アニエス様」
「……ソフィア様こんな時間に如何いたしましたか? よく私がここにいるとご存知ですね」
アニエスは噂を知らない体であることになっている。
「実は、業務の引継ぎが不十分なところがありまして、手伝ってほしいのです」
アニエスはチラリと時計を見た。……二時間近くたっても現れていない。
今日はもう難しいのだろうか?
「分かりました。一緒に伺います」
アニエスはソフィアの後ろに付いていく。
ソフィアはどんどん奥に行くが、そうするとどんどんタニアの執務室が離れていった。
おかしい……引継ぎは基本タニアから近い場所で行われるもののはずである。
「……ソフィア様、道を間違えているのではないでしょうか? どんどんタニア様のお部屋から遠のいております」
「……いいえ!! 女官長が言ったので、こちらで合っていますわ!」
ソフィアの声は震えている。
「そうですか……承知しました」
アニエスはそのまま付いて行った。
たどり着いたのは、王宮の古い本や書類を捨てるために集めている廃棄書倉庫だった。
「ここですか?」
ソフィアは頷いた。
「では……その身体にまとわりついた呪い蟲は、私が引き受けますね?」
「!!」
「巻き込んでしまったみたいです。……怖い思いをさせてごめんなさい」
ソフィアは震える手でアニエスの肩に手を置いた。
すると、靄の様になって蠢くモノがゆっくり腕を伝いアニエスの肩に乗った。
「ソフィア様ここまで連れてきていただきありがとう存じます。まさか初日に接触できるとは思いませんでした。今日はゆっくりお休みになって下さい」
「………ごめんなさい!!」
そう言い、ソフィアは青い顔で走り去ってしまった。
呪い蟲がアニエスに、扉の中に入れと指示してくる。
言葉も発しないのに言う事が分かるのは何故なのか? というか、なかなか便利な機能だ。
是非、テントウ虫セオドリックにもその機能を搭載してほしいものである。
扉を一応ノックして入る。
「……失礼いたします」
アニエスは三歩ほど中に入った。
その時だ、何者かに後ろから羽交い絞めされる。
「……やっと会えましたね……?」
羽交い絞めにされている事実そのものより、テントウ虫が潰れていないかが最初アニエスの心配として脳裏を掠めた。
見るといつの間にかテントウ虫はアニエスの髪の毛先にひっついている。
ホッとしつつ、アニエスはゆっくりと顔だけ振り返った。
制服の形状を見るに騎兵隊の様である。
「俺はエディンだよ。ようやく見つけてもらえて嬉しい。ごめんね、難しかったかな?」
暗くて顔までは見えない。
「貴方が手紙を出して、私の持ち物を持ち出した方でしょうか?」
「ああ、そうだよ」
「……大切なものなのです。お願いです。返してはいただけませんか」
「うん、それよりも……」
そう言い、男は後ろからアニエスに抱き付きありとあらゆる所をまさぐろうと手を動かした。
アニエスは大事なところは両手で守るも、ぞわぞわと悪寒が体中に巡って今すぐにこの男を殴り飛ばして、頭蓋骨の一部を陥没させたかった……が、どうにか必死にこらえる。
呪い蟲を持っている上に、アーティファクトは相手の手の内にある。
ここでぶちキレては全てが、台無しだ!
「お……お願いです。とても大切なものなのです。まずはどうか、どうかお返しください!」
「……? あれ、気持ち良くなかったかな??」
(こんな事が気持ちいいわけがあります!!? ぶっとばしますよ!?)
と、怒鳴りつけたいのをアニエスはさらに必死に耐える。
それから、ここに来るまでにタニアが考えた。あらゆる対処の術を思い出していた。
タニアはこう言っていた。
「まず犯人はアニエスを可憐でか弱い女の子だと思っているみたい……。犯人を逆上させないためにも……そのイメージをとにかく最初は守ってね。変にそこで素を出して暴走したらこっちが不利になるばかり、アニエス。どうかしっかりね?」
「はて、可憐でか弱い……? いったいどこの貴族令嬢なのだろうそれは……?」とアニエスは自身を振り返り、あまりのかけ離れ具合に首を傾げながら、取りあえず首を縦に振る。
(まあ、普通の貴族令嬢は大体は可憐で清楚で、おしとやかでか弱いものね? 全く自分には縁遠いお言葉ですが……)
「このような暗い場所で、いきなり殿方に抱き付かれて……正直とても怖いです……!」
……あんな、「返せ? 返せ!」と、可愛げもなく言い募っていた人間が、いきなりこんな風にしおらしくなっても余計に犯人を警戒させるだけかもしれない……「失敗したかな?」と思いつつも、一度出てしまった言葉は引っ込められないので、もうこのまま強行突破するしかない。
「やっぱり、君は可愛らしくて可憐だなあ!」
騙された! ちょろいぞ、この御仁……!?
