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アニエス嬢はご苦労されてます  作者: ちゃ畜
カサンドラの夏休みとお兄様
53/227

53、兄の襲来と大船団


 アニエスはこの日、珍しく寝坊をした。


 彼女はいつもなら四時前には起き出して鍛錬に向かう。

 だがその日は前日の労働と、絶え間ない気疲れが残り、身体がまだ眠りを手放さなかった。


 六時を過ぎてもスヤスヤと寝息を立て、柔らかな枕へ顔をうずめる。


「う……ん……」


 少し寝苦しくて寝返りを打った。


 するとそこには堅い壁のようなものがあり、彼女のそれ以上の寝返りを阻む。

 アニエスは寝ぼけつつそれにペタペタ触ると、その手は掴まれ、そのまま抱き寄せられた。


「…………」


 なんだか奇妙な違和感を覚え、アニエスはうっすらと(まぶた)を上げる。


「おはようアニエス……可愛くスヤスヤ寝ていたのに、起きてしまって少し残念だ……」


 金の髪は光を流し、睫毛の影の奥でアクアマリンの瞳が静かに瞬く。


 透きとおる白い肌は光を拒まず、その均整のとれた顔立ちは、神が一瞬息を止めて形づくったかのように整っている。


 薄く結ばれた口元には品ある微笑。

 隙なく引き締まったその姿は、祈りの中から生まれた彫像のよう。

 人ならざる気配を纏うその人は、慈しむように、そっとアニエスへ視線を落とした。


「……約一年ぶりですね。我が最愛の人にして、妹よ」


 そのすぐ後である。

 この別荘に、恐怖の絶叫が(とどろ)いたのは……。


「どうしたのです!? アニエス!!」

「義姉さん、無事!!?」


 まず駆け付けたのが隣の部屋に泊まるタニアと、比較的、部屋の近いエースだった。

 そこで目にした光景は、謎の超美男子に裸で後ろから羽交い締めにされ、目を剥いて白目になり固まったアニエス。


 ……こ、これは……いったい!?


「と、取り敢えず憲兵を呼ぶべきかしら? ……ち、痴漢ということで宜しいのかしら!?」


 オロオロとするタニアに、瞬時に状況を把握したエースが顔を引き()らせて言う。


「いや、お待ちくださいタニア様。――あの方は……!」


 かすかな笑みを零し、アニエスをそっと離す。

 そして彼は、何事もないかのように、一糸まとわぬ姿で静かに立ち上がった。

 

「キャーーーーッ!?」


 それにタニアは顔を真っ赤にして顔を覆い、エースは、苦い顔をして青くなる。


「……朝から、こんな野郎のブツなんか拝みたくないんだけど!?」


 二人の反応を見て、男は「ああ、そうだった」と思い出したように手をぽんっと打った。


「ああ、すまない……。このように裸で寝るのがつい癖なものでな?」


 そう言いパチンと指を鳴らすと、荘厳(そうごん)なる衣装へと着替えてみせる。


「……貴方はいったい、どちら様なのですか?」


 タニアはまだ赤い顔をしていて、顔から手を恐る恐る離す。


「ああ、貴国の姫君とは初めましてですね。私は、ヴァルハラ帝国皇帝クラウディウスⅠ世。この可愛いアニエスの実兄です。どうぞ宜しくね?」


 それには、タニアの方が固まってしまった。


「え……!? こ、皇帝陛下!?」


「エース。君も元気そうですね」


「はい、一応……あの、そろそろ義姉(あね)を開放して頂けないでしょうか? 気を失っているようですので……」


 クラウディウスは着替えてすぐにまた、白目のアニエスをぬいぐるみのようにギュウッと抱っこしていた。


「おや本当だ、まるで子兎のように繊細だね。我が妹君は」


 ……いや例え兄妹であっても、寝床に裸の状態で待ち構えた男がいれば、誰だって心臓が飛び出す……。


 そこに遅れてバタバタと駆け付けたのが、広い別荘の離れた部屋に寝泊まりするアレクサンダーと、別棟のセオドリックだった。


「お嬢様、如何(いかが)されましたか!!?」


 主人の悲痛な叫びを聞き、青くなってドアに駆け寄る。


「アニエスに何があったんだ!?」


 同じくセオドリックも心配顔で焦りながら駆けつけた。


「ああ、お兄様! アレクサンダー!」

「……ク、クラウディウス皇帝陛下!?」


 一度見た者なら忘れえぬ、強烈な美貌の持ち主がアニエスの部屋で立っているのを見て、セオドリックは驚愕する。


「お久しぶりですね……セオドリック王太子殿下。少し見ぬ間に随分とご立派になられたようだ」


「きょ、恐悦至極に存じます……。え、しかし、何故に陛下がこちらに?!」


「いや、いつもこの時期、貴国のロナのカントリー・ハウスに訪問するのが習わしなのだが……。ロナに連絡すれば肝心のアニエスが今はいないと聞く。――さらに夏はこちらの別荘にいると聞き及びましてね? 居てもたっても居られず、乗っていた船から飛んできてしまったのです。はっ、はっ、はっ」


