80、【閑話】ある青年騎士の恋とタニアの予感
(はぁっ………く、キツい)
アニエスは月に一度の苦しみに呻いていた。
十三歳のアニエスは、それ以外ならいつも元気いっぱい。
普段は風邪知らずでアレルギーも無く、健康優良児そのものだが……始まった最初の三日は本当に元気がない。
だから、王宮宮廷行儀見習いもその特に辛い期間は申請を出して休ませてもらっていた。
いつもであれば部屋で静かにしているのだが、今日はどうしても日に当たりたくて、王宮の南の庭に出てテーブルに突っ伏して座っている。
取りあえず、少し目を閉じることにした。
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その日、午前の騎兵部門の演習が終わり、俺、エディンは偶然そこを通る。
見ると城の庭先にいくつも並んだテーブルセットの中で、一人、テーブルに突っ伏してぽつんと座っている者がいる。
具合が悪くて気を失っているんじゃないかと心配になり、慌てて近寄ってみた。
近くまで来ると綺麗な白金髪の髪が目に入る。……ん、これは子供?
少女……しかも服装から、かなり高貴な出自だと分かる。
どうやら『王宮宮廷行儀見習い』の子だ。見ると眉間にしわを寄せ眠っていた。
不思議なことに……少女の周りには、誘われるように色んな種類の蝶々が何羽もあたりを飛んでいる。
「………んっ」
声を掛けようと手をだした刹那。
少女がこちらの気配に気づいたのかゆっくりと起きあがった。
虚ろな中に……内側から輝くような七色の瞳。
それが小鳥の羽根のような、柔らかでたっぷりとした睫毛を持ち上げて覗いたその時。俺は思わず息を呑んだ。
この世のものとは思えないほど美しいその瞳に目を奪われ、次に恐ろしいほど肌理の整った肌が目に入った。
さらさらと髪が零れて頬にかかる絶句するような美しさに、俺は唖然として心が奪われる。
「どなたでしょう……?」
声を掛けられ心臓が跳ね上がった。
……声まで甘やかで、しかも透き通るように耳障りの良い声だった。
あとこの香り……なんという香水なんだ?
体中がドキドキとする鼻を撫でる甘い香りに、胸や頭がおかしくなりそうになる。
「あ、私は王宮騎兵隊の者です。……このままだとお風邪を召されますよ。お嬢さん」
そう言うと彼女は上体を起こしたまま、まだ眠りから覚めたばかりでボーっとしている。
髪や睫毛が白っぽい金髪で肌が抜けるように白いからか、周囲に溶けて消えてしまいそうに儚げで朧気だ。
なのに瞳だけは主張が強く、見開くとキラキラゆらゆらと光が中で無邪気にじゃれ合っている。
「……確かに風が出てまいりました。起こして頂きありがとう存じます」
そう言い立ち上がった。
背筋がすっと綺麗に伸びて、その立ち姿は百合を思わせる。
少女なのに凛としたものがあるのは、流石は我が国の誇る王宮宮廷行儀見習いと言ったところだろうか。
しかしその、白い頸といい、腕といい、腰といい、何と、か細いのだろう……まるでそう……城に住むという幽霊か陽炎のようだ。
姿勢がスッと筋が通っていて、本来ならそこまで頼りなげでは無いはず。――なのに、思わず支えたくなってしまうのは何故なんだ?
彼女は軽く会釈した。
「それでは、失礼いたします」
と、その場を後にする。
それ以来、俺の心はこの城の幽霊に盗まれてしまったのだろう……。
寝ても覚めても彼女のことが、頭から離れなかったのだから。
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――月のものが過ぎてから二週間たった頃。
アニエスは遠慮がちにタニアの居室のドアをノックした。
「どうぞ」
するとタニア付きの侍女長から返事が返ってくる。
「……失礼いたします」
アニエスは意を決したように部屋に入る。
タニアはいつものように王宮高等女官などのお付きと部屋にいた。
「あら、アニエスどうしたの? 改まった様子で」
「大変忙しいタニア様の御手を煩わせたくは無かったのですが、ご相談したくて……」
そう言い、アニエスは幾通もの手紙を束ねたものをタニアの執務机にそっと差し出した。
「これは?」
「……最近よく届いておりまして」
「まあ! では恋文かしら?」
タニアは思わず面白そうな話題に笑顔を見せる。しかし、アニエスは頭を振る。
「違うと思います。内容的に脅すようなことが書かれていたので……」
「え…………!?」
タニアはその言葉に驚きを隠せない。
(……おかしい! あれだけのことがあったのだから、暫くはいじめは無いはず……いや、もしかしたら、逆に新しく入った者がアニエスに嫌がらせを始めたのかしら……?)
タニアの頭に、いくつもの可能性が浮かんでは消える。
「……見てもいいのかしら」
アニエスが頷く。
「お願い致します」
タニアは急いでその封を開け手紙に視線を走らせていく、そして読んでいく内に手は戦慄き、顔面が蒼白となり、手には変な汗でじわりと濡れだす。
そして、遂にある一文に達した際には……。
「……ひいぃ!!」
思わず、タニアはその手紙から手を放した!
