44、ショックと三つ編み
カサンドラの別荘自室で、意気消沈に沈んだエースはその身体を起こせずにいた。
(アレクサンダー。……殺す)
という激しい怒り。
(なんであの時……俺が疲れて爆睡していなければ!!)
という強い後悔。
(というかタニア殿下の言う通りあの危機感の低さ。それで、これからも平気で、外をうろつくのか……普通に大丈夫なの? それって)
そんな背筋が寒くなるような心配で彼の胸中はぐちゃぐちゃである。
エースは、そもそもなんであんな厄介な人物をこんなに好きになってしまったんだろう……と考える。
正直、エースなら他の相手であれば大体こんな苦労もせずに簡単に結ばれていただろう。
(いや無理。だって、速攻一目惚れだったもん)
義父イライアスに最初に彼女を紹介される前。
その義理の姉になる人に会うまでは、とりあえず適当に上手くやれればいいだろうとエースは思っていた。
ところが初めて会った彼女を見た瞬間。
「はじめまして、アニエス・ロナ・チャイルズ・アルティミスティアです。弟が出来てとっても嬉しい! 宜しくねエース!!」
もう、好みど真ん中どストライクだった。
声も顔も体つきも、髪の色や長さまで、エースの理想中の理想を体現している。
(それが、よりにもよって……義理の姉)
おまけに、性格まで敬愛するイライアスに似ているときていた。
「はあああああああああああああああっ…………!」
吐いたことの無い長い溜息をつき、そうやって沈みこむ中、ドアからコンコンコンッと控えめなノックの音が響く。
けれどエースは今はそれどころではない。
エースは無視を決め込んだ。
しかし、またドアがコンコンコンッ。コンコンコンッとやたらとしつこく鳴る。
「……はあ!」
エースは舌打ちしながら、ドアを乱暴にガチャリと開けた。
するとそこに立っていたのは……。
「あ、やっぱり居た」
今、自分をこんなにも苦しめている張本人その人だった。
「………………」
エースはこの目の前の人物に、どう対応すべきか本当にわからずにいる。
「入っても大丈夫? ……もしかして忙しい?」
そう身長差ゆえに自然に上目遣いになっている彼女に問われ、その自分が好きで好きでたまらない形をしている彼女を見てたら、エースは思わず招き入れて部屋のドアを閉めていた。
………さて、どうしたものだろうか。
エースは今、彼女に優しくしてやれる気分では無かった。
むしろなんなら傷つけてやりたい。
たとえば、あの白い首筋に噛みついてやりたかった。
エースは、そのまま手を伸ばした。
「!! ……エース?」
今朝、アレクサンダーが完璧に整えたであろう髪をほどくこと。
それがエースがまず行ったことだった。
綺麗に編み込まれていた髪が、自分の指を通すことでまるで魔法が解けるようにするんと落ちる。
ただ、しっかり編み込んでいたため髪はその癖が抜けきれず、光を反射して波打っていた。
「ごめん、あんまり気に食わなくてほどいちゃった……」
いつもは愛想よく機嫌のよい顔をしているエースだが、今日は冷たくぶっきらぼうな印象がやたらに強い。
「なんだか今朝からみんな変だけど……皆からすると、私がおかしいみたい。……なら、やはり悪いのは私なんだわ、きっと……。さっき病院から帰ってきたの。血液検査の結果はずっと先になるけれど……脳も調べたのよ? でもどこにも異常は、見受けられ無いそうだわ」
ここに来てもまるで理解ができていなさそうな彼女は、しかしかなり反省はしているようだ。
素直に呼んだ医者に紹介してもらった病院で、わざわざ精密検査まで受けていた。
そこで、ようやくエースがぽつりと言葉をこぼす。
「……なんでアレクサンダーに、自分の身体を拭いてもらったりしたの?」
どうしても納得できない想いが口をついて出た。
「理由なら今朝、言った通りよ?」
しかし、それでは納得できないからエースはこんなにも気持ちがもやもやとする。
頭に血が上るのを感じてエースは吼えた。
「なんでアレクサンダーに裸を見せて、肌に触れるのを許したのかについて聞いているんだよ!」
――本当に腹が立っていた。
自分が大切に大切に、大切にしていた宝物を、いつの間にか盗まれていた心地がする。
そんな風に攻め立てられ、アニエスもどうしたら良いのかわからずただ突っ立っていた。
それにもイライラとしたエースはいきなりアニエスの腕を掴みそのまま歩き出すと、彼女の身体をベッドに放り投げる。
ギシッとベッドが軋み、ベッドの外側に片足立つ以外、エースは四つん這いでアニエスの華奢な身体に覆いかぶさった。
そのまま勢いに任せアニエスの小さな唇を奪う。
しかもそれだけでなく、アニエスの小さな口に自分の舌をねじ込んだ。
「……ってっ!」
だがその甘い唇から、エースはすぐに口を離す。
なぜなら、アニエスに舌を噛まれから。
「いきなり何をするの!」
アニエスはキッっとエースを睨みつけた。むくっと体を起こしアニエスは言う。
「何を怒っているのかわからないけど、私は病院送りにされるくらいすっごい馬鹿でド鈍いんだよ? どうすればいいかなんて…………わからないよ!! けど……何をされても黙っている。そんな言われはないわ!」
そう言葉にするアニエスは目に涙を溜めていた。
