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アニエス嬢はご苦労されてます  作者: ちゃ畜
王都の人質になった子供達
8/227

8、王宮宮廷行儀見習い生活のはじまり(アニエスとタニア王女殿下) 

 


 

 一方、アニエスの人質生活……いや王宮宮廷行儀見習い生活も始まっていた。



「はじめまして、(わたくし)はこの国の第一王女、タニア・リリ・ローゼナタリア・バルファードです。これからどうぞよろしくね?」


「お会いできて光栄にございます。ロナ公爵家が第一子、アニエス・ロナ・チャイルズ・アルテミスティアと申します。このたび王女殿下の身の回りのお世話をさせて頂く栄誉に預かりました。心より勤めさせていただきます」


 「言葉遣いは大丈夫だろうか?」とハラハラとしつつアニエスはカーツィー(※正式なお辞儀)をする。


 そして顔を上げないまま、姫君の手の甲にキスを落とし、慣例通りのご挨拶が済んだ。


(おもて)を上げて頂戴」


 アニエスは恐る恐る顔を上げた。

 タニア王女をチラリと遠くからお目にかけることはあっても、直接の顔合わせは初めてで、アニエスは緊張してこわばる。


「まあ……なんて可愛らしく素敵な瞳なの!? まるでそう……宝石の『オパール』のような瞳ですね。うふふ、オパールは人々の心に喜びを与える希望の石と言われています。……これは吉兆だこと!」


 タニアは春の日差しのように、ふんわりとたおやかに笑った。

 黒髪を丁寧に結い上げ、深い色の長い睫毛に黒曜石のような黒い瞳。

 さすれば、彼女は生まれながらに相当に高い魔力保持者ということだ。

 そのうえ、驚くほどの美少女なのだから、もはや決定的と言っていい。


 さすがは『ローゼナタリアの真珠姫』と呼ばれる姫君だ。


「私、あなたが魔力が無いのに史上最年少で『ドラゴニスト』になったと聞いて、十二歳にして五フィート十インチ(※約百八十センチメートル)を超える屈強な少女を想像していたの……なのに、あまりにも可愛らしい方で二度驚いてしまったわ! いったいどうやって竜を捕まえたのですか?」


「過分にお褒めにあずかりまして、まことに恐縮でございます殿下。……しかし、信じていただけないかもしれませんが、私は、五フィート十インチの屈強な戦士に値する鍛錬を積み上げてきたと、生意気にも自負しております!」


 アニエスは、かしこまって言った。


「……ですが、なぜか私の体にはこれといって容貌への変化はなく、残念なことに、このように見た目は()せっぽちなのでございます……」


 実に残念そうにそう締めくくる。

 すると、王女様は不思議そうに目を丸くした。


「まあ、屈強な見かけになれず、貴女は残念なのですか?」


「はい、だって……筋肉は美しゅうございませんか?」

 

 タニア王女は、おかしそうに、くすくすと笑う。


「確かにその通りですね。でもそうなってしまったら、きっと似合うデザインのドレスを見繕(みつくろ)うのに苦労するのではないかしら?」


「確かに……その見解は、私にはございませんでした。流石(さすが)にございますタニア様!」


「ふふっ、どうやら貴女(あなた)は性格も可愛らしい方みたいですね?」


 それはこっちのセリフだとアニエスは思った。


 正直、自分のような魔力も無い人間は王女付きには不釣り合いの場違いだし、いじめられて当然と考え、ここへやって来るまでに、実はかなりの覚悟をしていたのだ。


 だが実際はタニア王女は年齢も自分と一つしか変わらず、目の前にした麗しの(かんばせ)は、遠目で見た時よりさらに輪をかけて高貴で優しく。

 思わず見惚れるほど可愛いらしくて……アニエスは一気にタニアのことが大好きになってしまった。


「私、妹か弟がずっとほしかったの。だから貴女が来てくれて嬉しいわ!」


「タニア様のご兄弟といいますと……」


「ええ、ご存じの通り兄の王太子がいます。私の自慢の兄です。……アニエスにはご兄弟はいるのかしら?」


 アニエスは少し考えてから口にする。


「他人より遠い存在の実兄が一人……ただ、よくは存じ上げません。でも、私にも自慢の血だけが繋がらない弟と、兄弟のように育った大切な専属の従者がおります!」


 二人の話をしていると、アニエスは自然と口元が綻んだ。


「兄弟のような従者というと?」


「はい、名はアレクサンダーというのですが、昔から非常に優秀で、先日、正式に子爵家との養子縁組の準備も整い、義弟と共に今年から『エールロード』に進学いたしました」


 タニアはふんふんと聞きながら、あごに手をやり考える。

 

「もしかして、それが例の一緒に『ドラゴニスト』になった少年たち? それなら確かにとても優秀ね!」


「はい! 二人とももともと出来の良い子なのですが、とにかく負けず嫌いで……努力に努力を重ねるのが当たり前なんです。それを塔のように高く積み上げていく姿には、いつも感心させられてばかりで……」


 アニエスは口元をにこやかに目を伏せて続けた。


「それに比べると私は、助けられてばかりの不出来な姉で正直ちょっと恥ずかしいです。ですから私も、負けずに日々精進していこうと思っています」


「……貴女も『ドラゴニスト』になったのだから不出来ではないわ。ドラゴンは気高きこの世界の万物の覇者。弱き者には決して下らないはずです」


 タニアは少し違和感を持った。

 この少女はもしかすると……いや、かなり自己評価が低いのではないか? 


