81、結界の中の密談と近づく本質
「ノートン完全結界をお願いできるかしら」
タニアは防音、防衛、防魔、防視、防臭、防触のある意味、異次元と言っていい完全結界をノートンに張らせる。
ノートンが手袋を外すと、手の平には複雑な魔方陣が刺青されており、そこから結界を構築していく。
本来、国の絶対機密漏洩を防ぐための超高度魔法のひとつだ。
「……流石はノートンね。〇・〇一インチのの隙間すらないわ」
タニアはその結界の出来に満足し、早速、本題に入る。
「アニエスは、たぶん、何らかの高度な呪いか魔法。そのいずれかを掛けられているのではないかしら……それも相当厄介な」
その言葉に三人は固唾を飲んだ。
「彼女はいつも愛らしく、気が利いて、誰からも好かれる存在よ。けれど時々、その愛らしさが深すぎる闇のようになるの……」
タニアは長いまつげをそっと伏せる。
「……足を踏み入れたら最後、抗えずに沈んでしまうような。けれどきっと、それは彼女の意思ではない。アニエスもまた、その底知れぬものに揺さぶられている一人」
ノートンが水筒のお茶をタニアに差し出し、タニアは礼を言って口を潤しながら、その長い話を続けた。
「アニエスは、普段あれほど目端が利いて勘も鋭いのに……自分に向けられている欲望や恋情だけは、まるで認識できていないの。そこだけ視界から……まるで遮断されているみたいだわ」
一瞬、タニアは考え込んでから、わずかに息をつく。
「最初は、鈍いふりをして周囲を振り回す子なのかとも考えた。あるいは無垢を装いながら、人気を得ることに優越感を抱く類の少女なのかと。そういう子は一定数いるものだから。でも……違うでしょう?」
そう、それには確信があった。
「彼女を巡る争いが起きるたびに、一番傷ついているのはアニエス本人よ。そこに彼女の実益は何もない。合理的で賢いあの子らしくないわ」
タニアの脳裏にストーカー事件がよぎる。
「それに、他でも色々あったのです。……だからこの推測が一番正解に近いのではないかと私は感じているわ。皆さんはどうお思いになりますか?」
それにセオドリックがまず答える。
「その呪いが本当なら……テンプテーションの類か何かか?」
タニアはそれに対しても首を横に振った。
「そんな……生易しいものではな気がするわ。実はお兄様にも話していなかったけど……アニエスは王宮内で一時期、何人にもストーカーをされていたのよ?」
「「えっ!!?」」
「本人は『悪意を向けられている気がする』とは言っていたけれど……実際は明らかに恋慕から来る激しい執着、いわゆるストーカー行為だったの。だから、アニエスには悪いと思いながらも、一時期は仕事を理由に外部との接触を制限したわ」
タニアは小さく息を吐いた。
「それでもあの子は、自分への好意が発端だとは気づいていないようだった……。知識不足もあったでしょうけど。でも……あの手紙を読んで、何も感じないなんて不可能よ。読ませてもらったけど……あまりにも激しく、生々しくって……私、震えが止まらなかったもの!?」
い、いったい、どんなことが書かれていたというのだろうか!
「お兄様とアニエスを遠ざけていたのは、二人の距離を調整する意味もあったけれど……何より、ストーカー達を刺激しないためよ……。将来の国王に万が一があれば、それこそ国家の一大事ですもの」
タニアはそう、一瞬だけ視線を上げる。
「けれど本来、……城に詰める従者や騎兵隊は、精神的に安定し、厳しい選抜を経た理性ある者ばかり。自制心を備えた者しか置いていないはずなのよ?」
王宮に直接務める彼等は、厳しい訓練に耐えた、自制心の塊のようはエリートである。
「それほど自制心のある者たちが、何人も恋慕に狂うなんて……どう考えても異常でしょう? あ、それとストーカーの件については夏の休暇前に対処済みですから、そこはどうか安心して下さい」
タニアは静かに声を落とす。
「けれど、このままでは危ういわ。理性を失った男たちは、もはや狼どころではない……魔物になってアニエスがいつ餌食になってもおかしくない!」
「「「………………」」」
「だからこそ、アニエスの現状を正しく理解しないまま、見当違いな行動を取れば、かえって彼女を危険に晒しかねないと懸念したのです。そのため、あえて今このようにお話ししました」
タニアは静かにもう一度お茶を口に含んだ。
「……何が原因なのか掴めない以上、正確な対策は取れません。ならば、今、彼女を追い込むのは得策ではないはずよ」
さっきの伝え聞いた話しを思い出し、タニアは眉を下げる。
「今回についても……『何故かいきなり、親しいはずの二人が憤慨して、しかも自分のせいで弟が非難されている』と、その好意を本人が理解できないのなら、そう見えている可能性が非常に高いのではなくて?」
「じゃあ……お嬢様は訳が分からなくて、本当に恐ろしいかったんですね」
「そうだな。取り扱いを間違えば、人間不信になりかねない」
