45、ハーレムと指の傷
「お、お兄様、その方々はいったい……」
「いや、街で声を掛けたら、これだけ集まってしまってね。さすがは美女の街。どの女性も美しいだろう?」
「はぁ、まあ」
その数は総勢十八名。確かにどの女性もモデルか女優ばりに美しい。
たぶん、街でも選りすぐりの美女たちである。
「……今回は、私もお咎めいたしませんが……本来は、他家の別荘でするような行いとしては、自制すべきだと思いますよ?」
タニアはチラリと兄を見る。笑ってはいるがその目の奥は絶望に沈んでいるのが身内にはわかった。
「ロナ家の方々に何か言われた際と、外部には……私が全面的にフォローをしておきますので、どうぞ……ごゆっくり」
さすがにあまりに可哀想で、この壊れた行動すらタニアは兄を止めることがはばかられた。
タニアの兄であり、この国の王太子であるセオドリックは、この別荘の持ち主である名門ロナ公爵家のご令嬢アニエスに、人生初めての真剣な恋心を抱いている。
ところが先日その彼女に関するあまりにショックな出来事を聞かされ、本気で傷つきショックを受けていた。
またそれで今日、ノートンにその後の兄の様子について尋ねると……。
「妻を寝取られた夫はこんな気分だったんだな……ははは、本当に酷い気分だよ。これが、自業自得というやつか?」
などと、あまりにセオドリックらしくない発言をした後はずううっと押し黙っていたらしい。
そして、翌日のこの奇行である。
「……アニエス……貴女はなんて、罪な女の子なのでしょう?」
はあっ、と思わずため息をついた。
何だか、病院に行かせてその場は何とかごまかしてみたものの……あれは、病気とは違うものだろう。
何故なら、タニアはごく稀にアニエスに対して怖いと感じる時があったからだ。
『魔性』。
一番、タニアがアニエスから感じる恐ろしいものの正体を言葉にするとそれが近い気がした。
アニエスはいつもタニアたちに好感を抱かせる振る舞いをするが、時々それを超えてこちらの意思がいきなりアニエスの中に引きずり込まれるような、強すぎる魅力を感じることがある。
だがそれは、一度足を取られれば最期。
もう二度と抜け出せないような……正直、気付いた者からすればそれそのものに対して、足がすくむような感じがするのだ。
(私の『生命』の魔法に体質が近いような気もするけど……でも、根本はやはり違うような……)
そもそもアニエスには魔力が無いはずなのだから、おかしな話なのである。
おまけにそれはタニアから見るに、本人の意思に全く関係なく動いている気がした。でも魔法は本人の意思無しに発動することは基本的に不可能だ。
(やはり、体質なのだろうか?)
それとタニアが不可解に思う理由はもう一つある。
アニエスの自分に向けられた「好意」「欲望」への前に言ったような病院送りにするほどの鈍さだ。
しかし、おかしい……アニエスは普段は鈍いどころかかなり聡い、切れ者と言っていい人物だ。
王宮でも人をやたらとよく観察し、そこから先を見越して黙ってもくもくと彼女は動き回り仕事をしている。
まれに色んな自分への矢印に気付いているのに、わざと鈍いふりをして相手を振り回すのを楽しんでいるタイプの人間がいるが……。
アニエスはどうもそれですらない。
不自然なほど点と点がつながっている場所がアニエスの目の前だけスコーンと断絶され、彼女から見えないようにされている気がするのだ。彼女とは異なる強い意思によって……。
(アニエスが本当に気付いていない以上。彼女が注意を払うのは困難でしょう。もともと、人に余計な負担をかけまいとする気持ちが強い子なのに)
なのでタニアが今回、自分の隣の部屋にアニエスを移動させたのは……そういった目隠しされたように目が見えず、そのために上手く判断のしようが無く……あさっての方向に歩を進め、今にも深い罠に落ちそうなアニエスを守る意味合いもある。
(さすがにこの王女の目の届く範囲で、不届きを働く輩はそういないでしょうからね?)
