7、寄宿舎学校の生活のはじまり(エース、アレクサンダー)
「今日ここに伝統ある我等エールロードへの皆さんの入学を心より歓迎いたします。選ばれし諸君に義務と、リーダーとして何を決め、どう行動するのかを学び、また進歩的、独占的、専門的な魔法術についての数多くの知識を身に着けた上で、より高度な研究と深い探求をすることを我々はあなた方に望みます」
ピシッと張りつめた静寂の講堂。
二百人近い年若い紳士たちは燕尾服の制服に身を包み、まるで一本筋が入ったようにすっと直立し微動だにせず、ただただ視線だけが同じように背筋の伸びた老人……校長の姿を追っていた。
彼らはいずれも国内外の良家・名門、財閥の出身で、合格率五パーセントの試験にパスした将来この国を担う選ばれしエリート達だ。
そして、その中にアニエスの義弟エースと、アニエスの専属従者アレクサンダーの両者の姿も見える。
ここにいる者たちは皆生まれながらの自信と品位と才覚から、周りの目を引くような少年ばかりだったが、その中でも二人の持っているオーラや佇まいはもはや別次元だった。
実際、教師の何人かは少年二人がすでに『ドラゴニスト』の称号を持つ英雄…………生きる伝説だということを認知している。
入学前の試験においても、二人そろって体力テスト含め人間離れの記録を打ち出し、当然の全科目オール満点。
この少年二人、化け物か神か。
賞賛と驚異と警戒に似た値踏みの視線が、二人には注がれていた。
しかし当の二人は視線は感じているものの特に意に介さず、目の前の儀式にただ真摯に向き合っている。
こうして無事に入学式を終え、教室まで誰一人、口を開くことなく戻ると、ようやく年相応の少年たちの安堵する思い思いの姿が見られた。
「はあ、兄さんたちに話は聞いていたけれど緊張したなー!」
「僕なんて途中ずっと首がかゆくって、我慢するのに必死だったよ」
「何だか皆が大人っぽくて正直だいぶ気後れしていたんだ。でもここだと皆、自分と同い年に見えて安心したよ!」
そこには十二、三歳らしい初々しい姿があった。
「ねえねえ君たちでしょう? 噂の文武両テスト満点だったっていうスターは」
そんな中、子犬のような雰囲気の栗色の髪の少年が、アレクサンダーとエースに話しかけてきた。
二人はいきなりそんな言葉をかけられ警戒して身構える。
だが、その様子に子犬少年はこれは『当たり』だと踏んで、なお一層声を明るくした。
「やっぱりそうなんだ!」
ぱあっと顔を輝かせる子犬少年。
すると他の少年たちもそれに対して興味を持ち、教室はざわめいた。
「学科だけではなく? え、家庭教師はどんな名のある人がついたの? そもそもあの体力テストで満点なんて、一体どうやって?」
注目の視線が二人に集まる。
それにだんまりを決め込むのもあまりにも感じが悪いだろう。
第一印象は大切だとエースは仕方なく、しかしそれを表には出さずに、にこやかに穏やかに口を開いた。
「……体力テストに関して言えば、言われたことをただ止められるまでしていただけで、特別なことはしていないと思うよ?」
「止められるまでって、懸垂やインターバルの類をずっと!?」