アレクサンダーとセオドリックがタニアの話を聞き終え、それぞれ自分の考えを漏らした。
その後、セオドリックは何か考え込むように俯く。
「……ノートン。完全結界を張ってもらっているのに悪いが魔法をもう一つお願い出来るか?」
そう言うとノートンは考えてから答える。
「魔法の種類と時間にもよりますが……どのようなものをご所望ですか?」
「例のアニエスの『魔力無し』の資料の複製は控えているんだろう。……今ここで見せることは可能か?」
それに、ノートンはしばし自分の魔力量の残数と自分の魔法がコントロール出来る範疇かを即座に経験則から測る。
「……大丈夫です。やってみます」
ノートンは早速、左耳のピアスを取りそれに詠唱をすると、ピアスがグルグルと高速回転で光ったあと、バサバサと紙の束が現れた。
「……どういうことですか?」
アレクサンダーが訪ねる。
「この魔術具は軍と王室と私が一緒になって特殊開発したもので、管理を主に私が任されております。……この中には幾万、幾十万もの情報が詰め込まれていて、私が詠唱を施すことで必要だと思った資料だけを具現化します」
「え!? すごい……。ノートン先輩の能力は重宝するものばかりだし……しかも、高度な物ばかりだ!?」
アレキサンダーは心底驚いてノートンを尊敬した。
それに何故かセオドリックの方が、かなりのドヤ顔で続ける。
「当たり前だろう! ノートンは選りすぐりの中でも私が父王と選びに選んだ側近なのだからな!!」
そう鼻息を荒くした。
「え……そこでなんで、セオドリック様が得意になるんです?」
それにアレクサンダーは、静かに冷めた声でセオドリックにツッコみを入れる。
アレクサンダーが早速、手枷をしているなか、器用にも具現化した紙の束を手に取り見てみた。
だが、そこには数字ばかりが並んでいてどう見るものかが説明が記載されて無いため、何を示している資料なのかすらさっぱりだった。
「これはどう見ればよいのですか?」
それにノートンが、アレクサンダーとタニアに丁寧に説明をする。
「これは全国で測定される魔力国勢調査の国家資料の複製です」
ノートンはそう言い、順々に指さしていった。
「ここが検査の『年月日』。これが被検者の『出身地と身分と職業』、実施された『年齢』。カッコ内が『魔力階級』で……その隣が実際の具体的な『魔力の数値』です」
ローゼナタリアは、全国民に対し、零、五、九、十三、十八歳の年に魔力測定を義務付けている。
それは魔法研究と人材育成、魔力の成長比率の研究及び、国家対策のためだ。
その結果は、測定した個人にも二十四段階位で知らされる。
中でも最低段階位に達せず、魔法の発動が不可能とされる、圏外扱いの魔力数値の者を一般に『魔力無し』と呼ぶ。
それと測定における細かい数値は、個人には知らされず、国家のみがその情報を有している。
しかも高位段階位では、細かい数値の差は配慮に入れられ、細かくみられることもあるが――『魔力無し』の微々たる数値に関しては、研究する国家側も今までは『必要なし』とし、大して研究がなされていなかった。
のだが……。
「実は殿下がアニエス嬢の測定結果に違和感を持ち、以前、独自に私に調査を依頼されました」
「調査?」
タニアが「何故?」と言わんばかりに見つめる。
「取りあえず今回は、中でも『魔力無し』の過去数十年の資料を抽出いたしましたので、……まずは、ご覧いただけますか?」
「何て便利なんだ。……ノートン先輩を一家にお一人欲しいですね!」
「いやいや、そんな!」
「取りあえず一番右の具体的な測定値だけ、流し見ていけばいい……」
セオドリックは、アレクサンダーとタニアに言った。
二人は言われた通り、右の数字だけ、ただひたすら流すように見ていく。
しかし、これがなかなかどうして……。
あまりに大量の数を見るのは辛いもので、二人は時々目をシパシパさせ、目をじっと瞑り、目を休ませつつ作業を続けた。
「大体見たか? ……で、これが問題のアニエスの測定値だ」
「「…………!!」」
この場で資料を散々見た二人なら、それ以上述べずとも、その違和感が今ならはっきりと分かる。
二人はごくんと唾を飲み込んだ。
「他はごく少ない数字や端数が記録されているのに……アニエスだけ全くの『ゼロ』の数値。端数も何もないって。――これっておかしくはない?!」
「なんでお嬢様だけ……?」
そう、アニエス以外に全くの数値「ゼロ」は存在しない。
「おかしく感じるよな? ……まるで、わざとぴしゃりと外に漏らさないように、人工的に阻止でもしているようで……」
それを聞き、アレクサンダーはピンと来てズバリと言い当てる。
「要するに……お嬢様の『魔力無し』は本質ではなく、誰かの操作による仮の姿。そして、本来の強大な“魔性”の力を本人が自覚できぬまま貶められている現状。その二つは偶然ではなく、同じ原因から生じているのではないか――と。……殿下は、そう仰りたいのですか?」
「ああ、そうだ」