 クラウディウスは低音の美声も高らかにそう笑った。


「う、う……ん」


 アニエスがようやく意識を取り戻し、手を置いて頭をおさえ、頭を振ると、ぼーっとしたまま顔を上げた。


「お嬢様!」


 アレクサンダーはそんなアニエスにすぐに駆け寄る。


「……? アレクサンダー……皆さん、どうしてこんな早朝に? っと!? ……やはり悪夢ではなかったか!!」


「アニエスおはよう。すぐに気が付いて本当に良かったです」


「気を失ったのはいったいどなたのせいなのか? ……なぜ、何故に、陛下がこちらに!?」


 恋する乙女のような表情で、クラウディウスは頬を染め、にっこり答える。


「アニエスに一刻も早く会いたくて、文字通り飛んできてしまいました」


「……皆さんにはお話しておりませんでしたが、この別荘には、外界の接触を拒否する強力な結界が張ってあるはず……。今、現在ここでの主人代理である私の許可なく、どうしてその結界内に貴方様がおられるのか?!」


「ああ、『やむ無し』と破ってしまいました。おっと、モチロンきちんと修復済みですよ?」


「違う魔術方式の……七重の結界をですか?」


「はい、なかなか朝から良い頭の体操でしたね!」


流石(さすが)というべきか最悪というべきか……相変わらず規格破壊的な魔法能力でらっしゃいますね? そうですね……とりあえず」


「何ですかアニエス。何でも何なりと、この兄に願いがあるなら言ってごらん!」


「朝の着替えを致しますので、皆さま申し訳ございませんが、一度部屋を出て頂けますか?」


「そうですね。今日はどれを着る予定なのか言ってごらんなさい。私が着替えを手伝いましょう」


「……真っ先に出ていけと言っているのは、貴方様に対してにございます。皇帝陛下!」


「うむ……この緑のモスリンのドレスはどうだろう?」


「出ていけ」


 バタンとドアを閉められて、着替えを手伝うメイド以外は部屋を出されてしまった。

 そこでタニアは改めて皇帝陛下に挨拶をする。


「ローゼナタリア王女のタニア・リリ・ローゼナタリア・バルファードです。お初にお目にかかりますクラウディウス皇帝陛下」


「はじめまして、タニア姫。朝から驚かせてしまってすまない。……可憐な乙女の貴殿のお目汚しをどうか許してほしい」


 そう言われ、先程の映像を思い出して、タニアはカーっと赤くなった。


「い、いえ……」


「エースとアレクサンダーも久しぶりですね。少し見ない間に、もうあまり子ども扱いできないほど立派に成長していて驚きました。……ところで婚約者は出来ましたか? 無論わたしのアニエス以外で!」


 二人はヒクっと頬を引きつらせる。


「二人は美しく優秀なのだから、その気になれば申し分のない相手の一人や二人、簡単にできるのでしょうね? ……よもや、アニエスが乙女でなくなる懸念を多少は抱いていたのですが……あの様子だとそういうことも無かったようだ。いやはや君たちこそ真の紳士の(かがみ)といえる!」


 上機嫌に笑顔を振りまくクラウディウスだが、対し二人はどんどん憤懣(ふんまん)の表情に顔を曇らせていく。


「……なにしろ、アニエスの“乙女”は私がいただかなくてはなりませんからね?」


 その言葉に、タニアとセオドリックが弾かれたようにクラウディウスを見た。

 一方、エースとアレクサンダーの顔が修羅の表情へとさらに変貌する。


「あ……あの、先程、陛下はアニエスの実兄だと……」


 セオドリックが恐る恐る聞く。


「うん? しかし中世では乙女の処女権は、その家の父兄が所持するのが習わしでしたよ?」


「え、あの、しかし今では近親相姦は犯罪ですが?」


「ヴァルハラの皇族はその血を絶やさぬため、その限りでは無いと憲法に定められているので、どうかご安心を! ……皆の模範として、皇帝自ら法を犯すわけにはまいりませんからね?」


 模範もクソもあったもんじゃない話なのですが!?

