64、意地悪な従兄と百五十の傷
「ははっ……久しぶりだな。ドブス!!」
そう言われ、アニエスがきょとんとした。
「おい、まさか僕が誰かわからないわけでは無いだろうな?」
「……もしかしてカール? 髪の色が変わっていたから一瞬わからなかったわ」
「これだから『魔力無し』は察しが悪いな!」
「そんなこと言ったって、いきなりだったものだから……」
「おい」
「ブスな上に頭が悪いなんて、救いようがないな! まったく」
「……カール後ろ」
「なんだよ!」
「無礼になるから、きちんと挨拶した方が良いですよ」
そう言われカールが振り返るとものすごい形相のセオドリックが立っていた。
「!!」
「誰が……何だと?」
底冷えする低音でセオドリックが問えば、まるで蛇に睨まれたカエルの様にカールは固まってしまう。
「セオドリック様、ご紹介します。こちらの彼は母方の親戚で従兄のカールです。申し訳ございません挨拶も無く……」
「挨拶なんてどうでもいい……先程、彼女に行ったあまりに無礼な物言いを今すぐ撤回しろ!」
「へ、で、殿下、無礼……?」
「彼女に言っただろう『ドブス』とか『ブス』とか『頭が悪い』とか」
だがそれにアニエスは明るく仲裁に入った。
「あ、良いのです。良いのです! それは、彼にとって挨拶みたいなものなので、私なら慣れております!」
ケロリとして言うアニエスに、セオドリックはカールの胸ぐらを掴んだまま思わず睨むようにアニエスを振り返る。
「――慣れているっ!? ……慣れるほど言われてきたのか……?」
「うーん、最近は顔を合わせることも減ったので、あれですが……そうですね。正確に数えたわけではございませんが、三十分間で言われた数をベースに計算すると……少なくとも日に百五十回くらいは、頻繁に言われていましたね!」
「―――――――つ!?」
その言葉にセオドリックは驚愕で固まり、そのままカールをぼとりと落とした。
「何だ……それっ!?」
セオドリックは、つかつかと早足でまっすぐ歩くとアニエスの肩をがしっと掴んだ。
「君は全然そんなんじゃ無い!! 綺麗で、美しく。利発でユニークで……どんな姿もつい目が留まるほど魅力的だ。それこそ私が知る中で最たるものだ!」
アニエスはそれに朗らかに微笑む。
「さすがはセオドリック様、王太子でいらっしゃるだけありますね。まるで告白のように心のこもったお言葉で……本当に胸に染みました。そんな細やかなお心遣い、とても嬉しいです」
それから粛々と礼と感謝を述べた。
「気遣いで言っているわけでは決して……!」
「カールは、セオドリック様方のような立派な紳士ではなく、まだまだ子供なのです。つい思ったことがそのまま口から出てしまうのもご愛嬌……どうか大目に見てやってください」
「……私は、本当に!」
「もちろん、他の方に対してであればきちんとたしなめもします。私のことは通常運転ですので、どうかお気になさらないでください。……セオドリック様は本当にお優しくていらっしゃいますね!」
「…………」
セオドリックは思わずエースを見る。
エースは黙っているが、その瞳には激しい憤りが黒く燃えているようだった。
右手を掴む左手が皮膚を破かんばかりに爪を食い込ませている。
ロナ公爵も口元は笑みを作っている。だが、その目は色を失い酷く冷たかった。
「なるほど……これが君の閉じ込める呪いの一部か?」
「はい?」
何のことか分からず、アニエスはセオドリックの言葉に眉を寄せる。
その時、こちらの声に気付いたアレクサンダーが玄関からこちらへとやってきた。
「お嬢様、エース、今お帰りですか? 朝早くからお疲れさまでした。お風呂とお食事どちらを先にご所望いたしますか?」
「うーんお風呂かしら? もう体中ギットギトのベッタベタだよ~!! 本当に重労働だった!」
「では、湯殿の準備は整っているのでメイドに伝えます。柑橘の実と香花を浮かべたので、良い香りがしますよ」
「わあ嬉しい! あ、そうそう、さっきカールに会ったわ。……あれ? セオドリック様に怒られてもう逃げちゃったみたい。 人が増えて大変だろうけど、どうかそちらも宜しくね」
「…………………え、カール様が? そうですか……あ、ちょっと所用を思い出しましたので倉庫に『木炭』と『つるはし』と『ロープ』を取ってきますね」
「え、なんで『木炭』……?」
何だか恐ろしい所用しか思い至らないのは、果たして気のせいだろうか!?
