5、写真撮影と三人のドラゴン
「お嬢様やっぱり手袋はこちら……いいえ、こちらに致しましょう!」
アニエス専属のヤング・レディーズ・メイド。
いわゆる侍女が写真撮影の前に入念にアニエスの衣装を整える。
しかし、アニエスは午前から始まり、いつの間にか昼を過ぎたテニス対決、それから怒涛の国王謁見の準備とデビュー本番という過密スケジュールからの帰還。
今は蕩けるようなベルベット地の椅子に腰を掛け、カメラの準備ができるまでのわずかの間、うつらうつらと思わず舟を漕いでいた。
そんな今にも眠りそうな彼女の肩を、トントンと優しく叩いて起こしたのは……。
「お嬢様、起きてください。あと少し……写真が撮り終わるまでの辛抱ですよ」
銀髪にアレキサンドライトのような赤と碧の光織り成す瞳。見た者を魂の芯から震え上がらせ、恐怖するほどの圧倒的な美貌の少年がそこに立っていた。
「……アレクサンダー、だって、もう、瞼が……」
「こんなことなら、僕がテニスでさっさと負ければ良かったですね。申し訳ございません」
「え、やめてよ! そんなことしたら、絶交よ絶交!」
アレクサンダーの謝罪の言葉に一気に目の覚めたアニエスは、アレクサンダーが放つその言葉に激しく噛みつく。
「貴女は今日から成人でしょう? 子供なんですか?」
アニエスの子供っぽい言い回しに呆れつつ、静かにするよう肩を掴んで動物にするようにどう、どう、となだめた。
「今日だって手加減をしたんでしょう? 何でそういうことをするの! アレクのばかばか! 超美人!!」
だがアニエスは気持ちが収まらず、抗議して手足をバタバタする。
「晴れの行事の前に、怪我でもしたら大変だからですよ」
「怪我なんかしないわ!」
「そうとも言い切れなかったよ……ボールがバウンドした摩擦熱で地面がまっ黒コゲに痕になっていたんだから」
「エース、あなたはどっちの味方なの!?」
新たに現れ、話に加わったその少年は、アニエスを挟む形でアレクサンダーの向かい側に立つ。
烏の濡れ羽のような紫をおびる鮮やかな黒髪と、魂が吸い込まれそうな澄んだ青紫のタンザナイトのような瞳。
こちらも見た者の心全てを支配し、奪うようなあまりにも美しい少年で、アレクサンダーが光を模した美の体現者なら……まるで、こちらは深き闇を模した美の体現者そのものだ。
そして、そんな二人に挟まれると新聞記者にもあれほど絶賛され尽くしていたアニエスの美貌も、とたんに色を失い背景と同化してしまう……。
明らかにその空間だけ切り取ったように顔面の平均偏差値は、テラレベルでバグが引き起こされていた。
そんな二人はアニエスが屋敷に着いてから、ぴったりとそのそばを離れたがらない。
アレクサンダー。
アニエスと同い年の専属従者で、中位中産階級の出でありながら膨大な魔力を持つため、学校の卒業とともに有望な子爵家へと跡取りとして養子に入ることが決定している。
エース。
アニエス、アレクサンダーと同い年で、アニエスの実兄が遠く帝国の皇族に入ったため、この『ロナ』公爵家の跡取りになるべく、養子に迎えられたアニエスの義理の弟。
この公爵家に恥じない莫大な魔力を持つ。
この三人は幼い頃から育った幼馴染であり、義兄弟であり、悪友で遠慮のない気の置けない間柄である。
そして…………。
「いつでも、俺は義姉さんの味方のつもりだよ」
「ウソばっかり! 彼女の一人も作ればそれこそ私の扱いなんて、ぞんざいになるのでしょう?」
「作んないよ。義姉さん以上に好きな女子なんて、この世に一人もいないってば」
「そんなのある日、突然、朝、目覚めるように変わるわよ!? アレクサンダーに彼女が出来でもすれば、エースも一緒に作りそうな予感がするもん!」
「……お嬢様、僕も何より最優先にするのはお嬢様ですよ。目を離したら何をしでかすか分からない貴女をほっといて、他の女性をそばに置く余裕は……僕には一生ありません!」
「え、えー……また、そんな……。なんだか二人は、健康な優良男子として、その言動の選択を大いに間違えているのではなくて? お姉さまとして、何だか急に心配になってきたのだけど……?」
