21、お食事会と残念な一人娘 ☆new アニエス挿絵あり
※アニエス私服
王都の王侯貴族も利用するグランドホテルの最も格調高いレストランテの最奥の特別室に、アレクサンダーとエースは正装に身を包み、義父の来訪を待っていた。
今夜は三人で食事をとることに二人は一切疑いが無い。
だが部屋に通されてテーブルを見ると、準備の数がどうにもおかしいのだ。
二人は首をかしげながらもイライアスの登場を待っていた。
「私が誘ったというのに待たせて済まないな!」
十分ほどして待ち人が無事に到着した。
そしてそんなイライアスの後ろから思わぬ人物が現れる。
「お嬢様!」
登場した一人目は思わぬ嬉しい人物だった。
髪を瀟洒たリボンで結び、肩の膨らんだ青と白の少女用のドレスを身にまとい、いつもより清楚でどこか大人な雰囲気のアニエスが二人の前に立つ。
少し背も伸びたようだが、なのに愛くるしさについては以前より増している気がした。
これで終わりかと思えば、なんとその後ろからさらなる大物が現われ仰天する。
「セオドリック……王太子殿下…………!?」
あまりに意外な人物だった。
「竜の人質である三人と公爵閣下だけを一緒にするわけにはいかないゆえ、家族水入らずのところ大変申し訳ないが同席させて頂きたい」
ということで思いもよらないこの五人で食事をとる運びとなった。
「寄宿舎学校の生活はどうだい? 寮は他の者と共同だから馴れるのも大変だろう?」
公爵はエースとアレクサンダーに早速、学校での様子を尋ねる。
「最初は戸惑いましたが馴れると案外楽しいです。男同士でくだらないことでふざけたり、勉強を教え合ったり……もちろん腹が立つことも無くはないのですが、いろいろ学びがあり、日々勉強になります!」
エースが明るく答える。対してアレクサンダーはなんだか少々歯切れが悪かった。
「……皆、少々、親切すぎるくらいに親切です。ええ……本当に」
「そうかい? アレクサンダーにはいろいろと何かありそうな様子に思えるが、上手くいっていないのかな?」
「い、いえ、ただ僕はもともと賑やかなのがそこまで好まないものですから……共同の部屋に、まだエースほど慣れていないだけです!!」
「そうか、それならいいんだが……」
「二人はずば抜けて優秀でエールロードでも常に注目をされていますよ閣下。人気も高いので監督生候補に挙がっているくらいですから」
それにエースが驚いた様子でセオドリックの話に加わる。
「王太子殿下が僕たちのことをご存じだとは思っておりませんでした」
セオドリックは人好きのする笑顔を見せ、首を振った。
「何を言っているのやら……最初から注目はしているよ。軍や学校の管轄とはいえ竜の所持者なのは耳にしていたし、実際歩いているだけで君たちは相当に目立つ。女性が我が校に入学出来たならば、きっとファンに毎日おいかけられて、告白されていたに違いないだろう」
「……女子がいなくとも毎日、告白されている者もいます、が……って、いって!」
エースは余計な口をきいたため、アレクサンダーにテーブルの下で思いきり蹴られ、悶絶する。
「……失礼いたしました」
突然声を上げたことをエースが詫びつつ、アレクを横目で睨んだ。
「でも確かに入学して間もない頃に女の子がわざわざ変装して忍び込むくらいだから……それも不思議ではないね?」
「ゴホ! ゴホごほッ!!」
セオドリックがニコニコ語ったその横でアニエスが盛大にむせる。ぜーぜーと肩で息をしながらアニエスがぎこちない笑顔で非礼をわびる。
「し、失礼いたしました。グリーンピースがのどに飛び込んできたものですから……!」
そう言いアニエスは涙目でグイッと水を飲みほした。
「二人はもうすぐ軍の演習課程があるのだろう? やたら注目されるとスカウトが激しいから、気を付けた方がいい」
アレクサンダーが首をかしげて質問する。
「授業の内容はどういったものでしょうか?」
以前から気になっていたのか、珍しくこの話には前のめりに食いついた。
「まずは基本の包帯の巻き方とか隊列について……それから武器の扱いなんかも最初に習うはずだ」
今度はエースが質問をする。
「では魔法は使わないのですか?」
