74、悪魔召喚と竜の開放(その一)
「う、うう……」
ズキズキと頭が痛む中、アニエスはうつ伏せから上体を起こした。
予想外の展開だ……。
どうやら親戚たちはここでもまだ、おかしなことをしていたらしい。
アニエスは意識が今にも飛びそうな最中、耳に残った継祖母の話していた言葉を反芻する。
……あの言葉はアニエス自身については言明していたが、アレクサンダーについては話してはいなかった。
アニエスは周りを見回す。
どうやらここは、親戚たちが滞在している旧館の地下牢らしい。
王族を迎える真新しい新館とは違い、旧館にはこうした古い設備がいまだに残っていた。
アニエスは縄で縛られていたが、それをあっという間に自身で解いてしまう。
昔、師匠が教えてくれた縄抜けが、まさかこんなところで役に立つとは……。
「お師匠様……また、助けられましたね。もう、会えないかもしれないけれど……ありがとう存じます」
アニエスは取りあえず、身体のあちこちを触ってみる。
ポケットの中……無い。
一応連絡手段や逃げるのに役立つものを持っていないか調べたらしい。
でも……アニエスは自分の履いてるブーツの靴紐をすぐにその後に見る。
ニヤリ……と思わず笑ってしまう。
流石に、靴を脱がせて中を調べることはしなかったらしい。
アニエスは靴紐を結ぶ際、一般的なやり方とは異なる結び方をしている。――だから、それを解かれれば一目で分かるのだ。
アニエスは靴を脱いで中を探った。……やはり、無事だったみたい!
アニエスはその中の一枚を取り出すと、牢屋の扉の鍵部分にペタリと貼った。
薄いシールのようなお札のようなそれには『劣化』と書かれている。
アニエスは暫くそれをそのままに、通路へ向けて声を上げた。
「アレクサンダー!!」
……反応がない。
ここにはいないのか!?
「……アレクサンダー!! 私よ、アニエスよ!! いたなら……返事してーーーー!?」
聞こえていない可能性もあった。
いくら腕に覚えのあるアレクサンダーでも、あちらは大の男に鈍器で殴られたのだ……。今まだ気を失っているかもしれない。
アニエスは肺いっぱいに空気を吸う。
「アーレークーサーンーダーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
その時だ! 奥からわずかに反応があった。
アレクサンダー!? いや違う誰かかもしれない……。
アニエスは暫く固唾を飲んで耳をじっと澄ませる。
硬い鉄扉でも叩くような鈍い小さな音。これは……アレクサンダーかもしれない! アニエスは鍵部分を見つめた。
「煩くしたから人が来てしまう…………早く早く!」
そして永遠に思える五分が過ぎると、急に鍵の部分の形がぐにゃんと崩れだし、ガチャンと鍵が壊れる。
留め金を失った扉は、その鉄の重みにギイッと自然に開いた。
アニエスはその扉から出ると背を壁につけ、先程、音がした方へ慎重に歩を進める。
音がした先にあったのは、アニエスが入っていたよりもかなりしっかりとした鉄扉で中を覗うことができない牢屋だった。
しかも……扉はあるのに取っ手も鍵穴もない!
「……魔法で閉じられているのね」
一応押してみたが、ビクともしない。
アニエスはしゃがむと、靴底のかかとに見えないように刺してあった“白銀色の剃刀”を取り出した。
「…………」
一方、アレクサンダーは全身縄で縛られ、さらに上から魔法を掛けられて、縄が絶対に解けないようにされていた。
口にも長いハンカチのようなものを噛まされ、声もくぐもり発せない。
しかも見ると扉は取っ手も鍵穴もない……。万事休すか?
