9、手紙と小さな侵入者 ☆※new挿絵あり
※アニエスのドレス姿
エースとアレクサンダーが、寄宿舎学校に入学してから、ふた月が経過した。
エースもアレクサンダーも複数の外国語、軍事学基礎や、歴史、数学、現国語、古代語、錬金術基礎、魔術基礎、魔術応用、魔物・生物学、神学、商学、農学、自然科学、地政学、海洋学、体育等々……競うようにカリキュラムを取り、破竹の勢いで秀抜な成績を収める。
また、学友にも恵まれ、日々忙しくも充実した日を過ごしていた。
それなのに……。
「……」
アレクサンダーは、自分の個人のポストを開けた。
だが数十秒して、それがまた届いてないことに不満げにポストを閉める。
左を向けば数個隣の個人用ポストを同じように眺める幼馴染の姿。
少し眉間に皺を寄せて中にある手紙を掴んでササっと点検すると、目的のものは同じように無い様で、不服そうにポストを閉めた。
二ヶ月……ずっと連絡がない。
いや、理解はできるのだ。
あっちも新しい環境で慣れない毎日を過ごしているだろうし、覚えることも多々あるだろう……。
だがそれでも、手紙の一つも送って来ないその相手に二人は不満を覚えずにはいられなかった。
だってそうではないか?
いくら忙しかろうと、まだまだこの世界では手紙が主たる連絡手段にあたるわけで……。
はがきでも何でも……送って来ないのはいくらなんでも不自然だし不精が過ぎるといえないだろうか!? けれど……とはいうものの、同時にこうも思った。
「女々しい……」
自分本位で男らしくないと……アレクサンダーはそんなみっともない考えを打ち消そうと頭を振る。
「アレク、早くしないと食堂の席が埋まるぞ?」
たぶん自分と同じ内容でいまいち元気のないエースにそう促され、アレクサンダーはあえて気にしていないフリをしながら話をした。
「何だか、がっつりしたものが食べたいな」
そういうとエースは少し意外そうにする。
「お前がそういうこと言うのは、何だか珍しいな」
アレクサンダーは普段あまり自分の要求や好みを口にしない。それは、いつも自分では無いあるお方を、つい最優先に考えてしまうからだ。
でも、ここにその人はいないから自分の好みや嗜好も自然と出てきた。
なのに、何故かアレクサンダーははそのことにさえ不満を抱いている……。
食堂の中に入れば、すでに全学年が午前の授業を終え、ほぼ席は埋まっていた。
「あっちでブロードたちが席を取ってくれたみたいだぞ?」
見ると話しかけられたのをきっかけに友人になった、子犬のような印象のブロード・アシュレイ・バーンをはじめ、クラスの友人たちが自分たちを呼んでいる。
「それにしても、いつもより何だか騒がしいな……あそこに人だかりができてないか?」
「……何でもいいよ。お腹がすいた」
その時だ。なんだか聞き馴れた声が聞こえた気がした。
……いや、いやいやいや、そんなはずは無いだろう? とさっさと歩を進める。
……でも、いいや、やはり聞こえる気がする! ついに、彼らは幻聴まで聞こえだしたのだろうか!?
アレクサンダーは耳を押さえた。
彼の耳は人一倍良いはずなのに、いったいどうしたというのだろう!?
しかし、今度はかなりはっきりと幻聴が頭に響いてきた。
「アレクサンダーー! エーースーー!」
そう呼ぶ声がする。
二人はそこでようやく、まさか……と思いながら後ろを振り返った。
そこには人だかりから顔を覗かせるようにして手を振る、白い金髪にキラキラとした七色の瞳の少女が、ぶかぶかの制服の燕尾服を着て、ちょこんとテーブルを挟んで立っている。
一瞬これは夢か何かではないかと目を瞬いた。
しかしそれは幻でもなんでもない。
「もお、ずっと探してたんだよ! しかも呼んでもなかなか気づいてくれないし!」
間違いなくそれはアニエス本人であった。
アニエスは人だかりからさっと抜け出し、二人に駆け寄る。
「久しぶり元気だった? 色々話したいことが多すぎて手紙じゃ書ききれそうにないから、えへへっ! 来ちゃった!?」
……来ちゃったって、ここは基本、女人禁制のはずなのだが……。
「ふう、お腹がすいたー。立ち話もなんだし座ってお話しましょう? ほらほら!」
「……本当にアニエスだ」
「ええ、確かに……お嬢様ですね」
いつもと変わらない態度に突飛な言動。間違いようがなかった。
「その二人が探してた一年生なの?」
「はい! 一緒に探して頂きありがとう存じます!」
アニエスは一緒にいた上級生に丁寧に礼を述べる。
「いやいやいや!! いいよいいよ、アニエスちゃん一人じゃ探すの大変だったもんね!」
「そうそう!」
アニエスは人だかりから抜け出したが、その人だかりから上級生が何人も彼女を追ってきた。
他の席の者も一目アニエスを見たいと首を伸ばしていたり、チラチラと覗いてみたりする。
こ、……これは、どういうことだろうか?