 歴史的、世界的にも、大きな足跡と遺産を残す(まご)うことなき大名門ロナ家のご令嬢で、『ドラゴニスト』という十分すぎる実力。


 それにタニアはアニエスが本当に可愛くて、びっくりしたのだ。


 細い手足はすらりと長く、胴はきゅっと小さい。

 金の髪は滝のようにさらりと流れ、巻いた毛先に光がいくつも弾く。

 端正で上品な白い顔立ちは、どこから見ても自然と視線を引いた


 なのに、この子にはちっとも(おご)りがない。

 ……どころか自身を自虐(じぎゃぐ)(さげす)んでいる感じすらある。


 アニエスは遠慮がちに言った。


「私は魔力がない分、使える手札も多くはありません。なので出来ることを大切に昨日の自分に負けぬよう、精一杯頑張ります!」


 タニアは「ああっ、なるほど」と思う。


 タニアは自身があまりに大きな魔力を持っていたため、正直、平均的な魔力持ちと彼女のような『魔力無し』の違いが、一見してはあまりよくわからなかった。

 しかし、一般的にはそれこそ絶望的な違いがあるようなのだ。


 魔力のある者は魔力の無い者にほとんどの場合、強烈な違和感……場合によっては、異臭や騒音、そして視覚の歪みを、出会った最初の瞬間に感じられる。


 それは、いきなりすえた獣の匂いを嗅がされたり、耳が痛くなるような鋭い音が鼓膜を揺らしたり、まるで緑の肌の人間を見たみたいに――。


 歪んだ体感情報が直接、脳へと届く。



 タニアが一瞬目を伏せる。


 この傾向は、魔力が極端に高い者や低い者よりも、

中程度の魔力を持つ貴族――貴族全体の約七割を占める層に最も多く見られた。


 なお『魔力無し』による脳への誤認識は、初対面の瞬間にのみ生じ、時間の経過とともに消失するため、継続性は無いとされる。


 ……しかし残酷にも、第一印象は心に焼き付き、その一瞬から侮蔑と差別は、避けられぬ宿命として生まれ落ちた。


 そもそも魔力をまったく持たない者の多くは、下級労働者や貧民に属している。


 そのため、彼らにとって『魔力無し』とは、差別の対象である以前に、憐れみを施すべき……神に見放されし不幸な存在と見ていた。


 それゆえ、「可哀そう!」「なんて可哀そうなのかしら?!」と殊更に言い立て、『魔力無し』を主役に据えた奉仕活動をわざわざ企画する夫人も、多数存在するくらいだ。


 そしてそれを、絶対の善行だと――おぞましくも、本人たちは心から信じて疑わない。


 タニアは、それが世間ではごく当たり前の価値観で、口にしたところで何も変わらない。……いや、そもそも通じるはずがないことを、重々承知していた。


 それでもなお、その光景には吐き気にも似た、胸の奥に残る苦々しさを覚えずにはいられない。


 だが、どうだろう。


 そんな、哀れみの対象、差別の対象が自分より地位も財産もあり、美しく優秀であったとしたら……?


 もし、自分には歪んで見える存在が、目上の者に称えられていたなら……。

 恐らく、激しい嫉妬と蔑みと無理解が生まれるだろう。


「なぜ……なぜ貴様ごとき、醜く愚かしい『魔力無し』が、この私よりも……!」


 タニアは、背筋にゾクリと冷たいものが走る。 


 あの腹の内が読めない貴族たちから、アニエスは常にそんな目を向けられていたのだろうか?


 いや、それだけではない。


 地位や富に目がくらみ、欲が絡んだ人間が事態をもっと複雑にする可能性もあった。

 まだ十二歳のこの子は、果たして一体どんな目に合ってきたのだろう? 


「さぞ今まで……辛い思いをしてきたことでしょうね」


 そういうと、アニエスはぶんぶんと手を振って笑って答える。


「いえいえ! 私はもともと十分に恵まれていましたから、神さまが……少ーしだけ調整したのだと思っています」


 そう、くるりと前向きに結論づけて、さらにアニエスはあっけらかんと続けた。


「実は私、かなりの怠け者なんです! 魔力があったら、きっと甘えていました。でもこの身だからこそ努力を覚えましたし、筋肉をいじめて鍛える楽しさも知りました! ……そう考えると、むしろ感謝することも多いんです」


 ……それに、タニアはプッとふきだす。


「どれだけ筋肉がお好きなの……!」


「え、え、……何かおかしいのでしょうか?」


 アニエスは、「あれっ?」と小首をかしげた。

 タニアはふふっと笑う。


「ふふ、私いま決めました。……貴女を一流の宮廷人に(いた)します。それはきっと筋肉くらい役に立ってよ? 私、かなり貴女を気に入ってしまったわ!」


 タニアはそう宣言した。

 それに対しアニエスは急に真面目な顔になり、シャキッと背筋を伸ばす。


「恐れ多くも私もタニア様にすでに深い親しみを感じております……。どうかこの若輩者に、ご教授、ご鞭撻(べんたつ)のほどをよろしくお願い申し上げます!」


 と改めて深々とカーツィーをした。


 こうして、アニエスの波乱万丈の王宮宮廷(おうきゅうきゅうてい)行儀見習(ぎょうぎみなら)い生活は、さまざまな運命を巻き込み、華やかに幕を開けたのである。








【世界観補足】

 タニアは王族のため、成人前ですでに足を隠す長さのフルドレス(正装)を着用しているが、成人した時との服装の差別化をはかるため、バッスルスタイルより前時代のドレスを着用する決まりになっている。

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