21、お食事会と残念な一人娘 ☆挿絵あり ※ぷち閑話あり
※アニエス私服
王都の王侯貴族も御用達とするグランドホテル。
その中でも最上級の格式を誇るレストランテの、さらに最奥――限られた者しか足を踏み入れられぬ特別室に、アレクサンダーとエースは正装姿で並んでいた。
磨き抜かれた大理石の床、柔らかな間接照明、重厚な調度品。
空間そのものが、まるで静かに客の身分を選別しているようだ。
今夜は三人で食事をする。二人はそれを疑いもしなかった。
――しかし、卓に目を落とした瞬間、違和感が走る。整然と並ぶカトラリーと食器の数が、どう見ても合わない。
互いに視線を交わし、首をかしげつつ、二人は黙ってイライアスの到着を待った。
「私が誘ったというのに待たせて済まないな!」
十分ほどして待ち人が無事に到着した。
だが、そんなイライアスの後ろから思わぬ人物が現れる。
「お嬢様!」
登場した一人目は思わぬ嬉しい人物だった。
瀟洒たリボンで髪を結び、肩の膨らんだ青と白の少女用のドレスを身にまとい、いつもより清楚でどこか大人な雰囲気のアニエスが二人の前に立つ。
少し背も伸びたようだが、なのに愛くるしさについては以前より増している気さえした。
さあ、ではこれで終わりかと思えば、なんとその後ろからさらなる大物が現われ、再度二人は仰天する。
「セオドリック王太子殿下……!?」
それは、あまりにも意外な人物だった。
「竜の人質である三人と公爵閣下だけを一緒にするわけにはいかないゆえ、家族水入らずのところ大変申し訳ないが同席させて頂きたい」
ということで思いもよらない、この五人で食事をする運びとなった。
席に着き。グラスにアペリティフが注がれるが、大半が未成年のため、それぞれの希望を聞いてジュースや水が注がれる。
そうして、最初に乾杯をすると穏やかな会話と食事がいよいよ始まった。
「寄宿学校の生活はどうかな? 寮は他の者と共同だから馴れるのも大変だろう」
公爵はエースとアレクサンダーに早速、学校での様子を尋ねる。
「最初は戸惑いましたが、馴れると案外楽しいです! 男同士でくだらないことでふざけたり、勉強を教え合ったり……腹が立つことも時にはありますが、いろいろ学びがあり、日々勉強になります!」
エースが明るく答える。
対してアレクサンダーは、なんだか少し歯切れが悪かった。
「皆、少々、親切すぎるくらいに親切です。ええ……本当に」
「ん? アレクサンダーにはいろいろと何かありそうな様子に思えるが……上手くいっていないのかな?」
「い、いえ、ただ僕はもともと賑やかなのがそこまで好まないものですから……共同の部屋に、まだエースほど慣れていないだけです!?」
「そうか、それならいいんだが……」
「二人はずば抜けて優秀でエールロードでも常に注目の的ですよ公爵閣下。人気も高いので監督生候補に挙がっているくらいですからね」
それに驚いたエースが、セオドリックの話に加わる。
「王太子殿下が僕たちのことをご存じだとは、思ってもみませんでした……」
セオドリックは人好きのする笑顔を見せ、首を振った。
「何を言っているのやら……最初から注目はしているよ。軍や学校の管轄とはいえ、竜の所持者なのは耳にしていたし、実際歩いているだけで君たちは目立つ。女性が我が校に入学出来たならば、きっと毎日おいかけられて、告白が後を絶たないんじゃないかな?」
「いいや……女子がいなくとも毎日、告白されている者もいます、が……って、いって!」
エースは余計な口をきいたため、アレクサンダーにテーブルの下で思いきり蹴られ、悶絶する。
「……失礼いたしました」
突然声を上げたことをエースが詫びつつ、アレクを横目でキッと睨む。
「でも確かに入学して間もない頃に、女の子がわざわざ変装して忍び込むくらいだから……それも不思議ではないか?」
「ゴホ! ゴホごほッ!!」
セオドリックがニコニコと語ったその横で、何故かアニエスが盛大にむせる。
ぜーぜーと薄い肩で息をしながら、アニエスがぎこちない笑顔で非礼をわびた。
「し、失礼いたしました。グリーンピースがのどに飛び込んできたものですから……!」
涙目でそのままグイッと水を飲みほすものの、表情には何とも言えないものを含んでいる。
「二人はもうすぐ軍の演習課程があるのだろう? やたら注目されるとスカウトが激しいから、気を付けた方がいい」
アレクサンダーがその話に、首をかしげて質問した。
「授業の内容はどういったものでしょうか?」
どうやら、以前から気になっていたのか、珍しくこの話には前のめりに食いつく。
