5、写真撮影と三人のドラゴン ※あとがきに【おまけ閑話】あり
「お嬢様、手袋はこっち……いいえ、こちらの方が――」
アニエス専属の侍女が、写真撮影の直前まで細やかに身支度を整えている。
だが当の本人は、朝から続く……テニス、謁見準備、そしてデビュー本番――。
すべてを終えて仕上げに甘い物まで食べたせいか、今は椅子にその身を沈め、うつらうつらと舟を漕いでいた。
「……お嬢様。起きてください。あと少しです」
そう言って彼女の肩に手を触れたのは、銀髪の少年だった。
赤と碧が交差するアレキサンドライトの瞳。
恐ろしく整いすぎたその顔立ちは、見る者が膝をつき、その奇跡に畏怖し、早々に信仰と布教を始めても何ら不思議ではない。
「……アレクサンダー……でももう……瞼が……」
「この有様なら、さっさと負けるのが正解でしたね。申し訳ありません」
「は!? 何それ? それしたら絶交だからね!!」
一気に覚醒したアニエスが思わず噛みつく。
「貴女は今日から成人でしょう。……子供ですか?」
呆れたように肩を掴み、軽く制止される。
「だって今日も手加減したでしょ! アレクのばかー! 超美人!」
「怪我をされたら困ります」
「……しないわ!」
「いやいやテニスコートの地面に、ボールの焦げ跡が模様になってたよ義姉さん」
「エース、どっちの味方よっ!?」
そこに割って入ったのは、もう一人の少年。
虹色に輝く黒髪、吸い込まれそうな青紫の瞳……。
アレクサンダーが光の美を体現するならば、彼は心や精神まで全て奪う、深き闇を現す美貌だった。
「まあまあ。今日は義姉さんの晴れの日なんだからさ!」
この二人が並ぶと、空間そのものの“美の平均値”がぶっ壊される。
そう……絶賛されていたアニエスの美貌が、うっかり背景と同化すほどに……。
そんな二人はアニエスが屋敷へ戻ってからというもの、ぴったりと影のように彼女のそばを離れない。
銀髪の専属従者――アレクサンダー。
アニエスと同い年でありながら、常人の域を超えた魔力を持ち、近く名門子爵家の跡取りとして迎えられる運命にある少年。
そして、義弟のエース。
同じ年に育ち、同じ時を過ごし、やがてロナ公爵家を継ぐ者として迎えられた少年であり、その魔力もまた規格外。
当たり前のように三人はずっと一緒だった。
幼馴染み、姉弟、悪友で戦友――その全てを担う特別な関係。
何をするにも相手のことなら阿吽の呼吸ですぐに分かる。
「俺はさ、いつだって義姉さんの味方なんだよ?」
「ウソ。恋人ができたら、私なんてすぐ後回しになるくせに!」
「ならない。義姉さん以上に好きな人なんて、この世にいないもん」
「……そんなの、ある日突然変わるものよ。朝起きたら、って」
「……お嬢様。僕も最優先は常にお嬢様です。目を離したら何をしでかすかわからない貴方を放って、他の女性を見る余裕など……一生ありません」
「ええ……ちょっと、二人とも? それ、優良で健全な男子としては、だいぶ人生の迷子になっていない?」
大切にされているのは、嬉しいし理解もする。
けれど姉として、主人としては、その返答はちょっと不穏で胸がざわついた……。
「はあー……義姉さんは、本当に何もわかってないよね?」
「ええ。致命的なほどに……」
「え、何なに、ひどいわ! 今日の主役は私よ? これでも一応!」
ふてくされた声に、二人は顔を見合わせ、どこか余裕があり実に楽しそうだ。
「ほら、前を向いて。もう限界でしょ?」
「撮影が終わったら、すぐ寝ましょう。子守唄ならいくらでも」
「……どうして、いきなり子供扱いなの?」
文句を言うが、実際にこの眠気には抗えない。
アニエスは素直に背筋を伸ばし、カメラの方を向いた。
その瞬間――胸で、何かがほどける。
(……そうだ。私たちは、ドラゴニスト)
そう簡単に恋をして、簡単に未来を選べる立場ではなかった。
アニエスは『魔力無し』で不人気だからあまり考えなくてよいとして……二人は人気者ゆえに、きっと将来、迷うに違いない。
十二歳の時から、この三人は“竜”と共に生きている。
祝福されし力と、逃れられられない檻。
自由はある。
けれど、未来――特に“結婚”という選択には、必ず影が差すだろう。
(それに巻き込んだのは―――他でもない私)
だからこそ、アニエスは心の中で二人に謝罪せずにはいられなかった。
やがて撮影は、三人で、個人で、家族で、使用人を交えて滞りなく、満足のいく形で終わる。
その後の賑やかな祝いの夕餉も終わり、笑い声が遠ざかると、屋敷には夜だけが静かに残された。
その頃――。
湯浴みを終え、薄い寝間着に着替えたアニエスは、一度だけベッドに身を沈める。
ごろん……ゴロンゴロン。
だが、なかなか眠りは訪れなかった。
今日一日、胸に溜め込んだ想いが、どうしても暴れて静まらない。
「………………」
デビュタントとなった今夜から、彼女は社交シーズンのあいだ、王都のロナ家タウン・ハウスで過ごす。