「なんで、私にこのようなことをされるのです?」
アニエスは上目遣いで、わざとおどおどして見せる。これもタニア様の指示だ。
「君を初めて外で見た時。僕はどうしても君のことが欲しくてたまらなくなった…………それから、どうしたら君に見てもらえるか、君に気付いてもらえるか、君と話せるかを……とにかく考えた抜いたんだ!」
「話したりするだけなら……普通に来られても良いのでは?」
王宮の騎兵隊ならそれなりにモテるのだから、女の子に近付くのに、何も犯罪まがいなことをしなくても良いはずだ。
だが、エディンの答えは違った。
「でも、そんなんじゃ全然足りないんだ。毎日一日が過ぎるごとにもっともっとと……気付いたら、普通に話しかけるなんて、そんなまどろっこしいこととても出来なくなっていた……!!」
「…………」
今のこの状況の方が普通に考えて危険でまどろっこしいと思うが、というかそれは……。
「それは、もう、薬物か何かの中毒依存症なのでは?」
なんだかまるで阿片中毒者みたいなことになっている感じだ。
……こう……手に入れるためなら、手段を選んでいられない!? という感じがヒシヒシと伝わってくる。
彼の理性は完全に欲望に組み伏せられ、息の根を止められようとしていた。
「というわけで、ゲーデ!! ……俺の願いを叶えてくれ!!!」
(……ゲーデ?)
アニエスはここでハッとする。
神殿の原典に載る悪魔の名前に『ゲーデ』がある。
しかもその階位は『大悪魔』。
アニエスはサーッと血の気が引くのを感じた。
「……え~~~~? お前馬鹿なの? 呪い蟲を纏わせた上に羽交い絞めで、そのまま組み敷いて犯しちゃえばいいじゃ〜ん?」
現れたのは四十代半ばくらいの痩せ型の下卑た笑い顔が堂に入った男で……古ぼけて擦り切れ、破れた黒い山高帽と燕尾服を着ている。
葉巻をすぱすぱと常に吸っていて、まるで何かのトレードマークのようだ。
「ちがう、ちがう、ちがう、ちがーーーーう!! 俺はもっとこの子を大切にしたいんだ!! お人形さんみたいにして、食事から下の世話まで全部やってあげたいんだよ! 子作りだけじゃ……セックスだけじゃダメなんだ!!」
そのエディンの言葉に、アニエスは思わず喉の奥がひゅんと冷たくなる。「何を言ってるの?」と……。
「ふーーーーーん……別に難しかないけどさあ? ……どれどれ、うわあ……まだ成長過渡期のくそガキじゃんか? はあ、悪趣味極まりないね? 悪魔に言われるなんて終わってるぜ!」
「ま、待ってください!」
アニエスは思わず声を上げた。
「んーーーーーーーーー?」
悪魔ゲーデがアニエスを覗き込む。
「い、生贄はまだ取ってはいないのですか? ゲーデ様……」
「ああ、呼び出し用の封印前払い分は貰ってるよ? お嬢ちゃん良く知ってるね? ……でも、願い事叶える分はまだなんだよ」
「そ、それでしたら願いはいいので、お引き取り願えないでしょうか? ……エディンさんの願いは私が叶えますから」
「えーーーーー? でも、それだと元の契約と話が違くなってきちゃうんだよなー?」
「……因みに何人の命が必要なのですか?」
「うーーーん七百五十人位かな?」
じ……冗談じゃないよ!! アニエスはだらだらと汗をかきながら頭を回した。
「あの……少し、まけられないでしょうか?」
「はっ?」
「先程七百五十人『位』とおっしゃられましたよね? ……ということは厳密にこれだけ絶対必要!! というわけでなく……ゲーデ様のさじ加減で決めているということでは無いのかなと……?」
「…………」