いつもだったら『魔力無し』であるアニエスに対して通常とは違う激しい違和感を覚えるため、遠巻きにするであろう魔力ある人々が……今ここにいる彼女は違和感そのものなのが当然だからか、それに隠れて皆そのことに気付きもしない。
そうなると、彼女が実はどんな内容の人間か知らない彼らに与えられた情報は、彼女の容姿やその態度のみとなる。
(本当、本人こそわかっていないが容姿と愛嬌・愛想の良さに関してはパーフェクトだからな……)
それこそ容姿だけでいえば、まるで神様がこしらえたお人形のような完璧さと可憐さだ。
ゆえに結果としてこんな愛くるしい少女に、食堂にいる誰もがお近付きになりたいと機会を伺っていた。
「お嬢様、座って食事しつつお話なんかしていたら、それこそすぐに教師に見つかりますよ?」
アニエスはチラッと先程の上級生を見た。すると上級生はニヤリとし、指で丸を作って見せる。
「それならもう対策済みだから、大丈夫よ?」
……いったいすでに何をしたんだ!?
「アレク、とりあえず義姉さんの言う通り座って話そう……。義姉さんが大丈夫というのなら……どんな手段かは知らないが大丈夫なんだろう。……たぶん」
エースは言及するのを止め、とりあえず面倒そうな問題をまるっと棚上げにした。
アレクサンダーたちはアニエスを連れ、ブロードたちが確保した席へと進む。
「ブロード、すまないが席をひとつ詰めてくれないか?」
「皆様ごきげんよう!」
アニエスが元気よく挨拶した。それにはブロードも目を見開いてひどく驚いている。
「えっ、女の子!?」
「ふふふふ、そう見えますか? だけど実は……」
「女の子ですよ。これでも」
「これでもとは、なにー! …………まあ、確かにアレクのほうがずっと女顔…………いひゃいっ!」
「おや失礼しました。あまりに不躾な口だったもので……?」
「随分と親しいんだね……!?」
ブロードは、いつも沈着冷静でクールな印象のアレクサンダーが、怒ったりいじったりする姿に衝撃を受けた。
「えーと、皆さんはご学友なのですか?」
「はい、僕の名前はブロードです」
「私はアニエスと申します。どうぞよろしく!」
「ジャックです」
「ハロルドだよ!」
「トーマスといいます」
さて、そこからはお互いに質問したり、されたりの繰り返しだ。
というか、もともとアニエスは色々手紙に書ききれないほど話したいことがあって、ここに来たのではなかったか?
しかも、話をしているうちに少年たちは、どんどんとアニエスに夢中になり、引き込まれていく……。
それというのもこのアニエス。
実は大層な聞き上手なのだ。
人の話を聞く時に見せるひたむきで積極的な態度は他に類を見ない。
前のめりに真っすぐに向けられた瞳は、好奇心の光でキラキラと輝く。ニコっと満面の笑みで相手の名前を呼び、そして……。
「へえーっ!」
「ふむふむっ」
「そうなのですか!?」
「うんうん、その通りですね?」
「それでそれで? その後どうなったんです!?」
「わっ、知らなかったー!」
「えええっ!……そんなひどいことが……?」
「わあ、勇気がありますね!?」
「そう思っちゃうのもしょうがないですよ!」
「センス良すぎ!」
「えぇ、すごいっすごい!!」
「あははははっ! いやだっ、面白すぎる!! 死んじゃぅ゙っ! どうかお願い! 腹筋を殺さないでくださいませ!?」
「いま初めて知りましたっ!?」
「格好いいッ!」
「わたしも参考にしてもいいですか!?」
「勉強させてもらいます!」
「完璧!」
「なっ……あなたは紳士の鑑ですか!?」
「楽しぃっ!」
「おねがいです。もっと貴方のことを聞かせてくださいませ……!!」
と、このように感情と表情をころころと変え、手を打って喜び、『すごい』や『はい!』という言葉の反応のバリエーションだけでも各々、十以上。
意識してか無意識なのか……相手の言葉の反復やミラーリング効果で、親近感もぐぐぐっと持たせ、素直でとにかく打って響くがごとく、リアクションが素晴らしい!