タニアはアニエスが好きだった。
それこそ本当の血を分けた妹か古くから共にする親友のようにタニアは彼女を愛している。
だから自分にできることは最大限してあげたかった。
(今回の問題は、お兄様ね……もともと身内以外にあんなに深く人に嵌まり込んだことが無かっただけに、いったい、どうなってしまうのか見当もつかない。悪い遊び方をする人ではあるけれど、あんな分別が無い様は初めてだわ。いったいどうしましょう……)
こういう困ったとき。本来なら一番頼りになるのがアニエスなのだが、今回はまさに彼女が地雷原。
タニアはうーん……と頭を抱えた。
一方こんなに心配されている王太子のセオドリックの方はというと、十八人の美女を丸裸にして部下などを交えつつ、その享楽に溺れる最中。胸にはただただ虚しさが迫っている。
セオドリックはそれに対し、軽い眩暈と激しい絶望を感じていた。
(たった一人の少女の穴を埋めるのに、十八人の美女が束になっても埋まらないだなんて、じゃあどうしたら救われるというのだろうか? いっそ男にいってみるか? いや、それについては実証済みだ! 自分には全く合わなかった……。こんな中でも彼女を恋しく思うなんて自分はいったいどうかしている)
王宮で毎日顔を合わせてもおかしくないというのに、いつも何故かタイミングがかみ合わず。彼女にそうそうお目にかかれなかった。
しかし、今回の旅行。
今回はお互い休みで時間もたっぷりある。まして王宮のような果てしなく広い建物というわけでも無いので、何にもしなくても彼女に会う機会はずっと多い。
なので今回の旅行でしっかりと距離を縮め、願わくは恋人になろうとセオドリックは考えていた。
本当にこうして実際来るまで、こんなに指折り数える夏の休暇はセオドリックは初めてだったのである。それだというのに……。
一通りの愉悦を楽しんだ後。
セオドリックは十八人のうちの誰とも夜まで一緒にいたくは無かった。
名残惜しそうな彼女たちに、どうしても外せない用事ができてしまってとかなんとか言いくるめ、適当に宝石やワインを土産に持たせ、車を用意し街に帰した。
そしてセオドリックはただじっとして夜を待っているのも辛いので、なぜか急ぎでは無い公務をバリバリとこなしてみせ、仕事に逃げた。
ようやく夜のとばりが下りてきた頃。仕事に区切りが出来てふと窓の外を見る。
すると、ちらちら、ちらちら光るものが見えるではないか。
「蛍?」
セオドリックは室内履きから簡単な靴に履き替え、廊下の扉から中庭に続く白い石畳の道が伸びる中庭に向かって外へと出た。
きょろきょろと首を動かすも、蛍らしき姿は無い。
気のせいかとそう思った矢先、ふわりと淡い光が空に向かって浮かび上がった。
「……!! いた」
蛍を追って視線を動かし振り返る。
するとそこには月の光を受けて、なお輝く白金の髪を持つ少女が立っていた。
「アニエス」
月の光の下、淡く輝く月の光に照らされる彼女に魅入られ、セオドリックは言葉を失う。
そんなセオドリックに対してアニエスは無邪気に声を掛けた。
「セオドリック様も蛍を見に来たのですか? 私も窓から見えた気がしてきたのですが……また、見失ってしまいましたね……?」
アニエスはきょろきょろと、他に蛍はいないか探し始めた。
「……」
アニエスの姿を見てどう声を掛けたらよいのかわからず、セオドリックはただ彼女の姿をその目に追う。
アニエスの髪の月明かりを反射する金の灯りは、ぼんやりとした蛍の光よりよほど目が吸い寄せられた。
「アニエス! ……っつう!」
意を決し、声を掛けようとしたその矢先。
つい手を置いてしまっていた植木の葉先で、セオドリックは指を切った。
なんて尖った葉の植物なのだろう……とぼんやりしていると血相を変えたアニエスがセオドリックへと駆け寄ってくる。
「すぐに手を出してください! 申し訳ありません。失礼いたします!」
そう言うと、切れてぷっくり血が出る指先にアニエスは小さく柔らかな唇を押し当て吸いついた。
何が起きたのか訳が分からず驚いてセオドリックが固まる。
やがてアニエスは、口を放してぺっと庭先に唾を吐いた。
「この花の葉は強い毒を持つんです。花自体は美しく薫り高くてよいですし、上手く煎じれば葉も有用な薬になりますが…………放っておくと切った傷がやがて膿んで白くなり、場合によってはその部分が欠損してしまうんです!」
そう言い念のためもう一度アニエスは傷口に吸い着いた。
セオドリックはそれにゾクリとする。それは別に、毒が回ったわけじゃない。
長い睫毛を伏せ、ただ一心不乱に傷口に吸い着く彼女の朧げな表情があまりに色っぽく……セオドリックの内側をざわざわと波立たせた。
「これで大丈夫です……でも念のため薬を塗りましょうか?」
そう言いアニエスは細く小さな手でセオドリックの手を掴んで引く。
その時セオドリックの獣性が急に大きく暴れ出した。
「……!?」
セオドリックはアニエスに覆いかぶさるように後ろから強く抱き締め、アニエスの白い首元に噛みつくようなキスをする。
「ひっ……!」
驚いてアニエスは小さな悲鳴を上げた。
(なんで、こんなことを!?)
