29、六月の催しと強い華(歌劇と告白)
ブロードは友人のために歌劇舞台に連れていかないよう様々な計画を胸に秘め、それは順調に進んでいた。
しかしその計画は一番肝心なところであえなく決壊して見せる。
「私はこれから歌劇の舞台にも立つことになっているんだよ。タニア達の席はすでに用意しているんだが、来れそうか?」
「お兄様、その聞き方は『肯定』しか許されてない聞き方ではなくて?」
王族は舞台などに立つ場合ギリギリまで知らされない。
なぜならそれ目当てに新聞メディア各社が学校に集まり、本来は学生たちのものであるフェスティバルが、マスコミのかっこうの標的にされてしまうのを防ぐためだ。
「……あの、質問をよろしいですか? 王太子殿下は、どの舞台に出られるのでしょう?」
ブロードが念のため確認をする。
「歌劇の舞台は一つしかないだろう?」
「……そうでございますね……」
ブロードはすがるような目でエースの方を見た。それを察したエースがすかさず聞く。
「えと、義姉さんもこの後は歌劇を見に行く事になるの……?」
一応どうにか行かせずに済ませられないかとエースも考えた。しかしそれにはアニエスが答える前にタニアがすっと間に入る。
「ああ、アニエスに折り入ってお願いがあるのだけど……歌劇の際は私の隣で一緒に観劇してもらえないかしら?」
そう強くアニエスの同席を希望した。
それにアニエスはコクリと頷く。
「私は元よりタニア様付きの行儀見習いですから……もちろんお側にて控えるつもりです。タニア様がお望みならば尚更のこと」
それを聞いてタニアはチラりと兄の方を見た。
するとセオドリックがいい笑顔で小さく頷きタニアはそれを見てやれやれと、ため息をついた。
なるほどそういうことか。とエースは複雑な笑みを作る。
タニアは兄の活躍をアニエスに見せるべく、エースがアニエスを連れ出す可能性を事前に摘み取り、同席させる協力をしたのだ。
これはアレクサンダーには悪いが観劇の阻止は不可能に近い。
ブロードとエースは顔を見合わせて気の毒なアレクサンダーを思い、手を合わせるするしかなかった。
そして、舞台が始まってしまった。
ブロードとエースは生徒席があるので、一階の席へと降り、一行と離れる。
公爵夫妻は同じように子供を通わせている同じ寄宿舎学校の卒業生の友人と約束があるため、舞台劇場に来るより前に別れていた。
……というか、エースがせめて公爵夫妻の目には入れないようにという配慮から、無理やり理由をみつけて別行動をとってもらった……というのが本当の話である。
「お兄様の独唱から始まるのね」
タニアが扇子越しにひそひそと話す。
「さすがは将来、国王になられるだけあって肝が据わっていらっしゃいますね!」
アニエスが素直に驚き感心しているとタニアがフフッと笑った。
「……場数が違いますからね。お兄様なんて産声を上げた頃から訓練されていますもの。でも、お兄様が歌う姿は私も初めて見るわ」
「こんなに歌がお上手なのに、昔から習われていたわけではないのでしょうか?」
タニアは首を傾げて少し考える。
「どうだったかしら? お兄様は昔から、朝から晩までお稽古や勉強や行儀作法で一分すら無駄にすることは許されていなかったの。そのために……お母様にすらほとんど会えずにいましたからね。私は母とよく過ごしていましたが、兄は数える程度にしか母に甘えた経験はないのではないかしら……だからかしらね? 女性の温もりを求めるのは、その反動からかもしれないわ」
アニエスはそこで言葉に詰まった。
「そういえば、皇后陛下は五年前に……」
「私もまだ子供で今ほど上手に魔法を操れていなかったの。あの当時、今ほど魔法が使えていたならば、もっとお母様とお兄様が一緒にいる時間をお作り出来たでしょうに…………ままならないものね」
そう言い、タニアは眉間にしわを寄せ一瞬自分の指を見つめる。
アニエスは皇后陛下を直接には知らなかったが、城の肖像画で飾ってあるのをよく目にしていた。
皇后陛下は全体的な雰囲気はタニアに似ていたが、顔立ち……特に目元はセオドリックにそっくりで、見たことは無いがセオドリックの本来の目の色である灰色の瞳をしている。
「この舞台をお母様にも見せて差し上げたかったわね……。というわけで、せめてアニエスだけはしっかりとこの舞台を見てくださらない?」
アニエスはどう返事をすべきか一瞬迷って黙った。
