6、少年少女の初めての伝説と理にかなった人質生活
これはアニエスの社交界デビュー当日、デビュタントになった日から、遡ることほぼ四年前のことである。
三人の子供たちはその日、十二年間の幼き人生の中において最も強い達成感を得ていた。
特に鼻息も荒く興奮するのは、三人の中の紅一点の一人の少女。
白金色のくるんと巻いた一つ縛りをなびかせ、七色の光を放つ瞳は熱く炎が燃え、凛とした響きを持つアルトソプラノを喉を震わせ張り上げた。
「できないと思っていた各所皆様、ざまーーみろーーーっっ!!!!」
……腕も高く上げようとした。
だが実際はもぞもぞ藻掻いてみせただけ。
そう、それというのも今、少女は腕の自由が利かなくなっていた。
なぜなら少女の腕は右腕は通常骨折、左腕は複雑骨折というひどい怪我を追っている。
「義姉さん、あんまり暴れると強い痛み止めも効かなくなるから!」
黒髪に月光輝き、夜の月の調べのように美しい少年が思わず注意をした。
「……お嬢様、本当に申し訳ありません。この体に竜の身体がまだ馴染まず、体力も底をついて不甲斐なくもろくな治癒魔法も施せませんでした……」
長い長い銀色の睫毛を震わせ、天使も目を瞠る美少女……いや、美少年が怪我をした少女に青い顔で深く詫びる。
この世界の法則は、魔法は魔力があればあるだけ使えた。
……だがそうは言っても、それも本人の気力体力が十分で脳ミソが回る状態なら……という前提条件があり、思っている以上に心身と能力は直結しており相当にデリケートだ。
何かが欠けた状態でうっかり無理をすれば、脳の内部でショートを起こして脳は焼け、ひどい後遺症や精神疾患、下手をすれば命を落とし、それどころか周りを巻き込んだ大災害が起きる可能性すらある!
……それは、本来、魔法は無限の利便性や威力に比例するように、命や自我を削るものだからだ……。
それをわかっているからこそ、自分の未熟さを自覚し、銀髪の少年はあまりに口惜しくて歯噛みをする。
だが、少女はそんな様子に対して、ニヤリっと口の端を上げみせた。
「何を言っているの? 骨が折れただけで済んで私ってツイてるよ! だって『今回で腕と脚と、目玉くらいは軽く持ってかれちゃうなあ~』と本気で思っていたんだもん!」
少女はそう言い終えると、わざと、はっはっはっ! と大仰に演技がかった愉快そうな声をあげて笑っている……。
「……それを想定に入れて、なお最初は一人で行こうとしてただなんて、ほんとに正気の沙汰じゃないし、あり得ない……義姉さんには危機回避能力があまりに欠落してる!」
黒髪の少年は眉を吊り上げて、そんな非常識な少女を睨んだ。
「え、だって……『ようは無駄死にしに行くようなものだけど……あなた達も来ちゃう?』とはさすがの私も誘えないよ!」
「僕らがいなかったら冗談抜きで死んでたよ!? それこそ髪一本残らない状態でね……!!?」
そのことを想像して目の端が潤み、後半は彼の声が掠れている。
「義姉さん……アニエスは、僕らがどれほどアニエスを大事に特別に思っているのかが、まるで理解できてないんだから!!」
ぽろりと一粒、少年は柔らかな頬に涙をこぼした。それに対し、少女……アニエスはふざけるのをピタリと止め、真剣な表情になる。
そして視線を真っ直ぐに黒髪の少年……エースに向けた。
「エース。二人がどんなに大事に思って大切にしてくれているかを私はわかっているつもりよ……。ただ同じくらい、私が二人を大切に思っていて、これでもそれなりに考えて出した結論だったの。……どうかそれを、わかって?」
アニエスは労わるように思い遣るように、柔らかい静かな声で話す。