「ゲーデ様。ゲーデ様にとっては矮小な我々人間など、どれも有象無象で変わり映えしないかもしれません。ですがそれでも、この王宮にいる者のほとんどは、国でも〇.〇〇〇数パーセントのエリート中のエリートです。ここの一人が行う仕事は一般人が可能な仕事量の確実に数十倍をこなします」
アニエスは相手の神経を逆撫でせず、相手が興味を持つようにテンポよく話す。
「それは、つまり……それだけ生産性がはるかに高いということです! ですから七百五十人の使えるかどうかもわからない人間がごちゃっといたら管理も大変ですし…………それがぎゅっと小さくなった精鋭を得れば、ゲーデ様も余計な負担もなく、より扱いやすいのではないかと!?」
本当にむちゃくちゃである。
……しかし嘘も方便。
無茶を言って避けられる事態があるのなら、アニエスは避けたかった。
「……お嬢ちゃんは俺がその七百五十人食べるために必要とか思わないの?」
「何百年もの間、何も食べず飲まずに済んだのだから、恐らく食べるために人間が必要……というなわけでは無いのではございませんか? それよりも牛の方が余程、美味しいですよ! 雑食の動物は肉が臭いと言いますし……!?」
食べるためじゃないなら殺されはしないかもしれない。……いや、それでも何かの実験や盾や生贄にするかもしれない。
少しでも時間を稼ぎ、みんなを被害から遠ざけねば――!
「……ですから人間を所望するのは、その知性や労働力を利用するためでないのかな……とそう思ったのです。人間が人間を使役する理由と同じように……!」
ゲーデは面白そうに、ニヤニヤとアニエスを見ている。
「ふんふん、成る程」
だが、アニエスは相手が人間でない以上どんな状況になってもおかしくない危険を覚悟していた。
「なので、どうか……この通り、まけてくださいませ! お願い致します!!」
それに、ゲーデはプファアーーと葉巻の煙をアニエスにかけてみせた。
アニエスはゴホゴホと咳き込む。やはり……無理なのか!?
「……俺、結構、長ーーーーいこと悪魔やってんだけどさ? ……あんたみたいなやつ本当に初めてだよ? …………なんちゅう肝の座った子供なんだ……エリートばかりというのはあながち間違ってなさそうだな?」
アニエスの命知らずな申し出にゲーデはくつくつと笑った。
「俺はお前さんがいたく気に入ったよ。……まだまだ乳臭いガキだが、あと数年すればいい感じになんだろう? ……俺は死とセックスを司る悪魔だから結構性欲強いんだよ……?」
そして、ゲーデはエディンを見た。
「……つう訳で、願い願い言ってっけど……お前、何にも代価支払ってないじゃん? だからお前の願いを叶える義理マジでないからなー? せめてこの子みたいに値段交渉くらいしてみろよ。だから……この子は俺が貰っといてやる」
その言葉にエディンは、カッと頭に血を上らせた。
「ふッッッざけんな!! 俺はお前のご主人だぞっ!?」
アニエスの肩を強く掴み、爪を立てる。
「痛っっ……!!」
「おい」
そこでゲーデが半眼になってエディンを睨んだ。
目を白目まで真っ黒にして……。
「ゲーデ様のものを……何ぞんざいに扱ってんだ? 死ぬか?」
そう言うと何か目に見えない無数の刃が煌めく。
そうしてエディンとエディンが使役していた呪い蟲は、一瞬にしてその場に千に万にバラバラとなった。
「だ~か~ら~さーー……いったじゃああーーーん。俺?『死とセックス』を司るって!」
アニエスは、一瞬で人間を散り散りにした悪魔の行いと実力に絶句する。
アニエスはいよいよ、苦境に立たされている実感を得ずにはいられなかった。
「そんじゃあ……さあ、行こうか?」
悪魔は、そうしてアニエスに手を差し伸べる。
いよいよここからが正念場だった。
悪魔『ゲーデ』のモデルは、ブードゥー教の悪魔です。