「私の単なる勘だからとても当てにはならないのだけど……なんとなく、アニエスはお兄様にとってお母様に引けを取らない……忘れられない存在になると思うのよね……」
「……大変恐れ多いお言葉でございます。しかし、皇后さまの目になったつもりで目に焼き付けて、肖像画にご報告に伺いますわ!」
「うふふ、夜にやったら母が化けて出そうね?」
「えへへっ、そこは、昼に伺うことをどうかお許しください!」
タニアは扇子の影で喉を振るわせ笑っている。
セオドリックの独唱が終わり、セオドリックの後ろの緞帳も上がっていく。
学校の舞台とは思えない本格的な作りに、学校がこのような芸能にも力を入れている様子が伺えた。
大人数で披露する合唱と演技も脇役ですら、出来栄えはプロ顔負けである。
そして、とうとうその時が来た。
まずは姿が無いまま響いてくる美しいボーイソプラノが、心地よく会場の空気を震わせる。
「なんて声量かしら!! 音声拡張魔法は使われてないはずですのに……?」
一人の王宮宮廷行儀見習いがその見事さに思わず声を上げた。
しずしずと長い裾を引いて、異国風のドレスを身に纏ったヒロインが舞台の真ん中に進み出る。
その姿の美しさは遠目にも圧巻だった。
「なん……て美しさかしら……!」
タニアが思わずこぼすように呟く。
しばらくの間ヒロインは俯き加減で歌い続ける。
政略結婚の道具として残虐な王に嫁がなければならない、己の身を嘆いて悲嘆にくれながら……。
そのあまりに身に迫った歌が観客の心を掴み、感じやすい者は既にハンカチを濡らしていた。
歌のサビの部分に入り、姫が自分の感情を歌にのせて爆発させるところで、ようやくヒロインの全貌ははっきりと現れる。
(…………ア、アレクサンダー!!!?)
化粧を多少なりとも施しているが、その唯一無二の美しき顔を見間違うことなど有り得ない。
ましてや、アニエスに関しては数年間ずっと隣で見てきたのだから間違えようはずがないのだ。
アレクサンダーが一心不乱に歌い続ける。
自分の運命を呪い……このままでいいのか、本当の愛も知らずにあの非道な王の下へ行って?
本当は私を待っている恋人がこの世にはいるのでは?
いやいやそんなのはしょせん夢物語よ……でも……でも、だけど……!!
と、心の動きを実際の仕草にも余すことなく表現し姫の心揺れるさまを完璧に演じていた。
「……学校の生徒なのですから、男性なのですよね!?」
「あんな所作まで美しく、女神ですら嫉妬しそうな方が男性だなんて!!」
驚きともショックともつかない声で、タニアの後ろに控える行儀見習い達が小声でヒソヒソと囁き合う。
「………………」
周りが様々な声を上げる中、アニエスは舞台を一心不乱に夢中で見続けた。
物語はどんどん進み、国の英雄である将軍が庭先で初めて深窓の姫に会ってしまう。
だが二人は思わずお互いに己の身分を偽ってしまった。
何度か繰り返される逢瀬の中で次第に惹かれ合っていく二人。
そして、姫は残虐な王に嫁ぐその結婚式で初めて将軍は姫と正式な会見をし、それが想い人であったことを知りショックを受ける。
だが、もともと身分違いの恋だったのだと将軍は無理やり諦めようとする。
けれど嫁いでいく道中、何気ないことで不興を買ってしまった姫は残虐な王に片眼をつぶされてしまう。
怒りに我を忘れた将軍はその場で残虐な王を殺してしまい、そのまま姫を連れてその場から逃亡し駆け落ちをする。
けれど追っ手からは逃げ切れないと判断した二人は、来世で結ばれることを信じて服毒して最後は寄り添うように心中し、悲劇的な最期で舞台の幕は下りた。
「う、う、……ううっううう」
観客が抑えきれずに嗚咽を漏らす。
舞台の緞帳が静かに下りきると会場からは、スタンディングオベーションの波が起こり拍手喝さいが降り注いだ。
「アンコール! アンコール!」
舞台に感動した人々によるアンコールが起こり、緞帳の前に出演者全員が前に出て一斉にお辞儀する。
皆そこまではやり切ったとても良い顔をしていて、心地よい空気が流れていた。
普段は内心で互いを面白くないと思い合っている者同士の主人公とヒロイン……つまりはセオドリックとアレクサンダーが、この時ばかりは互いに熱い握手を交わす。
しかし、そこでハプニングが巻き起こった。
もともと主役でアレクサンダーの相手役をするはずだった役者が、二人が顔を見合わせている時にわざとぶつかってきたのである。
感情が高ぶって警戒心の薄れていたセオドリックが、それに対しての急な対応が間に合わずにそのままアレクサンダーの方へ倒れこんでしまった!
