61、ロナ家のアニエスとミスリル
(……座っているだけで価値のある方々と、私は違う)
アニエスは自分が振舞った昼餐の席で異様な居心地の悪さを感じた。
確かに身綺麗にした他の皆と違い、走り回り、肉を捌き、煤だらけになってしまっていたというのもあったが……アニエスはなんだかこれが皮肉な比喩のように感じている。
彼らは、自分のような泥臭いことをせずとも、自分の価値を証明できる。
しかし、アニエスは……。
(なぜ、自分のような者が、彼らと同じ席に着いているのだろう……? どうしてそんな図々しいことが出来てしまうのだろう?)
そう考えたら、もう一分とアニエスはそこに座っていられなかった。
一刻も早く外見だけでも整えたいと焦り、エースとアレクサンダーに軽く声を掛けて湯浴みに急ぐ。
(なのに、どうして追いかけてくるの……?)
セオドリックの顔を睨みつけながら、内心で相手に問わずにはいられない。
アニエスは改めてセオドリックの姿を観察した。
一部の隙も無い完璧な王太子殿下。国中の女の子が憧れる理想の王子様。
そんな、光そのものに当てられることに、殊更みじめに感じてしまうことが、また卑屈で情けなくて、アニエスは自分が恥ずかしかった。
(お願いだから、私のことをどうか放っておいて……)
どんどん醜くなっていく自身の内面に、アニエスは辟易とする。
なんで、不相応にも私はロナ公爵家の現、長子なんだろうか? 身分と内面がまるでばらばらでバランスがとれていない。
アニエスはロナ家を心から愛していたが同時に……憎みもしていた。
それは一言で言い表せるような、簡単な感情では無い。
自分を愛し、最後はいつもその名で助けてはくれるものの、……その名がいつもじわじわと真綿で首を絞めつけるように、時々息さえ儘ならず藻掻く。
この豪華で残酷なる我が鳥籠。
(早く社交界にデビューして……一代貴族の準男爵か騎士階級の子息と結婚して家を出て、この『ロナ』の名を捨てて……そして、……そうしてそれから――!)
解放された。その先の答えは……。
アニエスは温泉から出ると、カサンドラの眺望を眺めた。
(大きくて綺麗な街)
白い建物と青い海が、目になんて眩しいのだろうか……。
「お嬢様そのままだとお風邪を召されます」
着替えについて来てもらったメイドに言われ、身体を拭いてもらい、髪も乾かし梳かしてもらい、持ってきてもらった通気性のよい綿のドレスを着せてもらう。
……貰ってばかりだった。
「ありがとう」
アニエスは礼を言い、鏡を見て前髪を整えた。
「では戻りましょうか?」
戻ると皆の食事がある程度、落ち着いたようで愉し気に歓談している。
そのあまりにキラキラ〜ッとした様子にアニエスは一瞬、ううっ……と、歩みを止めた。
どうして、こんな眩し気な人々の中に自分はいるのだろうか……? アニエスは眉間にシワを寄せパチパチと目を眩しそうに瞬きする。
揃いも揃って究極の美男美女ばかり、その仕草は優雅で洗練され、才気あふれる特権階級のまさに選ぼれし人々。
いつも見ないふりをしているが、一度気になると上手く呼吸が出来なくなるように、アニエスは今までどう振る舞っていたのかがわからなくなって、あたふたとする。
(ええと、えーと、どう振舞っていたっけ……?)
焦りが不自然に、不自然が落ち度になる前に早く、早く……!