 タニアがあまりのことに固まり絶句している。

 そりゃあそうだろう。


「あの……陛下ほどの御仁なら、それこそどんな女性も思いのまま。何もご自分の実の妹に、わざわざ手を出す必要は無いのでは……?」


 セオドリックが脂汗をかきながら震えて尋ねる。


「いかにも!! 実際、帝国には後宮があり、私には現在会う会わないは別として、七百名の妻がいます。その内、常に関係のある者が二十名。しかしそれは政治的意味がとくに強く…………私が真に自らの想いから妻に引き入れたいと願うは、我が妹アニエス。このただ一人だけです」


 異常なことを平然とした顔でクラウディウスはつらつらと説明した。 


「……あまりに想像を超えるお話しで……」


 さすがのセオドリックも鳩が豆鉄砲を食らったような顔で固まる。


「しかし、私も鬼ではありません。アニエスの意思を無視して無体をはたらく気は無いので、その辺りは信用してくださると有り難い」


「……それを聞いて、少し安心いたしました」


(完全には安心できないがな……!!)


「大変お待たせいたしました。ここでは何ですので、応接間へ参りましょう……」


 アニエスの着替えが終わり部屋より出て来て、にっこりと微笑むと、スッとエースとアレクサンダーの後ろに隠れた。


「アニエス、折角なのだから私の横を歩いてはどうかな?」


 優しくクラウディウスはそう語りかける。

 が、アニエスは二人の後ろに見えないように隠れながら返事をした。


「……いいえ、大変恐れ多い。いくら同父母を持つといえど、陛下と私ではまるで身分が違います!」


「礼儀正しいのは結構だが、休暇くらいは無礼講で行こうではありませんか?」


「滅相もございません!!」


 タニアはそんな様子を横目で観察しつつ、すっすっと後ろ向きに移動して、アレクサンダー達の後ろへと回り込む。


「今回の休暇は数日の間にいろんなことがあり過ぎて、一生忘れられないものになりそうだわ……?」


 そうこっそりタニアがアニエスに話しかけた。


「……何をあの方が語ったかは容易に想像できますが、その事は一刻も早くお忘れ下さい。心身を害する毒ですから!?」


 アニエスは苦い顔をする。

 応接間に着き男性使用人のフットマンにお茶の用意をアレクサンダーが支持すると、間もなく薫り高く熱いお茶が運ばれてきた。


「アニエスはそうやって、いつまで隠れているつもりなのですか? そろそろ可愛い顔を見せてくれないと、せっかく早めに着いたというのに、悲しくなってしまう……」


 クラウディウスはその麗しの瞳を揺らし訴える。


「……わかりました」


 アニエスもさすがにそうやって大皇帝が肩を落とす姿をそのままには出来ないと思い、天の岩戸(※アレクサンダー&エース製)から顔を出した。


「ああ……相変わらず私のアニエスは宇宙一ですね?」


 にっこりとその口にクラウディウスは愛おし気な笑みを浮かべる。


「……色眼鏡が会わぬ間に、さらに曇られたご様子。即刻、眼科に行って度数を合わせられてはいかがでしょう……? あと私は誰の所有にもなった覚えもございません。例え超大帝国きっての賢帝と誉れ高きクラウディウス様とてです!」


 警戒心に満ちた表情でアニエスが宣言する。


「それと結界を破り、我が別荘にいらしたことまでは辛うじて納得も出来ます。……もともと陛下は、我がロナ家の嫡男で在らせられましたから……?」


 アニエスは一度息を吐ききる。


「しかしそれで何故、私の寝所にいたのかについては一切納得がいっていないのですが……あれはどういうおつもりなのですか?」


 その話が寝耳に水だったアレクサンダーとセオドリック。それから合流したノートンは、それに愕然としながらクラウディウスの顔を凝視する。


「妹の一人寝は寂しいと思い、兄として寄り添っただけのことですよ?」


「……何故それで貴方様は裸だったのですか?」


 アレクサンダー以下三名は、ぎょっとしてアニエスとクラウディウスの両者を交互に見比べた!


「私は寝る時はいつも裸です。寝所にはいつも誰かいるのでその癖で、つい、ね?」


 それはどういう……。

 なんだかやたらとアダルティックな薫りがする。


「あと、私の所在はいったいどこから漏れ伝わったのでしょう……」


「生みの父であるロナ公爵から」


 それにアニエスはにっこりと怪しく微笑んだ。


「まあ……お父様ったら、そんな余計な……いえ、気を回しておっしゃたのですね? おほほほほ、私怒ってはおりません……ですが、これは実家に帰った時に、お父様の秘蔵の酒樽をうっかり数樽お池にドボンとしてしまうかもしれませんわ……うふふふふ」