本来なら、エースとアレクサンダーはすぐに学校のへ戻るところだ。
だが今夜だけは特別に許可を得て、この屋敷に泊まっている。
「…………よし」
それを知るアニエスは、そっとベッドを抜け出した。
向かった先は、アレクサンダーの部屋。
扉に耳を当てると、静かな声が二つ届く。
うん。予想通り、二人は課題に取り組んでいるらしかった。
アニエスは軽くノックをする。
扉が開き、室内の灯りが廊下に流れ、光の線になった。
「……やはりお嬢様でしたか。こんな時間に、レディが男の部屋へ来るなど――!」
「エースもいるのでしょう? 少しだけ、お話がしたいの」
しばしの沈黙のあと、アレクサンダーはすっと奥へ引っこみ、戻ってくると、厚手のガウンをアニエスに向けて差し出す。
「……着てください。でなければ入れません!」
「初夏よ? 暑いわぁ!」
「……変に襲われるよりはマシです」
「ええ? 恐ろしい野獣でも飼ってるの?」
「まあ、一柱は身内にいますね……だけど問題はそっちじゃない!」
有無を言わさず羽織らされ、細い腰に帯が二重に結ばれる。
その仕草はわざと粗野にぶっきらぼうだったが、なぜか彼は少し緊張しているように見えた。
「これで、いい?」
くるりと回り、軽く上目遣いで尋ねると、アレクサンダーは視線を逸らしたまま赤くなり、すぐには答えない。
……とりあえず、これは拒絶ではないと判断しよう。
アニエスは都合よくそう結論づける。
「お邪魔しまーす」
「は〜い……次回からここは立ち入り禁止でーす!」
「……えー、エースもいるのに?」
「まあね? そのかわり俺の部屋はなら大歓迎だよ!」
「……却下だ、ド阿呆!」
アレクサンダーがエースのその計画を阻止した。
軽くじゃれ合う二人を横目に、アニエスはアレクサンダーの使い慣れたベッドにギシッと腰を下ろす。
「椅子に――」
「どっちも同じだわ。それに、アレクサンダーの匂いがして落ち着くんだもん」
アニエスがそう言ってベッドに身を預けるだけで、空気が変わった。
無防備に目を閉じ、呼吸に合わせてその胸が上下する。
その姿が周りの心拍にどう影響するかなんて彼女は知りもしない。
「……本題を話すね」
そして、彼女が再び目を開くと、唐突に話がはじまる。
その声は驚くほど静かだった。
「ごめんなさい。私のせいで……無理にドラゴニストにして、自由を奪って」
「「……」」
「償えるだなんて思ってない。……でも、私に出来ることなら何でもするつもりなの。私は今日から大人なのだから、多少のどんな無理だって――!」
覚悟ゆえに……言葉が詰まる。
灯りに透ける白金の髪。
化粧を落とした素肌は、むしろ危ういほど鮮やかで……潤んだ瞳が、まっすぐ二人を見つめる。
――無自覚な献身。
それが、最も危険を孕んでいた。
アニエスの言葉にそんな含みは無いと二人は知りつつも、体温が勝手に上昇する。
喉が渇き、心臓が耳のすぐ横で激しく打った。
「……お願い。言って?」
長い沈黙。
けれどやがて、エースが大きく咳払いをした。
「あー……アニエス。忘れているようだけど……俺たちは勝手について行ったんだよ?」
エースがアレクサンダーをチラリと見ると、アレクサンダーも同意して頷く。
「そうですよ。責任を背負うのは、だから当然の僕らの役目です」
「でも、人質になるって言ったのは――!」
「それも正解でした。隠し続けるなんてきっと出来なかった」
「そうそう。今の方が、なんだかんだお気楽で自由だしさ?」
重なる言葉に、アニエスは何だか拍子抜けしてしまう。
「二人とも私に甘すぎるよ……でも……そんなのは……やっぱり」
そう言ってアニエスは立ち上がり、息を一度大きく吐いて床を見つめてから顔を上げ、ぐっと胸を張った。
また息を吸っていよいよ口を開く。
「なので、改めてここに宣言いたします! 何かあったら、無理難題、何時でもこのお姉さまに………任せなさい!?」
「「……」」
宣言のあと、暫くの間をとって返ってきた返事は……。
「……ポンコツが何を言ってるんですか」
「もうちょっと“大人しく”しようね? “大人“なだけに……」
「二人とも全然、本気にしてないでしょう!? ひっど〜いっ!!」
こうして最後に三人の笑い声だけが、夜の星空に小さくこだました。
◇◇
――いつからか、時と万物を司る神に等しき存在、それを皆が“竜”と呼んだ。
また、かつて彼らと契約した伝説的な人物を人々は畏敬の念を持って『ドラゴニスト』と称した。
その『ドラゴニスト』に……たったの十二歳で至る“人類最終兵器”とも呼べる少年、少女等こそ、このアニエス、エース、アレクサンダーの三人。
自ら望み、彼らは“国家の人質”となる。
そんな三人を軸にした、“恋と呪いと青春”の数奇なる運命……それをこれより最初から振り返りたい。
それでは……この壮大なる竜たちの物語のはじまり、はじまり!