「まずは基本の薬の塗り方、包帯の巻き方とか、隊列について……それから武器の扱いなんかも最初に習うはずだ」
続いて今度はエース質問をする。
「では魔法は使わないのですか?」
「いいや、チーム分けしての演習が行われる際にはリーダーに判断を任せられる。だから、使用する場合も無論あるだろう!」
まだ新入生でクラブ活動も数えるほどしか行っていない中、上級生であるセオドリックの話は実にためになり、二人は熱心に聞き入った。
公爵も寄宿学校の出身なので、話の内容はよく知ったもののようで、懐かしそうに、うんうんと頷いている。
一方、アニエスは蚊帳の外の知らない話に、余計な口は挟まない方が賢明だろうと、ハムハムと目の前のお皿の料理を静かに咀嚼していた。
すると話題が盛り上がり、公爵とエースとアレクの三人が話に夢中になっているその隙に、セオドリックがアニエスの皿に、自分の肉やら野菜やらをポイポイと移動しだした。
「……これは何の真似でしょうか。王太子殿下?」
「いや、せっかくだからもっと食べた方がいいと思ってな。君は線が細すぎる」
「お気遣いいただき大変恐縮ですが、私は欠食孤児でないので、こういうことはされずとも結構にございます!」
「――それに今日はやたら大人しいし……君も別に話すのは嫌いじゃないだろう?」
マッサージの際にアニエスはセオドリックと、くだらないことから、専門的な分野までよく話をしていた。
「殿方の話に口を挟むのは礼に事欠くと、先日も作法で習ったばかりです」
「ふうん。それは、君らしくないな?」
アニエスは口を尖らせながら、セオドリックに反論する。
「いったい私の何を知っていらっしゃるというのです? そして更にその海老を、なんで私のお皿に入れるのですか!? ……んもう!」
それに表情は真顔のまま、しかし口調は若干からかう調子でセオドリックは続けた。
「いや、やはり栄養は取った方がいいと思うんだよ。君は女性らしい丸みから縁遠すぎるから……」
そう言い、チラリとアニエスの胸元に視線を送る。
「十二歳はこれくらいが平均値ではないでしょうか? セクハラ……いや、セオドリック殿下」
「そうかな? 十一歳の頃に出来たガールフレンドは、当時十二歳だったけど君の倍、三倍は膨らんでいたよ?」
「昔からそんなところばかりご覧になっているのですか?」
「いや、私から見たわけではなく……あっちが見せてきた」
「えええ、どういうシチュエーションですか? それは……」
「――随分、仲が宜しいご様子ですね……?」
若干ひんやりとする空気をまといアレクサンダーがすっと口を挟んだ。
二人が振り返ると公爵とエースもこちらを見ている。
それにアニエスは慌てて手と首を大きく振り反論した。
「あ、いや……殿下は私がお世話になっているタニア王女殿下の兄君であらせますから、多少は世間話も交わします! ……ですが、だからといって特別に仲が良いなどという恐れ多いことは決して……!」
それにセオドリックはニコニコと頷く。
「そうですね。おびえて泣く彼女に胸を貸し、落ち着くまで背中を撫でて励ましたりしましたが……決して言うほど親しいわけではありませんね?」
「……っな!!」
アニエスは引きつった青い顔で、セオドリックの涼し気な笑みを浮かべる顔を凝視した。
「で、殿下! そ、その言い方は中々に誤解を招きます!」
「確かにそうだな……。では貴女があられもない姿で僕の前に現れたという話も、しない方がよいですか?」
「〜っ事故! あれこそ事故です!! いい加減におふざけを止めて頂かないと、さすがの私も怒りますよ!?」
その反応を見てセオドリックは自分の腹を抑える。
「ええっ!? ではこの腹を『また』殴りますか?」
「ア、アニエス! 殿下をまさか打ち据えるようなことをしたりしたのか!?」
その発言には、さすがのロナ公爵もぎょっとして身を乗り出した。
「え、それはその、しました………け……ど、も、もともとはセオドリック殿下が……!?」
「うん、殿下がいったい何をしたの?」
エースが静かに尋ねた。
父やアレクサンダーもアニエスに視線を向けて注視している。
アニエスはそれに無言でテーブルの上のグラスを、指で下から突くように、さり気なくパタンと倒した。
「――きゃっ! 大変、たいへん!? テーブルがッ!! ボーイさ〜んすぐに来てください。 誤ってテーブルに飲み物をこぼしてしまいましたわー!?」
「ええと……今、わざと倒したよね?」
おかしいっ! アニエスは最初ただ静かに食事していただけのはずなのに、これはいったいどういうことなのだろうか!?
