33、公爵夫人の過去と愛する者(三)
(……ここはどこ?)
そこは真っ白な空間。
気付けばディアナは、何故か小さな子供の姿になっている。
「ディアナ」
そこには、木漏れ日の透けた光のように、美しいエルフの母の姿があった。
「お母様!」
「ディアナよく頑張りましたね」
「え?」
ディアナはなぜ、母が褒めるのかがわからない。果たして自分が何かしただろうか?
「辛いことや苦しいこと、悲しいことに悔しいこと……ごめんなさい。それは私の子に生まれてしまった因果がそうさせてきたのですね……?」
「……………」
ディアナの母はしゃがんでディアナの小さな手を握る。優しい温もりある母の手。
「ディアナ、でもどうか自分の運命をあきらめないで……あなたの物語はここで終わらないわ……。だって、ほら、ごらんなさい?」
見ると蛍のような優しい光が八つ、自分を中心にふわふわと優しく取り囲んだ。
「この子達もみんなあなたの幸せと笑顔を望んで、いつもあなたの側にいるのよ? 光となって」
「じゃあ――この光は」
ディアナはぽろと涙をこぼした。
ジゼル、オリアーナ、メルティオール、ヨハン、ダナディ、セルバンテス、マクシミリアン、エミー。
死なせてしまった、今も愛する我が子……!
「……ディアナ、貴方の下へ生まれたことを後悔していると思う? だって、この子たちはずっと、慕って貴方へ光を送り続けているのよ」
それにね、と母は続ける。
「貴方を傷つけて後悔して、だけど、そばからは離れられない……貴方をとっても愛する人がいるの。心当たりは、無い?」
そんな人物はたった一人しか思い浮かばなかった。
「――イライアス」
ディアナを裏切った彼女の最愛の人。
「彼は私を封印したのですね」
母は頷く。
「そうよ。けれど彼も苦しみ続けていたのよ……どんな事情があるにせよ、貴女を裏切ったことを」
ディアナは小さく笑った。
「知っています。そういう人だもの……」
だから憎くて憎くて仕方ないのに、嫌いになれないでいる。母はにっこりと笑う。
「貴女は今までたくさんの愛を注いできた。愛することが出来る人に育ってくれてありがとう。愛しているわ……愛しい私のディアナ」
ディアナの母は、そっとディアナの手を放すと、笑顔で光の中へと溶けて消えた。
……ディアナが次に目にしたのは、見慣れた天蓋。
「……ディアナ?」
「イライアス……」
目を覚ますその場所は、よく知る屋敷の寝室だった。
イライアスはいつもの洗練されたスマートな姿でなく、髪が乱れ、髭がまだらに生えた、ボロボロの様子でディアナの手を握りしめている。
二人はしばらく無言で見つめ合い、その沈黙をまず破ったのはディアナだった。
「……あなたって本当にハンサムだったのね。そんな恰好でも、見ていられるんだもの」
ディアナは自分でも不思議なくらい軽口をたたいていた。
「………まあ、自覚はあるよ」
同じくボロ雑巾みたいな姿のくせに、イライアスは軽口をたたき返す。
クラウディウスの正式な養子縁組が完了し、正式に発表になるまでの一年間。
ディアナは封印され続けた。
翌年、封印は解かれたがそれから彼女は六か月眠り続けていた。
もともと封印は生身の体への負担が大きい。
また、しばらくの沈黙。
それからディアナは意を決したように口を開く。
「……お願いがあるの」
「私に出来ることなら何でも聞こう」
「では、……離婚して?」
ディアナはイライアスを見た。
イライアスはショックに顔が引きつり、しかしその瞳には、ずっと覚悟をしていたような表情が見える。
ディアナはそんな彼から視線を外し、天井を見つめた。
「……もしも、次に生まれてきた子が、またすぐに死んだり、養子に出すことがあるなら……」
「……え? ……それはすぐに別れてくれというわけでは無く?」
「ええ、悔しいのだけれど……何故かまだ貴方を愛しているの……でも、許したわけじゃない。だから次の子供がもし駄目だったら……私たちも、それで終わりにしましょう?」
「……わかった」
イライアスは了承した。
「私からも一ついいかい?」
「……何?」
「クラウディウスのことだが、彼が成人したら年に一度、ローゼナタリアに来る際は、我が家が優先的に滞在先になることが決まったよ。……あと十年も先の話だけど」
その報告にディアナは目を見開く。
「私ができたのはこれ位だ。……不甲斐ない夫ですまない」
それに、ディアナはフンと鼻をならす。
「全くもってその通りね!! 格好悪いわよイライアス!! ……けど、もう二度と会えないと思っていたから……そんなものでも、やっぱり……嬉しい……」
ディアナはぐすぐすと泣いてしまった。
そして、間もなくディアナは再び懐妊する。
その妊娠は、ほとんど夫婦の別れへのカウントダウンだった。
夫妻は不安でたまらず眠れない日々を過ごした。
また、ディアナは子供を再び失う恐怖から、屋敷の湖に入水自殺を図るなど、その妊娠期間は、実に波乱に満ちている。
やがて間もなく出産日を迎え、そこに一人の女児が誕生する。
「アニエス……」
いよいよ生まれた我が子。
しかし、屋敷の者は喜びより皆ピリピリとして緊張状態にあった。
(あと数日で、恐らく『魔法初動』が起きる……そうしたら……!)