「……とはいえ、やっぱり私って本当に自分勝手だよね。そう言いながら行く途中で二人が来てくれたらな……って、たぶん頭の片隅ではそう思っていたのだから…………矛盾している。本当にごめんね。……私がこうして無事に生き残れたのは、エースの言う通り、エースとアレクサンダーの二人が私と一緒に来てくれたおかげです」
アニエスは正座の様な姿勢で二人に礼を尽くすように座り直した。
改めて真っ直ぐ二人を見つめてから、頭を下げる。
「来てくれてありがとうございます……二人こそ私の命の恩人です!」
そう深々と下げられた頭を見つめ、それに二人も応えるように姿勢を正して返した。
「お嬢様の智慧や力がなければ、僕やエースも危険でした。助けられたのはお互い様。お嬢様は確かに無茶と無謀が過ぎます。いつもいっつも……!! ……とはいえそれでも今回得たものを考えると……」
そう言いアレクサンダーは自分の手首。それにつられたようにエースも自分の手首を、それからアニエスは足首を見る。
「けど、認めたくないですが、妥当以上なのではないでしょうか?!」
「ははっ、歴史を作っちゃったんだよ僕等!?」
「史上最年少と……三人全員歴代の十人の枠に入る感じだよね!?」
三人はお互いを見比べ、にっと笑った。
「私たち今日から本物の『ドラゴニスト』ね!!」
この偉業は子供とは思えぬ、血吐き、顔を背けるような苦しく汚く痛く辛い、際限のない努力の日々が、本日、一つの形としてようやく最大の結果を三人にもたらす結果となっている。
「でも、僕らはいいけど義姉さんはどうやって彼等をを使役するつもりなの?」
エースとアレクサンダーには竜の力の源となる魔力があるが、実はこのアニエスには、それが一切無い。
アニエスは黒髪の少年エースのその当然の質問に、けろりと答えた。
「うん、それなんだけど『魔符』を使うのがいいんじゃないかなと思ってるの!」
「…………え、でもお嬢様、魔符は非合法のものですよ?」
「だよねー? だから法律を変えようと思ってるんだあ!」
……アニエスがまるで、明日着る服を変えるかのようにそのことを話す。
アレクサンダーはそれに思わず鋭くツっこんだ。
「何、馬鹿なことを仰ってるんですか? やっぱり馬鹿なんですか?」
それに、アニエスはぷんすこと、ちっちゃい頬を膨らませ怒る。
「失礼な! それなりにちゃんと考えてるもん! よもや国全体の法律を、すぐに変えられるとは思ってはないからー!! うん……だからね? まずは公爵領内だけで合法化したいなと思ってるの!」
アニエスはしたり顔で続けた。
「いやだって……もともと魔符が非合法なのは、過去に人を隷属化させる、凶悪アイテムになってしまったからでしょう? なら……ようは最初から『人間隷属、絶対不可!』の呪いを魔符本体にかけて、農業特化仕様とか……介護や運搬、土木用とか……今度はちゃんと人の役に立つ健全仕様にすればいいだけだと思うの!」
で、結論として出した答えが……。
「そう、つまりは新たな『改・魔符』を公爵領が作ればいい! ただそれだけ!!」
しかし、そんなアニエスの意見を聞いても二人の顔からは不安は一向に拭われない。
むしろ不安は先程より一層濃くなった。
「……仕様を変えるのはそんな簡単じゃないと思うし、そんな許可が果たして下りると思う? 国は元々一領地としては力を持ちすぎている『ロナ』の力を抑えようとしてるのに……」
そうエースは難色を示した。
だがアニエスはそんな事はとっくに想定済みで、先ほどから見せる自信ありげな表情に一切陰り曇りはない。
「ふっふっふ、まあ、それも交換条件次第というところでしょう……。ただ、お忘れかな皆さん? 私達は今、最強カードを所持しているということを……! そんな相手を国もそうは無下には出来ないと私は踏んでいるのだけど……?」
それを聞き、エースは驚きに目を見開く。
「ドラゴンのこと国に報告するの!?」