「いいや、チーム分けしての演習が行われる際にはリーダーに判断を任せられるから、使用する場合も無論あるだろう!」
まだ新入生でクラブ活動も数えるほどしかしていない中、上級生であるセオドリックの話は実にためになる様で、二人は熱心に話に聞き入っている。
公爵ももとは寄宿舎学校の出身なので話の内容はよく知ったもののようで、懐かしそうにうん、うんと頷いていた。
アニエスは蚊帳の外であまりよくわからない話に余計な口は挟まない方が賢明だろうと、ハムハムと目の前のお皿の料理を静かに咀嚼している。
すると公爵とエースとアレクの三人が話し出した隙に、セオドリックがアニエスの皿に、自分の肉やら野菜やらをポイポイと移動してきた。
「……これは何の真似でしょうか王太子殿下?」
「いや、せっかくだからもっと食べた方がよいと思ってな。君は線が細すぎる」
「お気遣いいただき大変恐縮ですが私は欠食孤児でないので、こういうことはされなくて結構でございます!」
「それに今日はやたら大人しいし……君も別に話すのは嫌いじゃないだろう?」
マッサージの際にアニエスはセオドリックと、くだらないことから専門的なことまでよく話をしていた。
「殿方の話に口を挟むのは礼に事欠くと、先日も行儀作法で習ったばかりです」
「ふうん。それは、君らしくないな?」
アニエスは口を尖らせながらセオドリックに反論する。
「いったい私の何を知ってらっしゃるというのですか? そして更にその海老をなんで私のお皿に入れるのですか!? もう!」
セオドリックはそれに顔は真顔でいながら、しかし口調は若干からかう調子で言った。
「いや、やはり栄養は取った方がいいと思うんだよ。君は女性らしい丸みから縁遠すぎるから……」
そう言い、チラりとアニエスの胸元に視線を送る。
「十二歳はこれくらいが平均値ではないでしょうか? セクハラ……いや、セオドリック殿下……」
「そうかな? 十一歳の頃に出来たガールフレンドは、当時十二歳だったけど君の倍は膨らんでいたよ?」
「昔からそんなところばかりご覧になっているのですか??」
「いや、私から見たわけではなく……あっちが見せてきた」
「えええ、どうゆうシチュエーションですか? それは……」
「随分、仲が宜しいご様子ですね……」
若干ひんやりとする空気をまといアレクサンダーがすっと口を挟んだ。
二人が振り返ると公爵とエースもこちらを見ている。それにアニエスは慌てて手と首を大きく振り反論した。
「殿下は私がお世話になっているタニア様の兄君であらせますから、多少は世間話を交わします! ……が、だからといって特別に仲がいいなどという恐れ多いことは決して……!」
それにセオドリックはうんうん頷いてみせる。
「そうですね。おびえて泣く彼女に胸を貸し、落ち着くまで背中を撫でて励ましたりしましたが……決して言うほど親しいわけではありませんね?」
「…………っな!!」
アニエスは引きつった青い顔でセオドリックの涼し気に微笑む顔を凝視した。
「で、殿下! そ、その言い方は中々に誤解を招きます!」
「確かにそうですね。では貴女があられもない姿で僕の前に現れたという話もしない方がよいですか?」
「っっ事故! あれこそ事故です!! いい加減におふざけを止めて頂かないと、さすがの私も怒りますよ!?」
その反応を見てセオドリックは自分の腹を抑える。
「えっ! ではこの腹を『また』殴りますか?」
「ア、アニエス! 殿下をまさか打ち据えるようなことをしたりしたのか!?」
その発言にはさすがのロナ公爵もぎょっとして身を乗り出した。
「え、それはその、しました………け……ど、もともとはセオドリック様が……!」
「うん、殿下がいったい何をしたの……?」
エースが静かに尋ねた。
父やアレクサンダーもアニエスに視線を向け注視している。
アニエスはそれに無言でテーブルの上のグラスを指で下から突くようにしてさり気なく倒した。
「まあ!! 大変たいへんテーブルが!! ボーイさんすぐに来てください!! 誤ってテーブルに飲み物をこぼしてしまったわ!?」
「ええと……今、わざと倒したよね??」
おかしい! アニエスは最初ただ静かに食事していただけのはずなのに、これはいったいどうゆうことなのだろうか!?
