34、ドレスの採寸と秘密の花園
「髪の色に似合うように青系の物が宜しいかしら?」
一ヶ月ぶりの休暇の日。
アニエスがドレスの仮止めをする横でアンジェリカは、布の見本をいくつか手に取る。
アンジェリカは普段から、日に六~七回着替えているのでオシャレが好きなのだろう。
布を見る目がキラキラとしている。
対してアニエスは既に飽きていて、早く解放してほしいと願っていた。
「……アンジェリカ様は、いったい、いかほどの衣装をお持ちなのですか? 一つとして同じ衣装を拝見したことが無いように思えるのですが」
「そうですね……二、三回も着用したら下々に下げ渡して、常に衣装部屋にあるのは二百、三百といったところでしょうか? とはいえ持っているものを手直しすることも多々あります」
「はあ〜、それはまた……沢山ございますね!!」
アニエスはひえ~っといった様子で仰天している。
「そんなに……って、アニエス様のご実家の家格だったら、私よりドレスをお持ちだと……てっきり私は思っておりましたが?」
それにアニエスは頭をひねって唸る。
「……ふむ、確かに思い起こしてみると最初、実家を出た時はそれかそれ以上の準備をしてくれていたような……まぁそれについては色々と紆余曲折ありまして……それに私はアンジェリカ様のように根がオシャレでは無く無精者なので、正直なところ三着くらいあればそれを着まわして十分と思っている人間でございますゆえ……」
アンジェリカは眉を吊り上げて、まああ!! と声を上げた。
「あ、あ、貴女は、それでも貴族令嬢でらっしゃいますか!? その姿を華やかに着飾るのは各家の財力と権力を周囲に宣伝アピールして周りを牽制することはもちろん……国の経済を循環させるとともに、上から下へと下っていく流行の最初の担い手として、文化を発展させる意味でも、これは貴族令嬢としての重要な仕事ですよ!?」
そう言われてアニエスは途端に萎縮する。
「ふぐっ……! 確かにそれは……言われてみれば、おっしゃる通りですね!? アンジェリカ様のそのお考えは正しいです……」
アニエスはしゅーんと素直に反省した。
「それに……」
アンジェリカは少しだけ嫉妬を込めてアニエスを見る。
「大変お可愛らしい顔と華奢な身体に長くて真っすぐな小鹿のような手足。アニエス様なら大抵のドレスはどれもこれも、とてもお似合いになると思いますわ。まるで生きた数字の『1』そっくりのマネキンがウロチョロと動いて話しているみたいですから……」
「ええ、と、これは一応褒められている……いや、……むしろ逆?」
何となく悪意を感じたのは気のせいだろうか……?
「それならば、アンジェリカ様こそどれも何でもお似合いになりますよね? 出るとこは出ていて、引っ込むところは引っ込んでいて大変魅力的でいらっしゃいます!」
年頃の社交会デビュー目前と言われるご令嬢のドレスはだいたい胸元が大きく開いているので、出るところが出ていないと様にならない。
「そりゃあ私は努力していますもの! お茶と言ってはクッキーやケーキを摘まみ……痩せないと言いながらすぐそこに行くのも馬車や魔法を使う方たちとは違うんです! ダンスだってよく嗜んでいますしね?」
確かにダンスの講習についてはアンジェリカは前に立って見本としてよく踊って見せていた。
「素晴らしいですね、努力はまさに裏切らない!」
アニエスは本当に感心して、うんうんニコニコと頷いている。
「……アニエス様はどうしてそのように素直なのですか?」
「?」
急にそんなことを言われても、アニエスにはいったい何のことかがわからなかった。
「貴族に生まれた女は、大抵プライドが高すぎて自分の非は認めたがらないし、たとえ意見を言われてもやんわりそれを拒否しつつ……自分の意見をぶつけてくる者は存外多いものです。それなのに最高爵位の家柄かつ、名門中の名門の出である貴方が何故にそう簡単にへりくだれるのか…………正直、私には全く理解不能です」
そう言われて、アニエスはうーんと腕を組んだ。
「……私はもともと貴族の意識が希薄というか……ああ、もちろん貴族に生まれたからにはその責任は負っていく所存ではあるのですが……そういうのとは別にして……他の方と違って私は魔力が無いもので……平民や乞食、たとえそれが罪人でも、自分とそう違いがあるようにはとても思えないのです。むしろ、もしかしたらこうなっていたのかもな〜という道の一つにも見えるというか…………だから、貴族特有の優越の感情を持つのが私は不得手なのだと思います。それに実際、私は結構抜けていたりズレている自覚もございますから、ちゃんとそうして教えて下さるのは本当にありがたいです!」
「……言いたいことはわかりました。でも魔力云々を抜いても、ほとんどの恵まれた場所に生れた者は人を見下しますわよ? それこそ呼吸するように、無意識に……だから、貴方のその性質が今の私には羨ましいですわ」