「お願い、誰か! ……誰か消毒したハンカチかタオルを持ってきて!? 今すぐに!!」
タニアが叫ぶと、いつもは穏やかで悠然とした王女がいったい何事か!? と、その場のお付きの侍女たちが慌ててアルコールで消毒したハンカチをタニアへ持って行く。
それをタニアは噛みつくようなスピードで奪うと、ガシガシと乱暴にその手を拭きだした。
そんな様子のタニアを今まで誰も見た事が無かったので、信じらずに皆が固まっている。
「ど、どうなさいましたか? タニア様……」
その中でも最も権力を持つ、王宮高等女官長がタニアに話しかけるとタニアは先程の手紙を、スッと無言で押し付けた。
訳がわからないいまま、女官長は受け取った手紙を読んでいくとその女官長も読んでいく内に顔が青紫になり、ある一文に達したその時。
「きゃああああああああああっっ!!!」
と叫んで、手紙をその手からバッと離した!
二人はドキドキとする胸と震えが治まるのを待って、互いに目を見合わせ、アニエスを見る。
アニエスは黙って頭をうなだれ、青白い顔で事の審判が下されるのを待っていた。
「……アニエスの部屋を東棟から私の居室の隣へ……それから、暫くは絶対に男性をこちらの王女棟に一切入れないように!」
「――かしこまりました!!」
王女の採決は、緊急事態を要したためすぐに下った……。
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彼女のことはすぐに分かった。
いつも忙しく走り回っているが、何と彼女は公爵令嬢だった!!
しかも一風変わっているとは思っていたが『魔力無し』だそうだ。
通りで身分の割に腰が低くて働き者なわけだ!
しかしそんな彼女の身の不幸や謙虚さも愛おしい。
守って閉じ込めたくなってしまう……!
俺は先日彼女を追っていて、彼女がうっかり落とした鉛筆の匂いを嗅いだ。
こんな物じゃ、彼女の匂いはもう残ってはいない……もっと他のものを早く手に入れないと駄目だ。
しかし、あんなに華奢なのにあんな働かないといけないなんて、でも具合が悪くないと休めな……そうだ……脚を折ってあげたら、十分に休めるんじゃないか!?
そしたら、折った責任をとって、毎日、甲斐甲斐しく俺が世話をしなきゃいけないな?
あんな子の世話を上から下までするというのは、どんな気分なんだろう?
俺は、それを考えたらワクワクが止まらず、気付いたらいい大人がウキウキとスキップをしていた。
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タニアは詳しい話を聞いて絶句した。
どうやら、こういうことをしてくるのは一人二人では無いらしい。
本当は、タニアの手を煩わせたくなかったので黙っていたかったのだが……最近は部屋に帰る際にやたら背後の気配が気になりはじめ、それに我慢できなくなったため、遂にタニアに打ち明けたということだった。
「……本当に! アニエスは深刻度の高いことほど周りには黙っているのだから!?」
タニアが心配し過ぎて、思わず怒りを露わにする。
「申し訳ございません……」
それにアニエスはただただ済まなそうにした。
それにしても……とタニアはアニエスの腕を見る。
アニエスは元が細身なのに、今はさらに……。
ここ最近のストレスが、彼女の食欲と身体に悪い影響を及ぼしているのは誰の目にも明らかだった。
「いいえ……ごめんなさい。私も取り乱してしまって! ……取りあえずここより安全な場所は無いから、まずは甘いものを一緒に頂きましょう」
そういうとアニエスは一瞬、目を潤ませる。
「わ……私も、タニア様に打ち明けたら急にお腹がすいてきました!」
と言い、実際おなかをぐーーっと鳴らした。それにタニアはふき出す。
「やだ! アニエスったら!」
というと、アニエスもえへへと笑った。
しかしタニアは気になったことがあったのでさらに聞いてみる。
「アニエス、ところでアニエスがもらっていた……あの、あまりに激しすぎる内容の恋文だけど」
「……恋文? 何のことですか?」
「え、……アニエス何を言っているの? 私に見せてくれた手紙のことよ!」
「……タニア様には手紙は見せましたけど……恋文とは?」
「え?」
タニアはそれを聞きアニエスをまじまじと見つめた。
確かに内容はアレすぎるものだが……あの手紙は間違いなく送り主達からすれば恋文だった。
それをアニエスは、どうしてわからないのだろう?
タニアはこの時、アニエスに激しい違和感を覚えた。
「あ、じゃあ……アニエスはあの手紙をどうゆうものだと思っているの?」
「脅迫状です」
確かに手紙はアニエスを脅迫していた。
しかし、それ以上に彼女に対する並々ならぬ執着と恋情と情欲ががそこには腐るほど綴られていて、それにこちらは吐き気すら覚えたというのに……当の本人にはまるで届いていない。
「タニア様?」
アニエスは不安げにタニアを見つめた。
「い……いえ、ごめんなさい。少し思うところがあって」
(もしかして……見えていないの?)
タニアはその時、今までばらばらになっていたピースが集まり、一つのパズルの完成を予感したのだった。
これは、アニエス十三歳の夏休み前のお話になります。