「『何回したら良い』と言われたわけじゃなかったから、止め時がわからなくて……もちろんすごく疲れはしたよ? 恐ろしく緊張もしたし!」
そう言われて少年たちは目を丸くし、口を開けた。
「もしかして、二人は士官になって軍隊に入るのが目標なの?」
「そういうわけではないけれど……」
「今までがずっとブートキャンプに入らされていたようなものだから……」
エースとアレクサンダーはそれぞれ交互にみんなの疑問に答える。
「先生が良かったのもあるとは思う。先生というか『師匠』とか『師範』に近いけど」
「師匠!?」
「学科に関してはどうやって満点を?」
「それはとにかく本を読んで……一回じゃ理解できない難しい本は何度も何度も読み込んで、無理やり読まされて、検証、たび重なる議論。関連項目や新説や発端となる歴史の研究。実践……アウトプット。その結果からさらに掘り下げ、それで十分理解に至ったと判断できた場合、可能であれば応用もさせられてた」
エースは眉を下げ、過去のひどい苦労を忍ばせた。決して楽はしていない事や、自分達が『だから特別では無い!』と強調するよう話を続ける。
「……習うというよりも徹底的に頭だけじゃなく体にも叩き込んで覚える。脳筋で、訓練にも近い勉強方法だったと思うよ」
周りはそんな二人の話を聞き感心したり、一部は疑わし気……あるいは胡散臭そうに見たり、その話自体には興味なさそうだが、二人に関心を寄せているため、気に入られたいから聞いていたりと……その様子は様々だ。
「それよりも今まで地元にばかりこもっていたから、恥ずかしながら王都が初めての田舎者なんだよね。…………君たちはやっぱり詳しいの? ここについて知っていることがあれば、色々と聞きたいんだけど、どうか教えてもらえないかな!」
エースはさり気なく自分達への注目を他へと反らす話題に変える。
『聞いてもいいかな』をわざと『教えてもらえないかな』に変換し、謙虚にふるまう。
正直あまり悪目立ちして特別視されたり、変に嫉妬を買いたくはない。長い学生生活だ、慎重に行くべきだろう。
何しろここに居るメンバーは全員もれなく世の中に影響を及ぼすことは間違いないのだ。
無駄な敵を作れば後々、厄介なことになるに違いない。
「王都はいい街だと思うよ。もともと歴史がある上に百年計画で整備されていて綺麗だし、交通網やインフラの充実。バラエティに富んだ商店や新たな百貨店。……博物館や美術館に図書館や植物園といった文化施設もそれこそ至る所にある!! その中でもエールロードの図書館は蔵書数もさることながら、建物や書物自体の希少性は随一だと思うよ?」
「それは実に興味深いね! ところでごめん、君の名は……?」
「ブロードだよ。ブロード・アシュレイ・バーン! よろしく」
「アレクサンダー・ライザーマンです」
「友達になりたいからエースって気軽に呼んでよ!」
子犬っぽい少年は、どうやら伯爵家の出身らしい。
エースとアレクサンダーは入学前にささっと頭に入れておいた、分厚い貴族名鑑を頭の中でパラパラと捲り、すぐに察しがついた。
そして、さり気なくエースは自分の身分を隠す。
満点だけでなく、かのロナ公爵家の跡取りとあっては、初日にだというのに、あまりに悪目立ち過ぎだ。
いずれバレるが、それは自然な噂にお任せしたい!