 ……明らかに、めちゃくちゃ怒っている。


 アニエスはそこで改めて姿勢を正し、毅然とした態度でクラウディウスを見据えた。


「しかし、はっきり申し上げます。陛下、今後、私の寝所へは立ち入りは禁止です!」


 アニエスはさらに最終警告を告げる。


「さもなくばその対応として……私の伝説の番犬を差し向けます! 注告は致しましたから、例え皇帝陛下でも聞いてないという言い訳は一切通じませんので悪しからず!」


 そう言ってアニエスがアレクサンダーとエースを見る。二人もそれに同意し頷いた。


「では、アニエスの許可を取って私の寝所に連れ込むのはOKという事ですね? わかりました」


「天変地異が起きて伝説の魔人が蘇り、男が皆、女に変わる事態でもあり得ない話ですが…………私の意思を()んでくださるということのみに注視するのであれば……それで宜しいです」


 その答えに満足のいったクラウディウスは、サラサラと長い髪を背中に流しながら満足そうに微笑む。


「うむ、悪くない条件です」


「ただし精神を操る系の魔法は無しです。あと人質を取るのも!!」


「……少し難易度が上がってしまいましたね?」


 やれやれ、といった感じでどこからともなくスケッチブックとペンを取り出し、さささっと何かを描きだした。


「?」


「久々に見たアニエスは少し大人びてきたので、せっかくなら絵に残しておこうかと……ほら、出来ました」


 いまサッと描いたスケッチブックを見せてもらうと、生き写しのようなアニエスの姿が、そこには描かれていた。

 う……上手い……!


「というわけで、せっかくなら後世に残る芸術的な作品を残したい……。なので私の部屋で裸婦画のモデルをしませんかアニエス?」


「馬鹿野郎」


 あ、遂に、暴言が出てしまった。


「あ、アニエス、落ち着いて!」


 思わずタニアが止めに入る。


「ふむ、そうですか? ではこういうのはどうでしょう」


 これまたどこから出したのか裁縫セットを取り出し、ひょいひょーいと人形を縫い上げていく。

 これがまたアニエスそっくりな精巧で愛らしいマスコット人形の形をしている。


 まるで元々の人気商品の既製品みたいだ。す……凄い……!!


「折角ならこれを着せ替え人形にすれば、もっと世の子供達が喜ぶものが出来ると思うのです。しかしモデルを見ないと私もなかなか手が進まない……世の未来ある子供たちのため。私の部屋でちょっと裸になってみてくださいませんかアニエス?」


「○○○○」


 ……放送禁止用語が出てしまった。

 15Rではとても流せない!!!!


「お、落ち着いてください。アニエス嬢……お気持ちはよーく理解いたします!!」


 ノートンが思わず国家間の危機になり兼ねないと、必死だ。


「くくくっ!! アニエスは本当に私にも媚びたりせず正直で面白い!!」


 だが、言われた当の本人は、愉快そうに腹を抱えて笑っていた。

 そして―――。



「……さてと、そろそろ頃合いかな? 港に行こうか。私の船が着く頃だ」


 そう言い馬車の手配を依頼した。


 マリオンは、まだ寝ているようなので、使用人に言伝(ことづて)をして、六人と皇帝陛下は二台の馬車に乗り込み、その後を護衛が馬に乗る。


 皇帝陛下が望んだため、アニエスは皇帝陛下の馬車に乗ったが、両脇をがっしりアレクサンダーとエースで固めていた。


 間もなくして港に着くと全員が馬車を下り、海を見つめていると白と黒と黄金の大船団が、真ん中の船を中心に規律よく、水平線の向こうから立ち上ってくる。


「なんて、船の……数!」


 その数は大軍が攻め入ってきたと言われてもおかしくない規模だった。


「ちょうど我が国の大祭の時期がかぶってね? どうせならアニエスにも見せてあげようと、連れてきたのだよ」


 船が近付くにつれ、その全貌がはっきりしてくる。

 甲板にはサーカスのテントと動物の檻。華やかな踊り子たちに、豪奢な衣装の楽団。

 家畜や鮮魚、野菜まで山のように積まれ、ありとあらゆる珍品を満載していた。


「気に入ってくれると良いのだが?」


 クラウディウスは美しい顔で優しく言った。


 これは、不味い……この人は、本気でアニエスを口説き落としに掛かっている。

 まさか、愛しき相手のために本当に国の祭りを丸ごと連れて来るだなんて!?


「…………」


 アニエスも信じられずに、ただただ大船団を見つめている。


「アニエス、君は言ったね?」


 クラウディウスはアニエスの耳元で甘く低く囁いた。


「君をその気にさせ、君の許可を得れば、……私の寝所に連れて行っても良いと?」



 この変態にして……神と謳われた稀代の皇帝の本気がいま、見せられようとしていた。

 

※ちなみに、港への入港許可は事前にロナ公爵イライアスパパが出して整備済みです。

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