37、神と変態 ☆New挿絵あり
クラウディウスはこの世のほぼ全てに興味がない。
それは不完全な人の世に、神と相違ないほど恵まれ過ぎた身で生まれたがゆえに、どうしても起こる退屈の連続が彼をそうさせていた。
この超超超超超超……超イージーモードな人生は、どんなものにも価値というのを見いだせず…………自分がこの世界に生み落とされた意味をまるで解らなくさせる。
彼があっという間に皇帝に祀り上げられた後、世の中では困難や災厄や貧困と呼ばれるあらゆる難問が彼を無数に襲った。
しかしそれも彼には何が難しくて、どう大変なのかがさっぱりわからない。
あまりに簡単すぎて手応えがなく、自分の時間つぶしにさえなってはくれなかった。
しかし人々はその鮮やかな偉業に感動し、自分に異を唱え反抗していた者でさえ、気付けば自分に頭を垂れ、床にへばりつく始末……。
賞賛の数々はもはや耳慣れ過ぎて、雑音に聞こえ、静かなあの世への道だけが彼の唯一の心の安寧だった。
やがてそんな彼が十八歳の誕生日をむかえ、生家を訪れる機会が巡ってくる。
そういえばこんな場所だった……とは思いはするもののそれ以外の感想は特に無く……。
両親を見ても、確かにこの人たちが親だったな……位にしか思わない。
自分に希望というものがまったく湧いてこないため、彼は皇帝として人々の期待という期待に、社会の秩序や良識を犯し、誰かの大きな不利益にならない限り、ひたすら無心に応え続けてきた。
それだけが自分の存在意義……生きる理由だったからである。
だから、この両親と言われる人々にもある程度、喜ばれるであろう態度を取る。……もはや癖だ。
いったいこの退屈がいつまで続くのだろうと思うと、彼はそれに真っ暗な目眩を覚え、心身が腐るほどの『暇』という名の地獄に、今まさに堕ちている気がする。
何かを成し遂げる困難に泣いている者が……何かに夢中になるあまりに心取り乱す者が……彼には時々羨ましくて、眩しくて仕方がなかった。
「陛下、宜しければ庭の散歩に出られませんか? ちょうど夏の生花が咲き誇って見頃を迎えております」
自分の姿と似た生みの母に言われ、とりあえず快く受け入れてみせる。本当は心底どうでもよいのに……。
けれど、彼はそこで生まれて初めて心から愛し執着するものに出会うのである。
中庭を抜け、丘一面を花で埋め尽くされた場所を案内された。
いわゆる庭園様式とは違う野原をイメージしてわざとそう作らせた場所だ。
空の広さと花畑のコラボレーションはまるで本物の天国のよう。
超大帝国ヴァルハラから来た使者たちは皆その光景に、素直に感動を示している。
当の歓迎されている本人一人を除いて……。
「どうか好きに見てお周り下さい」
そう言われて興味はないが、クラウディウスは中に踏み入ることにした。
先祖返りしてエルフそのもの。
聖なる絶対的美貌は天国とみまごう場所でも若干浮いてしまうほど神々しい。
しばらく歩くと花畑の中程で、花がざわざわ動いている場所があった。
クラウディウスはウサギかなと思い何となく適当に手を伸ばしてみる。
すると花は一瞬動きを止め、次の瞬間がばっと盛り上がった。
「………………」
現れたのは一人の小さな九歳位の女の子。
白金のストレート気味の長い巻き毛に、透けるように明るく白い肌。
小鹿を思わせるフサフサくるんとした長い睫毛に、その奥で煌めくオパールのような七色のつぶらで大きな潤んだ瞳があった。
クラウディウスはその姿を目にした瞬間。
全身の血がドドッと沸騰し、ドクドクと血流が激しく巡りだすのを感じた……。
胸に迫るこの気持ちはいったい何なのか……?
急に心臓を乱暴にかき乱されて更にガツッと掴まれ、苦しくて切ないような、泣きたくなるような熱い気持ちが一瞬にして湧き上がってくる……!!!!
「誰です……?」
花や葉っぱを髪のあちこちに付け、きょとんと見つめるその瞳。
歯が生えかわる時期のなのか、小さく開いた口にはかわいい歯がところどころ欠けて前歯がウサギみたいになっている。
クラウディウスは、その瞳いっぱいに自身が映っているのを見ただけで、なんだかもう居ても立っても居られず、辛抱堪らなくなった。
気付けば、彼はその少女を力いっぱい抱き締めている。カランと空虚だった心に激流とともになみなみと熱い心地よい感情が一瞬にして心と脳を満たし、やがて溢れた!