自分を窮地に追い込んだ張本人を、アニエスは再度、涙目になりながらギロリと睨んだ。
「せ、セオドリック様………私に何か恨みでもお持ちでしょうか!?」
するとセオドリックは楽しそうに口の端を上げ、ニコッと笑う。
「いえいえ、ただ思いついたことを言ったまでで?」
嘘だ! 絶対これは何かの仕返しをしているに違いない! とアニエスは喉の奥を唸らせる。
「もしや本日昼間の私の発言に、何か殿下の気に障るものがあったでしょうか? でしたらこの場でお詫び申し上げますから!!」
「いやいや、別に私の気に障ることなんて……」
……あった。
アニエスの昼間の発言でアニエスが自分の妃になる気はさらさらないこと……。
挙句の果てに今回の首謀者に、セオドリックの正妃をあきらめずに頑張れとエールを送ったことに、……平静を装っていたが、セオドリックは実はずっとイライラしっぱなしだった。
正直、今までいろんな行儀見習いや妃候補に会って来たが、アニエスほど気にかけ、心砕いて対処した令嬢はいない。
……にもかかわらず『眼中にない』的な発言をされ、セオドリックはかつてないほど、腹に据えかねる思いを抱いていた。
そんな折、公爵と例の二人と会うか会わないかの話が耳に入り、セオドリックはこれは例の二人に自分の存在を知らしめ……牽制するチャンスだと思い、お目付け役を口実にここまでやって来たのである。
そう、多少いろいろな無理を通しながら……。
「ごめんなさい。お行儀が悪いのですが、お髪が乱れたので少し直してまいります……」
アニエスはとりあえず一時休止……というかこの場を落ち着かせるためにも一旦そそくさと逃げることにした。
父が連れてきた女中と共にお化粧室に行く。
アニエスが出ていくのを皆が見送ると、アレクサンダーがセオドリックへと体を向けた。
「――セオドリック様はもしかして、お嬢様を好いていらっしゃるのですか?」
なんともド直球な質問をセオドリックに投げかける、少年アレクサンダー。
そう。美少女のような顔をしているのに、アレクサンダーは気骨があり、肝の座った少年なのだ。
冷たくじっと見つめる宝石アレキサンドライトのように紅色と翠に変色する、彼の瞳を見ながらセオドリックはそれに答える。
「君の考えは?」
「はい……全力で警戒をしなければならない。――そうヒリヒリと肌身に感じております」
(はははっ、王太子に楯突くつもりかな? これは面白い!)
「僕も」
エースもこの件に関しては、言いたいことがあった。
「自分の運命とさえ思っている女の子に手を出されて、それが例え誰であろうと、黙っている性分ではないし……譲る気は一切ございません!」
(へえ、いい目をするな。でもまあ、こちらとて負けるつもりでわざわざこんな敵陣に乗り込んだわけではないのだがな?)