そもそも、この学校内では爵位は関係なく王家の直系などの例外を除いて誰もが公平に扱われる。
一人一人の人間として個人が持つリーダー、紳士としての資質を問われる校風だからだ。
エースやアレクサンダーも学校のその姿勢には大いに共感し支持している。
「王都といえば、あとはやっぱり王宮かな? ……僕らの一歳上のタニア王女殿下もそうだけど、四学年上で僕らの先輩でもあるセオドリック王太子殿下といった僕らに年近い王族の方々もいらっしゃるし、開かれた王室だから、都民はとても誇りに思って親しみを抱いている場所なんだ」
王都は首都。つまり王家のお膝元であり、王宮はやはり中心的存在だった。
「お城の一部も毎日公開されているんだ。……社交界にデビューしたら、いずれ行くことになるとは思うけど、その前に観光地として休みの日とかに、見学に行ってみるのもいいんじゃないかな?」
二人は『おっ』と内心思う。
休みの日にアニエスに会いたいと考えていたが、果たして王宮に出入りできるものだろうか? と実はかなり懸念があった。
もちろん中が見られてもプライベート部分とは大きく切り離されてはいるだろう。
けれど城の中の一般人が入れるところまで、もしかしたらアニエスを呼び出せるかもしれない。
これは二人にとってこれはかなり有益な情報だった。
「そういえば、城のあの噂を知っている?」
青い髪の少年がひそひそと内緒話をするように話しに入ってきて切り出す。
「さる貴族の令嬢が、城に行儀見習いで入ったらしいんだが、それがあの、『魔力無しの公爵令嬢』らしいぞ」
「『魔力無し』って都市伝説の類じゃないのかい?」
また他の少年が興味を持って聞き返す。
貴族や名家の出身で魔力無しの者に直接会ったことは、ごく稀にすれ違う下級使用人以外にはほぼほぼ無い。
それゆえ、それはまことしやかに囁かれる都市伝説の扱いを受けていた。
「いや実際本物らしい。でも、行儀見習いでわざわざ城に上がるってことは……王子の婚約者候補なんじゃないのか? ……魔力うんぬんは置いとくとして『あの』公爵家のご令嬢だし、持参金も中流家庭の年収十万年分ともその十倍とも、国が一国。当たり前に買える値段だとも言われている……」
あまりにも派手な数字の話に、下らないとは思いつつ、周りはついつい聞き耳を立ててしまう。
「公爵家は世界中の王侯貴族や国に、信じ難いほどお金や権利を貸しているから、恐ろしい金額だが、かなり信憑性が高いと思うよ!」
「ついに『あの』セオドリック様も年貢の納め時か……」
二人は静かに耳を澄ませていた。
色々と気になるところはあるが、口出しするような内容にはまだ至っていない。
王太子と婚約という話も、事情を知らなければ確かにその辺りを邪推してしまうだろう。
そして、話をふんふん聞いていた緑の髪の気取った片眼鏡の少年が、急に意地悪そうに笑って青い髪の少年たちの話に茶々を入れだした。
「いや、でも『魔力無し』なんて絶対に超がつくほどのブスだろうし、あの色男で有名な殿下の相手にはないんじゃないかな? ……魔力の高い者は整った美形ばかりだと言われているけど、そうでない者は能力に応じて『残念になる』ってのも通例だからね!」
その瞬間。教室の空気が変わった。
その中心に目を向けると、そこには大天使すら圧倒するような美しさの少女……いいや、銀髪の美少年アレクサンダーが、静かに体内から怒りのオーラをゴゴゴと放ちながら立っていた。
「可愛いですが。顔も声も性格も、滅茶苦茶可愛いですが?」
聖乙女のような愛らしい顔が怒りの表情に変わり、しかし、整いすぎた顔だけに逆に迫力がいや増す。
そのあまりの怒りに、ブス発言した緑髪の片眼鏡の少年は頬を引きつらせ後ずさった。
「いや……あくまでも一般論というか、噂の範囲内でその、も、もしかしてお知り合い……?」
一触即発の空気にクラスメイト全員が、ごくりと唾を飲み込んだちょうどその時、学校の鐘が鳴り担当教諭が教室に入ってきた。
「連絡があります。席に着くように!」
言われて少年たちは即座に私語を止め、サッと自分たちの席に着く。
エースは席に戻る際、アレクサンダーにコソッと耳打ちした。
「いきなり目立つな。気持ちはわかるけど……!」
それにアレクサンダーはエースをチラリと見る。
「だがこれでも抑えたんだ」
そして、ムスッとした表情のまま短く答えた。
「本日は授業を行いません。個人の魔力の傾向と能力の測定を行います。各自呼ばれたら別室に赴くように」
こうして二人の寄宿学校初日は、気になる部分を残しつつ一応は無事に始まったのである。
寄宿舎学校の図書館は、ダブリン大学トリニティカレッジ【アイルランド/ダブリン】をイメージモデルとしています。