88、【閑話】ある芸術家とキスの話
「今日ナイジェルが十三歳の男の子を連れてくるから、アナベラとリリー、夜ちゃんと帰ってきてよ?」
その日の朝、エリカにそう言われた。
エリカはルームメイトであるとともに、ここでのボスであり保護者だ。
この家もエリカの所有で私はそこに間借りをしている。
「十三歳? そんな子供にお金が払えるの?」
「……なんでも、とある大貴族のご子息らしいわ」
ふーーーん。
貴族って言っても貧乏貴族や借金貴族なんて、実は結構いるんだけどね……?
むしろ、中流階級の商家の資産家の方がお金持ちでお金払いも良かったりするのよねー、これが。
というか、十三歳のわがままな童貞お貴族のお相手か……なんか、ちょっぴり憂鬱だな……。
私、リリーは、だからその仕事についてなーんの期待もしていなかった。
しかし期待は大きく、まさかの良い方に裏切られる。
「初めまして。夜分遅くに女性の家に失礼します」
………………………………………………へっ!?
目の前に現れたのは、人間なのが信じられないくらい、とんでもなく顔の整った絶世の美少年だった!!
あまりに綺麗な顔すぎて別次元に飛ばされたのかと思ったわ!!
た、確かにお貴族はお綺麗な顔の人が多いけど……そんな奴らも屁の河童、月にすっぽん! レベルが違い過ぎる。
しかも、超高級チョコレートとスペシャルブレンドの紅茶の手土産付きだ!
服装も、……ふんふんふん。これは、相当裕福な貴族にちがいない!
きゃーーーーー!! うそ、うそ!? ラッキー――!!
「じゃあまず最初は、基本のキスのレッスンから始めましょうか? これは、歳と背の近いリリーが担当するのがいいと思うわ」
エリカがそう言い、私を指名した。
「やった♪」
私は、さっそく若きお貴族様を自分の前に立たせた。
「ベテランなんですよ? 私」
「え?」
「じゃあ、まずは私から、エース様にキスしますね?」
唇についばみ。まずは様子見、徐々に深いものに変えていく。
ううん♪ 可愛い!! ……つい、サービスが行き過ぎてしまう。
「んぱっ!! …………いかがでしたか? エース様??」
すると少年貴族様は、ふらつき、よろけた。
……やべ、やり過ぎた☆
倒れそうな彼をナイジェルがとっさに支えたので、怪我はなかった。セーフ!! ……しかし。
「……ちょっとリリー……?」
エリカに睨まれちゃった……。
「ごめんなさい! だって超ミラクル可愛いんだもん☆」
そして、暫く、ぼーーーーーーーーーーっとなっていたお貴族様は、ハッと正気に戻り、耳まで赤くしてた。
「いえ、すみません。こんな恥ずかしい格好を晒してしまって……」
照れた顔がまた本当に可愛い。……いちいち眼福だな……。毎日眺めたい。
さてさて……気を取り直して早速、実力テストに入る事にした。
「じゃあエース様、今度は私にしてきてください?」
私は、目を瞑った。
何となく戸惑いの空気を感じる。そっか、好きな子がいるんだもんね?
相手が義理の姉というのが、倒錯的で拗らせていて、面白そうで……ほんと……もっとよく話を聞きたいんだけど、エリカが中断させたため詳しい話が聞けなかった……。
「…………………………」
今頃、もしかして私のことをそのお義姉さんと重ねているのかな?
おっ、ようやくキスをしてきた。
最初は、軽いキスだったのが、途中から深いものに変わっていく……。
「!!」
それは、とっても愛のあるキスだった。
その気持ちが唇から伝わってきて下腹部がキュンキュンする。……思わず泣きたくなっちゃう位、甘いキス……。
もう、その好きという気持ちだけですごく感じてしまう。
何て素敵なキスをするの君は……?
――でも私はプロ! それだけではいけない。
ちゃんとこの子を良い方向へ導いてあげないとね☆
ここで気持ちを切り替える!
確かに、気持ちはこもっていて素敵なキスだし……筋は悪くないのだが、正直いって単調でツボも外している。
舌の動きもなってない!
これは、肉体技術的には間違いなく落第点だわ……。
「……気持ちが乗っていて、愛のあるキスで素敵でした!! ………十八点!!」
その点数に……あらら、打ちのめされてる。
ごめんねー? 私、正直だから……。
でも、さっきのキスをされて、私は絶対に彼を技術的にも百点にすると決めたのだ。
あんな気持ちだけで素敵にしてしまうキスを、このままにしておくなんて絶対に勿体ないもん!!
技術は教えることは出来ても、気持ちは本人次第で教えることなんてできないんだからね!?
私は、愛のないキスをたくさん知っている……。それに私は怒りすら感じているのだ。
……だって、キスって本来は愛があるから成り立つものでしょう?
……君がもし、技術的にも百点になったなら、その好きな子も君に夢中になるよ? きっと、君無しではいられなくなる…………。
その愛ある姿を想像したら、私はすぐにでも石頭とコヤスケを手に取りたくなってしまった。
いかんいかん。我慢我慢! 集中集中!!
そして、散々熱血指導を繰り返したのだが……最後は彼も、私もたらこ唇寸前になってしまった……肉体的限界である! 無念!!
でも、少年貴族様はまた来ると言ってくれた。
本気で彼はマジで好きな子のために、テクニシャンを目指しているのだ。
……なんか、こう言うと笑いそうになるけど!!
というか、本当にお金持ちだなあー。
お客でなく、好きな子もいなかったら、是非とも彼氏なってほしいくらいだ。
私は彼が帰る時に、馬車が見えなくなるまで手を振った。性格も良かったし、近いうちにまた来てくれるといいなぁ!
「じゃあ、中に入りましょうか?」
エリカに促されて家の中に戻る。
「リリー? 貰ったチョコレート食べない?」
「……ごめん! どうしても石を削りたくなっちゃって……!!」
そして、私はずっと我慢していた情熱を胸に外に建てられた防音加工の作業場へと向かう。
目の前に新しい石を置き、コヤスケや端切り、石頭やノミをざっと並べ、あのキスを思い出す。
そして私は夢中になって徹夜で石を削り続けたのだった。
リリーの生涯のテーマは愛。キスの経験が豊富なのも自分の創り出したいものへの情熱ゆえ。