しかも恐ろしいことに、全て偽りのない丸裸の本心のように聞こえるのだ……。
だから相手もついつい気分が良くなり、どんどんと話しだす。
それで、自分でも知らず埃をかぶっていたユーモアや冗談のセンスや、本当は周りに語りたかったアレやコレやソレまでも、次から次へと引きずり出され…………爽快な快感に近い、弾け飛ぶほどの肯定感が得られてしまう。
そんなことを、自尊心の燻り激しい思春期の少年が、これほどに愛らしい女の子にされようものなら、それこそもう……それは簡単、イチコロ、瞬殺だった!
少年たちは我先に彼女に話を聞いてほしくて、ついには互いが互いを押し退け、圧し折るような有様である。
((……え、すっごく、面白くないんだけど……!?))
おかげで、エースとアレクサンダーは碌に話せやしない。
さらに悪いことに別の席からも同級生や上級生がぞくぞくと集まりだし、しまいには一つの餌を奪い合う、大量の鯉や鳩のようなカオスな状態になってきた。
さすがにこれにはアニエスも非常に戸惑っているようで、目を右往左往に泳がせる。だがその時。
「いったい何の騒ぎだ?」
遠く食堂入り口から騒ぎに気付いたさる人物が、食堂へと入ってきた。
その人物が通る道先の人々が、さっと道を譲り、割れるように道ができていく。
「王太子殿下だぞ!」
「!!」
学友の一人で一番背の高いトーマスがその正体を最初に認識して、皆に聞こえるように囁いた。
それを聞きエースやアレクサンダーも王太子殿下がやってくる方を思わず見ようとする。
が、腕を強く引っ張られ視界がぐらつき、結局、王太子の姿を捉えることは叶わなかった。
「何かあったのか?」
王太子は人だかりの中心に着くとそこにいる者たち全員に問う。
それに友人代表として弁解しようと、ブロードが前に進み出た。だがしかし…………。
「王太子殿下、これには訳が……って、あれ? 三人がいない?!」
肝心のこの騒ぎの元凶は、忽然と姿を消していた。
「ここでは想像していた以上に、女の子が珍しいみたいね?」
食堂を抜け出し、ようやく三人、水入らずになると、アニエスは先程の騒動に対しての感想を漏らした。
その発言にエースはアニエスをちらりと見る。
「そうじゃなくて、アニエスがあまりに可愛いから皆騒いだんだよ」
そう言うも、とうのアニエスはすっかり冗談だと思っているようで、お腹を抱えておかしそうに笑っている。
「あははははっエースやアレクサンダーがいるのに、それは絶対にないよ! ……はあ、それにしても危なかったな。そうだ王太子もご在学だったのをすっかり忘れていたわ。じゃあ、この制服も殿下の一年生の時のものなのかな?」
ぶかぶかの燕尾服の袖を眺めながら、アニエスはボソリと呟いた。
「勝手に拝借してきたんですか!?」
「きちんとクリーニングに出して返すだけじゃ、……やっぱりまずいのかな?」
はあ、とアレクサンダーはため息をつく。
「ご実家ではないのですから、慎んだ行動をとってください! 場合によっては窃盗だと思われますよ!?」
それに、アニエスはぎょっとして慌てだした。
「そ、そんなつもりはなかったの!! でも、確かにそう捉えられかねないよね……えええっ、ど、どうしよう……!」
アニエスは今にも泣きそうになってオロオロしている。
「落ち着いてください。お叱りは受けるでしょうが、事情をご説明すればあらぬ疑いは晴れると思います。普通、制服なんて……いや、どうだろう?」
王太子は、この国の一部の間で狂信的な人気を誇る。
スマートで洗練され、涼し気な目元も爽やかな美丈夫で非常に優秀だ。
おまけに魔力も高いらしい。
そんな彼なので、ストーカーの被害にもあっていると以前、新聞のゴシップ記事で読んだことがある気がした。
アニエスがふらりと倒れそうになり、エースは慌てて支える。
「アレクサンダー!?」
「失礼しました! お嬢様、お気を確かに!」
アニエスは、元がべらぼうに良いとこのお嬢さんなだけあって、ある一部分では非常に潔癖で打たれ弱いところがある。
しかし、彼女はなんとか持ち直した。
「だ……だいじょうぶ、平気……別に私は、他に本意があるわけではないんだし、きちんと帰ったらご説明をします。叱られるだろうけど、きっと実家にも……」
「義姉さん、こんな無茶するからそういうことになるんだよ?」
「……だって、会うにはこうするしかないと思って」
「時間は掛かりますがきちんと手続きすれば会うのは可能ですよ?」
「でも、急にどうしても……今すぐ会いたくなってしまって……」
二人の気のせいだろうか?