アニエスは二人が自分を大事に大切に思ってくれることは嬉しいが、姉、主人としては何だか不安を感じずにはおれない返答に、非常に困惑した。
「義姉さんは余計な心配をしなくていいよ。どうせ、わかっていないでしょ?」
「言えてる。根本的に貴女はまるでわかっていらっしゃらない」
「二人していきなりヒドいわ。何? 今日の主役なのよ私。一応!」
突然の自分に対してのある種、非難めいた言葉にアニエスはさらに困惑して反発を強める。
「いいからいいから、ほら前向いて。もう、お眠なんだからさっさと撮影を終わらせよ?」
「そうですね。ねんねはもう寝る時間です。とっとと済ませましょう? やさしく子守唄を歌ってあげますよ」
「……あの、どうして、いきなり子供扱いなの?」
とはいえアニエスも眠さが限界なのは確かなので、言われた通り姿勢を正し、澄ましてカメラに向かって顔を前に向ける。
そこで、アニエスはハタッとあることに気付く。
(そうか、私達は『ドラゴニスト』だもの……簡単に付き合ったり、結婚するのは難しいのかもしれない。私は不人気を極めているから、そういう心配をする必要も皆無だけど……二人はモテるからこそ色々と考えてしまうのかも……)
アニエスは、急に二人に対してとても申し訳なくなった。
アニエス、アレクサンダー、エースは十二歳の時からその身の内に神ともいえる『竜』を宿している。
ドラゴニストになったことによる恩恵は莫大だが、その分に比例するように自由は制限された。
人ならざる絶大過ぎる力は、もれなく国の監視下へと置かれたからだ。
これといった不自由を普段はそれほど感じてはいないが、結婚に関しては、相手に明かすにしろ秘密にするにしろ複雑に絡んでくるに違いない。
デビュタントの写真撮影は、三人、単体、親子、家族、屋敷の使用人含めて全員の集合写真を撮り、無事に満足いく形で撮り終えた。
アニエスはそのあと湯浴みをし、メイドに寝間着に着替えさせられてベッドへと入る。
デビューしてデビュタントになったアニエスは、この社交シーズン中はロナ家の所領のカントリー・ハウス(※マナー・ハウス)ではなく、王都に建てられた地上十二階建てのロナ家所有のタウン・ハウスで過ごす。
いつもだったら、エースとアレクサンダーは同じ王都にあるエールロード魔術魔法王立寄宿舎学校に帰るのだが、今日は学校や軍に許可を取り、教師による脱走防止の魔法付きでこちらに泊まるそうだ。
アニエスはメイドが戻ってしばらくした後、誰も来る気配が無いのを確認して、ベッドをそっと抜け出した。
向かった先はアレクサンダーの部屋。
ノックをする前にそっとドアに聞き耳をたてた。中から二人分の話し声が聞こえる。
思っていた通り、二人は学校の課題のため一緒に遅くまで勉強しているようだ。
確認が済むと、アニエスはドアを叩く。
すると程なくしてドアが開き、部屋から暗い廊下へと長く光が伸びた。
「……まさかとは思いましたが、やはりお嬢様でしたか。こんな夜分にレディーが男の部屋を訪ねるだなんて何事です!?」
「それは部屋に男性が一人だったらでしょ? エースの声が聞こえたわ。一緒にいるのでしょう……どうしても二人とお話がしたいの」
「……少々お待ちください」
アレクサンダーがそう言い、いったん部屋の奥へと消え、戻るとその手にやたら厚手のガウンを持ってくる。
「なあに、それ?」
「着てください。その格好のままなら絶対にお入れしません」
「ええええ、いま初夏よ? 暑いー」
「暑さなんて、理性が壊れた野獣に襲われる危険に比べたら大したことはありませんよ……」
「え、モンスターをこっそり飼っているのアレクサンダー? ちょっとそれなら見てみたいかも……」
「そんなのはこの身に一柱も住んでいれば十分です」
アレクサンダーはアニエスがしのごの言う前に彼女にガウンを着せ、帯をしっかり二重に締める。
アニエスの薄い腰だと帯がどうしても余るからだ。
「これで、入ってもいい?」
アニエスがくるんと回り上目遣いに尋ねると、アレクサンダーは何故かわざと彼女から視線を外す。