運命のカウントダウンが始まる。
一日がたった、二日がたった。
一週間、十日、一ヶ月……。
…………気付けば二ヶ月近くたっている。
おかしい。
いつまでたっても『魔法初動』は起こらない。
その間にも赤子はすくすくと育っていくのは結構だが、何とも不安で仕方ない。
ついに専門医師と国の魔力鑑定官を屋敷に呼んで、赤子を調べに調べた。
出た答えは……。
専門医師と国の鑑定官が部屋から出てくると、大変重苦しい表情で下を向いた。
「大変申し上げにくいことでは、ございますれば……」
ディアナとイライアスは何を言われるのかが想像できずに、喉を静かに鳴らし固唾を飲む。
「お子様は…………『魔力無し』でざいます!! で
でも、どうか、お気を……お気を確かに………!!」
その答えを一切、想像出来ていなかった二人は、思わずポカーンと口を開けてしまった。
それをご夫婦がショックを受けていると受け取った先方は、慌てて必死にフォローしようとする。
「シ、ショックでしょうがお子様はとても健康で元気です! どうか……小さな命はそれだけで奇跡ですので!?」
そう、青くなりながら慰める。
「……い、いえ、『魔力無し』とは、アノ『魔力無し』ですか?」
「はい、そうで……ございます! ……お子様は魔力が一切ございません!!」
「あ……はっ、はははっ、はははは……あはあははは!! 神様あああ!!?!」
ディアナは思わず笑いだした。
そして……泣いた!
「ありがとうございます!! ……ありがとうございます!!」
クラウディウスは先祖返りすることで命を永らえた。
……逆にこの子は突然変異で、魔力を持たずに生まれたために、奇跡的に死なずに済んだのである。
ああ、これでは誰もこの赤子を欲しいという、酔狂な王族や貴族の家は無いだろう。
このロナ家以外では………!!
イライアスも思わず目を赤くした。
子は『かすがい』というがまさにその通りの子供である。
おかげでこの夫婦は別れられなくなったのだから!