「――人は単純に距離の近い者の方が、心の距離も縮めやすいというのが定説だよ?」
「もともと常識になぞらえるような人じゃないでしょう」
「少なくとも、好かれているようにはお見受けできませんが?」
「好きと嫌いは表裏一体。……コインはきっかけさえあれば簡単にひっくり返せる」
バチバチと火花が飛びかう中、公爵だけはふうむと鼻筋に指を添えて考えていた。
間もなく髪を綺麗に直したアニエスが戻ると……なぜか、先程より空気が刺々しくなっていて、ぎょっとする。
その中で一人公爵だけがニコニコとアニエスに声を掛けた。
「髪がすっかり直ったようだね。ところでアニエス、一ついいかな?」
「……はい」
「アニエスには好きな子はいるのだろうか?」
普通、思春期の女の子は父親にこんなことを聞かれても絶対に答えない。
けれどイライアスは普通の父親と違い、美しさと気品と清潔感。爽やかさと渋さと話しやすさがあった。
何なら十二歳の娘に「私はパパが一番好き! パパのお嫁さんになる!」と本気でそう言われたとしても決して違和感が無い。
またそれに加えてアニエスも普通の娘ではないので、その質問にあっさりと答えた。
「タニア様が大好きにございます!」
……だが残念ながら多少ズレている。
「そうではなくて、この人のお嫁さんになりたいなあ……と思う男性や男子はいないのかい?」
それにアニエスはうーんと首をかしげてから、口を開いた。
「今はおりません。でも理想ならございます!」
その言葉に牽制しあう男子三人は、ぴたりと牽制を解いて、固唾をのんでアニエスの言葉に耳を傾ける。
「爵位は一代爵位の準男爵か、騎士階級! あるいは中流階級の資産家が理想です」
その返答には公爵は驚きつつも、冷静に優しく続ける。
「へえ……それはまた何故?」
「私は『魔力無し』ですから、格式ばった純血貴族の妻になるのは現実的ではありません。……なので家の面子を最低限保つなら、一代爵位を持つ方か、すでに基盤のある中上流階級が無難だと判断いたしました」
アニエスは表情はにこやかに、言葉は朗々と続けた。
「私は持参金も一般より多く、相手があまりにも資産の無い方ですと、その後がトラブルのもとになるから大変だとお母様も――つまり、これが総合的にベストな選択かと!」
それを受けてイライアスが答える。
「……これは親馬鹿として差し引いて聞いてほしいが、アニエス。君は名門公爵家の唯一の娘で、資産も才覚も揃っている。しかも、驚くほどに美しく、聡明だ」
イライアスはの話のウィットを効かせるのを忘れなかったが、その芯にはごく……ごく真面目なものがあった。
「……それでいて『魔力無しは必ず遺伝する』などという話も、私はどうにも信用していなくてね。実は同じ意見の貴族も思った以上に多い。だからもし君が“白馬の王子様”を狙うと言い出しても……父としては、十分に勝算があると見ている。だから、遠慮はいらないよ?」
父の話聞くと、アニエスはニコッと笑った。
「白馬の王子様……? まあ、なんてお可愛らしい考えでしょう!」
この可愛い顔で、非常に可愛げもなく、この娘は宣う。
「お父様……お父様。――考えてもみてください? そもそもそんなお話が世間でまかり通るなら、私が子供の頃に結ぼうとした婚約その数、約五十件強。その全てが破談になったりはいたしません!!」
それには顎が外れるほどセオドリックは驚愕し、思わず隣のエースに問いただす。
「いくらなんでも冗談だろう!?」
「……信じられないでしょうが、真実です」
苦い顔でエースが答える。
「その失敗を通し反省して学び、そして導き出された結論が先程の理想像なのです!! …………でも白馬の王子様ですか……お昼は彼女たちに対しては、ああ申し上げましたし、もちろん殿下のご都合が大前提ではありますが、セオドリック様の妃になるというのは、もしや素晴らしい選択の一つかもしれません……?」
その言葉を聞いた瞬間、セオドリックの胸に小さな喜びがパッと灯った。
「そう……第八妃くらいの立ち位置で!!」
セオドリックはいま上がったテンションが、一気に地の底にめり込む。
「アニエス……私には、正妃も第ニ妃も、第三、四、五、六妃も、ましてや第七妃もいないのだが……?」
「……歴史上は正妻と十一人の側室。さらに六十人の妾がいた国王様もおりますよ?」
「うん二百年前にな」
「華やかな立場は別の妃が主だって、自分は決して表に出ず、生活は保証され三食、昼寝とおやつ付き。しかも気楽。……これ以上の待遇、この世にありませんよね……?」
「だからと言って“正妻より高位出身の第八妃”は前代未聞だ!」
「私自身は身分を問いません。意地悪も致しません。……ですが他の妃が外野に責められる可能性は確かに高いですね? ……となると摩擦コストが発生します。 うーん、それでも一夫多妻制自体は、時に制度として優秀だと思うのです」
男性陣の思考は、いま完全に停止した。
「舞踏会で壁の花となる女性が多いのは、感情の問題ではありません。……構造的な需給バランスの崩壊です……!」
アニエスは、ウンウンと、自分の弁に勝手に納得して自分で勝手に頷く。
「結婚適齢期で、かつ身分・地位・財産を兼ね備えた男性はまさに希少資源! 一方で女性の数は年々増加傾向…………結果、未婚率が年々上昇傾向の現実があります!」
一拍おき、顔を上げるとアニエスは、ぱっと表情を明るくした。
「ですが、ご安心を!? ……正妻に限定しなければすべてが解決いたします! 女性側も持参金は極力抑えられ、選択肢は増えて成婚率も一気に上昇! 未来のローゼナタリアは、皆ハッピーの万々歳になります!!」
そして締め。
「そもそも生物学的に雄というのは――」
男性陣が、同時に静かに頭を抱え込む。
「アニエス……私は君が今……どんなに由々しき事態であるかを痛感してしまった……」
沈鬱な表情で、イライアスは我が娘を見る。
その瞳はどんよりと絶望に沈んでいた……。
「十二歳なんて……結婚に甘い夢を抱き、一番憧れが出てもおかしくない年頃だというのに……!」
「そんな、お父様……! 私は結婚に希望を持っています! だってほら、よく結婚は『人生の墓場』だと聞きますでしょう? ……ですが、私は墓は無いよりもあった方がずっとマシだって、ちゃんと分かっておりますよ?」
……もう、お願いやめて……!!
