89、夜のレッスンと自己啓発(その二)
「エースおはよう!」
「……アニエス、おはよう」
最近のエースは様子がおかしい。
こういう風に王宮でアニエスと顔を合わせても、いつもあくびを噛み殺して疲れているのだ。
「……ごめん、急ぐんだ」
しかも、何だかアニエスを避けている気さえする。
アニエスは折角毎日会えるのに思ったほどエースと時間が過ごせず、口には出さなかったが寂しさを感じていた。
「~~~~冷たくしちゃったよ……!!」
エースは裸の状態で枕に突っ伏し、アニエスへの態度を盛大に反省していた。
エースの隣には三人の女性が同じように裸で川の字に並んで寝転んでいる。
「あらあら、エース様せっかく頑張ったのに、それでは台無しですよ?」
「あれやろか? 逆に意識しすぎてっちゅう……」
「じゃあ、もう振られて私と付きあっちゃえば?」
三者三様、好き勝手なことを言う。
夜のレッスンが始まって、十二日間が過ぎていた。
その間に、エースはとっくに大人の階段を上っていたが、それに甘い雰囲気などなく……。
いや、毎度、最初の一回目はムードを盛り上げて進むのだが、その後はひたすらスポ根と勉強……ひたすらの精進と修行と言っていいものだった。
「エース様、そんな触り方では女性が痛がります!」
「エース様、そこ、全然ツボじゃないです」
「舌なんて、ただ乗っていたらナメクジと一緒ですよね~? ナメクジが体についたら気持ち悪いでしょう? 想像力あるなら、わっかるよね〜?」
「我慢してください。そーそー、そのままやで、はーい、キーーーープ!」
「まだまだ、いけますよね? ……え? もう無理?! ……はいはい! 男の子なんだから甘えないのーーーー☆」
「……自分だけ気持ち良くなっていいと思ってんですか? 女性にしなくていい演技を、させるおつもりですか?」
「じゃあ、私の真似してみてな……あっは、………なんでそうなるん……?」
「単調!! 三歳児のカスタネットみたい♪」
「ねーねーエース様! “くすぐったい”……イコール実は“下手くそ”の隠語だって知っはった? いや〜ん……くすぐったーい!」
「はい、そこ、一か所にばかり集中しないの!! ほら、こっちの手がさぼって疎かになっている!! あと、指先の動き!! って、ちっがーう!? そうじゃないのっ!!」
……何か想像していたのと全然違った。
何度も何度も、心をへし折られ、そこでアニエスの顔を思い浮かべては、再度、むりやり立ち上がるを繰り返す……!
エースの心と愛はだいぶ強くなっていた。
最初こそ、女性の生の裸を見て……正直いえば、かなり浮足立ったが、今は本当にそれどころではない。
さらに、ナイジェルによる保健体育……というか詳しい人体の仕組みやら衛生管理まで講義をされて、なんだか変な専門家より、恐ろしく色んなことに詳しくなってしまった。
……ただ知らなくてよい世界もあった……そんな、世にある変態性癖まで知りたくなかった。
「それにしても、この短期間で凄まじき成長っぷり……教師冥利に尽きます!」
「うんうん! ……私達相手にここまで出来れば、ほぼ無敵、完璧ですよ!?」
「がんばったなあ!! これでよーやく男として一丁前やでえ? おめでとー」
そう。ようやく本日そう言われた時。
エースは割とガチで泣いた。
(……………………本当……………頑張ったな俺!!)
で、冒頭の様に休んでゴロゴロしていた時に、ようやく余裕が出来たためか、急に寂しそうな彼女の顔が浮かんでくる。
考えてもみれば、あと少しで学校が始まるというのに、度重なる猛特訓で疲れ切っていて昼間はほとんど父の執務室から出ず、半分くらいは居眠りをしていた。
だから毎日会える環境にいるのに、アニエスとはほとんど会っていないという……。
「~~馬鹿だろ、俺~~~!!」
「ほんま、エース様は可愛いなあ?」
うるさい! ほっといてほしい!! エースは枕に突っ伏してふてくされる。
「なあなあ、もう特訓も最後だし……噂のお義姉ちゃんのこと教えてえな?」
「あーっ! 私もソレ聞きたい!!」
「…………え?」
アナベルとリリーが興味津々で、目をキラキラさせている。
「いったいどんな子なの?」
「……頼りになるけど、やたら瀕死」
「? 何それ」
「頭の回転が速くて、機転が利いて、腕っぷしも強い。けど……ほっとくと全部じぶんで抱え込んじゃって……気付くとすぐ死にかけてる」
「どうゆうことなん?」
「心配だからそうゆう風になる前に言ってね? って話しているんだけど……へらへらして『わかった~』とか言っておいて、気付けば物凄い状態になってるんです」
そうアニエスはいつも笑っている。
痛くても、辛くても、泣きたくても……。
「例えば最近も、実はストーカーにあってたって後から聞いて……その手紙の、その一部を見せてもらったんです」
彼女は人の負担になるのを極端に恐れているのだ。
……責任感がいつもアニエスの首を絞め、彼女はそれをどんな時も黙って目を閉じて受け入れた。
「……そしたらその手紙には義姉さんの一日の動きと、義姉さんの部屋の配置と、何がどこに置いてあったというのが詳しく書かれた上で『愛しい貴女の持ち物のひとつを持って行きました。何だと思いますか?』って書いてあった……」
「……え?」
手紙の内容……怖すぎない?
