57、四天王の内の二人と船の上
紹介予定の四天王のうち二人は別船にいるという。
アニエスたちは当然、小舟で船を渡るのだろうと考えていた。
しかし次の瞬間、甲板に淡い光が走る。
どうやら各船同士に転移陣が組み込まれているらしい。
さすがヴァルハラ帝国――その規模と技術に、思わず舌を巻く。
そこにいたのは、鮮やかなオレンジの長い巻き髪を背に流す、軍服姿の完璧な体躯を持つ美女。
隣には、ツーブロックの刈り上げに丸いサングラスをかけた、塔のように背の高い屈強な人物が立っていた。
二人からは、近づく前から圧を感じるほどの“只者ではない”気配が周囲に溢れていた。
「私を公私ともに支えてくれる四天王の内の二人。外交と外征担当の大使『ベアトリス・ポルシェ・ハーン』と、財務大臣『メルヴィン・ロイズ・ベントレー』です」
二人に対してもレティシア様に会った時と同様、身分や立場順にセオドリックから挨拶をしていく。
順番が順当に回ってきて、いよいよアニエスの挨拶の番になる。
「お初にお目にかけます。敬愛する帝国の外交大使ベアトリス様。財務大臣メルヴィン様。私はローゼナタリア国ロナ公爵家長女のアニエス・ロナ・チャイルズ・アルティミスティアと申します。お会いできて心より嬉しく思います」
アニエスが王宮宮廷行儀仕込みの最高峰の挨拶をする。
そんなアニエスに対して、二人はすぐに反応を返した。
「……アニエス!? それでは……」
「へえ、ではこのお方が……!」
今まで立場に合った冷静で大人の振る舞いを貫いていたお二方が前のめりに興味を示す。
アニエスが顔を上げると何とすぐ目の前にベアトリスの顔があった。
「ふふふ。陛下にお話を聞きし姿形は陛下が作る造形物で見知っておりました。一度は本物をこの目にしたいと思っておましたが……。まさかこんなに早くお会いできるなんて、喜ばしい限りですわ!」
アニエスはパーソナルスペースをいきなり侵攻してくる貴人にドギマギとした。
おまけに近い近いと思っていた顔は、一向に止まらず、ついには……!
「かわいい♡ ちゅっ」
――ついには、距離ゼロ地点にまで、その距離を縮めてしまった。
にゃっ!? とアニエスはいま何が行われたのかが理解できずに完全にフリーズした。
周りも突然のことに驚き固まっている。
「んふふふふふ。反応もなんて無垢で可愛いのでしょう! 初な子はやはりたまりませんね!」
それに対して、一緒に紹介されたメルヴィンが怒鳴った。
「ベアトリス! 失礼であるぞ!? アニエス姫が固まってしまったではないか!」
ずんずんと歩いて前に出て、ベアトリスの首根っこを掴んで無理やり離す。
どうやらこの人物はまともな様だ。
「あとそれから、陛下が……陛下が……先程から、怒ってらっしゃる気配を感じる!! マジで止めろ!」
「陛下ったら……たかだか味見したくらいで大げさですわ?」
「ベアト、後で話がありますので、私の部屋に来てくださいね?」
それに「はーい」とベアトリスは明るく答えている。
「大変! 陛下にお仕置きされてしまうわ〜♪」
固まっていたアニエスは、ハッと意識を取り戻し二、三歩後退して距離を取った。
「女性の方……ということは、陛下のその……妃か親しき関係でらっしゃるのですか?」
それにベアトは人差し指を口に置いてウィンクする。
「ふふ、いいえ、陛下は先進的な考えの御方。王宮の中枢を担う官僚や役職。大臣にも数多くの女性を起用しておりますの。……まあ、中でも一番の出世頭は私でしょうけど? 頑張って稼がないと! なにしろ私は八人の夫と一人の妻を養わないといけませんから!」
礼儀や立場を重んじるタニアが、その話にはつい驚いて、声を上げてしまった。
「は、八人の……夫!? 妻!! 帝国が進んだ考えなのは学んで多少は存じておりましたが……」
「そうですよ? 帝国は色んなチャンスに溢れて面白いところです。是非、皆さん一度遊びにいらしてくださいね? 特に妹君のアニエス姫。……是非ぜひ一度帝国にいらしてください。心より歓迎致します!! ……まあ、一度帝国内に入ってしまったら、陛下が二度と外にはお出しにならないかもしれませんが?」
アニエスは苦笑いで頬の痙攣をおさえつつ応える。
「私は未熟で、国内でまだまだ色々と勉強しなければならない身にございます。……ですから国外にはあまり……まだ……」
そう、やんわりとお断りした。
