40、側近とお姫様に恋した日 ☆ new挿絵あり
ノートン・アルロダ・ミラーは、十歳になったばかりの春。
父であるミラー侯爵から呼び出された。
「お呼びでしょうか父上?」
ノートンの父は非常に厳しい人物である。
ノートンは侯爵家の次男で元々反抗的な性格ではないため、そこまで強く叱責にあうことは無かった。
だがノートンの兄は、後継ぎながら反骨精神の塊のような人で、よく厳格な父に殴り飛ばされ顔に痣を作っていた。
その父に呼び出され、ノートンは緊張で喉が乾くのを感じながら、父の書斎を訪ねる。
そこで父にノートンが言われたのがまずコレだった。
「……ノートン、侯爵家の家督を継ぐ気はないか?」
あまりに意外な言葉だった。
ノートンはそれを聞き、驚きで目を見開き、父の青い目と無言で十秒ほど見つめ合う。
「どうしてでしょうか? ……僕には兄がいて、兄は五体満足で健康なのに」
「ああ、あいつは確かに体は丈夫だな。しかし中身は……」
侯爵はそう顔をしかめた。
「あまりに粗暴で喧嘩っ早く、話を聞くということがまるで出来ない!」
ノートンはそれを聞き、襟口から背中に氷を投げ込まれたような……ヒヤッとする心の感覚に一瞬体をわずかに身を縮ませる。
父と兄の不仲がここまでだったことが、純粋にショックだった。
辛い。
確かに父の言うような面も兄は併せ持ってはいたが……ノートンにとってはただただ優しく、力持ちで、弟想いの兄だった。
「俺は、殴られるのなんか、へっちゃらだからな! こんなのは慣れっこだ!!」
兄はごく稀にしたノートンのひどい失敗を、自らその罪を肩代わりして父に余計に殴られ、それにまた反抗的な態度を取りさらにもう一発殴られる。
それにノートンが泣いて本当のことを話すと言っても、彼はソレを制止した。
「おいおい、それじゃあ俺が殴られ損だろう?」
そう言って笑った兄は、ノートンの頭をぐしゃぐしゃっと撫でる。
ノートンはそんな豪快な兄が、大好きだったし……誇りだった。
また父のことも、厳しくはあっても自分をこそ常に厳しく律する態度や、その責任感の強さに尊敬の念を抱いていて、ノートンは父を敬愛していた。
だから自分のそんな大好きな人達がこんなにも憎み合い、相手を悪し様に言うことがノートンを悲しくさせる。
ノートンは一度、深く息を吸い込んだ。喉がわずかに震える。
それでも視線は逸らさなかった。
瞼の裏に、殴られた赤い頬をわざと自分でも殴るようなジェスチャーをして、その後に歯を見せニヤリと笑う兄の姿が映る。
「父上。次期侯爵は兄上以外にあり得ません」
はっきりと、そう言い切る。
「確かに兄には、父上の仰る通り至らぬ面もございます。ですが……兄は決して、弱き者に手を上げるような卑怯な真似はいたしません。身分の低い者にも誠実で、私を含め多くの者が心から敬意を抱いております」
一拍。ノートンは息を整えた。
「反骨的に見えるのは、勇気と、強すぎる正義感ゆえです」
そして静かに頭を下げる。
「せっかくのお申し出ではございますが、私は、その座を望みません。どうか……この我が儘をお許しください」
ノートンはこんな生意気な口をきいて絶対に殴られるだろうと覚悟した。
……けれど例え気絶するまで殴られようと、この件に関してノートンは、絶対に首を縦に振るつもりは無かった。
ところが侯爵はノートンを殴ったりはしなかった。
ノートンの言葉に驚いて目を見開き、穴が開きそうなほどノートンを見つめている。
しばらくの沈黙の後、父がようやく口を開いた。
「……下の者に慕われているというのは、本当のようだな……だが惜しい。齢十にして、そこまでの判断が出来るお前は本当に優秀だと思うし……次期侯爵として申し分ない素質があったのに」
父はノートンの反抗に意外にもあっさりと身を引いてくれた。
「申し訳ございません」
ノートンは片手を胸に添え、改めて心をこめての一礼をする。
「まさか断るとはな……では、この話は所謂、神の思し召しなのかもしれない」
ノートンはその続いた言葉に不思議に思い、顔を上げた。
「ノートン。実は城より王太子の第一側近候補として、今から王太子に付いてみないかという打診がお前に来ている。……受ける気はあるか?」
ノートンはその言葉に驚いた。
齢十歳だってそれは大出世が約束された、大変栄誉な事だということが解る。
「僕が……ですか?」
思わず聞き返した。
「ああそうだ。……受ける気はあるか?」
こんなチャンスを棒に振る、貴族の次男三男が果たしているのだろうか?