だが、何も言わないということはきっとOKなのだろう。
そう判断した彼女は、そのままアレクサンダーのわきをスタスタと通り、中へと入っていった。
「お邪魔しまーす!」
「アニエス、次回からアレクサンダーの部屋に入るの禁止ね?」
「……エースも入ってるくせに」
禁止を言い渡されアニエスは頬を膨らませ、ちょっとだけエースを睨む。
「その代わり、俺の部屋に来るのはいつでもOKにしてあげる」
「それこそ許可できないわ。阿呆!」
アレクサンダーはエースの頭に手を置くと、そのままグググと後ろに頭を引っ張った。それに、エースはヤメローと抗議の声を上げる。
アニエスはそんな二人を横目にアレクサンダーのベッドに腰を下ろした。
「……お嬢様、座るのなら椅子に座っていただいても宜しいですか?」
「椅子もベッドも高さは一緒じゃない? それにベッドの方がアレクサンダーの匂いがして落ち着くんだもん。あーっ、いい匂いー、眠くなっちゃう……」
「嗅がないでもらえますか?」
「アニエス。俺は俺は?」
「え? エースの匂いももちろん、いい匂いがして大好きだよ?」
「じゃあ、俺の椅子に一緒に座ろう? ほら、抱っこしてあげるよ!」
「だめだ」
「あ、そうだ。本題を話すわね?」
アレクサンダーが改めてエースの頭を押し付け、エースがヤメテーと抗議の声を上げてふざけていたが、アニエスが話題を変えたことで二人はピタリとふざけるのを止める。
「……ごめんなさい。二人を巻き込んでドラゴニストにしたために二人から自由を奪ってしまって……」
「「え?」」
「自由を奪った罪は、償いきれるものじゃないのはわかってる。でもだからこそ、私に出来ることがあれば何でもするつもりよ。どうかどんな無茶なことも言って! 今日から無事に成人したことだし、多少どんな無理も出来ると思うの……」
「「…………」」
「何か、私にしてほしいこと、私になら出来ることは……ある?」
アニエスの蜜を含んだ生糸のように滑らかな長い白金髪が、その薄い肩を滑り落ちた。
拝謁用の化粧はすっかり落としたのに、その肌はますます明るく……唇は血がにじんだ様に鮮やかで……その小鳥の羽根のような豊かで長い睫毛が、仄かに灯りに透け、色素は薄いのにむしろハッキリとした存在感がある……。
常に潤んだつぶらな瞳を向けられると、二人は思わず無言になった。
「お願い教えて? 二人をいっぱい喜ばせたいの!」
アニエスは真面目に言っている。
自分に責任を感じるととても黙ってはいられない……そういう性分なのだ。
そうなったらどんな手段に及ぼうと、必ず責任を果たそうとアニエスは奔走する。
だから、本当なら明日にも言えばいいことを、今こうして言いに来ずにはいられなかった……。
アニエスは二人の無言があまりに長いため、途中で不安を感じていた。
アニエスにドラゴニストになったことで、自由を奪われている事実を突きつけられ、改めて強い怒りを感じてでもいるのかもしれない。
アニエスはゴクリと唾を飲み込んだ。
ところがその沈黙は、エースの咳払いによって打ち砕かれる。
「ン、んん! ……いや、いやいやいや、アニエス。忘れているかもしれないけど、アニエスに勝手について行ったのは俺たちの方だよ? 何でアニエスがそれに責任を感じないといけないの!?」
エースがそう口火を切ると、続いてアレクサンダーも口を開いた。
「まったくその通り。ましてや僕等は紳士ですよ? 女性の責任を、軽く肩代わりする度量くらいはあります」
そう言ってアニエスを擁護する。だが、アニエスも簡単には引かなかった。
「でも、そのあと王都で人質になろうと提案したのは私よ? ……それも考えなしの身勝手な理由で!」
王都で人質になろうと言い出したのは確かにアニエスに違いない。けれど、それに対しても二人はアニエスのせいだとは思わなかった。
「いや、僕等が竜持ちだということをさっさと国に報告したのは正解だったよ。あとでバレたならどんな大事になっていたか……国に対する大きな秘密を常に抱えて過ごすのも、それはそれでかなり居心地も悪かっただろうしね!」