(落ち着いて! 出来るはずよ……自然に……自然に……自然に……)
バクバクと早足になる心臓の鼓動を抑え、わずかに震える身体を叱責ながら歩を進める。
「……何の話をしているのですか?」
アニエスは平静を装い、にこやかに話の輪に入っていった。
「ああアニエス! 明日行くお買い物の話よ? カサンドラは良質な真珠の街だそうね! ……だから、髪飾りかネックレスを新調しようかっていうお話をしていたのよ?」
いつもの明るく優し気な調子で、タニアが返してくれアニエスはほっとする。
「タニア様の綺麗な黒髪なら、確かに白い真珠はとても映えますね!」
それはまるで花に付いた朝露のように、彼女をみずみずしく引き立てることだろう。
「私も何か作ろうかしら?」
マリオンもそんな話を聞いて自分も欲しくなったようだ。
「マリオンもきっと真珠が似合うと思うわ! 何か真珠のアクセサリーは持っていて?」
タニアがマリオンに質問するとマリオンはうーんと考える。
「イヤリングくらいしか……? 何か、首元を飾るようなものがあったらいいのですが」
そう言い、こんな感じの……と手で示して見せた。
「レティシア様はやはりアクセサリーは沢山お持ちなのでしょう?」
さらに、タニアがレティシアに話を振る。
「ええ、そうですね……部屋まるまる一つ装飾品コーナーにするくらい、陛下には存分に賜ってますわ」
部屋と言っても彼らの言う部屋のことである。
六畳一間のことではない。
畳でいえば二百畳か三百畳くらいの部屋に、背の高い棚がズラズラと並び、それに無数の数の宝石類が整然と並べられているというものだ。
まさに、贅の極みである。
「どうせならいくつか作ったらどうだいレティシア。旅の記念になりますよ? 金額は気にしないで一番良いもので贅沢に百でも千でも作るといい」
そう、こともなげに夫である皇帝陛下は妻であるレティシアに命じた。
なんと太っ腹でいい旦那様なのだろう?
本当に……妹ぞっこんLOVEのド変態な件を除けば、完璧な御仁だ!
「アニエスは何かアクセサリーを作る?」
それにアニエスは曖昧に笑った。
「わたしは皆さんと違って髪の色も淡くボンヤリしているので……あんまり真珠を飾っても、ぼやけた印象にしかならないかもしれません」
そのアニエスの答えに、セオドリックがぬっと割って入ってくる。
「いやいや、きっと人魚姫のような淡い儚げな印象が良く似合うと思うぞ? それなら私が君に贈ろう」
「セオドリック様に、そのように贈り物をしていただく何か褒められる事をしたわけではないので、お気持ちだけで十分です。……それより私は他に見たい店があるのですが、もし良ければ宝石の後、そちらにも参りませんか?」
タニアはそれを聞いて目を輝かせた。
「まあ、それはいったい何?」
「女性が好む物かは、正直に申し上げて私にはわからないのですが……宝石に負けず劣らず高価なものになります。実用品です!」
「実用品……?」
「はい、けれど大変美しいですよ!?」
「それは何かしら……? あ、待って! やっぱり実際行くまでのお楽しみにするわ! うふふ……楽しみね!」
タニアはそう美しい顔をほころばせたのだった。
――翌日。
街一番の大きな老舗の宝飾品の店で、女性陣は思い思いのアクセサリーを作ってもらうため、店を貸し切っての買い物に興じていた。
しかし、アニエスだけは日曜日に妻や娘の買い物に付き合うお父さんのように、長椅子に座りボーっとしている。
その隣にはアレクサンダーが立って控えていた。
「お嬢様……本当にお作りならなくて宜しいのですか?」
アニエスは店の新商品のカタログに目を通しながらぼんやりとする。
アニエスは先程からずっと同じページをペラペラと繰り返し捲っていた。
別にこのカタログも手慰みに開いているだけなのだ。
その様子からも宝石への興味が薄いのがうかがえる。
「いいの。私、宝石をあまり身に付けると不自由で苦手なんだもん……世の女性の皆様は、不自由なく宝石をきちんと扱えてすごいと思うわ……」
美しく着飾ることに……特に貴族女性はそれに対する惜しみない努力をして、さらにはそれが苦になっていないことを指してアニエスは言った。
アニエスも何とか見習おうと意気込むが。
だが、自分を飾り立てることには、やはり乗り気になれないのだ。