というかそれ以前に、既に大きな断りを父に入れてしまったノートンに、もはやそれに対する拒否権は無かった。
「はい」
ノートンはその話を粛々と受け入れる。
このわずかな短い間に自分の運命が目まぐるしく動くのをノートンは肌で感じた。
程なくして、ノートンの居はローゼナタリアの王宮に移る。
自分が仕えるべき主人である同い年の王太子セオドリックに彼はそこで初めて出会った。
黒髪に透き通るようなグレーの瞳の凛とした少年は、一部の隅もなく見るからに賢そうで、これが未来の国王という人物なのかとノートンは緊張する。
実際セオドリックは大変優秀で、とても子供が受け入れられる量ではない鬼のような課題も公務もさらりとこなして見せた。
ノートンはどうしてこんな人物の側近候補に自分が望まれたのか……本当に最初は不思議でならず、逆に妙な不安感を覚えたものだ。
だけど王宮勤めは思っていたよりも、ずっと楽しいものであった。
ノートンとセオドリックは同い年の少年で、しかも二人は似たところがあまりないのに、何故かとても気が合う。
そのため、ごく早い段階で砕けたやり取りが出来るようになっていた。
……これで気が合わなかったら、親元を離れての王宮勤めなど苦痛でしかなかったのだろう。
だが、そんなことが一切なかったのは、ただただ幸運としか言いようがない。
そして程なくして、ノートンはセオドリックから、セオドリックの妹姫タニアを紹介された。
「はじめましてノートンさん。貴方のことは兄からお話は何度も伺っております。今後もどうか兄と仲良くしてくださいますよう……お頼み申します」
まるで母親が子どもの友達に最初に言うような文言。
それが二、三歳下の少女が口にするのは普通は可笑しなことなのに……彼女は子供にしては、ゆったりと余裕を感じさせる優しげな声をしているからか、決して不自然な印象を与えなかった。
乳白の肌はほのかに温もりを帯び、頬には春の花弁のような淡い紅。
艶やかな黒髪は夜をひと束すくい取ったように流れ、黒金剛石を思わせる瞳が、透き通る闇の奥で星を抱いている。
そして、その唇は一滴の血のように鮮やかだった。
……我々の世界に合わせて例えるなら、白雪姫そのもののような見目麗しきこの少女は、間違いなくノートンが今まで出会った女の子の中で桁違いに可愛かった。
「ふふ、ノートン緊張してるのか?」
セオドリックがからかうように言う。
ノートンはその通りなので、どう返してよいのか分からなかったが、それに助け舟を出したのは誰でもないタニア本人だった。
「お兄様はまたそんなことを仰る! ……どんな方だって、友人の妹という立場を相手にした場合。ご自分の立ち位置というものは、なかなかに把握しづらいものですよ?」
そのもの言いにノートンは内心、舌を巻く。
何という大人顔負けの物分かりの良さなのか!?