と、……そう思ったその時、いきなり扉の上部が、ピシッと怪しげな音を立てた。
アレクサンダーはその気配を素早く感じ取り、勢いよく部屋の奥へと転がる。
案の定。扉は先程までアレクサンダーがいたところに向かい……ゆっくりと倒れてきた。
ドーーーーーーンッッ。
大きな音と埃を立てて舞い上がった土埃の先。
――そこに見知った彼女の愛しい姿があった。
「アレクサンダー……待たせて、ごめんね!」
アニエスはそう駆け寄ると、先程取り出していた剃刀を出した。
アレクサンダーはそれを見て頭を大きく振る。だが、アニエスはそれに対してニィッと笑う。
「……大丈夫っ!!」
そう言うと、縄をブツブツと切り出した。
魔法が掛けてあるはずなのに……縄はあっさり切れてバラバラになる。
アレクサンダーは信じられずに驚いて目を剥く。
しかし、なぜか縄を解いたアニエスの方も、解いてひどく驚いている。
「……えっ、裸!?」
何とアレクサンダーは身ぐるみを剥がされた状態で縛られていたらしい。
「本当に、私の時とは随分と警戒度が違うのね……ふーんだっ! バカにして……!?」
そう言いながら、アニエスはアレクサンダーの口の布も外す。
「お嬢様、……よくぞご無事で!」
「ええ、むしろ無事じゃないのは貴方のようね……。助けに来たのがロゼッタ様でなく、私で良かったわね?」
アレクサンダーも「……失礼をお許しください」と、アニエスにあまり見られない様、うつ伏せの体制のまま話をする。
「でも、どうして縄が切れたんですか? かなり強力に何重にも魔法が掛けられていたのに……この扉も……」
それにアニエスは持っていた剃刀をよく見せた。
「これはね……実はミスリルなの! しかもその純度奇跡の百パーセントで、魔力と魔法破壊の塊だよ? だから幾十と束ねた魔法だってスパッと切断できるわ!」
それにアレクサンダーが目を見開く。
「あの“粗悪品”のミスリルを鍛え直すときに、お父様と相談して私の魔脈の目で“魔力を絶つ力”が強力な部分だけを抽出して作ったの。……完全純度は扱いきれなくて、この大きさが限界だったけれど……それがまさかの怪我の功名になるとは……不思議なものね?」
アレクサンダーはその刃を見せてもらった。
手に持つと火傷しそうにも凍りそうにもなる。……まるでドライアイスそのものだ!
「……いっつ!!」
「貸して。……やはり魔力の無い私だから刃の部分だけのものに触れられるみたい。お父様や、エースも十秒と持っていられなかった」
そう言い、アニエスはおもむろにドレスを脱ぎだす。
「お、お嬢様いったい何を……!?」
アニエスは、レースのやたらたっぷりとした下着とドロワーズ姿で、アレクサンダーにドレスを渡す。
「そのままでは差し支えがあるでしょう? ……私が午前中に着ているドレスは、楽なようにゆったりしたものを着用しているから。まあそれでも肩はキツイかも知れないけれど……十分に着れると思う。後ろを向いているから……早く着替えて!」
アニエスはさっと後ろを向くと、アレクサンダーはそのドレスに着替えた。
……確かに肩のあたりは多少キツイが、問題なく着れた。
「じゃあ、新館に戻りましょう。――っ!? ……ねえ……アレクサンダー?」
「何ですかお嬢様」
アレクサンダーが返事をすると、アニエスは急にモジモジしだした。
「とても似合っているわ……あ、あの……無事に戻れたら……あとで写真を撮らせてもらえないかしら……?」
「………………」
アレクサンダーはハアッとため息をつくと、アニエスをキツめのデコピンをお見舞いした。
「馬鹿なこと言ってないで、……急ぎますよ!?」
「~~~っ! アレクサンダーのいけず!」
アレクサンダーは立ち上がると、ひょいっとアニエスをその腕に抱えた。
「……!! アレクサンダー、私自分で歩けるわ? 貴方はしかも……裸足じゃない!?」
「裸足くらい大したことは無いです。それよりそのまま帰って、お嬢様の今のこの姿を他人の目に触れさせたくない!」
そう言いアニエスを見つめると、アレクサンダーは少し考えるように黙った。
それから―――。
その唇に突然ふわりとキスをした。
アニエスはその行動に驚き、しばし固まる。
「……この間ロゼッタ様に僕がキスをされた際に……お嬢様、僕の消毒をし忘れたでしょう? ……僕の飼い主なのだから管理はしっかり行ってください。僕は貴女のものなんですよ」
「アレクサンダー……」
「……そして、あんな偉そうなことを言っておいて……守るどころか助けなければならないような役立たずは、後でどのようにでも罰しください。本当に自分が情けない……悔しくて仕方がない!」
そう顔を伏せ、長い睫毛を震わせるアレクサンダーに、アニエスはその頬に手を添える。
今度はアニエスが……アレクサンダーに優しく唇を重ねた。
「言ったはずよ……? 貴方がいたから……私は今もこうして強い心で希望を捨てず行動に移せたの。それに、貴方はちゃんと私の盾になってくれたわ? ……いつでも貴方は私の誇りよ。アレクサンダー……」
「お嬢様……分かりました。今度こそきっと守り切って見せます。貴女の誇りを汚さぬために……!」
「ええ、それでこそ私のアレクサンダーですよ!」
アレクサンダーは、アニエスを抱えたまま走り出す。
ところが、下で物音がするのに気付き、使用人が何人か集まりだしていた。
アレクサンダーはそんなのを気にせずに、正面突破を試みる。
アレクサンダーは跳躍と同時に、先頭の男の顔面を踏み抜いた。
衝撃で男が沈むより早く、アニエスを抱えたまま後方へ高く跳ぶ。
空中で体をひねり、狙いを定めた鋭い蹴撃を連続で四方へ叩き込む。――数人がほとんど同時に崩れ落ちた!