「読ませてもらった時、思わず絶句したら『あ、でも周りが助けてくれて何とかなったから、全然、大丈夫なんだよ!』って言われて……何を言ってんだよこの馬鹿!! って思いましたね」
「ね、義姉さんなかなかやな……」
「良いところがいっぱいあるのに自信が無くて、酷い目に合ってもその相手にまで優しくして……だから僕が辛いことや苦しいことから全部かばって守って、いつも笑わせたい……本気でそう思うんです」
「………………」
「ま、といっても、単純に見た目や声も好きなんだけど……!」
「感動した! エース様、絶対さらにいい男になる!」
「ははっ、ありがとうございます……努力します……!」
そして、その日を以て夜のレッスンは無事に卒業となった。
「今までありがとうございました。本当にお世話になりました!」
「いえいえ、こちらこそ……エース様といて楽しかったわ」
そのままその家を後にしようとしたが、エースは急に足を止め、一度三人を見て家に視線をめぐらせる。
それから……。
「……あの」
勇気を出して声を掛けた。
「はい?」
「……また来てもいいですか? ご迷惑でなければ、その、皆さんの作品を……今度はちゃんと見たい!」
……エースはなんだか、ここで縁が切れるのが嫌だった。でも我が儘かもしれない。
「勿論よ! いつでも遊びに来てね? というかそんなに気を使わないで、手ぶらでいいからね!?」
「うん、いつでも大歓迎やで! 仕事の時以外はだけど!」
「っていうか? いつでもそういうことしに来てもいいからね? レッスンじゃなく☆」
三人はそれに対して全然、嫌な顔をせずに受け入れてくれた。
エースは笑顔で言う。
「いいえ、……そういう事はやっぱり一番大切な人としたいから、それは今日でお終いにします!」
三人は目をぱちくりさせてから、笑ってエースの肩を強く叩いた。
エースが馬車に乗り込むと、三人は最後のレッスンのその日も見えなくなるまで見送ってくれた。
「ナイジェル……ありがとう。エリカさんたちを紹介してくれて」
エースは横を向いたまま、ナイジェルに言った。
「いえいえ、俺もマージン貰ってるんで?」
しかし、ナイジェルは当たり前だと言わんばかりの態度で、ニヤッと笑って平然としている。
「でも、おかげでいろいろ学べたよ。本来の目的以外にも」
「人との出会いは学びの機会ですからねー?」
ついでに、そんなことも言う。エースはぼんやりと『頼りになる兄貴ってこんな感じなのかな?』なんて思ったりした。
次の日、エースが王宮に行くと、義父の執務室の前にうずくまる者があった。
「…………アニエス?」
それは、愛しのアニエスだった。
「……エース?」
手を掴み立たせると、体がだいぶ冷えている。
「まさか、一晩中ここにいたの?」
「……………へへ」
また、笑ってごまかしてる。
エースはアニエスを引き寄せて抱き締めた。
「エース……忙しいのにごめんなさい……」
「いいよ、アニエスより大事なものなんてない」
「少し、嫌われたのかと思ってた……」
なんだと!? エースはアニエスの肩を掴んで顔を見る。
「それだけはあり得ないから!? アニエスを嫌うエースがいたら、そいつは偽エースだからね!!」
それにアニエスは、くすくす笑った。
ああ、くそっ、可愛いなあ……。
エースはまたアニエスを抱きしめてしまう。
「………………寂しかったよ」
「……ごめん」
エースは抱き締めながらアニエスの頬やおでこにキスする。
アニエスはくすぐったそうにしながら、また笑う。
「なんだかエースの腕が変わった気がする……成長して男らしくなったのかな……?」
ああ、確かにエースは男になってしまった。
「分かるの?」
「……背が伸びたとか?」
解ってないけど、分かるんだ。
「うん……ちょっと、背伸びをしたんだ」
だって、アニエスをどんな奴にも渡したくないから。と、エースは心の中で言う。
「エース……あのね、ここに来たのにはエースに会いに来た以外に、理由があるの」
「? 何」
「……ごめんなさい。エースは忙しいのに……」
「大丈夫だから……話して?」
するとアニエスは、一旦エースの腕からするりと離れエースを見つめた。
「この間の手紙に書かれた“持って行かれたもの”がわかったわ……」
「………………」
エースは気付く。今、彼女が瀕死であることに……。
「持って行かれたのは、“悪魔を封じこめたアーティファクト”。どうしよう……とんでもない事になってしまったわ……!?」
また、アニエスがSOSを出すその時。
それは……既に赤信号であるということを、エースは誰より理解しているのだった。
エースは新しい友を得たのだった。