「僕的には、逆にいろんなところにコネが出来てむしろ非常に役立ってますよ?」
「……アレクのそれに関しては、友達として別に思うところも無くは無いんだけど……うん、でもまあ、この状態がベストじゃないかな? 色々とね?」
「でも……でも!」
「っていうか、監視付きでも割と好き勝手してるじゃん、僕等!」
「帝国にも何だかんだ短期留学しましたしね?」
「確かに、そう言われればそうだけど……」
「だからもう、つまんない事をいちいち気にして悩まないでよ義姉さん!」
「むしろ普段のむちゃくちゃを貴女は反省してくださいマイ・レディー」
「二人とも優し過ぎるんだよ。もう! ……本当にありがとう」
アニエスは口元をほころばせ、すっくとその場に立ちあがる。
「うん! とはいえ、私も今日から立派な大人なわけでございまして……。何かあれば遠慮なく何でも言ってね? ドーンとこのお姉さまに、まっかせなさい!?」
アニエスが胸をドンと右の拳で打つ。しかしその言葉に二人は難色を示した。
「ポンコツがいったい何を言ってるんですか?」
「アニエスはむしろ大人になったんだから、もうちょっと落ち着いた方がいいよ。『大人しい』っていう言葉には『大人』って文字が入るんだからね。ね?」
「もう! 帰ってからの扱いが酷いわ二人とも! 私が一番早生まれのお姉さんなのにぃ!!」
少女は気持ちに整理がつき、無事に大人へと成長する。
とはいえ、昨日今日で人間の本質はそうそう変わりはしない。彼女がどんな人間で、どのような運命を巡りたどり着くのか。
それでは、アニエス・ロナ・チャイルズ・アルティミスティアの大いなる物語を、これから存分に語ることとしよう!
十六歳の彼らはいったんここでお別れです。
次回からはアニエス達が十二歳の頃からのお話がスタートします。
【おまけ閑話・写真の仕上がり】
エースが難しい顔で先日発売された華々しく一面を飾るデビュタントの掲載新聞三社一部ずつと、同じく先日、屋敷で撮影して仕上がってきた写真をテーブルに並べて難しい顔をする。
「うーーーーーーん」
そこに、ちょうど多目的室に用がありやってきた同じ寄宿舎学校の学友が、エースを見つけ声をかけた。
「おーーい! エースどうしたんだよ? 珍しく気難しい顔なんかして?」
「ああ、うん、ちょっとね」
「あ!! この新聞なら俺も見たぞ。凄かったよ! アニエスさん本当に綺麗だったよなー!?」
「ね? やっぱり、そう思うよね?」
「ははは……うーん振っといてなんだけど、相変わらずの超シスコンぶりだな?」
「いや、これに関してはそういうのじゃなくて……」
「じゃあなんなんだ? うーん、で……そっちの写真は何なんだい?」
そう言われ、エースはすっと無言で写真数枚を友人に渡した。
「……何だこれ?」
そう言われ、エースが眉間にしわを寄せ肩をすくめる。
「……君のお義姉さん。みんな見事に半目になってるし、なんだか変に顔色も悪いけど?」
「ね、すごいだろう? しかもこの写真、全部だよ……」
「ぜ、全部っ!?」
エースがため息をつく。
「何であの人、新聞のこんな隠し撮りはどれもこれも本当に美人に映ってるのに、……意識すると恐ろしく残念な結果になるんだろう……?」
なんだかそれは写真を通して、ものすごく本人を皮肉のように如実に語っており、思わずエースは頭を抱える。
「意識しない方が美人なんだよなあ。うちのアニエスは本当に…………まあ、これもある意味、可愛くはあるけど?」
そう嘆きつつ、エースはフフッと笑う。
だがエースは他の写真で、さらにあることに気付いた。
「……あれ、よく見たらお義母様も……え、何これ、もしかしてこの特徴って遺伝するの?」
どうやら、この残念さは彼らの血筋がそうしている疑いすら勃発しはじめる。
(長年、疑ってきてはいたけれど…………もしかして幻影の佳人にして、妖精の王と言い伝えられるかの『エルフ』って、実はざんねん種族なんじゃ……)
おもわずエースはそんな疑惑を抱かずには、おられないのであった。