しかし、抱き締められた本人は知らない人物にいきなり力強く抱き締められたため、いったい何事かと緊張で体を強張らせた。
「!!??」
クラウディウスはその時、自分の実の妹であるアニエスという少女を己が人生で生まれて初めて、心底欲しいと渇望したのである。
……連れ帰りたい、今すぐに!! この手の中に永遠に収めたい!! と強く。
「アレクサンダー! エースう!! 助けてえええ!!」
腕から漏れ聞こえる可愛い声さえ取り逃したくなくて愛撫したい。
……そうクラウディウスは思っていたのに、次の瞬間二人の美しい少年の手に、あっさりとアニエスは奪われてしまった。
「こわかったよおおおおお!!」
アニエスは無我夢中で銀髪の少年と黒髪の少年にしがみつく。
少年たちも警戒心を顕わにした強い瞳で、少女をかばう。
緊張がその場に一瞬走った。
「アニエス! エース! アレクサンダー!」
そこで、アニエスの母でありクラウディウスの母でもあるディアナの声が後ろから響いた。
駆け付けたディアナは、三人の前にしゃがみ込むと三人に厳しく言いつける。
「無礼ですよ! この方は帝国ヴァルハラの皇帝陛下であると同時に……アニエス。貴方の実の兄君にあらせられますよ? きちんとご挨拶をなさい!」
それにアニエスはポカンとクラウディウスを見上げた。だが、次の瞬間。
「……………………絶対にイヤだ!」
と、完全拒絶の姿勢をみせた。
「あ、ああアニエス!? 貴方……いつも、挨拶はきちんとできているでしょう!?」
母ディアナが、顔を真っ青にして慌てる。
他のロナ家の使用人たちも血の気が引き、顔がひきつった。
しかし一人クラウディウスだけは、人生初めてのはっきりとしたその拒絶に、背中をゾクゾクッゾクゾクッとさせ歓喜にその身が悶えている。
「いや失敬、私がいけなかったのです。いきなりあのような態度に出てひどく驚かせてしまったのでしょう。…………朕は、ヴァルハラ帝国の皇帝クラウディウスであり……そしてそなたの兄です。はじめまして我が妹君」
にっこりと微笑めば大輪の薔薇も恥じらう麗しさだ。
……けれどアニエスはその笑顔をじつに胡散臭そうに睨んだ。
「コホンッ……エース、アレクサンダー、先にご挨拶を」
ディアナはアニエスをいったん保留にし、先に二人に挨拶を促した。
「ヴァルハラ帝国の皇帝陛下。ロナ家が嫡男、エース・ロナ・チャイルズ・アルティミスティアです。お会いできて光栄にございます」
「ヴァルハラ帝国は皇帝陛下。アニエスお嬢様の専属第一従者のアレクサンダー・ライザーマンです。ようこそ当家にお越しくださいました。心より歓迎いたします」
二人が挨拶するのを見て、アニエスは渋々といった感じでスカートのすそを持ち上げ挨拶をする。
「…………ヴァルハラ帝国は皇帝陛下。ロナ家の長子、アニエス・ロナ・チャイルズ・アルティミスティアでございます。……………………どうぞお見知りおきを、お兄様…………」
そう、アニエスが「お兄様」と言った瞬間。
アニエスはいきなりクラウディウスに激しくその唇を奪われた。
……こうしてクラウディウスは、特大級のトラウマをアニエスに植え付けたのである。
時は巡りアニエスは十三歳となった。
アニエスは、背筋にただならぬ悪寒を感じブルっと身体を震わせる。
それは野生の勘が警鐘レベルで鳴っているために起こっているのを本人はわかっていなかったのだが、取りあえずどこかに身を隠さなければ! というその意識だけははっきりしていた。
「アニエス? どうしたの、そんなにそわそわして……何か気になって?」
タニアにおっとりと尋ねられアニエスは慌てて首を振った。
「いえ、何も!」
「そう? ならいいのだけど……」
アニエスは自分の心臓におちつけー、落ち着けー、鎮まれーと言い聞かせる。
しかしアニエスは知っていた。自分のこういう勘は我ながら馬鹿にできないものだということを……。
「本当、夏はアニエスのご実家の別荘にお邪魔できるのが今から楽しみだわ!」
タニアはニコニコと夏の予定に顔をほころばせる。
夏の間の一ヶ月の間。
城は必要最低限の重要機関以外は、長期休暇に入る。
その間、宮廷行儀見習いのご令嬢たちも実家に帰ったり旅行したり……一年の厳しかった行儀見習いから解放され羽を伸ばす。
その例に漏れずアニエスも実家……というか、今回は実家の所有する大きな港町と数々の島とエメラルドとサファイア色に輝く海をのぞんだ別荘に、避暑で向かうことになっていた。
寄宿舎学校もお休みなのでアレクサンダーやエースも一緒だ!
けれど、この三人は竜持ちの人質という特殊な存在のため、監視役として軍の一部とタニアとセオドリックも一緒に行動することが、休みの必須条件となっている。
「タニア様、せっかくのご公務のお休みをこのように潰してしまい本当に申し訳ございません……」
アニエスはそのことに実は結構、かなり胸を痛めていた。
もともとのご予定もあっただろうに……と。
だがタニアはひまわりのような笑顔で言う。
「何を言うの!? 私はアニエス達と夏を過ごせるのがそれは本当に楽しみで……指折り毎日毎日数えているのよ? ああ、もお、本当になんて楽しみなのでしょう!」
タニアは本当に楽しそうに、うふふふっと笑って見せる。
その姿を見て、アニエスはほっと胸を撫で下ろした。
「それでしたら、本当に良かった!」
「アニエス一緒に泳ぎましょうね!! アニエスは泳げて?」
「えへへ、最低限ではございますが一応は泳げます。あまり得意な方ではありませんが!」
「水着はどんなのを着ようかしら? 良かったらデザインを合わせてみないこと?」
それにアニエスは自分の胸を見て、タニアの既にDカップはありそうな胸を見て縮こまりながらボソボソ言った。
「……いっこうに構わないのですが、一部にからかわれる懸念が……」
「うふふ、お兄様にはよおく言って聞かせるから大丈夫よ。どうか安心して!」
女の子同士キャッキャウフフとしていたら、アニエスは先程の警鐘がどうでもよくなってきて、くるくるていっ! と頭の隅に投げて追いやる。
まさか、このあと大船団を中心に大船に乗った人物との恐怖の一ヶ月を過ごさねばならないとは、思いもよらず、それもいた仕方がなかった……。
夏休みは万人を浮かれさせる。
その例に漏れず、アニエスもかなり浮かれていたのであった。
クラウディウス皇帝陛下(※お兄様)