そのために…………!!
「きゃあああああああああああああああああっっっ!!!!」
麗しき美少年二人の唇が重なった姿に一部の令嬢(※一部ご婦人も)が、卒倒せんばかりに歓喜の渾身の雄叫びを上げた。
それ以外の人々はあまりの出来事に呆然とその光景を見つめる。
「………………」
驚きにしばらく固まっていた二人だが、先に動いたのはアレクサンダーだった。
無言でセオドリックの胸を押しのけ、さっと緞帳の裏へと消える。
セオドリックも、されたことへの不快感から自分の背を押してきた者を普段は見せない怒りの表情で睨みつける。
会場は先程までの満たされたものと打って変わり、ザワザワと落ち着かないものになっっていた。
「た、大変なことになってしまったわねアニエス!? ……あら、アニエスはどこなの?」
すると行儀見習いの一人が託された伝言をタニアに伝える。
「お花を摘みに行かれましたわ。ひどくお腹が痛むそうで……」
「………ックソ!!」
アレクサンダーは悔し涙を目に浮かべ外に出た。
心を殺して演じて見事に素晴らしい舞台に仕上げたのに、最後にあんな醜態を晒したことにアレクサンダーは今、絶望している。
(しかもそれを世界で一番見られたくない人に見られるだなんて………!!)
アレクサンダーは声を出して泣きたい心境だった。
しかし悪い事というもの続くものである。アレクサンダーが出てくるのを待っていたエンヴリオ他、アレクサンダーの熱烈なファンにうっかり捕まってしまったのだ。
皆が赤い顔でひどく興奮している。
「アレク姫………素晴らしかった!!」
アレクサンダーは、こいつらに泣き顔なんて見せてやるものかと、必死で涙をひっこめてぶっきらぼうに話す。
「ふうん、そう、ありがと………それじゃあ」
「あの待ってください。これを受け取ってください……」
それはプロポーズの時に渡す胸に刺すブローチによく似ていた。
「結婚してくださいアレク姫」
…………というか本物である。
「こんな時にふざけるな! 男同士で結婚などできるわけないだろうがっ!!」
それにエンヴリオは興奮気味にベラベラと話し出した。
「確かにそうです。でも僕の知人に『性別変換』の魔法を使える者がいるのです。だからそれを使ってアレク姫を本物の女性にして差し上げます!」
(……はっ? 何を言っているんだ、こいつ。気でも狂ってるのか!?)
「既にここにいる全員は了承済みです」
他のファン達も、アレクに熱い壊れた視線を向けながら皆が頷く。
そして、アレクを取り押さえようと迫ってきてアレクサンダーは背筋をざわつかせた。
自衛のためにとっさに技をかけようとする。
ところが急激な眩暈と痺れがアレクサンダーを襲い、立っていることさえままならなくなる。
「よかった。ちゃんと舞台前に水を飲んでくれたんですね! 毎日観察して姫が必ず舞台前には水を飲むことを調べて…………今日は痺れ薬を入れておいたんです。タイミングもばっちりだ!」
アレクサンダーはそれを聞き……犯られる!! とそう本能的に感じ、恐怖に固まり震えた。
その時である。
「性別変換魔法は余程の実力者でもなければ不可能な術式魔法のはずですよ?」
突然、声が降ってくる。
静かで耳に心地よい……甘く優しい聞きなれた声。
「ロナでもそのような知り合いは今はおりませんのに……その方はペテン師なのでは?」
見慣れた白金の髪に七色に光溢れる大きな瞳。
見慣れているのに、いまだに胸が早鐘を打つ。
「お願いです。どうか私のアレクサンダーを放してください」
アニエスが毅然とエンブリオの前に立ちはだかる。
「というか人体を大きく変貌させる魔法は特例を除いて違法なのですよ。わかっておりますか?」
さらに横からアレクサンダーの昔からの親友である黒髪のドラゴニスト、エースが姿を現した。
「貴女を誰かは存じませんが彼は彼女になるべきですよ? だって、こんなに誰よりも美しくて麗しいのですから!!」
その言葉を受けたアニエスは真っすぐと澄んだ瞳を向けて瞬きもせずエンブリオに言う。
「アレクサンダーは確かに誰よりも美しいわ。それには同意します。……けれど彼は同時に勇気があって勇ましいし、周りのためならば死ぬほど嫌なことでもしっかりと果たす責任感の鬼で、それでいて捻くれながらも根は真っすぐな優しさと正義感を持つ…………誰よりも男らしい人ですよ? 私はそれをずっと隣で見て誰よりも存じています!」
「お嬢様……」
アニエスの言葉に、胸に先程まであった恐怖や絶望がすーっと溶けて無くなってく。
急に平静を取り戻したアレキサンダーは、身体の痺れを気合いで体の内に無理やり恐ろしい根性でねじ込め、獣のように自分を取り押さえていた数人をあっという間に地面に叩きつけた!
