8、王宮宮廷行儀見習い生活のはじまり(アニエスとタニア王女殿下) ☆※new挿絵あり
一方、アニエスの人質生活……いや王宮宮廷行儀見習い生活も始まっていた。
「はじめまして、私はこの国の第一王女、タニア・リリ・ローゼナタリア・バルファードです。これからどうぞよろしくね?」
「お会いできて光栄でございます。ロナ公爵家が第一子、アニエス・ロナ・チャイルズ・アルテミスティアと申します。こたび王女殿下の身の回りのお世話をさせて頂く栄誉に預かりました。心より勤めさせていただきます」
言葉遣いは大丈夫かな? ハラハラとしつつアニエスはカーツィー(※正式なお辞儀)をする。
そして顔を上げないまま姫君の手の甲にキスを落とし、慣例通りのご挨拶が済んだ。
「面を上げて頂戴」
アニエスは恐る恐る顔を上げた。タニア王女をチラりと遠くからお目にかけることはあっても、直接の顔合わせは初めてでアニエスは緊張してこわばる。
「!! まあ……なんて素晴らしく可愛らしい瞳かしら! まるでそう……宝石のオパールのような瞳ですね。うふふ、オパールは人々の心に喜びを与える希望の石と言われています。これは吉兆だこと!」
タニアは春の日差しのようにふんわりとたおやかに笑った。
黒髪を丁寧に結い上げ、深い色の長い睫毛に黒曜石のような黒い瞳。
さすれば、彼女は生まれながらに相当高い魔力保持者ということが考えられた。
しかも驚くほどの美少女ときているから、そうなるとそれは決定的だろう。
さすがはローゼナタリアの王女といったところである。
「私あなたが魔力が無いのに史上最年少で『ドラゴニスト』になったと聞いて、十二歳にして五フィート十インチ(※約百八十センチメートル)を超える屈強な女の子を想像していたのだけど、あまりにも可愛らしくて二度驚いてしまったわ。いったいどうやって竜を捕まえたの?」
「過分のお褒めにあずかりまして、まことに恐縮でございます殿下。……しかし、信じていただけないかもしれませんが、私はこれまで、五フィート十インチの屈強な戦士に値する鍛錬をこれまで積み上げてきたと生意気にも自負しております。…………ですが、なぜか私の体にはこれといって容貌への変化はなく、見ためは残念なことに、このような痩せっぽちなのでございます」
すると、王女様は不思議そうに目を丸くした。
「まあ、屈強な見かけになれず、貴女は残念なのですか?」
「はい、だって筋肉は美しゅうございませんか?」
タニア王女は、可笑しそうにくすくすと笑う。
「確かにその通りですね。でもそうなってしまったら、きっと似合うデザインのドレスを見繕うのに中々苦労するのではないかしら?」
「確かに……その見解は、今まで私には一切ございませんでした。流石にございます!」
「ふふっ、どうやら貴女は性格も可愛らしい方みたいですね」
それはこっちのセリフだとアニエスは思った。
正直、自分のような魔力も無い人間は王女付きには不釣り合いの場違いだし、いじめられるのは当然と考え、ここへやって来るまでに実はかなりの覚悟をしていたのだ。
だが実際はタニア王女は年齢も自分と一つしか変わらず、目の前にする麗しの顔は遠目で見たよりさらに輪をかけて高貴で優しく……お可愛いらしくて、アニエスは一気にタニアのことが大好きになってしまった。
「私、妹か弟がずっとほしかったの。だから貴女が来てくれて嬉しいわ」
「タニア様のご兄弟ですと……」
「ええご存じの通り、兄の王太子殿下がいます。自慢の兄です。アニエスにはご兄弟はいるのかしら?」
アニエスは少し考えてから口にする。
「他人より遠い存在の実兄がいるようですが、私はほとんど存じ上げておりません。でも、私にも自慢の血だけが繋がらない弟と兄弟のように育った大切な専属の従者がおります」
二人の話をしていると、アニエスは自然と口元が綻んだ。
「兄弟のような従者というと?」
「はい、名はアレクサンダーというのですが昔から非常に優秀で、先日、正式に子爵家との養子縁組の準備も整い義弟と共に今年から寄宿舎学校に通い始めました」
タニアはふんふんと話を聞きながら、あごに手をやり考える。
「もしかして、それが例の一緒に『ドラゴニスト』になった少年たちかしら? それなら確かにとても優秀ね!」
「はい! 二人とも、もともと出来の良い子達なのですが、さらに大変な負けず嫌いで努力の上に努力を重ね、塔のように高く積み上げることを当然としております! ……それに比べて私は彼らにいつも助けられてばかりだし、不出来な姉で恥ずかしい限りです。なので負けずに日々精進したいと思います」
「貴女も『ドラゴニスト』になったのだから不出来ではないわ。ドラゴンは気高きこの世界の万物の覇者。弱き者には決して下らない」
タニアは少し違和感を持った。この少女はもしかすると……いや、かなり自己評価が低いのではないか?
