4、宣伝広告と謀略
デビュタントたちの拝謁――デビューは、つつがなく終わった。
それに合わせ、王宮に集まっていた新聞記者たちもそれぞれ自分の巣――新聞社へと引き上げていく。
でも、すでに夜も深い。
何人かが帰社する前に、夜遅くまで灯りが消えない馴染みの店へと足を向けていた。
その中には、先ほど王宮で一人の少女にすっかり心を奪われたあの二人の記者の姿もある。
厚切りのジャガイモをカラリと揚げ、衣をまとった大ぶりのタラの身を添えた皿を頼む。
塩を振り、甘めのタルタルソースとモルト・ビネガー。
眠気覚ましに、濃い目の紅茶。
記者たちはそれらを注文すると、テーブルの上にフィルムケースを並べた。
「……さて、と」
年嵩の記者が息を吐く。
「明日の朝刊……出来れば遅くとも夕刊! 『デビュタント特集』は“鮮度”が命だからな」
「スポンサーの確認が終われば、すぐ一面だな?」
「…………終われば、な」
記者たちは互いに苦笑する。
社交シーズンのデビュタント記事は、よく売れる。
それ以上に――金になる。
令嬢たちの実家が、こぞって新聞社のスポンサーに名乗りを上げるからだ。
だが、それは単なる親ばかではない。
「結局さ……」
若い記者がポテトを摘まみながら言った。
「デビューって、“売り出し”だよな」
「身も蓋もないが、……それが真理!」
年嵩の記者が頷く。
「成人のお披露目であり、同時に上流の婚活市場への正式参入。……だからこそ、顔が売れることが何より重要になる!」
貴族社会では、基本的に所領も財産も長男が継ぐ。
それ以外の子供……とくに令嬢が将来の身分と生活を守る手段は、ほとんど一つしかない。
「――良い結婚、だ」
もちろん『例外』はある。
だが“奥ゆかしく、家庭を守る貴族令嬢”という価値観は今なお根強い。
「だから新聞に載る写真は、婚姻市場での名刺みたいなもんなんだよ」
「……なるほどなあ」
若い記者は広げたフィルムを何気なく覗き込み――言葉を失う。
「……なあ」
「どうした?」
「これ……全部、使えるんだが」
フィルムに写る少女は、どの角度から切り取っても完璧だった。
堂々とした姿勢。
気品。
隠し撮りに近い写真なのに一切、破綻がない。
「普通さ……一枚か二枚だろ。使えるの?」
「どんなプロのモデルでもな」
若い記者が思わず呻く。
「……美人すぎるだろう!? しかも“ロナ”だ」
「ああ、でも載せられない……」
「スポンサーじゃないからな」
悔しそうに、若い記者が続けた。
「なあ、このフィルム……個人で引き取っちゃダメかな?」
「おいおい、職権乱用だぞ?」
「捨てるよりマシだろ?」
「……まあ、な」
二人がそんなやり取りをしていると――隣の席から、静かな声が割り込んできた。
「……もし、よろしければ」
二人が振り向く。するとそこには一人の中年の紳士が立っている。
整えられた口髭。
落ち着いた所作。
控えめだが、質の良さが隠せない服装。
反射するほど磨かれた靴。
――怪しい。
だが、同時に妙な説得力があるのは何故だ?
「その写真の広告料を、こちらで全額お支払いしましょう」
「……はい?」
「次の朝刊一面。もしその少女の写真を使っていただけるなら――」
男は、さらりと言った。
「さらに向こう一年分の広告費も、まとめて保証いたしますが?」
二人の記者は、息を呑んだ。
「い、いやいや……あなたの身元は!?」
「ああ当然、確認されますよね!」
そう言って上体を前かがみにした男の懐からは、“ある紋章”のバッジが覗き、そこには“高貴”の青地と獅子の図柄が見えた。
さらにその奥から決定的な『証拠』が現れる……。
それを見た瞬間、二人の顔色がザッと変わった。
(おいおい……国璽とその特徴あるサインといったらお一人しか―――!?)
「……では」
男は穏やかに微笑む。
「具体的なお話を。――主に、契約とビッグマネーについて……?」
◇◇◇
『……ノートン様、ご指示通り、最後の新聞社も押さえました』
「よくやりました。ご苦労さまです!」
青年はその報告を受け取ると受話器を置き、メモのリストの最後に横線を引いた。
すると彼はそのまま急いで、続き間の兵士の前を素通りし隣室の扉を勢いよく開く。
その目に入るのは、まず亜麻色の髪とエメラルドの瞳。
人懐こい笑みを浮かべた青年がそれに応えるように、椅子をゆったりと回して、こちらを振り返る。
「予定通りだな、ノートン」
「……ええ。ですが、正直、綱渡りです」
「ふふ」
青年――セオドリック王太子は実に楽しげだった。
「明日の朝刊、王都中がアニエスの顔で埋まる。考えただけで実に愉快だな!」
「ロナ家が勘付けば、問題になりますが……」
「大丈夫だ」
セオドリックは余裕たっぷりに即答する。
「あの家は、こういう“露骨な宣伝”には飛びつかない。そこは調査済みだ!」
ノートンがため息をつく。
「……相変わらず、用意、準備が周到なんですね?」
「当然だ。負ける気が無いからな」
セオドリックは長い指をゆるやかに組む。
「知名度が上がれば、次は評価だ。『魔力無し』でも、能力があることはいずれすぐに広まる」
「そうなれば……」
「『王太子妃候補』として、国民が期待する流れが生まれる」
ノートンは静かに頷いた。
「……見事な外堀の埋め方です」
「ああ、だが、まだ第一段階だ」
セオドリックが、鼻歌まじりに呟く。
「相手の想定外を突いて出し抜いた瞬間、物語は一番面白くなる。――そうだろう?」
ノートンは胃の辺りを押さえ、眉間にしわを寄せた。
「……ええ、おかげで医者に止められても、私は胃薬が手放せません!」
「王宮の嗜みだな。何なら私の予備もやろうか?」
この王太子は、アニエスが絡むと常軌を逸する。
だが――その狂気は、決して感情任せでは終わらなかった。
一度「やる」と決めた瞬間、彼の思考は最短距離で“成功”へと収束する。
「アニエスは私のものだ」
そこに迷いや躊躇は存在しない。
ノートンは理解していた。
この件に関わった以上、自分が途中で降りる選択肢など存在しないことを。
思わずため息が漏れるが、それでも、止めようとは思わない。
――だって、止められる人間など、最初から存在しないのだから。
こうして、当人の知らぬところで、アニエスの未来を巡る歯車は、静かに組み上げられていく。
それは決して偶然ではない。
未来の為政者の手によって、国さえ動かす、不可逆の盤面が今にも整おうと問答無用に進んでいた。
けれど、その一方で……。
「んー! これよコレ……これなのよ〜!」
アニエス本人はそんな事とは露知らず、甘いアークティック・ロールにようやくありつき、屋敷でのん気に舌鼓を打つのであった。