「もう僕に付きまとうな!!」
だがエンヴリオは諦めない。
「例えここで僕が引いたとしても……同じように考えている奴がここにはうじゃうじゃいる。アレクサンダー……君が皆をそうさせるんだよ?」
「気持ち悪ッ!!」
思わずエースが叫ぶ。
……あと、いつの間にやら残りの人数をエースが片付けて、ついでに縄でまとめ作業に入っていた。さすがは出来る子、エースである。
騒ぎを聞きつけ人が集まってくる気配があった。
アニエスは静かにエンヴリオに問う。
「ではどのようにすれば、その方々を黙らせることが出来ますか?」
エンブリオが出来ないと腹をくくってふんっと鼻を鳴らして馬鹿にするように言った。
「アレクサンダーが男であると見せつけ、かつ将来を誓った相手でも出してくれば皆も黙るのではないですか? まあ普段女人禁制のこのエールロードでは不可能だと思いますが?」
「……そうですか」
アニエスはエンブリオの言葉に気のない返事をした。
「人が集まってきたな。エンブリオ、悪いが少なくとも停学免れないと思うぞ?」
エースが言うように人が集まってくる。
アニエスはそのタイミングでアレクサンダーの袖を引っ張って声を掛けた。
「アレクッ……!」
そして、アニエスが人々の集まったタイミングでアレクサンダーの頭を掴み、その唇に自分の唇をしっかり重ねてキスをしたのだ。
十数秒ほど唇を重ねてアニエスは、手と唇を放しながら、アレクサンダーにだけ聞こえる小声で囁く。
「……消毒っ」
アレクサンダーは耳の先から蒸発しそうなほど顔の熱を感じながら、自分が今されたことがにわかに信じられなかった。
と同時に、アニエスが最後に耳に残した甘い声が背筋をぞくぞくとさせる。
「彼は私と昔から将来を誓い合った仲です。ですからどうか今後の手出し無用に願います!」
アニエスがアレクサンダーから顔を放すとキリっと、眼前の衆人に向けて宣言した。
「それでも納得がいかないというのなら、致し方ありません……それでしたら、いつでも私が相手になります。……私は、手強いですよ?」
不敵な笑みを浮かべるその表情に、エンヴリオが今度こそ完敗を認めざるおえなくなり頭を項垂れて涙を流す。
結局エンブリオたちは、先生と監督生に連れていかれることになった。
六月の催しは演劇舞台が終わり、十七時の校舎の鐘が鳴ったことでフィナーレとなる。
あと、公爵夫人によってアニエス、アレクサンダー、エースの三名は呼ばれて何故かひどく叱られた。
確かに何人かのして簀巻きにしてしまったのは若干やり過ぎた気もしたが、もともと被害者側の三人としては解せぬ気持ちでいっぱいである。
そんな怒り心頭の公爵夫人に対し、公爵の方は大ウケだったというのに……。
催しが終わってそれぞれ家路に帰っていく馬車の中。セオドリックとタニアとノートンとアニエスが同じ馬車になった。
アニエスは下っ端のなので、そのメンバーと同席の馬車を遠慮したのだが……ノートンを通してセオドリックが強行した結果である。
「全く誰が今日の主役か解らなかったよ」
そう言いセオドリックがアニエスを睨む。
「えっ、えっ? どうして、私を見て言うのですか??」
アニエスは睨まれて戸惑いがちに答えた。
それに、タニアはくすくすと笑う。
「大活躍でしたものね? アニエスったら!」
「しかも最後の最後にアレだ。なんであんなことをした!?」
セオドリックはイラつきを抑えられない様子でアニエスに尋ねた。
それに、アニエスは居ずまいを正しキリっと答える。
「セオドリック様……それは、もともとセオドリック様のせいではないですが! 今後、アレクサンダーに手出しは無用に願いますよ? 今回は私が消毒いたしましたが……彼は私の専属従者なんですからね!」