正直、その手のことは慣れた人に丸投げしたい――そんな気持ちが、つい態度の端々に出てしまう。
「こんなことではアンジェリカ様にまた叱られてしまうわ」
その身を美しく整えるのも、貴族女性としての貢献だと諭されたばかりだ。
もちろん、頭では理解している。
けれど、「では今すぐ」と問われれば話は別だった。
それは人は結局、自分の中で優先順位の高いものからしか動けないからだ。
「お嬢様は変に飾りたてずとも十分だと思います。……身に付けたら、身に付けたで大変お似合いだとは思いますが」
アレクサンダーが言う言葉にアニエスはふふっと笑ってみせた。
「アレクサンダーは優しいね。でも、別に変に気を使わなくても大丈夫よ?」
そんなアニエスの反応にアレクサンダーがムッとして反論する。
「こんなつまらないことに……僕はいちいちおべっかなんか言いませんよ!」
アニエスは、そんな反論するアレクサンダーの顔をじっと見つめた。
本日もまっこと彼は麗しい。
神様も彼を作った時に、「我ながらなんて素晴らしい仕事をしたんだろうか!?」と大きく頷きつつ、思わずニヤニヤしたに違いない。
アニエスはその神の自画自賛に、「全くその通りにございます!」と両手を上げて賛同したかった。
「そうね……私もアレクサンダーが自分を着飾る装飾品を作りたいというのなら、自分の財布の紐を全開にして、金額にいっさい糸目をつけないわ!」
言われたアレクサンダーは、実に苦い顔をして主人を睨んでいる。
またアホなことを言い出したこの主人に、呆れるとともに、自分の気持ちをハッキリと伝えるべきだと考えた。
「貴女はどこの金満親父なんですか!? 僕にこそ、そんな物はいりません!」
強い口調で返されアニエスは、渋々、身を引く。
こうなるのは分かっているのに、わずかに見える一縷の望みについ賭けてみたくなるのだ。
「似合うのにな……きっと誰より似合うのに」
ぶつぶつとそう言いながら口を突き出し、お腹の前で両手の人差し指をつんつんと突き合う。
いじけてもあまり意味がないが、自分のぶつけ所のない気持ちは、わずかに解消する気がした。
「あ、あの、アレクサンダー様……宜しかったら私の首飾りを……一緒に選んで頂けませんこと?」
そんな風に二人がやり取りをしていると、恥じらいにもじもじと頬を染め、マリオンが勇気を出してアレクサンダーに声をかける。
「な、何……その顔!? 超可愛いいい!? 初めて見たわ!?」
アニエスが見たこともない可愛い表情をするマリオンに対して、つい余計なことを口に出す。
……いや本当は黙っていたかったが、あまりの普段との違いに雷に打たれたのだ。
つまりそれは、衝撃からくるとっさの言動だった。
「……いちいち何なんですか? 煩い方ですね!」
さっと、いつもの冷めた表情になりアニエスを一瞥する。
「顔……変わり過ぎじゃない!?」
「マリオン様、申し訳ございませんが……」
しかし、アレクサンダーはそん麗しの乙女の申し出を断ろうとするではないか!?
アニエスは慌ててそんな従者に待ったをかけた。
「いいえ、一緒に見てお上げなさいアレクサンダー。私なら大丈夫!」
「いえ、ですが……」
「貴方はいま休みにここまで来ているのよ? ……あなたのことは、いつも心から頼りにしているわ。でも、休めるときは休んでほしいの。今日だって、そこまで気負わなくていいわ。……だから、アレクサンダーも、少しは自分の時間を楽しんで!」
アニエスはそう彼の背中を押す。
アレクサンダーは後ろ髪を引かれるような面持ちだったが、これも主人の命令だ。
アレクサンダーはマリオンに従い、首飾りを選びに向かった。
「……わあ、やっぱりお似合いだわ」
アニエスは二人の様子を見て呟く。
小柄で非常に可愛らしいマリオンと並べば、美女より美しいアレクサンダーもたちどころに男前に見える。
ただ二人で並ぶ……それだけで額縁に飾れそうなほど、その姿はお似合いだった。
やはり昨日のあれはまずかった。とアニエスは、昨日の河原での出来事を振り返りかえる。
(いったいあれは何? ……主人としても、家族としても踏み込み過ぎた行為じゃない)
自らの過ちを大いに反省する。
もし、あのまま誰も来なければアニエスは一体あの後、アレクサンダーとどうなろうとしていたのか?