自分を窮地に追い込んだ張本人をアニエスは再度、涙目になりながらギロリと睨んだ。
「せ、セオドリック様………私に何か恨みでもお持ちでしょうか?」
するとセオドリックは楽しそうに口の端を上げ、ニコッと笑い。
「いえいえ、ただ思いついたことを言ったまでで………」
嘘だ! 絶対これは私に何かの仕返しをしているに違いない! とアニエスは喉の奥を唸らせる。
「………もしや本日昼間の私の発言に、何か殿下の気に障るものがあったでしょうか? でしたらこの場でお詫び申し上げますから!」
「いや、別に私の気に障ることなんて………」
……あった。
アニエスの昼間の発言でアニエスが自分の妃になる気はさらさらないこと。挙句の果てに今回の首謀者にセオドリックの正妃をあきらめずに頑張れとエールを送ったことに……平静を装っていたが、セオドリックは実はずっとイライラしていた。
正直、今までいろんな行儀見習いや妃候補に会って来たが、アニエスほど気にかけ心砕いて対処した令嬢はいない。
……にもかかわらず『眼中にない』的な発言をされ、セオドリックはかつてないほど腹に据えかねる思いを抱いていた。
そんな折、公爵と例の二人と会うか会わないかの話が耳に入り、セオドリックはこれは例の二人に自分の存在を知らしめ牽制するチャンスだと思い、お目付け役を口実にここまでやって来たのである。
そう、多少いろいろ無理を通しながら……。
「ごめんなさい。お行儀が悪いのですが、少々髪が乱れましたので直してまいります」
アニエスはとりあえず一時休止……というかこの場を落ち着かせるためにも一旦逃げることにした。
父が連れてきた女中と共にお化粧室に行く。
アニエスが出ていくのを皆が見送ると、アレクサンダーがセオドリックに体を向けた。
「セオドリック様はもしかしてお嬢様を好いておられるのですか?」
なんとド直球な質問をセオドリックに投げかけるアレクサンダー。
美少女のような顔をしているのに、アレクサンダーは気骨があり、肝の座った少年なのだ。
冷たくじっと見つめる宝石アレキサンドライトのように紅色に変色するアレクサンダーの瞳を見ながらセオドリックはそれに応える。
「君はどう考える?」
「全力で警戒をしなければならない……とそうヒリヒリと感じております殿下」
(はははっ、王太子に楯突くつもりなのかな? これは面白い!)
「僕も」
エースもこの件に関しては言いたいことがあった。
「自分の運命の相手とさえ思っている女の子に手を出されて、それが例え誰であろうと黙っている性分ではないし、譲る気は一切ございません!」
(へえ、彼もいい目をするな? でもまあ、こちらとて負けるつもりでわざわざこんな敵陣に乗り込んできたわけではないのだがな……)
「人は単純に距離の近い者の方が心の距離も縮めやすいというのが定説なんだよ?」
「もともと常識になぞらえるような人じゃないでしょう」
「少なくとも好かれているようにはお見受けできませんけど?」
「好きと嫌いは表裏一体。コインはきっかけさえあれば簡単にひっくり返せるよ」
バチバチと火花が飛びかう中、公爵だけはふうむと鼻筋に指を添えて考えていた。
間もなく髪を綺麗に直したアニエスが戻ると……なぜか、先程より空気が刺々しくなっていてぎょっとする。
その中で一人公爵だけがニコニコとアニエスに声を掛けた。
「髪がすっかり直ったようだね。ところでアニエスひとついいかな?」
「はい」
「アニエスには好きな子はいるのかい?」
普通、思春期の女の子は父親にこんなことを聞かれても絶対に答えない。
けれどイライアスは普通の父親と違い、美しさと気品と清潔感。爽やかさと渋さと話しやすさがあった。
何なら十二歳の娘に「私はパパが一番好き! パパのお嫁さんになる!」と本気でそう言われたとしても決して違和感は無い。
またそれに加えてアニエスも普通の娘ではないのでその質問にあっさりと答えた。
「タニア様が大好きです!」
……だが残念ながら多少ズレている。
「そうではなくて、この人のお嫁さんになりたいなあ……と思う男性や男の子はいないのかい?」
それにアニエスはうーんと首をかしげてから口を開いた。
「今はおりません。でも理想はあります!」
その言葉に牽制しあう男子三人は固唾をのんでアニエスの言葉に耳を傾けた。
「爵位は一代爵位の準男爵か、騎士階級! あるいは中流階級の資産家が理想です!」