「何を言っているんだ! 私だってあんな目に合って被害者の一人だぞ!? 誰が好き好んで……!!」
「えぇーーーっ…………本当ですか? あんな今まで見たこともないような美人を目の前にして内心ラッキーと思っているのではないのですか? ……世に言う『ラッキースケベ』というやつですね?」
「ふっっっっっっざけるな!? いくら美人でも私にはその手の趣味は無い!!?」
「……やっぱり美人とは思ってたんですね!」
「~~だーかーらーーーっ!!!!」
「……面白いわぁ……最高に面白い!! これってつまりはアニエスはアレクサンダー殿を取られそうなのに腹を立てたのに対し、お兄様とアレクサンダー殿はアニエスをめぐるライバル同士で……なのにお兄様はその想い人に嫉妬されている。と……さらにはエース殿も加わる四角関係! こんなワイドショーな展開でウキウキせずにはいられないわねノートン?」
「確かに見ごたえのある展開。おかわり必須ですね?」
「おい、……君たちは私の味方ではないのか!?」
「うーん……基本はそうなのですが……こんな面白い展開、片一方に肩入れするのはもったいない気がして? ほら、何だか見ていてアレクサンダー殿もエース殿も応援したくなるでしょう? ……でも、アニエスの気持ちは不確定で不透明な要素が多いですから、お兄様の挽回のチャンスはまだまだございますわ。だからね、ファイトッお兄様!」
「お前な~!」
確かにタニアが言うことは間違っておらず、そう言われてもアニエスは大してよく解っていないのに、とりあえずその場の空気だけ読み、わかったような顔をして愛想笑いを浮かべていた。
「この先どうなるのか、実に楽しみね?」
「私は、今ちっとも楽しくないぞ!!」
タニアがニコニコと笑い、セオドリックは口を尖らせ、ノートンがまあまあと王太子をなだめる。
当のアニエスに至っては今日の疲れで若干うとうとと舟をこぎそうになっていた。
けれど疲れてはいても、充実した一日にアニエスはいま満足している。
(アレクサンダーとっても綺麗だったなあ)
鞄にはセット売りをしていたアレクサンダーの舞台のブロマイドが入っていた。
(でも、見つかったらアレクに絶対に怒られるから黙っておこうっ)
アニエスは今日、見たアレクサンダーとエースの成長した姿に熱い誇らしい気持ちになると同時に、ふと思う。
(…………いったいどこにいるのか、生きているのかわからないあの人にも今日の二人を見せてあげたかったな…………)
そう考えるとアニエスの胸がチクッと痛んだ。
一方そのころ寄宿舎学校内では……。
「おーーーーい!! エースッ」
「ブロード? どうしたんだそんな急いで……」
息を上げてブロードが走ってきた。息を整えつつ不安そうにエースの顔を見つめる。
「い、いや、あんなものを見て君が大丈夫か心配になって……」
言いにくそうにしつつもその理由を述べる。
けれど、それに対しエースは別に普段と変わらない様子だった。
「もしかして、アニエスとアレクサンダーのキスのこと?」
ブロードは本人の口からまさか、こんなにもはっきり言われたことに動揺する。
「だ、大丈夫なの……!?」
「いや、普通に相当ムカついてはいるけど……別に」
その答えにブロードの頭上に疑問符が無数に飛ぶ。
(エースはもっとアニエスさんにべた惚れだと思ていたのに……実はそうではないのかな? 僕の勘違い??)
それを鋭く勘付いたのかエースは飄々と答えた。
「アニエスの初めては俺だったし……俺にとってはアニエスとのキスは別に珍しいことじゃない。まあ、アレクサンダーを含む皆は知らないだろうけど」
エースの言葉に物語に思わぬ新たな波紋が拡がるのだった。
※アニエスの『消毒』。実は本物の『毒消し』としても作用している。