60、アウトドアランチと落とす言葉
「うずら二羽、鴨五羽、雉二羽、兎三羽……ざっとこんなものでしょうかね?」
アニエスが短時間に捕まえた獲物は、実に大猟だった。
自慢の俊敏さと機動力。何よりその脅威の弓矢の腕前がそれを可能とする。
「バナー、クロブ、打ち落とした獲物を連れて来てくれてありがとう!! よしよしよしよし!」
いつの間に連れてきたのか……実家で育てている猟犬がそこに行儀よくお座りしていて、アニエスの手からご褒美をもらうと、尻尾をブンブンと嬉しそうに揺らしていた。
「……アニエスは、本当に弓矢の腕が長けていますね。これなら十分に生業にできますよ!!」
レティシアが思わず唸る。
それにアニエスは照れながら返した。
「はい! 私、もし悪さをして国外追放になりましても、この腕一本で食べていく自信がございます!」
アニエスは胸を張ってそう宣言する。それにセオドリックは呆れたように言う。
「ロナ家の姫である君が、いったい国外追放になる、どんな悪いことをするんだ……?」
「モノの例えですよ、セオドリック様! ……それについては、きっとたぶん……大丈夫なはずです!」
なぜに『きっと』で『たぶん』なのか?
「じゃあ、ちゃっちゃか捌いてまいりますね。見ていてあまり気分の良いものではありませんから、お近づきの無いようにお願いします!」
「え、アニエス姫が御自ら獲物を捌くのですか!?」
メルヴィンは驚いて尋ねる。
「獲った以上は食べるのが筋です。ならば捌けなければ話になりません! ……あれ? でも貴族は“狩りをすること”がそのものが目的ですね?! ――私は師匠に自給自足を仕込まれましたので、狩猟は生活技術です。解体も一通りできますし、意外と手際も悪くないんですよ?」
それにノートンはさらに感心した。
「本当にアニエス嬢は大方のことは何でもこなされますね!」
それにアニエスは素直に照れる。
「えへへ! そうですか? 確かに私は魔法と、婚約を成立させることと、同年代の女友達を作ること以外なら、器用なのかもしれませんね!! あははははは。あはははは。……はは。ハハ……は……うう、自分の言葉が痛いよう……アレクサンダー……」
「墓穴を掘ってどうするんですか、お嬢様」
自分の言葉に、シクシクと傷つきながらアニエスはとぼとぼと河原に獲物を持って川の方へと下りていく。
そのサポートをするため、アレクサンダーも同行した。
「うう、私なんかが生きててすみません。息吸っててごめんなさい。息を止められる時は止めます……」
アニエスはそう言いながら、まず獲物を軽く綺麗にして手早く羽を毟っていく、アレクサンダーもそれに習い手早くこなしていく。
「……自分への言葉の刃が鋭利すぎやしませんか?」
「はっ!! 魔法使いのアレクサンダーさん! 手伝わせてすみません。自分がやりますので!!」
「……………」
アニエスはそう言い、アレクサンダーの分もがばっと奪って処理していく。
アレクサンダーは、それに、はあっ、とため息をつきアニエスの頭にポンと手を置くと、優しくその頭を撫でた。
「アレクサンダー?」
「嫌ですか……」
「ううん。……でも、ほんとに優しくしなくていいよ。……吐いたりしてごめんね。汚くて気持ち悪いし、臭かったでしょう?」
アレクサンダーはそれにいつもの眠たげな無表情で答える。
「……そういえば、そんなことも今日はありましたね。大した話でもないので、言われるまで、すっかり忘れておりました。すみません」
そう、どうでもいいというような返事をした。
「それから、申し訳ございません。今のは優しさで頭を撫でたわけでは無いです」
アニエスは不思議に思い、獲物から顔を上げてアレクサンダーの目を見る。
「じゃあなんで頭を撫でたりしたの?」
質問する。アレクサンダーはそれに答えた。
「ただ、触れたくなりました。下心です。すみません」
いつもの冷めた感じの抑揚の少ない声……。
「…………」
「コレ小さい方から捌いてもかまわないですか? 骨が細かくて面倒なの、で……!!」
腕が伸びた。
アニエスは気付けばアレクサンダーに抱き付いている。
「お嬢様?」
「ごめんね。私も触りたくなったの」
「……刃物を持っているので……危ないですよ」
「そう……じゃあ…………放して?」
カランとその手からナイフを落とすと、アレクサンダーは空いたその腕をアニエスの背中に回した。
静かだった。
感じるのはお互いの体温と柔らかさだけで、他には何の雑音もない。
「……お嬢様、柔らかい」
「お湯に入って温まったからね」
「でも、その後汗をかいたんでしょう?」
「ごめんね、臭いね」
「いえ……良い匂いしか……しないです」