「まあ、真面目ですのね! それは、結構結構! 努力は大切ですもの」
そんな二人の前にレティシアが、スッと間に割って入る。
「……少し興奮しすぎですよベアトリス? 客人を困らせるものではありません。それにそんなことではアニエス様にも嫌われてしまいますよ」
「あら失礼、それは困りましたね。……アニエス姫様。どうか無礼の数々お許しください。本当にお会いできたのが嬉しかったのです!」
レティシアに促され、まるで先程とは別人のように、ベアトリスはキリリと締まった凛とした態度へと変わった。
アニエスは相手がわざわざ頭を垂れるのを見て、慌てて止めに入る。
「いえ、その、かなり驚きはしましたが……悪意が無いのでしたら、今回はお互いに無かったことにしましょう。どうぞ面をお上げください」
「何と慈悲深い……流石は、陛下の妹君であらせられますね」
「あ、あと、あの……私はベアトリス様より下位の身分ですから……どうぞ、そのように謙らずに、下位の者に通常接するようにどうか接してくださいませ」
それにベアトリスは首を横に振る。
「そうは参りません。アニエス姫様は陛下の妹君であると同時に、未来の皇帝陛下の皇后なのですから」
アニエスがそれを聞いて、目と口を大きく開け、息をするのを忘れた。
「…………!? そんな事実無根のデマは、いったいどこでどうして?? ……私は初耳ですが?!」
「帝国でも、陛下がアニエス姫様に入れ込まれているのは国民にとってはもはや常識です。その中でも未だ少数派ではありますが……アニエス姫様を皇后にと推す声もその絶対数は少なくはありません!! まあ私も、その一人でございますから!」
「こ……国民の常識……!? こんな気狂いな考えが? しかも私を皇后にという声……?」
アニエスはパクパクと口を開け閉めし、先程から尋常ではない汗が噴き出している。
「い、いくら……何でも帝国は先進国過ぎやしないでしょうか!?」
「朕は国民には嘘は付けないのですよ。アニエス?」
「世の中にはつくべき嘘と常識があるのではないでしょうか!? 私はそれを今とても痛感しております……あ、駄目だわ……アレクサンダーお願い。支えて!! 今にも倒れそう……」
アレクサンダーがすぐにやってきて、アニエスの肩を両手でしっかり支えた。
アニエスは呼吸が速くなり、頭がぐるぐるとして酸素が上手く脳まで回っていかない。
「お嬢様! どうかお気を確かに!! ……どこかに座りますか?」
「いえ、……いいえそれは、大丈夫。急に船酔いがしては来た、けど……堪える……わ」
「……申し訳ございません。私はお嬢様の第一従者のアレクサンダー・ライザーマンと申します。陛下、レティシア様、ベアトリス様、メルヴィス様、お嬢様を少し横にして……休ませても宜しいでしょうか!?」
レティシアがそれに、いち早く反応をする。
「そちらにも医務室があります。とりあえずそちらに一度、横にさせましょう!」
「ありがとうございます。お嬢様、運びますね?」
「ごめんなさい。ありがとうアレク……」
アレクサンダーは両腕に青い顔をしたアニエスを抱えると、急いで医務室へと向かう。
「お嬢様気分が悪いようでしたら、汚れても僕は構わないので、どうか我慢なさらないでください!」
「そ、そんなわけには……うっ、ううっ!!」
しかし、アニエスは急激に立ち上ってくる胃の強烈な内容物に顔を歪ませた。
「お早くこちらに!」
しかし、急ぎに急いで揺れたのが良くなかった。
プツン……と何か自分の中の堰が切れる音が聞こえた。
「う、うおええっ!!」
とアニエスは口の中を吐き出す。
唯一まだ良かったのは朝ごはんはまだ口にしておらず、今朝飲んだお茶だけが胃に収まっていたことであろう。
アニエスの視界はすっと遮断され、そのまま意識を失ってしまった。
◇◇
「気が付いた? 義姉さん」
アニエスは一瞬、自分がどうして横になっているのかわからず目をパチクリする。
エースが心配顔で覗き込み、冷たい水で絞った布でアニエスの顔を拭ってくれていた。
「…………」
呆然として、喉がヒリついて上手く声が出ない。
「あんな話を聞いてしまえば、そりゃあ吐き気の一つも催す」
そう言ったのはセオドリックだった。
「……吐き気? あ、はっ!! ……私、……わたくし!!」
アニエスは真っ青になり顔を両手で覆う。
(私は、衆目ある場でなんてことを――――!!)