いつもならある程度問答があってからセクハラに及ぶことがあっても、こんな突拍子も無いのは、制服を返した時のキス以来ではないか!?
セオドリックの荒い呼吸、燃えそうな体温、アニエスにしがみつく様に絡めた腕――。
アニエスはいっそ脇腹に肘鉄をくらわそうかと身構えたその時。
急に突風が吹いて、セオドリックがいなくなった。
「あ、……あれ?」
アニエスが振り返ると、そこには少し大きめな黒ヒョウの様な出で立ちの猫が横たわっていた。
「ええと……」
しかしそこには先程、セオドリックが身に着けていたであろう服や、外履きが放置されている。
「……もしや、……セオドリック様? なの、ですか?」
でも目の色が灰色だしなあ。ああ、でも確か、緑の瞳は魔法でそうしているんだっけ? などとアニエスは頭を巡らしハッとした。
「えっでは、これはマジなのですね!?」
タニアはその頃、柔らかな部屋着を身に着け夕刊片手に優雅にお茶を飲みながらくつろいでいた。
そんな中、おもむろにドアをノックする音が聞こえてくる。
「あらあら、いったいどなたでしょう?」
おっとりと近くの女官にタニアが尋ねると答えたのは女官ではなくドアの向こう側からだった。
「アニエスです。タニア様どうか開けてくださいませ」
「アニエス!?」
驚いてタニアはメイドにドアを開けさせた。
すると服や靴や獣の大荷物を抱えたアニエスがそこに立っていた。
「……タニア様……!」
「!! まあ、アニエスそれはいったい……ってその猫はもしやお兄様!?」
そう言われアニエスは、やたら大人しいその猫を見下ろした。
「やっぱり!」
アニエスは他の荷物をメイドに持ってもらい。
猫をよいしょと抱え直すと、タニアの座る場所まで歩いた。
「先程、庭先で偶然セオドリック様にお会いしました。突然、目の前から消えたと思ったらこの猫がいたのです」
「そうだったのね。ええ、これはお兄様よ」
タニアはメイドにベッドを整えさせ、そこにそっと猫を寝かせると布団をかけてやった。
「セオドリック様は獣人の血が入っているのですか?」
アニエスはいまだ、キツネにつままれた様な信じられない心地でタニアに尋ねた。それに、タニアは首を振ってみせる。
「いいえ入っていないわ。ただお兄様は昔から体質として変身することが出来るの」
「変身? 噂では聞いたことがありますが実物を目にするのは初めてにございます……」
「そうでしょうね。ええ……それこそその気になれば、大男にも、女にも、虫にだって変身できるわ。ただこの体質の厄介なところは、体調が優れない時に感情が高ぶり過ぎると勝手に姿を変えてしまう時があるの……その時変身する姿は、基本的に本人の本質に近い姿になるのだけど……」
ちらりと、二人はベッドを見る。
「セオドリック様の本質は猫なのですか?」
「というか黒ヒョウね。孤独な獣よ」
タニア達はベッドから視線を戻し、タニアがアニエスに詳しく質問した。
「アニエス。本当はいったい何があったの?」
「いやあ、あはははは……」
アニエスは、ここに来てからさんざん周りを振り回していたので、大事にするまいとごまかして笑うも、タニアには通じない。
「その首」
言われて思わずアニエスは勢いよく左手で首を抑えた。
「なるほど、そういう……危機一髪アニエスに何事も無くてよかったわ」
「……ははは……っ」
アニエスは泣き笑いの様な表情になり、笑うしかない。
「うん……っ」
「あら、どうやら起きたようですね? 気分はいかがですかお兄様? 今ノートンを呼びますね」
セオドリックはボーっとして、いったい今がどういう状況なのか測りかねている。
その一方アニエスは目を見開き、猫……もとい黒ヒョウの変身の解けた人物を、初めて会う人のように緊張して見つめた。
「……セオ……ドリック……さ……ま??」