「……アレクは変態さんなの?」
「ぶっとばしますよ」
「……私もアレクサンダーの……何もつけてない素の匂いが好き……ずっと、かいでいたい……」
アレクサンダーは更にその抱く腕の力を強めた。
そうすると、薄く細いアニエスの身体は折れてしまいそうなのに、身体がもっともっとと思うとどうしても腕に力がこもる。
このまま、世界が終わればいいのに……そんな風に思った。
「……アレク」
アニエスが声を掛けると、二人は顔を見合わせる。
お互いの瞳の中にお互いの姿だけが映っていた。
アレクサンダーはアニエスの腰を自分に引き寄せ……。
「二人とも、間に合っていますかー?」
「メイドに手伝えそうな人がいたから、連れてきたわよ〜!」
……が、人の気配がして即座に離れた二人は、もの凄い速さで獲物を捌き、さも今まで真面目に作業してましたー!! というふうに獲物を処理する……。
「わあ!! ありがとう!」
「それではこの鴨をお願いします!」
それからも二人はキビキビと働いた……。
◇◇
しかし、二人こうして必死に隠したのは意味を無さない。何故ならば……。
「ほお……」
「なるほどな……」
「一応と思いましたが……ははは、こんなに早く罠にかかるとは……?」
その姿は、すでに他の場所でクラウディウスの魔法で監視済みであり、二人がどうしていたかは男湯メンバーは大いに知るところとなっていたのだった……。
肉を捌き終わり、半分を香草やら発酵した特殊な塩味の液に肉を浸していく。
それが出来るとアニエスはアレクサンダーを見た。
「こっちは、岩塩を付けてシンプルに焼くだけにするけど……こっちの漬け込んだものは、肉を冷やしながら、時間短縮で八から十時間たったように魔法をかけられたりはするかしら?」
「氷魔法を使いながら時間を進めたようにするということですか? 分かりました。やってみます」
そう言ってアレクサンダーは器用な様子で、二重魔法を下拵えした肉に施す。
「おおっ、流石だねアレク! うん、よく味が染みて完璧な仕事だわ! これでいいでしょう!」
そう言いアレクサンダーが魔法を施している間に、作った詰め物を鶏肉に詰めてタコ糸で結び、獣の肉の余計な臓物や脂はここで片付け、大串に刺す。
こうして下準備は十分に整ったので、肉をカプスの温泉近くまで運んで行った。
「今から焼きますので、もう少々お時間をいただきますね!」
そう言うとアニエスは、事前にメイドたちに申し付けて石を組んで作った簡易グリルで、器用に火を起こして焼きはじめる。
その間、他の王侯貴族の面々は、メイドたちの用意した簡易ベッドや敷物の上にて寛いでいた。
けれど、アニエスはその間も黙々と火の番をしている。
「……義姉さん、もう、それはメイドに任せたら?」
「そうだ、君はもう十分働いたし、もう大丈夫だろう」
思わずエースやセオドリック達が声を掛けた。
けれど、アニエスは首を横に振る。
「ここまでやってしまったので……最後まで責任を持ちます。どうか、お願いです。やらせて下さい!」
けれど、アニエスはその提案を断る。
「アニエス。温泉に浸かったのにこんなに汚れてしまって可哀想に……。どれ私が隅々まで洗い流して綺麗に綺麗にしてあげましょう?」
と、さらに兄である皇帝陛下が後ろから覆いかぶさって言ってきた。
「……汚いというのなら離れて……一刻も早く離れて頂けませんか!? メルヴィン様! レティシア姉さま! 皇帝陛下が汚れてしまいます!! どうかそちらに連行……もとい、どうか連れて行ってくださいませ!?」
アニエスは、ベタベタと触ってこようとする兄の手から身を固くして己を守りながら、ヴァルハラ組にようやく兄を剥がしてもらう。
余計な、ちょっかいを掛けられてゲッソリしながらも、ふう、と改めてまた火の番に集中した。
「お嬢様、代わります」
アレクサンダーが申し出る。
するとアニエスは微笑みながら首を振った。
「そんなに長い時間見ているわけでは無いから大丈夫よ……うん、ほら段々いい感じに焼けてきたわ!」
暫くすると、香ばしい焼けた肉汁の匂いが漂いだし皆一様に食欲が刺激される。
冷たい飲み物や軽い果物は休みながら口にしたが、彼らはまだ本日、一度もまともな食事を取っていないのだ。
いい加減、腹の虫も限界である。
「テーブルのセッティングをお願いします。大変お待たせいたしました。出来上がりになります!」
メイドたちが手早く折りたたみ式のテーブルと椅子をセッティングすると、外に立派なテーブルセットが現れた。
真っ白なテーブルクロスをかけ、ナイフやフォーク、皿などを綺麗に男性使用人が人数分用意をする。