「アニエス……生まれて来てくれて、本当にありがとう。あら?」
柔らかな娘を抱きしめると、ほとんど寝てばかりで目をまともに開けなかった娘が、その日初めて目を大きく見開いた。
その瞳は、光を宿すオパールそのものだった。
青白い白目は淡く透き通り、縁は深く濃い色に引き締まる。
乳白色の奥で、青緑や淡桃、金の光が幾重にも溶け合い、瞳孔の周囲に揺れている。
七色の輝きが内側からほのかに脈打ち、見る者の心を掴んで離さなかった。
「なんて、素敵な瞳かしら……でも私とも貴方とも違う。親戚も知らない色だわ」
それ以外は、アニエスは母親のディアナの血を色濃く引いた容姿をしている。
「七色の光の瞳……?」
イライアスは、急に考えるように口もとに手を置く。
「イライアス……何か、覚えがあって?」
ディアナが問うとイライアスは、いやっと頭を振った。
「いや……ただ、子供の頃に聞いたお伽噺を思い出しただけで……気にしないでくれ」
「そう?」
何にしても、夫婦にとってアニエスは目に入れても痛くない子供であった。
そうして、アニエスが生まれロナ家には見事な平和な日々が訪れる。
……なーんてことは無かった。
「アニエスーーー!!」
「はーーーい?」
ディアナはぶるぶると震えながら、あまりの惨状を指さす。
「……どうして、貴方の兄弟のお墓に、ひとつひとつ顔が描いてあるのですか?!」
それにアニエスは元気にへらへらと答える。
「だって、何にも書いて無いと誰が誰か分らないので……アレクサンダーとがんばって描きました!!」
「あ……奥様いけなかったですか……?」
アレクサンダーはどうやら、アニエスにそそのかされたらしい。
アニエスはさっと墓の後ろに行って、得意の腹話術をして見せる。
『……わたしはジゼル! アニエスのお姉さまよ。とってもやさしい長女なの!! 特技は腹話術と読心術で』
「アニエーーースっっ!!?」
アニエスは「魔力無し」と蔑まれ、時に石まで投げられた。
ディアナは己の過干渉を省み、優秀だと信じて子守のナースに教育を一任しまかせた。
だが、のちに彼女の裏に姑の影を知り、彼女の恐ろしいしでかしを知り断罪する。
守れないのか――。
その思いが胸を締めつけ、我が子の行く末を案じて眠れぬ夜がいくつもあった。
けれど。
ある時から、アニエスは変わった。
いや、変わったのではない。
もともと内に秘めていた強さが、静かに芽吹き始めたのだ。
アレクサンダーが来てからというもの、イライアス譲りの明るさが爆ぜるように表へ出た。
……加えて底知れぬ好奇心が暴れ回り、もはや手が付けられない。
そう。
アレクサンダーの問題。
これがまたすごかった……。
今では家族として、家の守護者の一人として無くてはならないアレクサンダーだが、彼が来たときは、それこそ一悶着があった。
子守りの問題から、ディアナはアニエスを憐れみ。
彼女が願えば犬やら、猫やら、アヒルやら――仕事の無い未亡人やらを拾ってくることがあっても受け入れてきた。
だが、しかし!
「お願いします。今日から彼をここにおいて下さい。お母さま!!」
と、ついには身寄りが、あるんだか無いんだか……? な子供まで拾ってきたのである。
もちろん、仕事の無い未亡人を雇うのとは訳が違う。
彼は置けないと、もとの場所に帰すようにディアナは指示した。
けれど、そこからアニエスは齢五歳にしてのハンガーストライキを勃発した。
「お嬢様、お食事を……」
「いらない」
「おやつを……」
「食べない!」
「お飲みものを……」
「…………」
アニエスは無言で顔をストローから反らしまくる。
食事も、水も、寝ることも拒否。
……だが、どうせ五歳のすることである。
すぐに音を上げると高をくくっていた。
……のだが三日たっても、アニエスは何も口にしなかった。
仕方なく魔法で無理やり食事をさせることにした。
「ゲーッ」
「きゃー! 大変!?」
……なのにそれすらもトイレで吐いてみせる。
どんなにこちらが食事をさせようとしても、一切それを受け付けない。
「お願いです。……アレクサンダーをここにおいてください!」
一週間後。ついにぶっ倒れた。
なんと見上げた頑固さ。
しかも、倒れてなお食べ物を一切口にしない。
「はははっ……母の負けです。……彼の親代わりという方と話がまとまる様なら、彼を置いも良いわ……」
そう言うとアニエスはにっこりと笑った。
「ありがとう存じます!!」
食事を取ってよく眠り、元気になった次の日の午後。
……下着姿でテケテケと歩いて、アレクサンダーと共にアニエスは帰ってきた。
おまけに、聞くところによると、ロナ家の長子へ引き継がれる家宝。
身に着けていた金品や、車の全てと彼を交換してきたとこの娘は言いやがる……!