何だか彼女は若干弱っているように見える。
いつもはこの儚げな見かけは見かけ倒しのハッタリでしかないが、今はどこか本当に頼りない感じがした……。
「お嬢様…………何か王宮でありましたか?」
「別に何も。お世話になっているタニア様はお優しくてそれは素敵な方だし、毎日、本当に刺激的よ。でも……ただ会いにきたくなるのは、そんなにおかしいこと?」
アニエスは、泣きそうな目でアレクサンダーを睨んだ。
「申し訳ありませんでした。僕も言い過ぎました」
「抱っこ」
「……はい?」
アニエスは、アレクの服の裾をぎゅっと握り、拗ねているように唇を突き出した。
「抱っこして、今すぐ、早く!」
「小さな子供じゃないんですから、そんな……ああ、もう分かりました! だから、そんなに服を引っ張らないでください。シワになります!!」
アレクサンダーは、実はこう見えて世の貴族令嬢ほどには普段わがままを言わない彼女が、しかし一度わがままになると、人の話をテコでも聞かないのをこれ以上ないほど熟知している。
だから仕方なくその胸を開いた。
するとすぐさま、アニエスはその胸に飛び込んでくる。
その時ふわりと、良い香りがしてアレクサンダーは思わずドキリとした。
アニエスは、ぎゅうと抱き着くと子猫のようにアレクサンダーの肩に頬を摺り寄せる。
アレクサンダーは、かあっと身体が熱くなるのを感じたが、彼女のために必死に耐えて要求に応え続けた。
暫くして、満足したらしいアニエスは、アレクサンダーからいったん離れると、今度はエースをじっとみつめる。
「……エースも」
わかっていたエースは、やれやれといった感じの態度を取りつつも受け入れる。
「はいはい」
アレクサンダーと同じようにアニエスはしがみつくように抱き着いた。
「もっと〜、ぎゅっとして!!」
アニエスはそんなわがまま放題を言ったが、エースはそれに応えて腕に力を込め、彼女を強く抱きしめる。
それに、アニエスは幸せそうに目を閉じた。
そしてその日は、それで満足した彼女はそのまま素直に帰っていったのである。
帰り際に、二人はチラりと手紙が欲しいと伝えてみた。すると二日と空けないで手紙が二人の下に届けられる。
しかし、それには簡素に描かれてはいるが、随分と詳細な学校内の見取り図に『事前に連絡するから、合図をしたらここに来てね?』と学校の監視の特に緩いらしい箇所にいくつか番号が振ってあり……更には中で、読み切れなかったので、このリストにある本を借りてきてくれないか? と、棚番と共にタイトルと筆者名がずらずらと書かれたメモが同封されていた。
…………いったいぜんたい、どうしたら知らない監視体制の強い領域でこのように動き回ってスパイ行為そのもののようなことが出来るのか?
あと二人が欲しかったのは決してこういう類の手紙のことじゃない!
……だけど、なぜかあまりにも、らしすぎるその手紙に、アレクサンダーとエースは思わず笑って受け入れてしまう。
こうして二人は、さっそく彼女に返事を書くことにしたのであった。
※実はタメ口と敬語を混ぜて話すのもコミュニケーションテクニックのひとつです。