歴史的にも世界規模的にも大きな足跡や遺産を残すまごうことなき大名門ロナ家のご令嬢で、『ドラゴニスト』という十分すぎる実力。
それに、タニアはアニエスが本当にあまりにも可愛らしいのでびっくりしたのだ。
細い手足はすらりと長く胴体はきゅっと小さく、髪は金の滝のようにさらさらと流れ、毛先は巻かれ光の輪がいくつも反射している。
端正で上品な白い顔立ちはどこから見ても絵になった。
なのに、この子にはちっとも奢りがない。どころか自身を自虐し蔑んでいる感じすらある。
アニエスは遠慮がちに言った。
「私は魔力無しなので、今あるカードでできる限りのことをするしかありません。だからいつでも自分をやっつけてやるくらいの気持ちで頑張ります!!」
タニアは「ああっ、なるほど」と思う。
タニアは自身があまりに大きなな魔力を持っていたため、正直、平均的な魔力持ちと彼女のような『魔力無し』の違いが一見してはあまりよくわからなかった。
しかし、一般的にはそれこそ絶望的な違いがあるようなのだ。
魔力のある者は魔力の無い者にほとんどの場合、強烈な違和感……場合によっては、異臭や騒音、そして視覚の歪みを出会った最初の瞬間に感じられる。
それは、いきなりすえた獣の匂いを嗅がされたみたいに……。
耳が痛くなるような鋭い音が鼓膜を揺らしたみたいに……。
まるで緑と青色の肌をした人間を見たみたいに……。
歪んだ体感情報が直接、脳に届く。
この傾向は高すぎたり低い魔力を持つ者より、なかでも中程度の魔力を持つ貴族全体七割の魔力保持者に一番見られた。
この『魔力無し』が脳に働きかける誤情報は会った瞬間。その時だけで、時間がたてば無くなるので連続性があるわけではないらしい。
……けれど残酷だが第一印象というのは非常に強く残り、それに対する恐怖と差別はごく自然に生じた。
ただそういう魔力の全然無い者はほとんどの場合は下級労働者や貧民であり、差別していたとしても常に余裕のある身の上の彼らには、『魔力無し』とはもとより憐れみ施すべき神に忘れられた不幸な存在……。
一般的な魔力持ちの貴族で、ことのほかそういう人々を「可哀そう」「可哀そう!」と周囲にアピールし、あえて彼等を中心に計画した奉仕活動をする夫人も多いくらいだ。
そして、それをとても素晴らしいことだと、おぞましいことに本人たちは本気で信じている。
タニアはそれが世間一般的なことで、口にしても仕方のない……というか言ったとして通じやしないこととは重々承知していたが……その姿に何ともいえない吐き気や胸やけに近い、苦々しいものを感じていた。
けれどどうだろうか?
そんな『哀れみの対象』『差別の対象』が自分より地位も財もあり、実は美しく非常に優秀であったとしたら……?
もし自分には醜く歪んだ存在に感じる者が目上の者から絶賛を受けていたなら……。
恐らく、激しい嫉妬と蔑みと無理解が生まれるに違いない。
『どうして貴方ごとき、醜い『魔力無し』が自分よりも……!?』
タニアは、背筋にぞくりと冷たいものが走るのを感じた。
あんな腹に何を抱えているかわからない貴族達から、アニエスは常にそんな目を向けられていたのだろうか?
いや、それだけではない。
地位や富に目がくらみ欲が絡んだ人間が事態をもっと複雑にする可能性だってある。
わずか十二歳のこの子は、今まで一体どんな目に合ってきたのだろうか?
「さぞ今まで、辛い思いをしてきたことでしょうね」
そういうと、アニエスは手をブンブンと振り笑って答えた。
「いえいえ! 私はもとが過分に恵まれているので、神さまがバランスをとるために調整したのだと思います。それに、私は元来とても怠け者なのです。……きっと魔力があったなら、甘ったれたどうしようもない人間になっていたに違いありません。……それに、筋肉をいじめ鍛えることの素晴らしさにも気づかなかったことでしょう! だから、今はこういう身に生まれて感謝することもなかなか多いのです」
タニアはプッとふきだした。
「どれだけ、筋肉がお好きなの……!」
「え、何かおかしいのでしょうか?」
アニエスは、あれっ? と小首をかしげた。
タニアはふふっと笑う。
「私、決めました。貴女を一流の宮廷人に致します。それはきっと筋肉くらい役に立ってよ? 私、かなり貴女を気に入ってしまったわ!」
タニアはそう宣言した。
それに対しアニエスは真面目な顔になり、シャンと背筋を伸ばす。
「恐れ多くも私もタニア様にすでに深い親しみを感じております……。どうかこの若輩者に、ご教授ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます」
と改めて深々とカーツィーをした。
アニエスの波乱万丈の王宮宮廷行儀見習い生活は、こうして幕を開けたのである。
タニアのファッション 一部
【挿絵補足】
タニアは王族のため、成人前ですでに足を隠す長さのフルドレス(正装)を着用しているが、成人した時との服装の差別化をはかるため、バッスルスタイルより前時代のドレスを着用する決まりになっている。
こちらの挿絵はジゴ袖のロマンチックスタイル・ドレスを着用。