アンジェリカはセオドリックがアニエスに惹かれている理由がこの頃はわかる気がする。
アンジェリカは一途にずっとセオドリックを見てきた……だからこそ腑に落ちるのだ。
彼がいかに嘘と見栄にまみれた上流社会に、笑顔のその下で心底うんざりしているか……それをアンジェリカは知っているから。
……そしてそれを知っているにも関わらず、アンジェリカはぶ厚いプライドの皮を脱ぎ捨てることが出来ない。
何故ならそれは同時に彼女にとって彼女を守る鎧だからだ。
だから今更それを捨てて生身で歩くことはある意味、死よりも恐ろしくてしょうがなかった。
「でもアンジェリカ様……人はプライドがあるからこそ自分を正しく律しようとするし警戒心が育つのではないのではないですか? ありがたくも羨ましいとおっしゃいましたが……私はどうもその辺りがひどく脆弱なもので……そのために周りに迷惑を掛け、危険な目に合うのもしょっちゅうなんです」
アニエスはため息をついた。
「このままではいけないと、自分でも思ってはいるのですが……ですのでアンジェリカ様はそのままが良いと私は思います!」
アニエスはアンジェリカにニカッと笑いかける。
アンジェリカは、なんだか不思議と今までの胸のつかえが取れた気がした。
「そうですわね。私らしくもなく弱音を吐いたりして失礼いたしました。さて、仮縫いも大丈夫そうですわね?」
ドレスのデザインも、分厚いカタログからアンジェリカがアニエスに特に似合いそうなものを数点見繕っている。
これで急げば一週間くらいでドレスが出来上がってくるだろう。
やっと大仕事が終わりそうで、アニエスはふうっと息を吐いた。
「ところでずぅっと伺いたかったのですが、この間、学校でお会いしたお二人……アニエス様はどちらが本命ですの?」
目の端をキラリと光らせ、アンジェリカはずばりと聞く。
「本命?」
アニエスはきょとんとアンジェリカの方を見た。
「義弟のエース様と専属従者のアレクサンダー殿のことです。まさか、あれだけのことをしておいて何もないとは言わせませんわよ?」
その話に、アンジェリカから話を聞いていたのか、アンジェリカ付きの召使いやメイドたちも興味津々に聞き耳をたてる。……ローゼナタリアの人は恋バナに割と目がないのだ。
「はあ……」
だが当の本人だけが何ともピンときていない様子である!
「まずエース様に膝枕をしていたではないですか。正直、二人の世界でとても他人が邪魔できないものを感じましたが?」
アニエスは頬をぽりっとかいた。
「二人の世界というか……あの時セオドリック様に申し上げた通りです。あれは私にとって兄弟の馴れ合いなんです。世間からはもしかして多少ズレているかもしれませんが……何やら皆さまが期待するような深い意味はございません」
「そうですか……では! アレクサンダー殿との公衆の面前での口付けについては、どうご説明されます?」
アニエスはそれにも組んだ手を頬に当てながらぼんやりとして答える。
「あれは『消毒』です。あのままではアレクサンダーのファーストキスは男性のセオドリック様になってしまいます。……そうゆう趣味は決して悪いものではないですが、だからと言ってわざわざ大勢が見ている舞台の上で披露するものでも無いでしょう? そんな見せ物のような辛い状況を主として見過ごすことは出来ませんでした。なので一応は女であり、よく見知った私とであれば多少はマシだろうと思い、人々の記憶を塗り変えるためにも、あのような強硬手段に打ってでました」
さらにアニエスは加える。
「ああ、あと何度も言うように毒の『消毒』も必要だったのですよ!」
アニエスの実に面白みのない、何か人として大事なことが欠けている答えにアンジェリカは頭を抱えた。
「……なるほど。何とも手強い……。確かにアニエス様のご自身の分析は、間違っていなさそうですね」
「えっ?」
しかし次の瞬間、アンジェリカはにっこりとそれはそれはいい笑顔になる。
「ですが大変安心いたしました。あのお二人とそのような感じでしたら、アニエス様とセオドリック様の進展もそう簡単ではないということでしょう! 伺って本当によかったですわ!」
「……お役に立てたのなら何よりです」
アニエスは、とりあえずそう言っておいた。
そうしてアンジェリカの自室を退出し、アニエスは久々の休暇の午後をどうしようかと、そのまま城の庭に降りて行くことにする。
しばらく中庭をプラプラと歩いていくと、キラッと光るものがあるのに気付く。
気になったアニエスはそれを目指してどんどんと奥へと入って行き、やがてそれは硝子で覆われた立派なガーデンハウスだということがわかった。
中を覗くと、希少な花々がたくさん咲いている。
興味を持ったアニエスはそこに入ってみたくなった。
『関係者以外立ち入り禁止』とは無いようだが、一応中に向けて声を掛けてみる。
「ごめんくださーーーい!」
返事は無かった。
「恐れ入りまーーーーーす!!」
……やはり、シーンとしている。