「まだ因果関係までは言い切れないでしょうけど……アニエスの『魔力無し』が後天的に操作された可能性は十分あるわね。……この資料を見れば、そう疑うのが妥当よ! ……アニエスだけが“ゼロ”だなんて、偶然では済まされない数字だもの……」
セオドリックは更に続ける。
「アニエスは魔脈が見える。本人は『魔力無しだからだろう』と言っているが、『魔力無し』自体は珍しくない。平民にも一定数いる。けれど、魔脈が見える者など、私はこれまで一人も見たことがない」
セオドリックが肩をすくめた。
「念のため、ここ数か月、公務の折に『魔力無し』の者へ個人的に聞き取りをしてきた。知人にも該当者がいないか尋ねたが……同様の例は一つもなかった」
アレクサンダーは資料をぐっと握る。
「調査はあくまで私的な範囲……断言はできません。ですが、お嬢様のように“それ”が見え、なおかつ他者の魔法を無効化できる者など……噂話の類でさえ、聞いたことがありません」
タニアは資料を再度確認しつつ、頬に手を当てた。
「まだ不確定要素は多いわ。でも、ひとつだけ確実に言えることがある。――アニエスに、何らかの呪いか魔法が掛けられている可能性が高いということよ。今の段階では、ね」
「……で、これから我々はどうすれば?」
そこで、タニアはジッとアレクサンダーとセオドリックを見る。
「まずは……アニエスと仲直りして下さい。……エースは一、二発、殴ることを許可します。アレクサンダーはきちんと話せるように、アニエスは必ず私が連れていきます。……喧嘩は長引くほど拗れて、修復が難しくなりますからね」
タニアは静かに最後にこう締める。
「だってもう喧嘩なんてしている場合では無いもの……。そうでしょう。お二人とも?」
「「……はい」」
やはりこういう時は鶴の一声ならぬ、タニア様の一声である。
「ではノートン結界を解いてちょうだい。維持するのは大変だったでしょう? 本当にありがとう」
「いえ、アニエス嬢のことが解決しないと、我が上司も仕事が手に付かなくなりますので!」
それセオドリックは嫌な顔をするが、図星のため何も言い返せない。
「……アニエスは許してくれるだろうか?」
「お兄様、どうか落ち着いてください。アニエスも今ごろ反省しているはずです。……お兄様も知っているでしょう? 彼女がどんな人間か……。お兄様が惹かれたのは彼女の“魔性”だけではない――そうですわよね?」
「ああ」
「アレクサンダーもね?」
「はい」
仲直りは出来るだろう。
しかし不安はやはり大きかった。
結局のところアニエスの呪いの正体は誰にも分かっていない。
今回は『呪いにかかっている』という確信を得て、やっと皆の気持ちがスタート地点に立っただけなのだ。
だから、そうこの先どんなことが待ち受けているなんて、まだ誰にもその先は予想できなかったのである。
【閑話・アクセス不可】
アニエスの頭の中はいつも膨大なデータに溢れている。
文字や数字や画像。表やグラフ。
五感で得た微細な情報や関係性や因果のグループの集まりの星々。
それが脳内を駆け巡る。
なのに、一部データにだけはどうしてもアクセス出来ない。
アクセスしようとすると赤字でこう出るのだ。
『まだ開示制限中です』
『侵入不可』
『可能年齢に達しておりません』
……。
アニエスの脳内なのに、触れるな危険とばかりに制限がかかる。
『無理ニ公開シタ場合、内臓、気管、血管への多大な負荷と損傷が懸念されます。脳内バーンアウトの危険性も大』
いやいやいやいや……すでに、脳内にこんだけさまざま天文学的な数の情報で溢れているのに!? いまさら? という話である。
『安全に開示するには『能力全解除』の必要性』
能力? それはドラゴニストの?
『いいえエ、……ザ……のです』
えーと、肝心なところが全く聞こえないです。
……はい。
『ただし、例外として『社会活動・構造の一部』という認識なら認知も可能な場合『有り』。また、貴方が発信側なら、それはその限りではアリマセン』
いやいや、主語が分からないから、その道理が分からないのですが!?
「もう、……ならせめて完全に見えないか消去したらいいのに!」
……だって、ぶっちゃけ、情報を集める際に道をアチコチ塞ぐのでかなり邪魔なのだ。
赤字の警告表示は毎日ランダムで登場する。しかも決してその数は少なくない。
『後々、必要になるためデータは消すことはできません。融通するのは不可能』
「意味が……わからない……!」
アニエスは話にならないと、もうその情報を脳内でスルーすることにした。
遠回りになるが、可能な限り関わらなければストレス・フリーというもの! うん……きっとたぶん?
「とほほ、とはいえ、何でこんな遠回りを……」
そうやって回り右するアニエスの横で警告表示は新たな表示に切り替わる。
『……公開まで、最短三年』
だが、避けはじめた脳内のアニエスは、それに全然気付いてはいないのであった。