着地と同時に階段を駆け上がる。
行く手を阻む者には得意の『悪音』。鼓膜を裂く衝撃波で立つことすら許さない。
道が、開く。
即座にアニエスへ耐熱保護魔法を展開。
音速突破による空気摩擦は先に計算済みだ!
「掴まってください」
次の瞬間、『音速』。
――けれど、出入口目前で、突然アニエスだけが弾き飛ばされた。
「!! お嬢……っ」
アレクサンダーはすぐに振り返る。
よく見ると屋敷一階には、人間サイズの蜘蛛が作ったような巨大で透明な蜘蛛の巣が張り巡らせてあった。
アレクサンダーはアニエスの元へと走るが、すでにさらに細かい巣が周りへ張りつき、アレクサンダーの行く手を阻んで全く近付けさせない!
そして、アレクサンダーの目の前で、アニエスの継祖母アダンが引っ張りの髪を引っ張っぱり相好を崩していた。
「……困るわあ? 生贄を連れていかれてわ……」
「汚い手を離せ! この……クソババァッッ!!」
「んま、何て口の利き方かしら! 顔はずいぶんと可愛いのに……『魔力無し』の従者は躾が行き届いていないのね?」
そう言ってアニエスの髪をさらに、容赦なく引っ張り上げる。
「何か言ったらどう? この世の生き恥『魔力無し』さん……?」
するとアニエスは苦悶の表情をしながらも一瞬強くアダンを睨んだ。
その顔に……勢いよく唾を吐きかける!
「な……!! お前!?」
「おっと……『魔力無し』に汚い唾を掛けられる気分はいかがかしら? 継祖母様……。 生き恥はそんな皺くちゃになっても、こんな子供に手をあげている貴女さまでは……?」
「出来れば苦しめずに生贄にしてやろうかと、そんな慈悲もあったが……どうやら、そんなにも苦しみたい様子ね」
そう言うと、アニエスの全身に魔法で圧力をかけ、締め付けだす。
「せいぜい苦しむといいわ。気持ちの悪い害虫。『魔力無し』が!?」
「っつぎゃあああァァぁあ゙…………っつ!!」
「!? ……貴様ああァァああああああああああァァァァ!!?!」
アレクサンダーが怒りに咆哮する。
その時だ――。
「ポキン……」とアニエスの細いその身体のどこかが、骨ごと折れる音がアレクサンダーの耳に届く。
それに続く、何かを潰すブチグチャという音と、自分の額にふいに飛んでくる赤い液体……。
その瞬間アレクサンダーの中にある理性の糸が――プッツリと切れた。
それは同時に……。アレクサンダーの竜の封印がバラバラに千切れ、彼の竜と恐ろしき力がこの世界へと解き放たれる瞬間でもある。
――音が消えた。
鼓動だけが、やけに大きく響いている。
世界が真っ白に、すべてが明るく染まる―――。
……今、まさに厄災が舞い降りようとしていた。