「うん、した方がいいと思う! ……だって、のちのち明るみにでもなれば公爵家は反逆どころか『世界征服の意図あり!』と囚われかねないじゃない?」
「……確かに、一公爵領内に三柱の始祖竜が集中するとなると、世界征服してもおつりが来る力。あらぬ疑いを招きまかねませんね」
「でしょう? だから私は人質として王都に赴くことになるわね。きっと!」
「「!!」」
「あるいは……ここの三人全員とか?」
アニエスは、あっけらかんとした様子で、自分が囚われの身になることをここに宣言する。
「けれど二人は十二歳だから、いずれにしても伝統ある王立名門の寄宿舎学校に近々入学して、専門的学問や魔法を勉強するために、王都に行かなければならないでしょう? だからたぶん、二人の生活環境はほぼ想定と変わらないように、配慮がなされると思う!」
アニエスは自分たちの今後の未来を、事前に予想推理していた。また、アニエス本人はというと……。
「対して私は女だから寄宿舎学校には入学できないし…………社交界デビューの年齢でもない。ゆえに人質になるなら、過去の近い事例からみて『王宮宮廷行儀見習い』という形で、きっと王宮に呼ばれるんじゃないかな? でも、そうなれば二人と遠く離れずに暮らせるわけだから……考えてみれば、これはそう悪いお話でもないと思うの!」
アニエスが「そうでしょう?」と言わんばかりににっこりと笑う。二人はそんなアニエスの顔をしばらく見つめた後。
「お嬢様……もしやそれも計画に入れて実行していたのでは……?」
新たに浮上した疑惑をアレクサンダーが口にした。
それにアニエスは急にあわてて弁明しようとする。
「べ、別に、そういうわけでは……」
流暢に説明していた口調が急にしどろもどろとなり、アニエスは口ごもった。
見ると耳まで真っ赤に染まっている。
「だって! ……二人はずっと一緒だから、寂しくないかもしれないけど、私はその間、公爵家の二階全ての子供部屋で、たった一人で過ごさなければならないんだよ? そんなのあまりに寂しい……なんて、子供ぽくて甘ったれているって、やっぱり二人はそう思う……?」
ぽつりぽつりと話し、アニエスは二人の様子を窺う。
すると二人は、何故かうっと息を詰まらせて顔を真っ赤にした。
「そんなの……そりゃ寂しいよ!? ……でも次期公爵として、そんなワガママは許されないし、余計なことを言わないよう努めていただけで……!」
「僕だってエースと同じです! お嬢様とは離れ難く……ですが、いずれ子爵家を継ぐには教育が必須。数年間あえずとも、この先お嬢様のおそばにいるために自分の気持ちには固く蓋をしていました。……本当は僕だって寂しい!!」
二人の言葉を聞き、アニエスの表情が日差しが差すように晴れ渡り、目も眩むほどの輝く笑顔になる。
「なんだ! 二人も同じ気持ちだったんだね!」
その笑顔は二人の少年達の心に、猛烈な矢のように降り注ぎ、その衝撃に彼らの息さえできなくする。
「本当にずるい……」
「奥様がお嬢様はもしかして魔性ではないかと、大変危惧しておいでだったのを思い出しました……」
ニコニコと笑うこの少女に振り回されている自覚は二人にも無論あった。
けれどわかっていても、離れ難い。
ひどい相手に、初恋を奪われた自覚は十分にあり、また自分の隣に座る親友も、まったく同じ気持ちなのも承知済み。
それでも二人にとっても、三人一緒の時間はかけがえのない幸福な時間なのだ。
どこかで『これからも、これがずっと続けばいいのに』とモラトリアムを望んでいる。それが思いもよらない形で叶うことになり、二人は正直いまとても喜んでいた。
そして、しばらくして展開はほぼアニエスの予想通りとなる。
二人は軍と寄宿舎学校に、アニエスは王宮で王女付きの行儀見習いという、対外的建前のオブラートに包んだその人質生活を、思春期全般を通し、共に過ごさねばならなくなったのだった。