イライアスは天井を仰ぎ、ゆっくりと首を振った。
「……いや、待て。落ち着こう。すべては君に余計な苦労を背負わせたくなかっただけなんだ」
一拍。
「早めに婚約を整えれば、安心して学び、自由に育てると思った。…………だが、君はそこから“制度の最適解”を導き出してしまった。……育てた覚えのない才能が、いま目の前で見たくもない形で咲いている」
彼は苦笑しながら、心底困ったように呟く。
「果たしてこれは父の愛情か、それとも社会に対する軽犯罪なのか……?」
そして、観念したようにジッと娘を見る。
「正直に言おう。私は今、どう君に謝るのが正解なのかが、まるで分からない……」
アニエスはその父の懺悔に首をかしげ、眉間にシワを寄せる。
「あの、お父様がいったい何について、私に謝っておいでか……全然、分かりませんわ?」
エースとアレクサンダー、セオドリックの三人は、
理解を放棄した者だけが浮かべる、あの諦めと哀しみ近い表情で、静かにアニエスを見つめる。
「……そして、どうして貴方がたから、そんな救い難いというような、非難の目を向けられねばならないのか、理解に苦しみます……!?」
こうして食事会は修羅場を免れ――代わりに、「この娘は早急に何とかしなければならない」という共通認識だけが、確実に共有され、夜は深まるのだった……。
【ぷち閑話・読み間違いとやらかし】
「そうよ。……どんなに誰もが頷く正しいことを言ったところで、信頼を築いてもいない人間の言葉に……その価値や力は存在しないも同じだわ!」
この事実にアニエスは十二歳にして気付いた。
ゆえに、アニエスはこの王宮でド下っ端から王宮宮廷行儀見習いをスタートすることを決める。
そこまでは賢い――いや、賢すぎると言えた。だがしかし。
(とはいえ……暗黙の了解を無視したのは不味かったな〜……)
暗黙の了解。世にいう不文律。
王宮では普通、二年目から自分の使用人を呼んでもよい……そう規則にもなっているし、一年目の王宮宮廷行儀見習いは雑用を主にこなす決まり (※何故なら王宮の詳しい仕事をまだ理解していないため) はあるものの。
――何ごとにも例外があるという話だ。
そう、上級貴族……とくに歴史のある上級貴族の娘は必ずしも、それに当てはめなくて良いというもの。
……つまり、そういうお家のお嬢様は、イエス使用人。 ノー雑用! ……ご実家と変わらない生活基盤を保証される。
(それを……私は甘く見ていた!)
そう……。
この暗黙の了解。不文律をアニエスはうっかりぶっ壊してしまったのだ!
(う……うちの家名の重さを、侮っていた!)
だって、ロナ公爵家は名門中の名門だ。
それも各国の国王を輩出し、魔法を起こしたとんでもない大名家。
その姫にして、公爵令嬢のアニエスがその特権をまるっとガン無視したとなれば……当然、他の家名出身のご令嬢も割を食おうが何だろうが、それに泣く泣く順じるしかない。
そう、例え誰に何も言われずとも……。
(これは、もはや“既得権益”の破壊!! ……そりゃあ皆さんから余計な恨みもガンガン買いますよね? はははははって……私のあほーーー!?)
しかも、それだけではない。
実際はセオドリックの魔脈を正常にするべく治療をしていただけなのに、どうやら夜にセオドリックの部屋を出入りしたのをうっかり他の行儀見習いに見られていたらしく……。
本来、こんなヘマはしないアニエスが、あまりの多忙さと空腹。重なる疲れのために、警戒が散漫になり、うっかり隙を作ってしまった。
こんなの事情を知らねば、セオドリックと逢引していたと誤解させても致し方ないだろう。
おかげでセオドリック派の女性陣の基地にアニエスは知らず大爆発を起こして、大いに妬まれ憎まれる結果となった。
(私は……馬鹿なのかしら?)