それから次第に回りだした頭で記憶をたどると、盛大に吐いたのは確かにアレクサンダーの腕の中だった。
「……!!」
「お嬢様お気付きになられましたか? ご気分はいかがですか? いま砂糖湯(※経口補水液のようなもの)をお持ちしました。身体も少し温めた方が良いので……っお嬢様!?」
アニエスは膝を抱え、うっうっと嗚咽を漏らして泣き出した。
「わ、わたくしは、な、何てことを……ご、ごめんなさい……アレク」
アレクサンダーは嗚咽に揺れるアニエスの肩をさすってやりながら声を掛ける。
「何を言ってるんですか……あんな時に我慢できる人間なんておりません。僕は服も着替えましたし全然なにも問題ないです」
「けど……けど…………!!」
恥辱に涙が止まらず、アニエスは顔を赤くしてシャックリが止まらない。
「義姉さんアレクの言う通りだよ。すごい酷い顔色をしていたし、本当にすぐに目を覚ましてよかった。もっと酷いかと心配だったから……いったん別荘に戻ろうか?」
「………………」
「アニエス、そんなに気にするな。船に乗ったら半分の人間は大抵吐く。私も、海軍の教練で何度も這いつくばって吐いた。……この王太子で国一番の色男の私がだぞ? ……だから、君の今回のことなんて船に乗りなれた者にしてみれば、日常茶飯事のほぼ習慣だ。汚れたものは洗って済むのだから、全然取り返しのつかないようなことじゃない」
「………………」
しかし優しくされればされるほど、早く止めなければいけないのに涙が溢れてしまう。
「……そうですね。汚れたものは洗い流せばよいのです」
その声に振り返ると、そこにいたのはレティシアだった。
「でしたら……温泉に行きませんか?」
「「「はっ?」」」
アレクサンダー、エース、セオドリックが考えるよりも先に思わず聞き返す。するとレティシアは……。
「聞けばカサンドラは温泉がいくつも湧いているとか……? どうせ綺麗にするのなら心も気分もさっぱりした方が宜しいでしょう? それに……せっかく出来た妹なのですもの。裸でいろいろ語り合って仲を深めたいと私は思うのですが、いかがかしら? アニエス様……いいえ、アニエス」
それに、アニエスは顔を覆っていた手をそろそろと離し、レティシアを赤い目で見つめた。
「いま陛下が転移陣を甲板に作っています。皆で参りましょう? ……きっと陛下もとても反省しているのですよ。わざわざそんなことをされているんですから」
レティシアの後ろから、タニアとノートンもひょいと顔を出し加勢する。
「そうよ、アニエス一緒に参りましょう? 私も温泉に行ってみたいわ!」
「アニエス嬢、カサンドラの温泉は万病にとても効能があるそうですよ! 心が病みに病む今、行かれないのは損ではないでしょうか?」
「~~~~~~~皆様、あんまり優しくされると涙が出過ぎて干からびて……一気にお婆さんになってしまいます!」
ようやく少し笑ってアニエスが返した。
「皆様ご迷惑おかけして、申し訳ありません……そして私はなんて……果報者なのかと実感いたしました。本当に、ありがとう……存じます……」
アニエスがすっかりいつも通りになり、ようやく皆ほっとして笑顔になった。
「では決まりです! アニエス……お姉さまには何でも話すのですよ……いいですね?」
「はい……」
ようやくアニエスは涙を止めて微笑む。
「はい、レティシア姉さま!」
アニエスは元気に声を張り上げ返事を返すのだった。
その後、皆は着替えや食事などを別荘の使用人に準備するよう言付けをして、また、マリオンも連れて来るよう伝言を頼む。
それから甲板に大きく描かれた転移陣に皆が入る様に指示を受けた。
「これほどの人数を、施設ではない転移陣で一度に遠方へと運ぶのですか!?」
タニアが驚いて聞くと、レティシアがいたずらっぽく笑う。
「陛下の転移陣はどんな時も精度百パーセント、例え千名乗っても大丈夫なんですよ? ……ですからどうぞご安心を! それと温泉に入り終えましたら、私たちは船に、皆さまは別荘に真っすぐお帰しいたしますので、現地ではゆっくりいたしましょう」
そう言い、まずは自ら転移陣に入って見せた。
皆も続々と円の中に入って、いよいよ転移陣が光を帯びると一瞬にして皆が陣からその姿を消してしまう。
それを、恨めしそうに近くの別の船から見つめたベアトリスはというと……。
「陛下の……いじわるーーーーー!!」
お仕置きで、お留守番を申し渡されていたのだった。
※具合の悪い時の温泉は本当は良いことではありません。マネしないでください。
また、どうしても入りたいときは水を一杯飲んでから飲んでぬるま湯にさっと入る感じにしましょう。
ご自分の身体とよく相談して決めることをお勧めします。
アニエスは、かなり頑強な胃の持ち主なので、基本吐いたことはありません。なので殊更ショックでした。因みに人が吐いたのは気にしない人。それがアニエス。