「誰か、いらっしゃいますでしょうか……?」
好奇心に勝てず、アニエスは恐る恐る中に足を踏み入れる。
アニエスは実はかなり薬草学に強い。
その繋がりで植物そのものにも関心が強く、プラントハンターのツテさえ独自に習得しているくらいなのだ。
だからこそ珍しい花を近くで見てみたくて、仕方がなかった。
「……凄いわ。普通は図鑑でしか一生見ることがないようなものばかり……」
アニエスは感心して花を観察する。
いつも持ち歩いている手帳を開き、思わず絵を描き始めた。
「……上手だね」
「!!」
突然話しかけられ振り返ると、そこにはアニエスとそう変わらないくらいの男の子が立っている。
見たこともない知らない子だ。
「あ、あの、ごめんなさい!! 勝手に入ってしまいました……」
何だかスパイ行為でも見られたような気分である。
もちろんそんなつもりではなかったが……。
「いいよ、花も喜ぶ」
にっこりと男の子が笑う。
アレクサンダーとはまたタイプの違う中性的な少年で大変可愛い顔の美少年だ。長い黒髪を首のあたりで括って肩に流し、耳には希少な魔石の長いピアスが揺れている。下まつ毛がかかりそうな目の端の位置にホクロがある。
「君は誰なの?」
男の子が尋ねる。
「アニエスと申します。タニア様付きの宮廷行儀見習いです」
「へえ、タニアのね……ああ、なるほど」
(あのタニア様を呼び捨て? 黒髪だし、この人いったい……)
「不躾に申し訳ございません。貴方はどのようなお方でしょう?」
「……僕?」
男の子はふふっと微笑んだ。
「僕は現国王の弟だよ。だからタニアは姪だね? まあ、先王がかなりお年を召して最後に娶った后との間に産ませた王子だから、歳はセオドリックと一緒なんだけど」
「え!! そ、それは大変なご無礼をいたしました。申し訳ございません王弟殿下!!」
男の子はくすくすと笑う。
「いいよ、僕の活動はあまり表には出ないから知らなくて当然だ。……それに、ここは秘密の場所だから堅苦しいのは言いっこなしで行こうアニエス。僕はフレイ、よろしくね」
「はい……フレイ殿下」
何故か違和感を覚え、アニエスは身構え始める。
それをよそに、フレイはおもむろに花園の花のいくつかを摘みだした。そして、それをすっとアニエスに渡す。
「はい、良かったらあげるよ」
「え…………っ!? め、滅相もございません!!」
アニエスはもちろん、すぐに遠慮した。
「折角、摘んだんだから。もらっておくれ?」
そう言われたが、それでもアニエスは断る。
「お気持ちは嬉しいですが、ここの花はどれもとても希少なものばかり……それを一介の行儀見習い風情が、軽々しく頂くわけにはまいりません」
それにフレイはクスリと妖しく笑った。
「……一介の行儀見習い……?『ロナ』の先祖返りでありこの世界の『エンドユーザー』である君が?」
「??」
なんでさっきからこの人は自分のことをやたら知っている風情なのか……アニエスにはわけが解らない。
「君は、偉大なる魔女……お祖母様から何も聞いてないの?」
「……身内とはいえ祖母とは年に数えるほどしか会うことが無いのです。フレイ王弟殿下はもしかして祖母と親しいのですか?」
「どうやら、君よりはそうみたいだね?」
うーんと、フレイは考えるように花束の薫りを嗅いだ。
「ではこうしようか? これから君に僕がある依頼を頼みたいと思う。この花束はとりあえずその前報酬ということでどうだろう?」
アニエスはそれに難しい顔で答える。
「……ご依頼でございますか? 内容によっては返事が出来かねます」
「簡単な内容だよ。セオドリックをここに三日以内に連れてきてくれればいい」
アニエスはさらに眉根を寄せた。
「セオドリック様はお忙しい身でらっしゃいます。私程度の勝手で振り回すわけにはまいりません。……そもそも御身内であるフレイ様が誰かを通してのみでしかセオドリック様とお会いになるのが難しい関係となると、……失礼ながらセオドリック様とフレイ様の間には何かあるということではないのですか?」
その返答にフレイは目を丸くして驚いて見せる。
「なかなかに鋭いね。そう、彼は僕を避けているからね?」
アニエスはだんだんとフレイが何だか胡散臭い人物に思えてきていた。
彼は本当に王弟なのだろうか? と頭に疑惑がもたげる。
「それはどうしてなのかお伺いしても……?」
フレイはまたにっこりと笑う。
まるでその姿は、百合の似合う可憐な乙女のような美しさだ。
けれど……。
「ああ、それは彼の母親が亡くなった直接の原因が僕だからさ」
その美しさはどこか壊れていて、アニエスは背中がゾクリと粟立つのだった。
【こぼれ話】
アニエスは最初実家から持ってきた衣装の八〜九割をいざという時に必要な……ただしロナには使用用途を伝えずに済む自由に動かせる現金入手のため、早々に売っぱらいました。
アンジェリカたちがいろいろ嫌がらせしたのは、その残りの一〜ニ割の衣装に対してです。