車夫は申し訳なさそうに頭をうなだれたが、当の本人は得意満面。
もちろん、かつて無い程の大きな雷(※リアル)をディアナはお見舞いしたが、翌日にはアニエスはケロリとしていた。
母ディアナ。
むしろゲッソリである。
しかしアレクサンダーは、卓越した才と高い魔力を備えた上、誰よりも努力を怠らぬ少年だった。
彼は奔放に走り出すアニエスを的確に制する、唯一無二の“制動装置”となっていく。
「……いい加減にしないと、お仕置きですよ。お嬢様」
ディアナが彼の存在をどれほど有難く思ったか……それは言葉では尽くせない。
また、アニエスが生まれて魔力無しと分かった頃、イライアスはディアナとある約束をする。
「ディアナ……避妊をしよう。もう子供は生まなくていい」
「え……でもアニエスは女の子で、ましてや魔力を持っていないのですよ? 跡取りは、どうするのですか」
「……私も、もう自分の子が死ぬのには耐えられない。そして君が苦しむ様を見るのも……だから良い子を見つけて養子にしたいと思う。君は反対かな?」
「……いえ、いいえ、そうね、そうしましょう。……でもどうか、アニエスが大きくなっても仲良くできる子を養子にしてください」
「ああ、……もちろんだとも!」
その話の通り、アニエスが七歳になるかならないかの時に、エースがロナ家に養子にやって来た。
イライアスの見立てに間違いはなかったようで、三人はいつも一緒に行動する仲良しトリオとなった。
まあ……悪いことや悪戯も、家出も全て三人セットで行うようになったが……。
けれどロナ家は気付けばいつも賑やかで、力に満ちた太陽のような家になっていた。
その中心には、いつも三人の子供の顔がある。
叱責し、駆け回り、尻拭いをし、時に抱きしめ、時に褒める。
息もつけぬほど騒がしい毎日だった。
だがその混沌こそが、ディアナを逞しくした。
喪失に凍りついていた心は、いつしか熱を取り戻している。
――次は何をしでかすのかしら。
そう思い、わずかに笑う自分に気づいた時、彼女の地獄は、すでに終わりを迎えていたのだ。
今年で、そんなアニエス達も十三歳へと成長していた。
「どうせあの子はまた『魔力無し』でしょうね」
王宮からの娘の手紙。
寄宿学校から届いた義息子と、ほとんど息子同然の少年の便り。
それらを読み終え、ディアナは小さく肩を揺らして笑った。
近々、王宮で魔力測定があるという。全国民が受ける決まりの儀式だ。
だがアニエスはこれまで、何度測っても結果は『魔力無し』。
……おそらく今年もそうだろう。
それがどうした、とでも言うように、ディアナの瞳は穏やかだった。
果たしてその結果は――?
「……『魔力無し』」
アニエスは測定の判定書を眺めながら、ため息をつく。
わかってはいるのだが、いつもほんの少し期待してしまうのは何故なのか……これは人間の本能?
「アニエス。何を珍しくため息をついているんだ?」
「……セオドリック様!」
「ちょうどタニアに用事があったんだ。一緒に行かないか?」
「それは構いませんが……セクハラはお控えくださいね?」
「それは、『押すなよ? 絶対押すなよ?』というアレだろうか……?」
「言葉の通りの意味ですぅ! ……なんでセオドリック様は、それで皆の憧れでいられるんでしょう?」
うんざりしながら尋ねるも、本人にはノーダメージだ。今もアニエスの隣で機嫌よさげに鼻歌を口ずさむ始末。
「で、どうして、ため息なんてついていたんだ?」
「別に、その……当たらない、当たらないと言っていても、人って宝くじにやっぱり期待してしまう心理と申しますか……?」
そこでセオドリックはアニエスの手元を見た。
「その紙……魔力測定があったのか?」
アニエスは紙をたたんでしまいながら頷く。
「……いくら、竜が付けば魔力が最大数千万倍になると言われても……『ゼロ』には何を掛けたって『ゼロ』にしかなりませんよね。本当にままなりません……はあっ」
そこで、セオドリックはピタリと歩みを急に止めた。
「『ゼロ』?」
「はいはい……セオドリック様のような、魔力の高い方には信じられない数字ですよね」
「一とか二とかゼロコンマ何とかでもなく……?」
アニエスはセオドリックを睨んだ。
「そんな……傷をえぐらなくてもよいではないですか!」
「……それを見せてくれないか?」
アニエスはどうせ結果は変わらないし、もう要らないので素直にセオドリックに紙を渡した。
その数字をセオドリックが目にすると、彼の紙を持つ指にギシッと圧がかかる。
「本当に……『ゼロ』だ」
「ご満足いただけましたか?」
アニエスはそのまま、セオドリックを置いてプリプリと機嫌を損ねながら、スタスタと歩きだす。
だが、セオドリックは紙を見つめた姿勢のまま微動だにしなかった。
「有り得ないだろう」
そう……この時点で、その不自然さに気付く者は、セオドリックをおいて他には誰もいなかったのだった。