そこに横たわっていたのは、亜麻色とグリーンの目でなくタニアに負けない艶やかな黒髪と、ミステリアスな灰色の瞳を持つ形はセオドリックそっくりの青年だった。
「ああ、そうか……なるほど……」
セオドリックはようやく記憶をたどることで、何となく状況を飲み込んでいく。
「十八人の相手は、やっぱりそれなりにキツかったな……私でも……」
ぼそりと呟くもアニエスには訳が分からない。
「悪いがそちらを向いていてくれないか? 着替えるので触りがある」
そう言って部屋に着いたノートンに手伝ってもらいセオドリックは手早く着替えた。
「世話になったなタニア。ありがとう」
それにタニアは首を振り、やれやれといった感じに口の端を上げる。
「兄妹は助け合うものですから」
そう言って笑う。
そして今度はアニエスに向かってセオドリックはすまなそうにした。
「アニエス……先程は、その……悪かった。反省している」
そうセオドリックは謝った。アニエスはなかなかついて行ききれない状況にのまれつつある。ゆえに……。
「……いえ」
としか言えなかった。
だが、改めてセオドリックをアニエスはまじまじと観察する。それに、セオドリックはアニエスの視線から逃れるように顔をそむけた。
「変身してしまうと……他のまじないや魔法は消えてしまうんだ。変だろうか?」
セオドリックは自分の髪をいじりつつ、ちょっと気不味そうに笑う。
しかしアニエスは、しばらく見つめていた視線をいったん外してまた、真っすぐセオドリックを見るとこう言った。
「いいえ、何故ですか? ……すごくお似合いで、とっても格好いいです! ……むしろ普段より断然、精悍な感じの印象をお受けいたします」
と、そんな思いもよらなかった言葉を発した。
それにはその場にいる全員がしいんと静まり返った。その空気に、アニエスはぎょっとして顔を真っ青にして慌てる。
「えっ……申し訳ございません!! これも、言わない方が良い言葉でしたでしょうか!?」
しかし、それにタニアは微笑んで頭を振った。
「うふふ、いえいえ大丈夫よ。おかげで一人地の底から地上に生還できましたから……ねえ、お兄様?」
それに同意するがごとく、ノートンも同じく頷く。
「アニエス嬢にはいろいろ感服いたします。私も少し見習いたいくらいです!」
そう言い、自分の主を見た。
するとそこには、左手で覆ってはいるが耳まで赤くしたセオドリックが、わずかに震えている。
「でも……でも! セオドリック様がなんだかこんなに赤くなって怒っておいでですよ!?」
赤くなったのを怒りに震えていると勘違いしたアニエスは、その様子に怯えまくっている。
「大丈夫! 私の言葉を信じてアニエス? そんなことより明日はいよいよ海で泳ぐのでしょう? 今日はもう全員ゆっくり休まなくてわね」
それにアニエスはセオドリックを気にしつつも、思わず目を輝かせてしまう。
「海……!!」
「うふふ、お兄様、私たちお揃いの水着を着るのですよ? ……それもなかなか大胆な……ねえ? アニエス」
『大胆』という発言に、セオドリックの背中がビクッと反応する。
……そして、心なしかノートンも。
「楽しみ……楽しみですね……タニア様!! ようやく夏休みという感じがしてまいりました!!」
アニエスは、もう顔が喜びで輝くのを抑えられない。
「一緒に泳いだり、ヨットに乗ったりいたしましょうね。アニエス!」
それに負けじとタニアも浮かれた空気を放つ。
「はい! すっごく楽しみです」
そうして女子二人は、明日の予定にキャッキャッとはしゃぎだした。
その様子を手を少しずらしてセオドリックは覗き見ると、アニエスの嬉しそうな明るい笑顔に、胸の渇きがすーっと満たされるのを感じ、手の下でふっと柔らかく微笑んだ。
こうして、暗雲立ち込めた別荘内はようやく本来の明るさを取り戻し、いよいよ水着回へと突入するのである。
以下、次回!!