「じゃあセオドリック様、エース、お父様。また後程」
そう言うと、アニエスはメイドとともに行ってしまった。
残されて、アニエスが見えなくなるとエースはセオドリックの方へと向きを変えた。
「……セオドリック様。先程はああ言っていただき、本当にありがとうございました!」
エースはセオドリックに深々と頭を下げた。
「……昔、アニエスが同じ目に遭ったとき、僕は感情に任せて従兄たちに魔法を振るいました。……取り返しがつかなくなる寸前でした。けれどそれで一番傷ついたのは彼女だった。……だから今も、彼女の前では強く言えないでいる。……正直、さっきは胸がすっとしました」
「なるほどな……どおりであまりにらしくないと思った。じゃあ、ロナ公爵が黙っていたのもそういうことかな?」
「……義父上が実の娘を侮辱されて黙っていられるわけがありません。だけど僕が愚かにも暴走したせいで、親族に攻撃の口実を与えてしまった! 継承にまで火の粉が及ぶことを恐れて、義父は耐えておられるんです。……全部、僕のせいだ。……それが、あまりにも歯がゆい!」
心の底から悔しそうにエースは吐露した。今だったらもっと上手くやれていたかもしれない。
しかし、当時のエースはまだ幼過ぎたのだ。
「エース、その話はもう十分だ。人は誰しも過ちを犯すものだよ。……問われるのは、その後にどう立つかだ」
そう言ってロナ公爵イライアスは、エースの肩を叩いた。
「私はまだいい方かもしれません。クラウディウス陛下の前でアニエスが、ああも悪し様に言われた場合……どうなさるおつもりですか? 正直どんな天変地異が起こるのか、皆目見当もつかないのですが?」
「「……………」」
ロナ公爵はため息をつく。
「殿下。陛下にはしばらく船で過ごされることを提案します」
「……その方が賢明です」
セオドリックは二人と別れ別荘であてられている自室に戻った。
自室にはノートンが控えていて、いつもの優し気な笑顔で出迎えてくれる。
「おかえりなさいませ殿下! アニエス嬢には会えましたか?」
そう言うと急にセオドリックは机や棚のものを乱暴に落とし、投げだし、壁をガンっと殴ったその後、「トン」と静かに壁に拳を置いた。
……手を静かにを開けば、わずかに震えていた。それを悔しげにまた握り込む。
その見たこともないあまりに荒れた様子に、ノートンは驚いて固まる。
はあはあと息を荒げ、セオドリックは「くそっ!!」と言いベッドに座ると、両手で顔を覆った。
「ど……どうされたのですか!? ひどく心乱してるご様子ですが……!」
「……百五十回……百五十回だと? それだけ幾日も、麻痺するくらい罵倒され続けて……そんなの!!」
「……殿下」
アニエスが自分を否定し続け、自傷するかのように努力し続ける、その一部の原因の根深さにセオドリックは絶望している。
「彼女は……あんな……人のことは敏感くせに、何で!!」
会えば口うるさくもなるくせに、結局は最後まで付き合ってくれる。
嫌なことははっきり言い切る潔さも、思いがけず見せる柔らかな表情も、気づけば心を掴んで離さない。
笑顔が向けられるたび、胸の奥が強く焦がれ、理性が揺らいだ。
たった一年。
そう、たった一年だ。
出会ってからの時間は、決して長くはない。
だがセオドリックには、アニエスのいない日々の感覚がもう曖昧だった。
それほどまでに彼女は、いつの間にか心を深く侵している。
「クソが……ッ! ……クソ野郎がッッ!!」
セオドリックが叫ぶ。
「彼女が地獄にいる自覚もないまま、苦しむ様を見るのが……堪えない!!」
「……アニエス嬢と何かあったのですか?」
ノートンは無言で冷水を差し出した。
心から案じるその表情に、セオドリックははっと息を呑み、我に返る。
「済まないノートン……驚かせて」
「別に構いません。……殿下のことは信じておりますから」
ノートンは静かに笑った。
「ノートン」
「なんでしょう。殿下」
「私は、アニエスを……彼女を。私の妻にしたいと思っている」
——これは衝動ではなく、誓いだった。
ノートンはその言葉に、意外では無いものの驚いていた。
セオドリックは軽口は叩くが、自分の立場を考え、将来のことを軽々しく口にはしない。
ましてや妃について彼がこんなに真面目に話すことなど今までなかった。
「……候補が何人もいるのだから、きっと誰かが適当になるのだろう?」
そういうのが、これまでの彼のスタンスだった。
どこかで彼は誰かを特別愛することをあえてしない風ですらあったのだ。
それが変わりだしたのが一年前アニエスにちょっかいを出して手酷い目に合い、それをきっかけに交流を持つようになってから――。
セオドリックは気付いていないが、アニエスと出会ってからの彼は変わっていった。
以前ノートンは、たまたまアニエスにこんなことを言われたことがある。
「人を変えるなんて難しいこと、私には到底できそうにありません。だから……自分を変えるしかないのですよ」
しかし、そうやって自分を変えようとするアニエスの姿に触発され、セオドリックも変わったのだ。
ノートンは、密かにこの二人が一緒になってほしいと、願うようになっている。
「殿下が望むのであれば、私はもちろん……何があってもお味方いたします」
ノートンはいつもの優しいまなざしに、強い意志を滲ませてセオドリックを見る。
それに、セオドリックは自ら頭を下げた。
「ありがとう。……頼りにしている」
そう礼を述べる。
そうして、セオドリックはアニエスの呪いの解き方を、いよいよ真剣に考え始めるのだった。