タニアの噂はノートンも何度か耳にしていたが、それは決して誇張などでは無かった。
その噂というのは無論、悪いものなどでは一切ない。
……逆に噂自体の出所が疑われるくらいの、美辞麗句のオンパレードが取り交わされたものだった。
「それでは、ごきげんよう」
そんな完璧なタニアが最後にノートンに向けてウィンクをして立ち去るので、ノートンはさらに面食らう。
……なるほど、セオドリックの妹らしく、彼女にはちゃんと茶目っ気もあるようだ。
こんな風にタニアの第一印象はもちろん素晴らしかったが、ノートンは別にそれで彼女に恋をすることは無かった。
そりゃあ、あの大変愛らしい顔に微笑まれれば、少年として嬉しいには決まっている。
……でもそれは、結局その時一瞬のもので、離れればノートンの関心は、すぐに次にすべきことへと移行した。
ノートンがタニアに恋をしたのは、それから三年後のことである。
それは、偶然だった。
庭先に鳥の巣がまるごと地面に落ちていて、何かがピーピーと鳴いていた。
その前にタニアがしゃがんでいる。
ノートンはたまたま見かけて、声を掛けようと近づいた。
鳴いていたのは雛鳥。
それとタニアの手の中にはどうやら、その小鳥の親鳥であるらしい小鳥が乗っていることが分かった。
この親鳥はすでに死後硬直を始めようとして、身を硬くしている。
きっと猫にでも襲われたのだ。
それをノートンが理解した次の瞬間。タニアの身体がぽうっと白く光った。
すると、どういうことだろう……親鳥はその身体に柔らかさを取り戻し、傷が癒え、羽根はふっくらとして、目をぱちくりと開けて、その生命の息吹を取り戻した。
「!! ……すごい」
ノートンが思わず声を上げるとその声にタニアはびっくりしたように振り返った。
「ノートン! ……ああ、今のを見てしまいましたか」
タニアはバツが悪そうに苦笑いする。
「……蘇生の魔法を初めて目に致しました」
「えー、あー、うん、そうよね………………」
タニアは珍しく非常に歯切れが悪い。
そして、溜息をつくと覚悟を決めたようにノートンを上目遣いに見つめた。
それにノートンの心臓は思わず一瞬跳ねる。
「……蘇生の魔法は、ほんとは禁忌のもので軽々しく使ってはいけないのです。なのに使ってしまったわ」
そう言いタニアは諦めのような笑みをこぼした。
「それはまた何故……?」
普段は規律を重んじ、皆の模範となっているタニアが自ら禁を犯すのが意外で、ノートンは思わずタニアに聞いた。
「だってこの雛鳥があまりにも幼くて……そんな子が親鳥を失うのをとても他人事のように、黙って見ていられなかったのだもの……!」
そう漏らすタニアの目の端に一瞬光るものがある。
ノートンはそれを、見間違いか何かと思ったが……いや、きっとそんなことは無い。
タニアはこの雛鳥と同じく、母を亡くしたのだから。
彼女が雛鳥の姿を自分や兄の姿に重ねてしまうことは、想像に難くなかった。
「ノートンごめんなさい。罪の片棒を担がせるようで悪いのだけど、私、魔法は生命に関するものしか使えないの。……手伝ってくれるかしら?」
そう言ってノートンに手伝ってもらい、タニアはその小鳥たちを巣ごと木の元あった場所に戻し、更にノートンが軽い風魔法を施して小鳥達から人間の匂いを払う。
すっかり元の親子の生活を取り戻した小鳥たちの姿を、微動だにせず見つめるタニアの横顔はどこまでも儚げで、優し気で、誇らしげで……価値観を変えるほどに――美しかった。
ノートンはその横顔から、目が吸い着いたように離せず、息をするのも忘れてただただ見つめていた。
それからというもの、ノートンはいつの間にか気付けばタニアの背中を探している自分に気付く。
タニアと話をしたあとに、思わずは鼻歌を口ずさんでいる恥ずかしい自分にも……。
彼は、心奪われている。
寂しそうにしたあの時の誰より優しい姫君の姿に……。
こうして彼は、初めての恋に落ちたのだ。