十六歳の彼らはいったんここでお別れ。
次回からはアニエス達が十二歳の頃からのお話がスタートいたします。
【おまけ閑話・写真の仕上がりとアルバム整理】
エースは現在、深刻な顔でテーブルを睨んでいた。
そこには――先日発売された、デビュタント特集一面飾りの新聞が三社分。
そして、それとは別に、屋敷で正式に撮影された写真の束と、それを整理するためのアルバム。
「……うーーーーーーーん」
唸り声は、完全に悩める男子のそれである。
そこへ、多目的室に用があって通りかかった寄宿学校の学友が声をかけた。
「おーいエース! どうしたんだよ? 珍しく険しい顔して」
「ああ……うん……ちょっとね」
「あ! その新聞、俺も見たぞ! すごかったよな! アニエスさん!」
学友は親指を立てる。
「めちゃくちゃ綺麗だった! 正直、見た瞬間二度見した!」
「……だよね?」
「いや、ほんと。ロナ公爵家、恐るべしって感じ」
「……だよね?」
エースは何度も頷く。
「ははは……っていうかさ、相変わらずの超シスコンぶりだな?」
「いや、今回はそういう話じゃなくてさ……」
「え? じゃあ何?」
学友がテーブルの上に視線を落とす。
「……で、そっちの写真の山は何?」
「これ」
エースは無言で、屋敷で撮られた写真を数枚、すっと差し出した。
「……ん?」
学友は写真を見て、首を傾げた。
「…………何だこれ?」
「だろ?」
「え、もしかして『コレ』……アニエスさん?」
「うん」
学友は写真をひっくり返し、もう一度見る。
「……全部、半目じゃない?」
「うん」
「顔色も、なんか……やたらと悪くない?」
「うん」
「……え、待って。まさか……」
エースは重く頷いた。
「全部、これなんだ」
「ぜ、全部!?」
学友の声が裏返る。
「いやいやいや!? さっきの新聞と全くの別人じゃん!?」
「それなんだよ……」
エースは頭を抱えた。
「何であの人、隠し撮りとか自然な写真だと完璧なのに……」
「……」
「かしこまって“撮られてる”って意識した瞬間、こうなるんだろう……?」
写真の中のアニエスは、どれもこれも絶妙に眠そうで、微妙に力が抜けていて、姿勢も真っ直ぐなはずが歪んで不安を誘い……ひたすら残念で――でも、妙な愛嬌があった。
「意識しない方が美人って、どういう仕様なんだよ……」
「……いや、それはそれで可愛いと思うけど?」
「まあな?」
エースは、ふっと笑った。
「こう……完璧じゃないところがさ?」
「……」
「ほんと、うちのアニエスらしいっていうか……愛おしいというか……?」
そう呟いてから、ふと別の写真に目を落とす。
「……あれ?」
よく見ると――写り込んでいた母親の写真も、どこか同じ雰囲気だった。
「……え」
「なに?」
「ちょっと待って……もしかして、この“残念さ”って……」
エースはゆっくりと顔を上げる。
「……遺伝?」
学友は吹き出した。
「ははは! そんな馬鹿な――」
「いや……」
エースは真剣だった。
(昔から薄々思ってたけど……)
神の愛玩人形。
幻影の佳人。
妖精の王と謳われるエルフの血筋。
(……もしかして、エルフって……)
やっぱり……実はかなり『致命的に惜しい』種族なんじゃ……?
エースは一瞬黙り、頭を抑え、フルフルと振り、失礼な考えをいったん外へと追い出す。
そしてエースは一呼吸つくと、改めて新聞を見て、その一面をそっと撫でた……。
「……まあ、どんな顔でもさ」
「?」
「俺にとっては、一番可愛いんだけどね……」
そう言って、少し照れたように笑う。
学友は肩をすくめた。
「はいはい、ごちそうさまでした!」
「なにが?」
「え……まさかの自覚無し!?」
こうしてエルフが多大に失礼な疑惑を抱かれつつ……エースによって写真は丁寧に、まるで壊れ物を扱うように、アルバムへと収められたのであった。