「…………」
アニエスは頭を振り、いやいやいやいやと、忘れようとする。
それから姿勢を正して座り直し、皆が買い物に興じる中、アニエスは素数を数えながら時間をつぶしたのだった。
「――アニエス! 時間がかかってしまって申し訳なかったわ。ついつい夢中になってしまって!」
「いいえ、タニア様の選ばれたデザインの髪飾りとネックレスとても素敵でした! きっと実際はもっとお似合いになると思いますよ!」
タニアはそれを聞いて嬉しそうだ。
「うふふ、レティシア様が選んでくださったのよ? さすがは帝国のお方は趣味も素晴らしいわ!」
レティシアはそれに、首を少し傾げる。
「タニア王女様は、何でもとてもお似合いになってしまうので……本当にどれにしようかと、楽しく迷ってしまいましたわ」
そう、しっとりと微笑んだ。
なんだか、女同士の距離も縮まり、いい感じだ。
これだけで買い物に来た甲斐がある。
「……それでアニエス、いったい何を見るの?」
「はい、これから見に行くのがですね……こちらになります!」
アニエスが指差した先にあったのは……。
「まあ!! 『ミスリル専門店』ね! なるほど宝飾品並みに高価で美しく実用的……まさにその通りだわ。……あら、アニエス? いったい、どうしたの?」
しかし、アニエスは店頭の飾り窓に並んだ品々を見て急にその顔を険しくした。
飾られたミスリルは傍目にはキラキラと輝いて、宝石と遜色ない。
「……いいえ、何でも……とりあえず中を見てみましょう」
カランカランとドアのベルを鳴らし中に入る。さすがは超高級な専門店だけあり、中はより雰囲気があった。
「恐れ入ります。数点お勧めを見せて頂けますか?」
声をかけると中から上品な店員が、にこやかに複数の品をカウンターに並べてみせてくれる。
「どうでしょう? ……当店はカサンドラ随一の品ぞろえを誇っております。こちらなんか女性の護身用にうってつけかと!」
ゆっくりと歩み寄り、カウンターをじっくりと一瞥する。
品物を店員から受け取り、鞘を抜いて、アニエスはそのナイフを目を細めてジッと観察した。
「なるほど成る程~。……成程。よく、分かりました」
アニエスはにっこりと笑う。
一拍を置き、息を吸って止める。
それから――。
「この店は本日よりしばらく、営業停止を申し付けます。それと、憲兵をここへすぐに呼んでください!!」
その声を凛と張り上げた!
それに一同が目を見開きアニエスへ注目した。
店内が一瞬しんと静まり返る。
アニエスはナイフを手でしごきながら、続けて温度の無い声で淡々と話しだす。
「……銀を混ぜ込んでそれらしく見せていますが、ミスリルの含有量十五パーセント未満のものをミスリルと語るのは違法です。こんな粗悪品をよくも見せられたものですね……?」
それに店長と思わしき人物が顔を真っ赤にして猛烈に反論する。
「な、何を根拠に! 言い掛かりもいい加減にしていただけませんかお客様!? そもそも貴方に何の権限があるんだ!?」
アニエスは冷めきった目で、相手を睨めつけた。その視線があまりに鋭く、一瞬、動けなくなる。
「私は『アニエス・ロナ・チャイルズ・アルティミスティア』領主ロナ公爵家の長子です。……現行、公爵が不在で皇帝陛下をお迎えしている今、この公爵領カサンドラで最高権力を行使する権限があります」
その言葉に、店長は驚きに目を剥いて言葉を失った。
「ミスリル製造はロナ家のみに許された最高秘技にして基幹産業……それを、あろうことか公爵家のお膝元であるこの地で謀るこの行為。どれ程の重罪かご存知ですか?」
アニエスは静かに言い放つ。
店員と店長の顔が一気に真っ青になる。
「こ、ここ公爵家のアニエス様………!?」
バタバタと入ってきた憲兵にアニエスはキビキビと指示を出した。
「即刻この店を差し押さえ、この者たちを重要参考人として連れて行きなさい! それから、他のミスリルを扱うカサンドラ全ての店に勧告を! すぐにミスリル鑑定人を各店舗に派遣し、店の細部、裏、帳簿に至るまで調べあげるように!!」
そう命令を下す。
「アニエス……!」
今、目の前で起きた出来事が信じられない様子で、タニアはアニエスの顔を見た。
「これは友人と夏の交流楽しんでいるお父様たちにも予定を繰り上げ、すぐにこちらに来ていただかなくてはならないみたいですね? ……こんな街の大通りで行われた詐欺行為。しかもロナ家の信用を失墜しかねないこの事態。とても看過出来るものではございません!」
――座っているだけで価値のある人々とは違うと己を評した彼女……だが今、誰よりもその価値を示す刃を迷いなく抜き、ロナの敵の……その喉元へと刃先を向けている。
アニエスはそうして、光り輝くその瞳に強い怒りを滲ませ、静かに真一文に口を引き結ぶのだった。