「…………」
確かにそれは決して褒められた行為では無かった。
ショックとは言え、こんなことをするのはそれこそ卑怯でしかない。
「ごめん……感情が高ぶって酷いことをしちゃって……」
エースは急に冷静さを取り戻し、項垂れてアニエスに謝った。
「私も……説明が足りなかったの……ごめんね」
アニエスは、まだ少し動揺していたが、それでも静かに話をはじめた。
「当時、本当に具合が悪くなるくらい肌が不衛生な状態で、たぶんあのままにしたら酷い皮膚炎になって擦れて、膿みも出たと思う。…………だけど自分じゃ本当にどうしようもなかったの」
アニエスは、エースが聞きたいことを全部話すため、一年前の記憶の道を丁寧にたどる。
「それをちょうど物音で起きてきたアレクに頼み込んで、私が無理を言って体を拭いてもらったの。アレクも見たことが無いくらい、すごい戸惑っていた。……でも私の方も彼を気遣っている余裕が無かったの……!」
アニエスに嘘偽りが無いのは明白だった。
その真摯な姿勢が、エースの呼吸を取り戻すきっかけとなる。
「…………そうだったんだ。それなら……理解もできる」
実際、色々口では言うがアレクサンダーは自分の欲望や感情よりも、常にアニエスのことを優先している。
それは実際に隣で日常的に見ていて、感心するくらいだ。
今朝だって、アレクサンダーは無理な長旅で疲れていたのに、アニエスの身支度は自分がせねばならない仕事だと、ほとんど寝てないにもかかわらず、その身に鞭打ち行動をしたのは、容易に想像ができる。
そんな彼だからライバルであると同時に、エースは親友でいられているのだ。
(まあ、黙っていたこと自体については、あとで文句を言わせてもらうがな……?)
「それで私のことはまだ怒っている? エース……」
それにエースは頭を振って否定した。
「もう怒ってない……髪、ごめんね。折角可愛かったのに」
アニエスはそう言われ少し考える。
そのあと、急にキョロキョロとすると、タンスの上に乗った年代物の大き目の手鏡を見つけて、エースのところへと持ってきた。
「……じゃあ、エースが髪を直して?」
アニエスは言って、くるりとエースに背中を向けて、手鏡をエースにも見えるように掲げた。
「やったことがないんだけど……」
お坊ちゃまであるエースは自分の髪ですら、普段はフットマンかメイドにしてもらってる。
寄宿学校では簡単な整髪料位なら自分でもつけるが……女性の髪なんてそれこそ未知数だった。
「三つ編みもやったことは無い?」
エースはこくりと頷く。それにアニエスは今度は、エースの方を向いた。
「こうするのよ」
そう言い、自分の耳の横を編んで見せる。
「意外と簡単でしょ? じゃあ、こっちの髪をお願いします」
エースは戸惑いながら、見よう見まねで編んでみた。
「じゃあ、鏡で見てみるね」
アニエスはにこにこと鏡を掲げると、次の瞬間、眉間にしわを寄せて微妙な表情になる。
「……何か間違ってた?」
「なんだか……私がやった方よりエースがやった方が綺麗なのは……なんで?」
いや、何でと言われましても……。と思うものの褒められて気分の良くなったエースは、今度は自分からアニエスに聞いた。
「あの埋め込まれた三つ編みみたいなのはどうやるの?」
アニエスは鏡を目の前から下ろしてエースと目を合わせる。
「編み込みのこと? あれはね、三つ編みに少しずつ他の根元の毛束を足していって、縫い付けた感じにするんだけど……自分じゃやりにくくて難しいんだよね。アレって」
アニエスは、さてどう実演して見せようかと迷った。すると……。
「じゃあ試しにやってみるよ、間違っていたら解く感じでいい? OK?」
とエースが提案して、エースはアニエスの髪を手にとる。
エースは、それで何度かアニエスの髪で試しに結っては解きを繰り返すうちに、気付けばあっという間に編み込みをマスターしてしまった。
「は……何でそんな簡単に……えっ? ムカつくのですが?」
アニエスはエースをじっと妬めしそうに見る。
「何でもかんでも簡単にやってのけて……可愛気がないわ! 少しは、弟らしくしなさい!!」
そう言うとエースは口の端をにっと上げた。
「何でこんな簡単なことがそんな難しいのー? お姉ちゃんってばダメダメじゃん!!」
と、わざと挑発して意地悪を言い、アニエスはそんなエースをベッドの枕でボンボンと叩く。それにエースはケラケラと笑った。
そうして最後に編み込んだ髪の後ろをリボンで結び残りを垂らして無事に髪型は完了した。
「可愛いや、さすがっ!」
「……それ、自分の腕前を褒めてるだけですよね?」
自分が作り上げた髪型を、エースは満足そうに何度も撫でる。
本当にその髪型はアニエスの可憐さがよく生きて、愛らしかった。
「また今日みたいに髪をやらせてよ! 今度はもっと上手くなるからそれで……」
今度、もしまたそういう|状況になったら、その時は自分を頼ってくれる?
……とアニエスに聞こえるか聞こえないかの静かな声で、エースはアニエスに尋ねるのだった。
アニエスとエースは仲直りし、エースはアレクサンダーを許しました。
エースのロナ家に来たエピソードも色々あるのでその内書きたいです。
次回は、セオドリック救済編です。