「それぞれの串を一本丸ごと持って行って、各々に、その場でほしい分だけ伺い、お肉を切り分けて差し上げて」
いわゆるシュラスコ形式のような方法で、調理した肉を提供することをアニエスは提案し、男性使用人に指示を出す。
続いてメイドには、パンや付け合わせを準備させ、テーブルを順に回る様に言付けた。
アニエスは調理が終わると、今度は他のメイドと一緒に火の始末に取り掛かっている。
「……アニエス姫はずっと働いていますね?」
メルヴィンが、ボソッと皇帝陛下に話した。
「本当に不思議だ」
皇帝陛下もそれに答えてアニエスを観察している。アニエスは本来なら花よ蝶よともてはやされ、フォークよりも重いものを一切持たずに暮らすべき貴族の娘のはずである。
実際アニエスと近い身分のタニアとマリオンは、アニエスの大いなる働きに目を丸くしていた。
不平を漏らすことも無く、むしろひどく淡々とアニエスはそれらをこなしていた。まるでこんなのは当たり前といった感じだ。
けれどその姿は、何故か妙に清楚で美しかった……。
火の始末が終わり、テーブルにそれぞれ肉が行き渡ったのを確認したアニエスは、にこやかに挨拶をする。
「お待たせいたしました! それではどうぞ、カサンドラの澄み渡る空の下の昼餐をお楽しみください! ……乾杯!」
グラスを互いに鳴らし、少し遅めのランチは始まった。
「……!! これは」
「美味ですわ!」
いつもは全然素直じゃないマリオンがそうつぶやくほど、肉は旨味の詰まった肉汁に溢れ、ジューシーで香ばしく、口に入れるとホロリとほどける。
絶妙な焼き加減といい、その味付けといい……美食に慣れて飽き飽きしている面々の口でさえ、新鮮な衝撃を覚えるくらい、これらの料理は本当に素晴らしかった。
「アニエス! 王宮に戻ったら是非メインシェフになってはくださらない!? それくらい本当に美味しいわ!」
タニアも目を輝かせて感想を述べる。
それに、アニエスは恥ずかしそうにした。
「空腹なことと、外で食べる解放感から……余計にそう感じるのだと思います! そんな風に喜んでいただけるだなんて……本当に嬉しいです!」
セオドリックがサッと手を上げる。
「皿がすぐに空になってしまうな……。追加をもらえないか?」
手は次々に上がった。
おかげで男性使用人は暇なくテーブルを回らなければならず、大忙しである。
皆が料理に夢中な最中、アニエスはそっと席を外した。
汚れた身体をもう一度に湯にくぐって汚れを落とし着替えるためである。
メイドを一人連れて行き、人の目の届かない場所まで来ると準備を手伝ってもらい、アニエスは静かに湯へと入り、全身を湯につける。
「……背中を流してやろうか?」
アニエスが驚いて振り返ると、そこにはいつの間にかセオドリックが立っている。
「セオドリック様! どうしてここに!?」
アニエスは慌てて白濁した湯に深く潜った。
「いや気になって」
「……堂々とした覗きをお止め願えませんか?!」
「堂々としなければいいのか?」
「いや、どちらも最低ですよ! ……最低!?」
アニエスは顔を半分出してセオドリックを睨みつける。
「君の裸は去年、廊下で見たよ……」
「思春期の一年はかなり大きいのですが?」
「アニエスいいから、こっちにおいで、ほら?」
「口を大きく開いた鰐の口へと自ら近付く者はいないでしょう……?」
だがそんなアニエスの話を無視して、セオドリックはズボンをたくし上げて靴を脱ぐと、そのままジャブジャブと湯船に入ってきた。
アニエスは、それに対し迂回するように距離を取る。
「声をあげられるのと、盛大に蹴り上げられるの……どちらがお好みでしょうか?」
「腕に収まってもらうのを第一希望とするかな?」
「では……ちょん切りますよ?」
「いったい何を?」
「ご存じのくせに……どうせ兄のすること、いろいろ聞いていたのでは?」
「……やはり、あれはわざと言っていたのだな?」
セオドリックは、大方の予想通りだったことに一人頷いた。
「悪いがちょん切られるわけにはいかない。その前に」
セオドリックは素早く動き、アニエスの腕を取った。
「……落とすよ」
その手の甲に唇を落としながら、上目遣いにアニエスを見る。
「なぜ……そんなに私に関わろうとなさるのです? 残念なことにそんな価値は私にはございません」
「それを決めるのは、私自身で君ではないんじゃないか?」
「セオドリック様は本質が狩人で……私が逃げるから、つい気になり追いかけているだけだと思います……。しかし、やはり価値ある獲物を追わなければ、狩人の目が濁ってしまいますよ?」
「私は未来の国王だぞ。見間違ったりはしない! 君は優しく、賢く、人間臭く、……そして何より美しい。それだけでは君にとっては不十分なのか?」