さらにさらに、やらかしたのが……。
まず、アニエスが王宮入りする時に遡る。
ロナ家はこの時。
まるで王家に輿入れでもするような家財やらドレスやら宝石やらをたーんとこの娘に持たせた。
けれど、アニエスはそれを一目見て―――。
(――ふむ。王宮には人質……奉公に出るのに、こんなに服も装飾品は要らないわ?)
……なら、どうしたか?
アニエスは裏ルートを使い、それら服、家財、装飾品類を九割五分以上。とっとと売っぱらってしまった!
(いやー、実家に把握されない自由に出来る活動&運用資金がちょうど欲しかったんですよ~! ……物は使わなければ死蔵してしまいます。ゆえに喜んで身に着けてくれる方に渡るべきでしょう! うんうん! これぞWin-Winですね!)
うーん、とんでもない不良娘である……。
そりゃあイライアスさんも頭を抱えるというもの。
ここに侍女の『コーラ』がいれば、もちろん彼女は止めたはずだが、使用人を連れてこない判断が思わぬ功を奏した。
……というか、ゆえに行動が悪化している。
だが、この身の回りのシンプルさが、周囲の侮りや嘲りになるとはアニエスは露ほども考えない。
なぜなら、装飾品やドレスの見栄えがいかに貴族の基本の武装かを、実際家すぎるアニエスの脳みそは理解していなかったからだ。
……もちろん、ちゃんとそこら辺が分かっているロナ家は、だからこそしっかりと、準備をしてくれていたというのに……。
そして、極めつけに最後にもう一つ。
アニエスがやってしまった事というのが……。
――まず聞いてほしいのは、アニエスは最近ひどく……悩んでいることがあった。
(鍛える時間が……無い!?)
実家では、さんざん虐め抜いた我が筋肉を、さらに鍛えるどころか……その維持すらも最近は厳しい。
何しろ王宮は毎日が忙し過ぎるのだ。
「うーん、うーん……このままじゃ私の筋肉達があ! !? ……ハッ、そ、そうだわ!?」
で、アニエスはある秘策を思い付く。
しめしめ……コレなら絶対に、上手くいくぞ! とアニエスは一人ほくそ笑む。
だってバレるはずが無いもん!! と……。
――ところがそうは、もっちろん行かなかったのであ〜る!
王宮宮廷行儀見習いたちがお昼を頂く大食堂。
アニエスは自分の食事が準備された席に着き、ナプキンを膝に二つ折りにして膝に置き、祈りを捧げ、さっそくグラスの水に口をつける……。
その時、アニエスの後ろでクスクスと笑う令嬢達に、アニエスの注意が払われていなかった。
何しろ笑われるのは日常茶飯事。
今さら、気にする方がおかしい。
しかし、今日のその笑いは別の目的を含んでいた……。
―――ザッ!!
「……?」
何か……変な音が近くでしたような……?
しかし、アニエス自身に、全然、問題は無かったので、彼女は優雅に食事を続ける。
パンを一口くちに運び、スープに舌鼓を打つ。
しかし、今日は周りのざわめきがやたらと多いような……?
ザワザワザワッ。どよどよどよどよっ。
アニエスは、そこでようやく食事に集中するのを止めて、口をナプキンで拭いた。
それで周りをキョロっと見渡すと、令嬢たちがアニエスの席を中心に距離を置いて半円を描き、恐怖で顔が青ざめている。
「え……?」
アニエスが不審に思いさらに振り向こうとすると、ん? あれ? 椅子の背もたれが無い。
――というか。
「な、なんであの人……椅子が無いのに姿勢がそのまんまなの!?」
「重力を無視した……う、宇宙人!?」
「……………………」
そう、アニエスの秘策。
それは座っているように見せて実は完全なる“空気椅子”でした。というもの!!
……これなら体幹をバチクソ鍛えられる上に、まず、周りは可笑しいとは思わない! ――そう、椅子を引かれでもしない限りは!?
……おかげでアニエスは可哀想にはならなかったが、「ド変人」という新たなジョブが加わった!
まあ、これは実際に合っている。
……バレるのがあまりに早過ぎだが……。
「……私、果たして女友達が出来るのでしょうか?」
全部が裏目に出ていた……。
これはもはや、呪い?
そんな己の呪われた体質にアニエスはしくしくと枕を涙で濡らす。
――断罪裁判まで、あとたったの一週間だ。