その返答には公爵は驚きつつも冷静に優しく続ける。
「へえ……それはまた何故?」
「自分の分をわきまえての考えです。私は『魔力無し』ですから純粋な貴族の妻は難しいと思います。……でも家の顔を最低限立てなければならないのなら、せめて一代爵位のある方かそれなりの地位を築いていて基盤のある中上流階級が無難かなと…………それから私には持参金がありますし、あまりにもともと財産の無い方と一緒になるのは、トラブルの原因になると、お母様にも言われたのです!」
「………………アニエス。私が言うのも自分でおかしいと思うが、君は最も由緒ある公爵家の娘で財産も十分であり、身びいきを差し引いても君は賢く美しい子だ。…………魔力が無いのが後々遺伝するという話が絶対正しいというのにも、私はつねづね疑問を持っているしね? だから例え白馬の王子様と結婚したいと思っても、君は十分に叶えられるだけのものがあるんだよ?」
父の話にアニエスはニコッと笑った。
「白馬の王子様……? まあ、それはなんてお可愛らしい考えでしょう!」
この可愛い顔で、非常に可愛げなく、この娘は宣う。
「お父様……考えてもみてください。そもそもそんなお話がまかり通るなら、私が子供の頃に取り結ぼうとした婚約、約五十件強は破談になったりはしていません!!」
それにはセオドリックは驚愕し、思わず隣のエースに問いただした。
「いくらなんでも冗談だろう!?」
「……信じられないでしょうが、事実です」
苦い顔でエースが答える。
「その失敗を通し反省して学び、そして出された結果が先程の理想です。でも白馬の王子様……ですか。お昼はああ彼女に対して申し上げましたし、もちろん殿下にとって不都合がなければというのが大前提ですが、セオドリック様の妃になるというのは素晴らしい選択の一つかもしれません……」
その答えにセオドリックの顔に喜色が浮かぶ。
「そう第八妃くらいで!」
セオドリックはいま上がったテンションが一気に地の底に沈むのを感じた。
「アニエス……私には、正妃も第ニ妃も、第三妃も、第四妃も、第五妃も、第六妃も、ましてや第七妃もいないのだが……?」
「歴史上は十一人の妻と六十人の妾がいた国王もおりますよ?」
「うん二百年前にな」
「ほっとかれて裏はともかく表立った責任に追われることもなく……三食昼寝がついた上、気兼ねの無い身分……これぞまさに人類の理想ですよね!?」
「どこの世界に正妻より余程高い身分出身の第八妃がいる!」
「私は一向に気にしないし身分のことでいじめたりなんてしないのになあ……、でも他の妃がいろいろそれで嫌味を言われたりもするのでしょうか? だとすれば確かに難しいですよね? ……というか私はむしろ一夫多妻制は全然ありだと思うのです!」
男性陣はあっけにとられている。
「そもそも舞踏会などで『壁の花』になる女性が多くいるのは、女性の数に対して身分・地位・財産のある結婚適齢期の男性が圧倒的に少ない現状があるからでしょう…………? そうやってオールド・ミスの統計は年々上昇傾向にあるのだし……正妻でなければ持参金の用意も少なくて済みます。そもそも雄は多くの種……」
「アニエス…………君が今どのようなに由々しき事態であるかについて痛感したよ!」
沈鬱な表情でイライアスは我が娘を見る。その瞳は絶望に沈んでいた。
「十二歳なんて結婚に甘い夢を抱き、一番憧れが強くてもおかしくない年頃だというのに」
「お父様、結婚は人生の墓場と聞きます。でも私は墓は無いよりあった方がマシだと思っておりますよ?」
……もう、やめて……!!
「……余計な苦労をさせたくなくて、早くに婚約させようとして無理をしたのがよくなかったのかもしれない。……果たして君をこんな風にしてしまった私を許してくれるだろうか? 本当に済まないことをした……!」
「……お父様が何について私に謝っておいでなのかが、全然わたくしには解らないのですが?」
エースとアレクサンダー、セオドリックがひどく残念なものを見る目でアニエスを悲しそうに見つめている。
「そして、どうして貴方がたからそんな目を向けられなければならないのか、理解に苦しむのですが……!?」
こうして食事会は修羅場を迎えずに済んだものの、アニエスに対し『早くこいつを何とかしないと……!』という共通認識がより深まる夜になったのであった……。