「……それはおかしな話だわ。私の知っている私とはずいぶん違いますもの……。私の知っている私は愚かでずるく身勝手で、実につまらなく醜い人間です。セオドリック様の見えているものは私がやっと取り繕ったほんの一部……私の本質とはかけ離れております」
「……目が病的に濁っているのは君だよアニエス。何故そんなに自分を卑下するのか……私には不可解でしかない!」
「……事実をそのまま申し上げますれば……。申し訳ございません」
「………」
セオドリック黙って、唇を噛み締めるよう。
アニエスをしばらくその目に焼き付けて、その手を放すとジャブジャブと彼女から離れて行った。
「予定は変更だ。……君を口説く前に、まずは君のその歪みきった自意識の根底を改革する」
セオドリックは完全に温泉から上がると、ズボンを絞りながら続ける。
「言っておくが、私は自分で言うのも難だが、かなり聡いし賢い。……だから、さっき言ったことにも絶対の自信がある! 確かに君の言った通りの部分もあるのだろう……けれどその奥には、やっぱり私の言った通りの君が隠れているぞ!!」
セオドリックはそう捨てゼリフを吐いて、その場を離れた。
それをアニエスは黙って見送る。
それは、そうすることしかできないとも言えた。
セオドリックが、しばらく歩くと急に後ろから声が掛かった。
「お兄様が裸の女の子を前にして、何もしないだなんて……初めてのことでなくって?」
「タニア……付いて来てたのか」
「どうか感謝してくださいな……。他の怖い怖い殿方々を抑えて私がこうして来たことを……まあ無論、本当にご無体を働こうとするならば、私は止めましたが」
「はあ、それは結構なことだよ。……アニエスは呪われている。しかもかなり厄介なまでに」
「ええ、そうね……そうかもしれませんわ。お兄様は気付きまして?」
「……何を?」
「今日、アニエスが私達と同じテーブルに着くのを極力避けていたことをです」
「…………」
確かにそうかもしれない。
アニエスはランチ開始十分もせずに席を外していた。しかもその前だってずっと動きっぱなしだった。
「アニエスは普段は普通にしていますが、周りが思っている以上に……『魔力無し』であることに、引け目を感じているのかもしれません」
タニアは続ける。
「例えば……彼女はかなり異常なまでに努力家だとは、お兄様も感じませんか? 自分が出来ることについて、常に恐ろしい精度の完璧さを目指していて……まるで、常に何かに追い立てられているみたい」
「………………」
「私は、アニエスがマリオンに強く言えなかった背景には、そうゆうものもあるのだと思います。私は、それが彼女をいつか内側から壊してしまいそうで……時々すごく不安です」
「さる最強と呼ばれる生物を身の内に飼い、相手から……を使う術さえ奪えるのに、どうして」
「コンプレックスの根深さは、当人にしか分かり得ないですわ。それに至った背景を私たちはまだ何も知らないのだから。……この呪いを解くのはきっと骨が折れますわよ。お兄様? だってこれは本人が自身の心に掛けたものなんですもの」
セオドリックはため息をついた。
「……知ってはいたが、アニエスって相当面倒くさい奴だとは思わないか……?」
「そこがある意味、最高に魅力的なんだと私は思います!」
「……ああ、そうだよ! その通りだよ……それすら堪らないと感じているのだから、本当にどうかしている! 私はそんなに暇人じゃないぞ? 他にもすべきこと考えなくてはならないことが山のようにあるのに! 気付いたら、いつもいつも、いつも……考えてしまう!!」
「まあまあ、熱烈なお言葉ね!」
「さらに……厄介なライバルが多すぎる!! 面倒くさ過ぎだろう?!」
「魅力的なのだから、それは仕方ないでしょう?」
「超大帝国皇帝陛下の実兄にご執心を受けていることもか……?」
「……それについては同情いたします。アニエスにもお兄様にも」
「ふざけるな、誰にも譲るものか!!」
王太子らしくないぶっきらぼうな調子で、セオドリックは吐き捨てるように言う。
「それにそう言うがアニエスはおそらく……」
「何ですか?」
「……いや、やっぱりいい」
アニエスは『魔力無し』なんかじゃない。
……そう口にしそうになってセオドリックは閉じる。
もしかしたら、これもどこかに聞かれているかもしれないからだ。これ以上のアニエスの真の市場価値を他に知られるわけにはいかない。
タニアはその兄の様子にそっと目を閉じ心の中で思わず呟く。
「……いつかお兄様のキスで、アニエスの悪い魔法を解いてくださいまし」
それは、タニアの本心からの願いだった。




